どうやら動かされている
この1ヶ月、目まぐるしかった。
世界は、自分が創造している。自分が体験したい現実を選択している。そもそも現実は幻。元々、すべてはひとつ。
このことは、何度もここに書いているし、知識としては分かっている。しかし、やはり、100%腑に落とせていない。なぜなら、現実はリアルだし、肉体がある限り、生存のためにエゴが働くことは避けられないからだ。
相変わらず、何か予想外のことが起これば、不安にかられ、オロオロする。「そうか!これを私は体験したいんだね。不安を感じたいんだね。」な~んて、悠長に構えていられるはずもなく、「わぁ····どうしよう。」と、頭の中は未来の不安で山盛りとなる。その暴走は止まらない。
昨日、動画を見ていて、なるほどと思った言葉がある。
「自分が現実をつくっていると100%信じられる人間はいない。なぜなら、100%信じるなら、もう人間をやる必要が無くなるので、消えてしまうからだ。」と。
本当に消えるのかどうかは分からない。ある日、私の存在自体が皆の記憶から消えて、居なくても辻褄が合うようになるのか。肉体の死という形を迎えるのか。このあたり、宇宙の仕組みはどうなっているのだろう。
ただ、少なくとも言えることは、
人間やってるんだから、これでいいんだ。ということだ。
これが、「現実という幻を見て、好きな体験をして、様々な感情を味わう」ゲームを楽しんでいるということなのだろう。
一方、地球では、肉体を持ったまま次元上昇するプロジェクト推進中という話題もある。宇宙全体が成長することにつながるので、集合意識でも大いに喜ばしい流れが創造されつつあるようだ。
見方によっては、コロナも、戦いも、天災も、様々な危機も、破壊と創造は裏表なので、新しい世界へ移行している証なのかもしれない。順調に進行していると捉えることもできる。どう解釈するかは、自由だ。体験する世界は人により様々に変化していく。
私たちが、本来、どのような存在であったのかを思い出していく過程「覚醒コース」真っ只中であり、見えない世界はワクワク活気に溢れている様子だ。
さて、この1ヶ月動かされるような流れがあった。
私はこの一年、ヒプノセラピストの勉強をしてきた。今までは、まだ受講生気分が抜けず、セッションするにしても「私はまだ未熟だから。」と、無料でやってきた。本腰を入れるつもりもなく、何となく楽しいからやっていたに過ぎない。
「せっかく勉強したんだから、資格取ったらいいよ。」と夫に勧められ、1ヶ月前に三段階のうちの二段階目の資格を取得した。
その直後、初対面の方のセッション予約が入ったのだ。
プロ初仕事である。今回からは、プロとしてきちんと、責任を果たすべく、有料とした。
ということは、個人事業を始めるということになる。
不思議と、次に何をすればよいのか、必要な方に会い、次々とメッセージがやってきた。
仕事用ホームページ作成
クライアントへの説明用パワーポイント作成
必要な税や、会計のにわか勉強
開業届
事業用銀行口座開設
これらは、この1~2週間で、怒涛の流れで用意した。開業届情報は、有料セッション3日前に知人セラピストから何気なく話題にされ、慌てて調べたのだった。何も知らなかったのに、気づいたら、きちんと導かれ、準備が進んでいた。
それもこれも、新規クライアントの予約が入らなければ、怠け者の私が、こんなにやる気を出して短期間に行動できなかっただろう。
月曜日に、新規クライアント様と無事セッションを終え、喜びに震えながら、領収書を切った。彼女を駅まで送って歩いていた途中、上空に、光に縁取られた大きな雲がそびえ立っているのを見た。あまりに美しく、後光がさしている高次元存在のように感じた。「これ、きっと、祝福ですよね。」私の未来も、クライアント様の未来も、目に見えない世界が、応援してくれているんだなあと、二人で感激しながら、空を眺めた。
そして、また、たまたまなのだが、とある団体でがん患者向けのヒプノプログラムが新たに始動したことを知った。そもそも、ヒプノを習うきっかけは、私の癌闘病だった。がん患者に寄り添いたいと思っていた初心に、あらためて向き合わされた。
クライアント様からいただいたセッション代金をありがたく、この学びに使わせていただくことにした。今回、この収入が無ければ、受講は諦めていたところなので、絶妙なタイミングだった。
このように、何も知らなくても、次に何に挑戦したらよいのかは、自然な流れでもたらされ、条件も、いつの間にか整えられていく。必要な人に出会い、必要な収入が入り、必要な情報は偶然の形で目の前に現れる。
