天龍からのゴーサイン

 オラクルカードのメッセージ

昨夜、魂に強く響いたので、記録しておく。


「自分の中の力を外に出せ

自分の可能性を外に打ち出せ

断言しろ

私は出来る

結果が見えなくてもいい

私は上手くいく

私には力がある

私はやり遂げる

パワーある言葉を使え

誰かに言わなくていい

一人の時でいいから

大丈夫、私は出来ると、強めに言ってほしい

言葉は力を持つ

口から出た言葉が、本当にパワーを放つ

あなたのために働きを見せてくれる

お腹に力を入れて、強いエネルギーのある言葉を使ってほしい

一日の終わりには、ありがとうという言葉も使うように

両方あってこそ、バランスが取れる

言葉はとても大事

ここから生まれるエネルギーがあなたを作り育てていくことをもう少し意識してほしい

弱気な言葉を使っていると本当に「どうせダメよ」のエネルギーが充満する

あなたには、力があるんだよ

目標をしっかり持つとスムーズに上手くいく

自分を立てろ

気持ちひとつで、すごく変えていく力がある

本当に動くんだ

口から放つ、お腹で感じるパワー

持っているパワーがすごく強い

出会う人までガラリと変える

素晴らしい人に出会う

仲間、尊敬できる人に

あなたのパワーがそのまま表に溢れて

人との関係が出来ていく

一度、自分の持っている力に気づいていくと、周りにパワーあるひとが集まってくる

ユニバース、宇宙、強い

まずは、言う

口から出す

自分の持っているエネルギーを出す

私、出来るんだよ!

まずはそこから

自分を奮い立たせるところから始めよう

だからって、横柄になりすぎるな

間違ったら謝ればよい

感謝の気持ちを忘れてはいけない

柔らかな部分も大切に

それを持ちつつ、強い部分も出していく

柔らかいだけでも、強いだけでもなく

両方使いながら進む

展開が早くなる

とにかくやりなさい

言葉と目標

やるぞ、出来る、私は出来る

~伊邪那岐命カード~


伸びやかな成長

伸び代がある

自分の可能性に気づいていなかった

出していなかった

信じていなかった

信じて進め

自分が自分を信じると

信じられないくらい伸びる

あなたは、柔らかい

弱いんじゃない

強いけど、出してなかった

自分のためにも

男性性も出して

~天龍カード~

(YouTube*魂の声を聞くお手伝いroseより)


こちらのオラクルカードリーディング動画は、数日前に知り合いから勧められ、何気なく見始めたもの。その時に学んでいることに、ピンポイントなメッセージがもたらされ、毎回鳥肌である。たいてい、夜に視聴するのだが、昼間体験した出来事について考えを整理していると、同じキーワードがテーマになっていたりして、これはもう、見えない世界から見させられているとしか思えない。

そして昨夜、偶然おすすめに流れてきたこちらの動画を何気なく見始めた。

三つのアイテムにオラクルカードが裏返しに添えられていて、視聴者は、自分が気になるアイテムを選択すると、必要なカードメッセージが得られるという流れとなっている。

さて、私は一つ目のアイテムを選んだのだが、不思議と、リーディングを聞く間も無く、気を失うように眠ってしまったのだ。そして、ハッと気づいたら(目を覚まさせられた)三つ目のアイテムに添えられたカードのリーディングが始められていた。

「あなたには力があるんだよ。信じなさい。」

微睡みの中、そのリーディング音声を聞いた瞬間、理解した。私が聞くべきメッセージはこれだったから、必要のないメッセージ部分は意識をシャットダウンさせられていたんだと。まあ、始めから三つ目のアイテムを素直に選択していれば良かったんだけど、一つ目のアイテムが蓮の花の形で可愛かったから、ついマインドが働いたらしい。直感が鈍る時もある。

この日、私は、今一歩自分を信じ切れずに揺れていた。

今年に入ってから、目に見えない世界とつながるようになった。催眠療法やヘミシンクの学びを進めるほど、より明確にメッセージを受け取るようになった。

心配なのは、審神者が居ないということだ。私が受け取るメッセージは、私の独り善がりにすぎず、純粋な宇宙の言葉なのか、私のマインドが既知の情報を織り混ぜて創作しているのか、証拠が無い。

目に見えない世界からのメッセージは、ビジョンか、情報の塊として受け取る。どちらも、私の思考を使い解釈や翻訳をするので、どうしても私のフィルターを通す。つまり、純度が下がるのだ。1%の真実があれば、いい方かもしれない。

フルトランスとなり、高次元存在の言葉を一字一句記録したならまだいいが、つながる相手が低次元な存在であり、人を闇へ引きずり込もうとする罠かもしれず、本当は、経験豊富な審神者が側にいることが望ましい。

ただ、せっかく受け取ったメッセージや、付随する気付きをこのまま忘れてしまうのも惜しいので、出来るだけ受け取ったままの状態にして、blogに記録している。

後から、当事者に確認したり、本で情報を追加したり、別の側面から検証したり、可能な限り、独り善がりにならないように心がけてはいる。

100人に見ていただいたとして、99人には役に立たない内容となっても、誰か一人の光明になる可能性があるなら、と、だいぶ弱気な姿勢ではあるが、細々と記録を続けている。

高次元からのレスポンスは、早い。問いかけると、同時くらいに答えがくる。この答えを「本当かな?」と吟味し始めると、どんどん思考が入るので、最近は、ポンときたままの姿で、判断を入れないまま、素直に言葉に記録している。

