年齢退行療法~二つの世界をつなぐ扉

 年齢退行療法体験

続けて私の体験を記録する。


☆テーマ

父と一緒に居るとお互いにとても緊張する。原因が分からない。幼少期に父と何かネガティブな出来事が起きていたのならその場面を体験し癒やしたい。


☆安全地帯

紫色の花畑。リンドウか。そばに小川が流れていて、水音がしている。水車小屋があり、その中で落ち着く。水車が回る音が響いて癒される。感情の架け橋という手法を使い、父と居ると緊張するという体感をよみがえらせながら、幼少期へ誘導されていく。


☆問題の場面

自宅の風呂場。中学生の私。

「お風呂に入ったら突然母に怒られた。」と戸惑っている。

(女の子は、月に一回、入浴できない状況になる。私はそのことを知らなかった。通常は同じ女性である母親が色々教えるのだろうが。いきなり叱られることで学んだのだ)

「知らなかったの。普通はよく考えれば自然にわかることなんだろうけど、私は分からなかった。とても恥ずかしい。」と泣いている。

どうして母が私にそのことを教えていなかったのか、意識交代し聞いてみる。

「そんなこと当たり前のことでしょ。はんかくさい。(馬鹿の方言)」と突き放される。

父も傍に居て、私を汚らわしいものを見るように冷たく見下ろしている。

「俺だって、嫌だ。汚らしい!」と吐き捨てるように言われる。

孤立無援の状況。私は自分を責め続ける。「恥ずかしい。私は汚いんだ。」と泣き続ける。

そう言えば、思い出したが、当時は、入浴は一週間に一回があたり前だった。年頃でもあり、中学生の私は、出来れば頻繁に、身体を洗いたかったのだろう。朝シャンが流行ってきた時代で、私の場合は、一週間に一回しかシャンプーできなかったので、いい匂いのするサラサラの清潔さに、いつも憧れていた。髪をいつも綺麗にできるから、アイドルになりたいとまで思っていた。

誰か、助けてくれそうな人を呼ぼうと、セラピストから提案。

10歳の時に亡くなったママの魂に助けに来てもらうことにする。

3つのカウントで、ママの魂がすぐ傍に現れる。本当に来た!潜在意識下では分かるのだ。

ビックリしたのと、感激とごちゃまぜの感情となり、大号泣する私。

ママは、私の左側に寄り添い、手をつないでいてくれる。

「私がちゃんと教えてあげたかった。教えてあげられなくてごめんね。大丈夫よ。〇〇ちゃんは、汚くなんかないのよ。」と慰めてくれる。

孤立無援状態から、唯一の助っ人が現れ、やっと少しほっとしてくる。段々感情が落ち着いてくると、不思議な感覚に移行していく。

その時のイメージを、中学生の私が拙い言葉でセラピストに説明を試みている。

「あのね、何かね、不思議なの。うまく言えないんだけど。

世界が二つあるの。

こっち側の世界は安心で安全で、お話しも通じるし、優しく教えてもらえる。

あっち側の世界は、怖いし、お話が通じない。

いつもは、あっち側の世界にいるんだけど、実はこっち側の世界も重なっていて

ずっと傍にあったんだけど、気づいていなかったみたい。

今ね、あっち側の世界が遠くになって、音も小さくなっていて

別の世界で起きている出来事みたいに感じるの。

こっちの世界にいると静かですごく安心する。

でもね。どっちの世界も大切なんだ。どっちがいいとか悪いとかじゃないんだ。」


中学生の私が落ち着いてきたので(おそらく世界を二つに分けることで、現実を客観視しようと試みたのではないかと思う。または、現実を切り離すことで、心を崩壊から守ったのかもしれない)

大人の私を呼ぶ。

「これ、お父さんに謝ってもらった方がいいんじゃないかな?」と大人の私が提案する。

中学生の私は萎縮してしまっているので、大人の私が代りにお父さんに話しかける。

中学生の私は、お風呂に入ってはいけない時期があることを教わっていなかったこと。いきなり怒られてビックリしていることなどを伝える。

父に意識交代

「仕事で忙しくて、疲れて帰ってくると、家族がいがみ合っている。つい感情的になって怒ってしまった。そんなこと忘れてしまっていたけど、〇〇はずっと辛かったんだね。ごめんね。」イメージの中で父が私の頭をポンポンと優しくさわってくれる。