この流れは、魂の進みたい道。宇宙の流れとも言う。この流れに乗るなら、面白いほどスムーズに事は進んでいく。
もし、どこかで、躓くことがあれば、それは違うというメッセージなので、立ち止まり再考すればよい。必ず新たな道が示される。
この例で言えば
昨日は、開業のための事務手続きで動き回ったのだが、都税事務所→郵便局→税務署→銀行のある駅まで電車
と、まるで雲に乗せられたみたいにスムーズに進んでいた。
ところが、銀行でストップがかかった。口座を開設しようとしていた大手銀行で、とある理由で手続き出来なかったのだ。別の支店に、予約を入れて、しかも二回も出向かなくてはならない。
う~む····大変なんだなあと建物の外に出たら隣にも別の銀行があった。
恐る恐る、そちらの銀行に行ってみたら、予約不要であり、待合室は快適で、手続きは一時間ほどかかったが、丁寧に対応くださり、無事口座を開設できたのだ。先の銀行より、ずっと良かった。最新のサービスも私にピッタリだった。
うまく行かないということは、私の思い込みにストップをかけてきているということ。もっと柔軟になれば、最善の道が目の前に示されていることに気づく。
全体の10%しかない顕在意識のみに頼り、自我に翻弄されながら生きるのと、残り90%の潜在意識の力も借りながら、魂やハイアーセルフとつながり、共同作業しながら生きるのでは、違いがある。
いちおう、「私」と認識している自我は、肉体担当なので、行動を任せられている。しかし、肉体脳のみで思考し選択するのではなく、潜在意識でつながる本質からの声をキャッチするなら、叡智あふれる調和の取れた道へ誘われるだろう。
つまり、直感、インスピレーション、ふとした思いつきが、本質の声だ。リラックスしていれば、キャッチしやすい。リラックスするには、まずは、深い呼吸がおすすめ。一時間おきに腹式呼吸すると全然違う。脳に酸素が行き渡るのも要因だろう。
何か事が起きたなら
慌てず焦らず深呼吸。何はともあれ、リラックスだ。
落ち着いたら、必ず何らかのヒントが示される。ふと目にした何か。聞こえた何か。偶然出会った誰か。自分の中からふとわき上がるアイデア。
それを熟考すると思考が入り、エゴが活発になるので、ふとした気づきは、素直にパッと行動に移すのがポイントだろう。
こうやって、潜在意識と仲良くなると、どんどん生きやすくなるだろう。
☆悟ってもマインドはある
偶然、Facebookの本日の投稿に、似たテーマがとりあげられていた。呼吸道の清水友邦さんは次のように説いている。以下に一部を紹介させていただく。
「悟った人は、超越しているので好き嫌いが無いと、考える人がいます。
悟った人でも、マインドは持っていて好き嫌いがあって、感情のない無表情な人になるわけではないようです。
(中略)
禅には悟りを得ても、それを人々にシェアできるようになるために、さらに勉強する「悟後の修行」という言葉があります。
一方では
『悟後の修行なんていう人は悟りそこねたんです。
悟りに段階はないので悟ると元には戻りません。
修行なんて必要ありません。
いまここあるがままで完全なので
何もしなくていいんです』
という人もいます。
ですがこの地上世界では悟った意識だけで生活することはできません。
自我の境界が消えて宇宙全体と一つになっても身体がある限り再びマインドに戻ります。
ですから悟ったからと言って
ただちに、
英語やスワヒリ語が話せるようになったり
スケートで4回転できるようなったり
弓矢の名手になったり
大工仕事が上手になったり
料理の天才になったり
プロの演奏家や歌手や作曲家になれたり
するわけではありません。
どのような個人でもマインドはその時代と地域の文化、政治、思想、団体、部族、民族、国家の影響下にあります。
宇宙の真理に気がついたからといって隣の人までただちに真理を理解してもらえるわけではありません。
悟った人と一緒にいても、この人とはついていけないと離れたり、離婚が起きることもあるでしょう。
残念ながら悟ってもそれは個人的なものでありマインドは特定の段階にとどまったままなのです。
二元性を超えた本性に気づいても、特定の段階に同一化したままのマインドを通して表現していくしかないのです。
現象の世界は目覚めと成長の二重の道になることを自覚しなければならないでしょう。
白隠禅師は「悟後の修行」は永遠だといっていました。
それは宇宙全体が覚醒するまで終わらないのでしょう。」
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