だから、この、ポンっと私の中に飛んできたメッセージ(ひらめき)は、単なる連想、雑念、イメージに引っ張られた思考である可能性は確かにあるのだ。

それでも、こちらのblogに書いている。

もし、私の妄想を誰かに読ませているんだとしたら、どうしよう·····

と、不安に揺れてしまう自分を感じていた。

思考は顕在意識。顕在意識は、比較、判断、批判する意識なので、「これは100%正しい」とは思えない。自分を疑う気持ちは必ず残されるのだ。

先日、とあるエネルギーアイテムを配布している方に、私が受け取ったエネルギーのビジョンを語ったところ、興味深いことをおっしゃっていた。

100人にこのエネルギーアイテムを渡したら、100通りの受け取り方がある。不正解などは無い。人それぞれに宇宙がある。見え方、感じ方が違って当たり前。

例えば、あなたが赤い色だと思っていても、別の人は赤を違うように脳裏に描いているかもしれない。あなたの赤と、相手の赤は、違う。それを「正しいのは私の感じ方だ!」と主張するのに、何の意味があるだろうか。と。

画家のゴッホは、本当に、糸杉が燃えるように見えていたそうだ。彼の見え方を「あり得ない」と否定したら、あのユニークな作品は残されなかっただろう。

真実は、人の数だけあるのかもしれない。

催眠療法でも、同じテーマで、別々のセラピストにお願いしたら、全く別のストーリーと気付きとなったと、興味深い結果が出たそうだ。セラピストの人柄が、セッションに多大な影響を与え、クライアントから引き出されるものが違ってくるようだ。これを、「Aという結果にならないなら、あなたのセッションは間違いだ。」などと言えるだろうか。それぞれに味のあるセッションとなり、クライアントは大変満足されたそうだ。テーマについて、より多角的にアプローチ出来、深まったことだろう。

昨夜、カードリーディングで

「自分を信じなさい

もっと自分を出しなさい

あなたには力がある

強い気持ちを持っていきなさい。」

と、励ましメッセージをいただき

私の迷いが宇宙存在に届いていて、それに対して答えをくれたんだなあと思った。

今回のカードメッセージは

いろんな方に必要なメッセージだとおもうので、シェアさせていただいた。

自分は弱い、たいしたこと出来ない、無力な存在だと感じて、力を出せない日本人はたくさん居ると思う。昭和の教育を受けた方々は特に。絶えず比較され、優劣を競わされ、枠からはみ出さない人が重宝された。

もう、時代は変化した。もっと自分を出していい。好きなことに挑戦していい。失敗してもいい。個性を楽しんでいい。

天龍は空を自由に飛びまわる。

地龍である私たちも、自由に地球上を駆け巡ればいい。

命を謳歌するために、生まれたのだから。

私たちは、五感で感じたものは、そのまま疑うことなく受け入れる。これからは、第六感(目に見えない世界を感じる力)で感じたことも、同様に自然に受け入れていくことが当たり前になる。宇宙からメッセージを受け取るというより、宇宙が私になる。今、そんな流れの中で、私たちは魂を成長させている。だから、直感を信じていい。リーディングもチャネリングも、私はこう感じたよ。と。それでいい。既に、そのような世界に私たちは存在しているのだから。

草場一壽 OKAMIカード  ~天龍~

「偶然だとでも?

奇跡だ

なんのためもない

だれのためもない

闇を破れ  跳ねろ

飛び出せ

歓喜こそは奇跡なれば

うろたえるな

思惑など放り出せ

奇跡を台無しにするな」

メッセージブック4~5頁より


☆神仏からのメッセージの受け取り方

たまたま夕方読んでいた本に、今日の投稿にピッタリの内容が書かれていた。桜井識子さんの新刊だ。

神仏からのメッセージは、ビジョンか、情報のカプセルで渡される。言語ではない。だから、日本語や英語などで伝わってくるわけではなく、受け取った私たちは、必ずそれを頭で翻訳して理解している。または、魂でダイレクトに受け取る。訳も分からず泣けてくるなど、感情が反応するのが、このケースだ。なんとなく癒されるとか、安心するとかもそう。私たちは、ちゃんと神仏からの愛を受け取っている。

では、情報カプセルの翻訳の際に気を付けることは何か。本当に神仏からのメッセージなのか、自分の願望なのか、その違いは、言葉に変換される前の「!」にあるという。

例えば、赤ちゃんを見て、可愛いなあと思う気持ちを思い出してほしい。頭の中で「かわいいな」と言葉に変換しているだろうか。そうではなく、あたたかく、愛おしく、ほんわかするような、あの感覚、言葉にする前に瞬時に感じるアレを「!」と表現する。私たちは、言葉にわざわざしなくても、わかっているアレ。神仏のメッセージはまさに「!」として受け取る。理屈なしにわかるのである。

頭であれこれ言葉を絞り出しているなら、願望かもしれない。

なんとなく、違いが理解できた。良かった。私の感覚にだいたい似ていた。

こうやって、問いを発すると、たいてい翌日までには私に分かりやすく本、動画、誰かの会話などから、回答がもたらされる。今回は、三つの媒体から、同じテーマで回答がドドドっと押し寄せてきた。さすがに三つ目がもたらされた時、私の感覚を私が信じなくてどうする?という前向きな気持ちになれた。

私を導く存在は、かなりきめ細かな性質らしい。私が腑に落とすまで、辛抱強く、手を変え品を変え、とことん付き合ってくれる。

ありがとうございました。充分に理解できました!




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