みぞおち様に動かされる



 今朝の記録

4時半に自然に目が覚める

我が家の亀たちが、水槽のなかでごそごそ動き回る音がする。外から鳥の鳴き声が聴こえる。まだ暗いけど、そろそろ夜が明ける気配に満ちている。

身体に、目覚めたい時に起きていいよ。と許したところ、なんと、予想を裏切り、早起きになった。いつまでも布団にしがみついてウダウダ寝てるかと思ったが、身体は、自然の一部であることを実感。きちんと、夜が明けるタイミングで、しっかり目が覚める。亀も鳥も「そうだよ。もうすぐ朝だよ。」と知らせてくれるから、私の勘違いではない。時計がいらないんだ。本当に!

徐々に薄明かるくなってくる空を眺めながら、リビングの植物たちに水をやる。もちろん、亀さんたちにも、朝ごはん。毎朝、大歓迎してくれる。亀は、基本的に静かで穏やかに過ごしているのだが、ごはんタイムだけは、テンションが高い。「おはよう。」と声をかけると、「おはよう×100」くらいのエネルギーで、返事をしてくれる。自然の生き物は、朝を迎える時に、こんなにも喜びに溢れている。その輝きに圧倒される。

「嬉しい!嬉しい!嬉しい!」(亀の心の声)

この一週間続けている夜明け前のウォーキング。時計も携帯も持たない。家の鍵だけウエストポーチに入れて。

運動嫌いの私が、ウォーキングだなんて。これもビックリな変化。一週間前までは、早起きしても、大抵は読書していた。バイトがある日以外は、基本引きこもり。読書か料理か寝ているかだ。

ところが一週間前の朝、体調に変化が現れた。みぞおちが重苦しくなったのだ。この体感は過去に経験がある。だいぶ前に鬱病だった時のことだ。家に閉じ籠りゆっくりしていたいのに、みぞおちが苦しくて家にいられないのだ。外に出て身体を動かすと少し楽になるので、当時もグルグル近所を歩き回っていた。気持ちは引きこもりたいし、誰にも会いたくないのに、みぞおちが辛くて強制的に外に出される感じ。そのため、自分の意に反し、休会していた空手道場に復帰し、休職中の職場にも自らリハビリ出勤を願い出た。あんなに嫌だった職場に戻ったのだ。原因は、みぞおち(笑)。どういうこと?

病気の原因である職場に戻るわけだから、とても辛いことは変わらない。でも、みぞおちの辛さに比べたら、外に出る方が何倍も楽になる。「外に行く場所があるって、何て幸せなことだろう。」私は本気で感謝した。

今思えば、まさに、あの時が社会復帰のベストタイミングだった。職場の上司は不思議がっていた。「三年休職できるのだから、何も今、無理しなくても。ゆっくり休めばいいのに。」と。私だって、嫌な仕事するくらいなら、家に閉じ籠っていたかった。ずっとゆっくりしていたかった。でも、でも、体が言うこと聞かない。外に出たがるのだ。体が辛いと、無意識に楽になる方へ人は向かう。それが私には社会復帰だった。

あの時あのタイミングで復帰したから、次の異動先で、図書館へ行くことになり、その後の人生観を変える流れに入っていった。今の私があるのは、あの時、みぞおちの苦しさがあったからなのだ。

名言「みぞおちが苦しいと人生好転する。」By私

そんなことを思い出しながら、一週間前に話は戻る。

みぞおちが苦しくなるのは、鬱だからだと思っていた。きっとセロトニンが少なくなることによる身体症状なんじゃないかと。しかし、今、私は鬱病ではないし、好きなように、ストレスフリーで暮らしている。何故だ?

