青葉城恋唄~時空交錯する旅

 広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず

早瀬踊る光に揺れていた君の瞳

季節はめぐりまた夏が来て

あの日と同じ流れの岸

瀬音ゆかしき杜の都 あの人はもういない

(作詞:星間船一 作曲:さとう宗幸)

*偶然、今知ったが、この詞を作られた方の名前が、とても宇宙的だった。宇宙と繋がって、古代の想いと交錯する旅へ・・・いざ。


一泊で杜の都へ旅をしてきた。

そこで起きた出来事は、白昼夢のようであり、時空が交錯していたかのようでもあった。文章にする自信が無いのだが、記憶のメモだと割り切って、ここに断片を記しておこうと思う。

事の発端は、夫だった。Yさんが送ってくださったA神社の動画を見て、「ここへ行きたい!」とつぶやいた。それから二か月、とんとん拍子に事が運び、私たち夫婦は、杜の都に降り立っていた。

今回、事前準備から、すべてをコーディネートしてくださったのは、このブログでは既にお馴染みのYさん。神随(かんながら)の旅になる予感がしていたため、ただ、導きに身を委ねていこうと、すっかり甘えてしまった。Yさんとは、肉体で実際にお会いするのは初めてである。感覚的には、何億年もの知り合いなのだが。実際にお会いして、「ああ、とても目がきれいな方だなあ。」という印象を持った。既に、マインドに翻弄される人間修行を終え、次なる境地に入られているような清らかさであった。私も夫も、すっかり安心して、会った瞬間から打ち解けていた。

Yさんのご友人Eさんが、旅の案内役としてご一緒してくださった。Eさんとは、もちろん初対面だったのだが、先日、ヘミシンクでガイドと交信した際に、Eさんらしき存在から、意識を通し、様々なガイダンスを受けていた。今回の旅は、どうやら古代神も絡んでいそうなのである。そのためか、ザックリと必要な知識を伝授されていた。(神とは本来こういう存在ですよ。という内容。今、世間に流布されている概念はかなり歪められている。)Eさんご自身は、特にスピリチュアルな能力があるわけではないとおっしゃっていた。もちろん、目に見えない世界でガイド(導きの神)役をこなしているとは、まったく自覚が無い。YさんもEさんも、共に居て、とても心地よい。だんだん素に戻り、すっかり安心してしまう私たち夫婦であった。

Yさんの車で、塩竈神社へ。風光明媚な松島から吹き渡る風が気持ちよい。この潮風だけでも不要なものは祓われてしまうことだろう。ここは、龍神目撃談の多いところらしい。早速上空に、龍神雲が現れる。


神社の奥まった場所に、龍が横臥する姿を具現化したような樹木があった。通常の参拝ルートからはずれているので、もしかしたら地元の人しか来られないかもしれない。地元人であるEさんのおかげで、私たちはその場を訪れることが叶った。金龍がついているというEさんは、私の夫(やはり、龍のエネルギーを持っている)を連れて、龍樹へ誘っていく。少し離れたところから、その二人の姿を眺め、「夫は龍に呼ばれたのだな。」と実感が湧いてきた。目に見えない時空では、三体の龍が、再会を喜び合っている様子。

その場所は、穏やかなエネルギーに満ちていた。エネルギーに敏感なYさんが、「ここは、大地の慈愛のエネルギー。ガイアのエネルギーに近いかも。」とおっしゃった。その瞬間、私の両手に強烈なエネルギーがビリビリっと入ってきた。「わ!Yさんが、ガイアのエネルギーって言ったら、強烈に反応した!そうだよって教えてくれたみたい!」しばらく、手がジンジンしていた。今、ここで気功施術を誰かにして差し上げられたら、きっとその方はメチャクチャ元気になるんだろうな~と思った。Yさんは、過去に私が受信したビジョンでは、太古地球の瑠璃色エネルギーを宝珠として抱いている青龍なので、ガイアの意識ととっても仲良しなのだろう。神様トンボが飛び回っている。ああ、ここは平和だ・・・

鳥居をくぐると、太鼓の音が響き渡る。丁度いいタイミングで、朗々とした祝詞奏上が始まった。祝詞は言祝ぎでもあるなあと思いながら、しばしその音霊に身を委ねた。

塩竈の海の幸と地ビールを堪能し、心だけでなく胃袋も満たされてから、地元の人しか知らないような抜け道を通り、ワクワク、スリル満点のドライブが続く。

多賀城跡は、高台に広がる開放感あふれる緑地帯だ。後で調べたら、大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事拠点として築いた城柵とのこと。

