エゴから始める一歩でもいい

 最近、早朝ウォーキングをさぼっていた。根が面倒くさがりやなので。

朝は、自然農創始者、川口由一さんの記事を読んでいた。地球の声を聴く生き方シリーズ。宇宙生命界と一体になる。という内容の川口氏の言葉を読んでいたら、ふと、ウォーキングに出掛けたくなった。

以下、エゴ(エ)の私と、本質(ほ)の私の会話である。

エ「雨が降ってたみたいだし、面倒じゃない?別に行かなくてもいいじゃない。家の中でのんびり読書していれば。」

ほ「このまま家にいたら、エネルギーが滞るよ。外で歩けば気持ちいいし、深呼吸しに行こうよ。」

エゴと本質は、私の中では、同等くらいの力関係になっている。惰性で、エゴに従いそうになるが、ここは本質の意見に従う。鍵だけ持って、いつもの散歩コースへ。

空気がひんやりして気持ちがいい。10分ほど軽い体操をして、酸素を体内に巡らせる。

脳が活性化したのだろうか。深呼吸したから、ハートが動きやすくなった様子。

水滴を纏った蜘蛛の巣や、露草の繊細な美しさに、静かな感動を味わう。これは、スマホを持参してくれば良かった。撮影したかったな。

いろんな美しいものも目に入るが、今日は何故か、散歩道に落ちているゴミに目が行った。

エ「いつも気づかなかった。気持ちいい散歩道なのに、ゴミがいっぱい落ちているんだね。ゴミ拾ってあげたいけど、袋も軍手もトングも無いし。今日は無理だね。まあ、いつかやるかも。」

ほ「いつか、いつかって。今気づいたなら、今、やればいい。いつかは、永遠に来ないよ。いつかと言うのは、やりませんという宣言だよ。」

エ「だって、道具がないよ。無理。」

ほ「一度家に帰って、ビニール袋持って、もう一周したらいい。軍手もトングもいらないでしょ。素手でいい。後で手を洗えば大丈夫。」

エ「え~っ!面倒くさいよ。一度家に帰るんでしょ?」

ほ「雨上がりの草花の写真も撮りたいんでしょ?スマホも持って、ゴミ拾いしながら、もう一周しようよ。」

エ「確かに、ゴミ拾いしたいなとは思ったよ。でも、それって、エゴ丸出しじゃない?恥ずかしいな。道行く人に見られたら、なんか、いい人ぶってるようで。私、いいことしてます。すごいでしょ?みたいな。褒められたいというような気持ちが膨らんでくるの。私は偽善者だよ。純粋じゃないもん。」

ほ「エゴからでいい。最初はそれでいいから、始めなよ。きっと何かが変化する。いつも、思い付くだけで、言い訳ばかりして、行動に移してないよね。ずっとそれでいいの?今朝、川口さんの記事を読んだよね。『いまこそ人類は立ち止まり、貪りの生き方から脱却を。』の部分、そうしたいって、さっき思ったよね。何も、大きなことから始める必要はない。小さなことでいい。道に落ちているゴミを少しだけ拾うことから、始めたら?今、気づいたんだから。今、やらなきゃ、ずっと何もやらないよ。あなたは。」

エゴは、写真を撮りたいのもあり、本質に従い、一旦家に戻る。スマホとビニール袋を手に、再度、散歩道へ歩き出す。

自意識過剰となり、まばらだが、人が歩いていると、ゴミを拾う自分を恥ずかしく感じる。何だか悪いことをやっている気がするのだ。

しかし、不思議なことに、だんだんゴミ拾いに集中していると、ゴミハンターの目になってくる。頭の中の思考が静かになり、無心にゴミを拾っていく。

タバコの吸殻が一番多い。お菓子の袋、飲み物の缶やペットボトル、紙くずなど。素手でどんどん拾う。もう、あまり気にならない。(注*素手は危険です。トングはあった方がよいです。)

散歩道の両脇に生えている植栽たちに、「いつも美しい姿で、私たちを和ませてくれているのに、感謝どころか、汚してしまって。私たち人間が、本当にごめんなさい。」と謝った。

ふとした気づきが内面から湧いてきた。

ゴミを捨てる人間は、私の一面でもある。その性質は、確かに私の中にある。そして、迷惑をかけた植物たちに謝りたい気持ちも、環境をきれいにしたい気持ちも確かにある。矛盾する両方の面が紛れもなく私を構成している。

そのことを認め、実際に体と心を動かして、清らかな状態に戻していく。

口では、いくらでも、美しいことは言える。大切なのは、それを行動に移すかどうか。

行動に移す前に、頭の中は、言い訳の洪水になる。これはエゴの性質だ。エゴは、惰性で行きたい。新しいことをやりたがらない。条件が整わない、足りないことに注意を向けさせ、何もしないことに安住しようと必死に抵抗してくる。

今までは、エゴの言い分が強すぎて、本質の声はかき消されてきた。しかし、最近は、エゴも本質と仲良くなり、譲歩するようにもなってきた。前みたいに大声で自己主張するのではなく、本質が語る声に、一応は耳を傾けるようになってきた。

散歩道を一周(ゆっくり歩いて30分くらいの距離)し、袋にやや満杯のゴミを回収し、静かな満足を味わう。今日は、口だけじゃなくて、ちゃんと行動に移せた自分に、ありがとうと言いたい。きっとこの小さな行動は、未来に新たなパラレルを創造しただろう。何となく、未来が拓けた気がする。

満足したので、近所の公園で葉っぱの写真を撮っていたら、寄ってたかって蚊に血を吸われた。献血までしてしまった·····。


蜘蛛の巣の繊細なレース編みに、昨夜の雨が水滴となって、曼荼羅に


気がつけば秋はすぐそこ


宇宙色の花



天使の大群

どこに向かって飛んで行くのだろう。


☆萩原優医師のblogより

今朝の投稿が、またリンクしていた。

以下に、紹介させていただく。


【どちらの道を選びますか】

  

宇宙の流れに乗る。

源からの生き方を踏襲する。

やってくる生き方をする。

今を生きる。

あるがまま。


この反対が、

私が人生を創っている。

私がすべてだ。

自分の生き方をする。

過去と未来を生きる。

正しい、間違っている。


私たちは、この宇宙的な生き方と

エゴ的な生き方の間で右往左往している

存在なのだろう。


自分の生き方をしながら、

神頼みもする。


パワースポットに行きながら、

欲にかられて生きている。


源vsエゴの関係の間で揺れ動く。


元々、人間が人間を創造したのだ

ろうか?


意識とか源泉がこの宇宙を

緻密に創り出したのではないだろうか。


だとしたら、源泉、源と対立しても

所詮、自我に勝ち目はない。


素直に、あるがままの今を生きる。

悩みが湧いて来たら、それはエゴから

の贈り物。


催眠療法とはエゴから源泉への

橋渡しをしてくれる乗り物なのだろう。

コメント

このブログの人気の投稿

ヘミシンク体験~炎のビジョン

ジオバランサー(波動調整装置)体験記①

誕生日宇宙会議