みぞおちが苦しい時、外に出て動き回ると楽になるのを体験として知っていたので、早速近所のウォーキングに出ることにした。何と、最悪なことに雨まで降っている。傘をさしてまで、それでも行くしかない。家に居ても、辛いだけだからだ。

結果、とても良かった。早朝は空気が爽やかで、鳥の鳴き声が美しい。そこかしこの繁みからは、秋の虫が鈴を転がすように歌っている。樹木にぶら下がる実は何と言う名前だろうか。月見草の黄色はまさしく月光のよう。空を見上げれば雲が幻想的に形を変化させ流れている。風が肌に心地よい。雨に濡れた緑は、いっそう濃く香りを放っている。意識的に深い呼吸をして、全身に取り込む。「ああ、そうか。私、全然呼吸してなかったのかも。」そんな気付きがあった。

朝のウォーキングが心身にとても良いことが、知識ではなく体感で理解できたので、一週間続けている。

我が家の目の前には、私立学校の運動場があり、緑豊かな環境だ。中には入れないのだが、ぐるっと周囲が遊歩道になっている。一周すると20分くらい。そこを二周するのが日課。植栽が多いので、鳥や虫たちの格好の住みかになっている。つまり1/fゆらぎ生演奏を全身に浴びることができる。

毎日、同じ朝は無い。天気も風も気温も空気の香りも音も、全部違う。毎朝挨拶する月見草も、まったく表情を変える。今朝の空は黄金色に輝いていた。巨大な鳳凰雲が上空をゆっくり横切る。そして、日の出。生まれたての太陽の光を全身に浴びながら、しばし瞑想。感謝の気持ちで満たされていく。東の空に、大きな翼が広げられていた。黄金色の天使の羽のような雲が、あまりに美しくて、この地球に今、立たせていただいていることが、どんなに幸運なことかと、感動で胸が震えた。

先日、催眠療法をやらせていただいた時に、クライアントさんが教えてくれたことがある。

彼女は、親からの虐待を経験し、過去の心の傷にずっと苦しんでいた。それでも、催眠状態となり、潜在意識につながると、

「潜在意識の中では、皆、優しい。皆、本当に愛の存在なんだ。」と実感されたそうだ。このクライアントさんは、本質の世界につながれたのではないかと思う。誰もが、何が起こるか分かっていて、生まれてくる。そして、体験を通し、学びに来ていると。私たちの本質は、生まれたての赤ちゃんのような、純粋な愛のエネルギーであると。どんな人もだ!

セッション後のクライアントさんの表情があまりに美しく穏やかで、私は涙が出そうになった。うまく言葉にならないけど「生きてきてよかった。」という感謝の気持ちで溢れた。

朝時間の新たな習慣を通し、徐々に感じてきたことは

私たちが、目を向け、耳を傾け、ハートを開けば、周りはこんなにも美しく、輝いているということ。今ここ、は、既に不足なく充ちている。すべてが愛の表現だったことに気づく。

感覚を澄ませるだけでよかったのだ。

私たちは、ただ、真ん中に戻ればいい。その静かな領域に留まる時間を大切にすればいい。

☆追記(宵待草)

運動は大切

そんなメッセージは、確かに受け取っていた。

波動を上げるには「水、食べ物、運動」が基本だと。

もちろん、楽しむとか、感謝するとか、リラックスするとか、感情を浄化するとか、他にもあるけれど

私たちは、肉体に宿る物質的存在だ。肉体が健康でなければ、せっかくの三次元世界を満喫できない。(病を地球体験の要にして学んでいる存在もいるので、例外もある。)

心の声を聴くようにと言うけれど、身体の声も聴いていきたいもの。

私の場合は、頑固に「運動いやだ~。面倒くさいも~ん。」と閉じ籠っていたから、「それなら、こうやるしかない!」と、体は、私のウィークポイントを突いてきた。私はみぞおちの重苦しさが、何より苦手なのだ。絶対我慢できない。嵐でも、外に出ていくくらい、みぞおち様には逆らえない。

みぞおちは、第三チャクラの場所。自信を司り、色は黄色と金色、太陽に関係。

そう言えば、毎朝、挨拶をして親密にコミュニケーション取るようになったのが、線路脇に咲く月見草。黄色だ。

何かありそうだ。

*ちなみに、画像検索したら、月見草だと思っていた花はメマツヨイグサのようだ。

待宵草も、美しい名前だなあ。

朝ウォーキングするようになって、また、ひとつ学んだなあ。


☆追記(ヘミシンク)