平和な縄文の流れを汲む人々が、渡来の流れを汲む大和(祖先神を崇拝する民族)に征服され、古代神が封印されていった(偽りの歴史が捏造されていった)真実をにわか勉強させられたのも、この場に誘われたのも、関連がありそうだった。

ただ、蝦夷制圧の象徴的な場であるにもかかわらず、この一帯に宿るエネルギーはスカッと軽いものだった。既に封印は解かれ、古代神たちは無事、宇宙に帰還している様子だ。元々の土地のエネルギーは高いので、縄文の人々(あるいはもっと太古の人々。ムーの民か。)が居住していたのだろう。

多賀城跡では、車で通り過ぎるだけであったが、私は、このあたりから、さかんに「懐かしい!懐かしい!私、ここに住んでいた!」と口に出すようになっていた。顕在意識では、もちろん何も分からない。脳内に記憶は一切無い。しかし、ハートは知っている様子。普通にこの発言を聞けば、頭のおかしな人だが、Yさんもヒプノセラピストなので、とても良く理解してくださる。うわごとのように「ここ、初めてじゃない!私、ここで働いていたの。」と語る私に、温かいまなざしを送ってくださる。いずれかの過去世で、きっとご縁があった土地なのだろうな。と多くを語らずとも分かってくれたのだと思う。

Eさんの実家の近くでもあり、ご両親の散歩コースだというので、うらやましくて仕方がない。この土地に住んだら、大抵の病気は改善するんじゃないかなと思う。大地と宇宙のエネルギーがダイナミックに循環しており、地上の生命体はイキイキと活動することが出来る。あらゆる恵みが調和し、生かし生かされ、与えられた命を謳歌できる稀有な場所だと感じた。だから、古代神(元々は宇宙由来)も好んでこの地に宿ったのだと思う。日本列島の高台は、たいていはこのようなエネルギーに満ちていたと推測できる。

ここに住んで、毎日この辺りを散歩して、何なら、多賀城跡の発掘ボランティアでもしながら余生を過ごしたいな~。と、何気に道路沿いのアパートを物色する私であった。八ヶ岳もそうであるが、縄文ゆかりの土地にはすぐ恋をしてしまい、「ここに住みたい!」を連呼する私を夫は「またか・・・」と諦め顔で眺めてくる。おそらく、過去世で何回か住んでいたため、土地のエネルギーに親しみを感じているのだろうと思う。

当時の記憶は定かではないが、何らかの権力を持った立場では一切なく、ピラミッド階層とは無縁のふつう~~の現地人であった気がする。神事もしていなかった。と言うか、皆が宇宙由来神だったので、森羅万象が神だと分かっていたので、ただキラキラと命を謳歌していた。宇宙ともガイアとも自由に意思の疎通が可能であり、循環の一部であった。そんな感覚だ。レイライン(龍脈)も関連しているかもしれない。

ここで言う神とは、宗教上の神の概念ではない。宇宙根源を神と表現するならば、その分身であるすべてを神と表現することもできる。という意味合いで使っている。神はエネルギーなので、本来は名も必要ない。私たちが現代において、神社で手を合わせている名のある神は、渡来の祖先神(あるいは創作)である可能性が高い。この美しい大地を愛し守ってきた意識エネルギーは、本来は名も無き神であると思う。それをここでは古代神と便宜上表現させてもらう。私の個人的な捉え方なので、妄想だと思っていただいて構わない。

さて、Eさんの案内で、本当は寄る予定の無かった〇〇神社に急遽参拝することとなった。今思えば、私たちは呼ばれていたのかもしれない。地元で大切にされている神社なので、観光コースではない。念のため名を伏せておく。ご縁のある方は、自然に導かれると思う。

その神社の御神木に対面した瞬間、私は懐かしさのあまり、涙が出そうになった。御神木が、「お帰りなさい。」と声をかけてくれたような気がした。私のエネルギー体を御神木のエネルギーがやさしくハグしてくれていた。ここでもガイアの慈愛を感じた。しばらく、境内の心地よい空気に浸り、さて帰ろうかと鳥居から出ようとした瞬間、拝殿から、太鼓の音が響いてきた。思わず全員顔を見合わせた。私は、足を留め、合掌した。神様の歓迎の意を感じ、有難かった。神様は、導き役、Eさんに敬意を表したのかもしれない。

次に、美しい森の中、清流のほとりにある聖地を訪れた。この場所はEさんにとって、大切な場所であり、本当にご縁のある方にだけ足を運んでほしいとのこと。詳細は書かないが、雰囲気だけ少しメモを残しておきたい。

