自我の消失体験
昨日から、退行催眠療法セミナーを受講している。
計6日間に渡り、前世療法と年齢退行療法を学ぶ。私は昨年秋に一度受講しており、今回は認定資格取得のための最受講となる。
一度、学んだ内容だからと言っても、やはり講義は新鮮だった。
この間に、25人のセッションを経験してきており、一つひとつ、自分なりの課題が目の前に突き付けられていた。本を読んだり、先輩に相談したり、勉強会に参加しながら、薄皮を重ねるように知識や技術を身に付け、進んできた。
そんなこともあり、やはり基本に戻ることは、一番大切だなあと、実感している。
理解したつもりになって、セッションを続けていると、どこかで行き詰まりが出てくる。セッションの度に、セラピストとしての器が、毎回破壊され、わずかに大きく造り替えられる感覚だ。
造り替える時に、土台がしっかりしていないと、いくら上物を綺麗に整えたとしても、いつかは、脆く崩れてしまう。
習っている学校は、良心的金額で再受講させていただけるので、アルバイト生活の私には本当に有難い。上達のコツは、「実践と練習!」と、昨日も先生から強調され、気持ちをビシッと引き締めたのだった。
午前中は、講義。午後は、先生によるデモンストレーションを拝見した。先生の催眠誘導は穏やかで心地よく、気がつくと、見学している私まで催眠状態になっていた。普段は、しっかり膜で閉じられている潜在意識へ通じる扉が緩んで、開きやすくなっていた。
その後、受講生が二人組となり、講師に見ていただきながら、実際に前世療法セッションをやることとなった。
まずは、私がセラピスト役。ある受講生に対し、スクリプトに沿って誘導を始めた。
時間は90分。今までの経験から考えると、十分時間はあるはずだった。80分で終えて、最後に10分を振り返りに当てられるだろうと予測していた。
さて、夢中になり誘導していたところ(Zoomによるオンラインセッション)、画面に講師から、緊急メッセージが表示された。
「後、15分!」
え?
そこで、我に返った私。
時間も自我も消えていたのだ。
潜在意識に深くつながっていたのだろうか。
講師からのメッセージで、顕在意識を取り戻した私が真っ先に思考した言葉が
「あれ?私、何してるんだっけ?あ!今、セッション中だったんだ!」という、何とも惚けたものだった。
どの段階から、私は自我を消したのだろう。無意識の世界を漂った感覚をここに記録しておきたい。
催眠誘導し、安全地帯と呼ばれるお花畑で、クライアントに花畑のイメージを描写してもらい、前世への階段を降りてもらった。
クライアントが、前世の自分を語り始めた辺りから、私はかなりの集中状態に切り替わったと思われる。フローと言われる状態だろうか。
クライアントが語る人物像、家、家族を私も視ていた。ありありとクライアントの潜在意識の中の世界を共に感じていた。
人生の大切なシーンでは、高原の様子、遠くに連なる山々、清々しい空気、爽やかな風、色とりどりの花、降り注ぐ日光の肌に当たる感覚、主人公と、他の登場人物の振る舞いと心情······それらを、客観的にも主観的にも、同時に体験していた。
個も全体も同時に味わえる。
時間という概念が消える。
「私」が消える。
強いて言えば、このような意識状態になっていた。
もちろん、現実に居る私の肉体は、スクリプトに沿って、声で誘導し続けてはいるのだが、自動操縦システムにお任せ状態。
メインの意識は、潜在意識の海へ、ダイブしてしまっていた様子。
「後15分!」緊急メッセージからが、顕在意識が復活し、大慌てであった。
臨終→前世の魂の学びと次の人生への希望を確認→中間世→今のクライアントと前世魂の対話とエネルギー交換→亡くなった方との対話→安全地帯→後催眠暗示→解催眠
焦りつつも、クライアントに協力いただきながら、何とか制限時間1分前に終えることが出来た。
自分が消えた····
セッションを終えた後は呆然としてしまった。
今までは、セラピストとして、顕在意識を保ちながらセッションを進めていたから、時計を見ながら時間配分を考えることは、当たり前だった。
自分が消えると、時間概念も消える。→時間を配分する能力が雲隠れしてしまう!
これは、新たな領域であり、ただ、ただ、驚くしかなかった。
もちろん、セッションとしては、褒められたものでは決してなく、講師からも注意を受けた。「深く入って、クライアントに寄り添っていたのは分かるけれど。再受講ですよね。時間制限はあるのだから、配分には気をつけてね。」と。
プラス、褒められない件はもうひとつあり。
セッション後、セラピストの私も泣いてしまった。
クライアントの心情を共に感じていたので、最後の「満たされた」気持ち、清々しさが、伝わってきていた。
私は、「人間体験は、神秘的で、その学びは果てしなく美しい。」という衝撃を受け、感動していたのだった。
崇高なものに触れた時に流す涙。
私は、今回のセッションで、全ての意識の繋がりを垣間見たのだと思う。その体感は、私の本質であり、全ての存在の本質でもある。
そこに触れたため、涙が溢れたのだと思うが、そこを敢えて言葉に置き換えるなら「愛」しか、思いつかない。
うむむ····
素晴らしい体験と学びになったが、セラピストとして、「自我と時間の消失」は、問題である。コントロールが効かなくなるからだ。つまり、すべてが天意に委ねられる。
あれ?
私は、セラピストとして、透明な筒になり、潜在意識に入ってセッション出来るようになりたいと願っていなかっただろうか。
もしかして、今回の意識状態は、何らかのヒントになりはしないか。
終わりの一言感想タイムで、私は、潜在意識に入ると、時間のコントロールができなくなるという危うさのことをシェアさせてもらった。
先生から豪快な回答をいただけた。
「大丈夫!潜在意識に任せていれば、ちゃんと時間通りに終わりますよ。今回も、ちゃんと制限時間内に終わったでしょ?」
すごい····先生の潜在意識への信頼感は絶大だ。
そうか。潜在意識は、その日その人に一番ベストなことを起こすのだから、信頼してお任せすればいいのか。
今は正直、狐につままれたような不思議な気持ちではあるが、先生から大いなる贈り物をいただいたようで、ハートがワクワクときめいた。
まだまだ、荒削りで危なっかしいセラピストの卵であるが、このように、先生方、ご縁のあったクライアント役の方々から愛を持って育てられていることをしみじみ感じる。
私が受け取った愛を、世界に循環させていけるように、これからも学びと実践を続けていきたいと思う。
クライアント役のNさん、ありがとうございました。
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