ヘミシンクを楽しんでいるのは、blogに書いてきた通りだ。

最近は、『ゴーイング ホーム』が気になっていた。

*ゴーイング・ホーム(Going Home)は、モンロー研究所とエリザベス・キュープラ・ロス博士、チャールズ・タート博士が共同製作した、ターミナル・ケア(終末期医療)のためのCDアルバムです。 人は肉体を超える存在であり、死を超えて生き続ける存在であるという叡智を、終末期の患者が自らの体験を通して確信できるようになることを目的に制作されました。そうすることで、肉体の死に対する恐怖が大幅に緩和されるとともに、今を充実して生きることができるようになります。 このCDアルバムでは、ゲートウェイ・エクスペリエンスでは適用されていない、フォーカス23から27までの死後世界を探索し、さらに、自分でフォーカス27へ行くことができるように····(アクアビジョンアカデミーホームページより)

気にしていたら、我が家にやってきた。自然な流れに乗ってきたので、これが人生の流れなんだなあと思う。宇宙は、必要なことは、きちんと体験させてくれる。

反対に願っても叶わない体験なら、必要無いということだろう。または、どちらでもよいとか。

その願いは、マインドから出ているのか本質から出ているのか。人間をやっていると、見分けがつかないと思うが、一番判断しやすいのは、宇宙にすべてを委ねてしまうこと。宇宙の流れを邪魔さえしなければ、必ずベストな方に誘われる。自我を手放すと、流れが起きる。

話は逸れるのだが、分かりやすいので書いておく。

私は、今まで、ベーシックヒプノセラピストとして細々活動してきた。あまり宣伝していなかったのもあるが、セッションの問い合わせはほとんど無かった。おそらく、それまでは、「トラウマに苦しむ人を救いたい。癒したい。」私が誰かを助けたいというエゴが働いていた。

ところが、認定資格を一段階上げたタイミングで、その思いを手放した。人間は全員、100%の力を持っている。私が助けなければならない人は存在しない。セッションがあるとすれば、私がクライアントさんから何かを学ばせてもらう時だ。

その宣言をした途端、新たなセッションが二つ、立て続けに予約が入った。

これは、私の意図が本質に添っていたからだろう。私の学びのために、必要なクライアントさんが私の願いをキャッチして目に見えない領域で手を挙げてくれたのだ。

だから、私は、ヒプノセラピストとして、営業はしない。宇宙が結んでくださるご縁に導かれていくつもりだ。

必要があれば、セッションをする。必要なければしない。すべては、わたしの魂の学びのために起こる。

幸い、少額だが図書館バイトもしているし、裕福ではないけれど、夫がしっかり生活を支えてくれている。セラピストとして生計を立てなければならないわけではない。(もしそうなら、そうなる現実化をしているだろう。)

話を戻す。

ゴーイングホーム。魂の帰還。

blogに書いてきたが、潜在意識の奥底に、「そろそろ帰還してください。」というメッセージを受け取っている気がする。根拠は無い。それでも、その思いはずっと拭えない。

催眠療法でも、近未来療法がある。私は100%、未来の自分の姿が見えない。何回もトライしたが。強いて言えばエネルギーとしての自分を感じる。近未来は3~5年後なので、どうやらこの数年で、地球転生の総仕上げをする予定らしい。これは、思い込みとも言えるので、10年後に笑い話にしている可能性も、もちろんある。未来は、今の選択で、如何様にも変わっていくからだ。いくつもある未来の世界線の中で、私の今を考慮すると、地球卒業が色濃いということだ。

ただ、肉体の死を恐れるというより、次なる世界(次元)で、次なる成長を既に計画している感覚なのだ。物質次元の学びはとても楽しんだし、魅力的でもあるのだが、充分体験させてもらった。魂はそろそろ次に進みたいようなのだ。

そのあたりが、ハッキリしたらいいかなあと思っている。


江戸時代の友達

梅ちゃんからの贈り物

あなたの心のあたたかさは

時空を超えて伝わってきています。

ありがとう。


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