この場への入り口は、特に案内板があるわけでもなく、Eさんの導きがなければ辿り着くことは叶わなかっただろう。Eさんの先導で、4人でスタスタと歩いて行く。途中で、時空の変化を体感。聴き慣れた里の音が消滅し、純粋な自然の音だけに囲まれる。もしかしたら、Eさんだから、こちら側の世界へのポータルが開いたのかもしれない。私だけで再度訪れても二度とたどり着けないのではないか?と思うほど、神秘的な空間に誘われていった。

清流のほとりに、小さな祠があった。私たちは静かに手を合わせた。ここに、古代神のひとりである女性性のエネルギーが鎮まっている様子だった。こちらの存在は、歴史から消されてしまっていたのだが、次元上昇が叫ばれるようになってから、縄文と絡めて、注目されるようになってきた。必要なタイミングが訪れるまで、自らお隠れになっていらっしゃった様であり、大和に封印されていたわけではなさそうだった。ただ、その名が歴史に残らなくても、地元の方々に大切に守られ、子孫に引き継がれてきたのだろうと思う。目覚めるそのタイミングをひたすら待ちながら。過去世から、連綿と、その役割をこなしてきた方もいらっしゃるかもしれない。ちなみに、こちらの女性性のエネルギーは、世界中で、様々な神の名で呼ばれているのだが、元々はひとつの存在であると思う。時代に合わせて多面体の一方向だけが人間の都合でクローズアップされてきたに過ぎず、人間が肉体的束縛から自由になれば、全貌が理解できることだろう。まだ真我につながっていない私がこのことについて言葉に置き換えることは不可能なので、ここではニュアンスだけさらっと残しておく。とても親しみを感じるエネルギーであり、いつまでもこの場に佇んでいたいな~と思った。いつも鎧を身に纏っている夫が、とてもよい表情になっていた。本来の地球は、母親の胎内のようで、すべての存在が安心できる、美しき星であったのではないだろうか?

古代史を語る時、どうしても縄文人VS渡来系民族という図式になってしまうが、稲作、定住、ピラミッド階層社会への変化を嘆いているつもりはない。宇宙全体から見れば、この地球上で起きた出来事は、成長過程であり、必要なことだった。私の魂も、過去世があるならば、傍若無人な征服者側も、平和な民も体験済みであり、今世は、その統合を図ろうとしているのではないかと思うのだ。私の中の荒れ狂う部分も、穏やかな部分も、同時に存在し、どちらも私なのである。神様も荒魂と和魂があり両方祀られている。陰陽とも光と闇とも表現できるかもしれない。太陽と月の関係のように、どちらがいいとか悪いではなく、役割の違いである。宇宙源の意識が「私」を知るために仕掛けた、配役を交代し気付きを得ていくリーラ(神の遊び)に過ぎない。私たちは、楽しんで遊んで大満足して、宇宙源の意識へ還って行くエネルギーだ。純粋に「ただいま!」とひとつに帰るだけである。指先に集中していた意識を手のひらに戻す。そんな感覚のシフトである。個から全体へ。

最後に、市内のA神社へ。ここを訪問出来ることは、私たち夫婦にとって念願であり、人生のご褒美に等しかった。今回の旅は、龍に導かれたような旅であり、今回出会えた方々は、全員、龍のエネルギーと既に一体化しているようであった。魂の同窓会だったのかもしれない。

境内で立ち話をしていた時、宇宙と繋がる感覚となった。より純粋な、根源に近いエネルギーが頭頂からプラーナ管を突き抜けて、大地に流れていった。その瞬間、今回の旅のテーマが「天・地・人」であることに気付いたのだった。

塩竈神社のガイアのエネルギーから始まり、多賀城跡や森で古代神に思いを馳せ、ゴール地点であるA神社で宇宙と繋がる。バラバラのピースがぴたっとおさまり、パズルの全体像が見えた瞬間だった。ああ、そうだったのか。心の底からスッキリとした気持ちになった。

今日一日の旅を見守ってくれていた空が、夕方一歩手前の神秘的な色合い、深みのある「あおいろ、あいいろ、うちゅういろ」に染められていた。雲間から漏れた一筋の光が天空に道をつくっていた。光の道だ!と感動していたら、上空からメッセージが届いた。情報の塊として胸にしまっておいて、翌日の明け方に、言葉に置き換える翻訳をした。

それは、今回の旅でお世話になったYさんへの、宇宙存在からのあたたかいメッセージだった。Yさんの地球上での役割にたくさんの存在から祝福が寄せられていた。私は、それを光の役割と捉えたが、同じように光の役割を無意識にされている人がいらっしゃると思う。ここに紹介することで、誰かの気づきにつながればと思う。