「子どものことは、いつまで経っても大事に思っている。」と父。

中学生の私に意識交代

「お父さんが!頭触ってくれた!私は汚いから、もう触ってもらえないかと思ってたの!良かった!良かった!」大号泣している。

大人の私と中学生の私で一緒に時を過ごす。中学生の私が描いているマンガを見せてくれる。「鉛筆を使う時、私のことを思い出してね。」と言われる。統合。


☆胎児期退行

母のお腹の中へ誘導。さかさまになって、浮いている。あたたかく安心している。

お腹の外にいるはずの父の意識を感じる。言葉は聞こえないが、笑い声がする。

私が生まれるのを楽しみにしているのを感じる。

産まれる瞬間。産道を通る時、くるくる回転する。本当に息ができなくなる。赤ちゃんはこんなに苦しい思いをして出てくるものなんだなと驚く。(これは、私の胎児期の記憶から出てくるものなのだろうか。潜在意識には残されているのだ。)

母に抱かれ、初乳を飲ませてもらう。すごくお腹が空いていたのか、グイグイ飲んでいる。生命力の塊である自分をしっかり味わう。


☆安全地帯へ戻る

先ほどのリンドウの花畑だが、不思議な変化が。

左の視界に、白い枠が出来ている。立てかけてある感じ。

何だろう?分からない。材質も意味も。

セラピストから問われる。「それ気になりますか?」

私「いや~。ただ、不思議で。何だろう?」

「では、じっくり感じてみてください。」とセラピストが時間をくれる。

そのうち、ふと、閃きがくる。

「あ!分かった。これ、安心な世界への扉かもしれない。

さっき見た二つの世界。現実と安心な世界が実は重なっているということ。

安心な世界へすぐ戻れるように近道を作ったのかも。

そうか、ここは安心安全(催眠下でつくったイメージの安全地帯)な場所だから

ここに作ったんだ。ここは催眠誘導で来られる場所だけど

自分で、1,2,3カウントで、すぐ安全地帯に来られるようにしたのかも。」

「どこでもドアみたいですね!」セラピストが笑う。

☆解催眠


☆感想

潜在意識の世界はなんて豊かなんだろう。

顕在意識では絶対に出て来ないようなイメージが沸きあがり、必要な気付きを

ちゃんともたらしてくれる。

二つの世界について

目が覚めてからの私の解釈

現実は自我の作り上げる世界

そこでは様々な出来事を通し、感情を選択して味わっている。

自我は比較判断の世界なので、欠乏、否定、不安、悲しみ、苦しみの感情をしっかり味わえるようになっている。

現実はマーヤ(幻)とお釈迦様は言っている。

実は私たちの本当の世界は、内側にあり

今、ここにあるのだ。すぐ近くにありすぎて分からないけど。

そこは、静かで穏やかで安らぎに満ちた愛のエネルギーの世界だ。

そこはすべてが一体となり、受容されている。

この本質に気づくことを「目覚め」「覚醒」「悟り」と言ったりする。

本質を垣間見たりしても、自我が消えるわけではないため

すぐ現実の世界に引き戻され、苦しみが続く。

しかし、本質を一度味わっているので、この現実は幻であるという見方ができるようになる。そうすると、起きる出来事に翻弄されるのではなく、客観視できるようになっていく。

出来事が起きる度に、自我の条件反射で、自動的に感情を選択していたのが、だんだんとコントロールできるようになってくる。つまり、自我は、この現実を楽しむためのツールでしかなく、主役は本質の方なのだと理解できてくる。

おそらく、本質を垣間見たとしても、完璧に覚醒するわけではなく、相変わらず、出来事に翻弄され、感情を揺らし、怒ったり悲しんだりするだろう。

 (悟ったからと言って、聖人になれるわけでもない。相変わらず普通の人であり続け、淡々と日常を送る。小さな変化と言えば、いつもサッパリしていて拘らないことだろうか。)

しかし、今までは1週間は落ち込んでいたことが、3日で元気になるなど、何か小さな変化が起きてきているはずだ。また、出来事を客観視するようになるため、今まで怖れていた人物の善い部分が見えてきたりするだろう。また、避けてきた失敗も、実は気付きの宝庫であると理解するので、失敗すら有難い体験であると感謝の日々になっていくだろう。

そう、ありがとうしか無い世界へ。

少しずつ、こうやって、本質の世界へ戻っていく。

今、私は、ほんの入り口、この過程にいるのだろうなと思った。


二つの世界をつなぐ扉

催眠療法でその扉を開いてみませんか?


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