それは

光の道標だった

命を慈しむ道だった


命のやりとりの体験を重ね

儚さも、生かされている奇跡も知る

学びの厳しさが深いほど、より、慈しみは深くなる

魂のつながりを見いだすたび(旅)に。


光の道標

その光源はまばゆく、暗闇に閃光のように広がり輝く

あなたの名は光のエネルギー

ガイアと宇宙のエネルギーを循環させ

さらに高まっていく


ハートから放射され

光の道標となる


宇宙の愛がガイアと出逢い

深みを増していく


その役割は人にある

陽(ひ)の名を持つものにある


光に帰す

宇宙に還す

散り散りになった魂たちを

慈しみの光で

導いていく


太古の神から連面と繋がる壮大な旅路

あなたの魂は

原初のガイアを刻む

瑠璃色のエネルギー


あなたは光の道標

慈しみの光


あなたの尊い光は

宇宙からも

とてもよく見えるのだ


ありがとう



Yさん、Eさん、Kさん、Hさん

出逢いに心から感謝いたします。

大宇宙に散らばった魂が、今ここ、この場所で再会できた奇跡に

心からのありがとうを。


約束を果たすために今世で再会する魂が多いのではないかと思う。

Kさん曰く

ここに集った私たちは、今世で皆、地球卒業だとか。

次は、宇宙のどこかの星で、また同窓会できるといいな。

楽しみだ。


☆今朝垣間見たビジョン

旅を終えて二日目

早朝の3時50分頃

我が家の亀たちが、ゴソゴソ動き始める。

早起きの鳥たちのさえずりが始まる。

私は、眠りから浮上し、微睡みの中で、あるビジョンを見せられる。

おそらく、A神社の境内にそびえていた、一本の樹木

高い梢、枝と幹の間の位置に、朝日が輝いて光を放っている。

その丸い光の辺りに神聖幾何学模様が重なっている。

最初は、フラワーオブライフかなと思った。

光の線が形を浮かび上がらせる。

やがて、あ~、この模様は、薔薇なんだなあと思う。

神聖幾何学模様なのだが、薔薇の花弁の重なりが、フラクタルとなり、繊細な描線画となって、太陽の光を背に、浮かんでいる。

杜の都への旅直前に、我が家のミニ薔薇が蕾を綻ばせていた。この薔薇は、不思議と、大切な事が起きる前後に花開く。私の人生の展開に静かに寄り添ってくれる。

薔薇は愛のエネルギーの具現化である。

自己相似性とするならば

宇宙源の純粋なエネルギーである愛は

間違いなく私たちの本質であり

細胞一つひとつを構成する粒子も

意識エネルギーとしての波動も

大宇宙であり

小宇宙であり

果てしなく花びらを開いていく

薔薇そのものである。



☆龍の姿

今回の旅で、たまたま、龍神に縁の深い方にお会いすることができた。

私は、その方から、深い優しさ、あたたかな愛のエネルギーを感じた。脳裏のビジョンとしては女神様の姿が映し出されていた。ここでも薔薇のエネルギーを感じた。

その方は、自分についている龍神は、メチャクチャ厳しいのだと言った。自分には厳しいのに、他人にはいい顔をするのだとか。思わず笑ってしまった。神様にもいろんな側面がある。通常は、女性性と男性性の神がペアになることで、バランスが取れる。龍神も二つの側面があるのかもしれなかった。

その方に、私たちについている龍の色を視ていただいた。

夫は緑。やっぱり、癒し系だ。もっと内面と対話するようアドバイスされていた。

私は、グレー、と言われた。え?グレーですか?何か、イメージと違う。黒にも白にもなり切れない、薄い墨絵みたいな龍なんだろうか。私的には、虹色だといいなあ~と思っていたのだが。予想外に地味な色だった。後から、銀色かもと言い直された。

銀の龍の背に乗って♪

という歌が脳裏に流れた。

確かに、この一年、目まぐるしく現実が展開しており、まるで龍の背に載せられていたかのようだ。必要な学びがあり、素敵な出会いがあり、楽しく幸せな日々だ。とても充実している。

その銀色龍にお礼を言いたいが、話しかければよいのか?と質問したところ、

既に一体化しているとのこと。

私自身の個性として龍のエネルギーを活かして動いているということだろうか。この肉体という入れ物から飛び出した意識エネルギーは、銀色に輝く細く長い流れなのかもしれない。

地球卒業の時には、私は銀の龍体になり、宇宙に帰っていくのだろう。天の川銀河を泳ぎ、遥かな故郷へ向かって。

想像したら、涙が出そうになった。そろそろ帰りたい。

地球の転生システムを抜けて、次は、ちゃんと帰るべき場所へ向かいたい。




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