集合意識に影響を与える役回り
私は、ほとんどニュースを見ないのだが、ちらっと見てしまったあるニュースについて、書いておく。
とある小さな町で、役場が町民に対し、5000万円近い誤送金をしてしまったとか。普通は、すぐ返金するのだろうが、予想に反し返金を拒まれ、裁判になるらしい。なぜ、こんなにこじれてしまったのだろうか。
この件について、大勢の方々が、いろんな議論を飛び交わせている。役場が悪い。いやいや、チェックしない金融機関が悪い。そもそも抜け道だらけの法律が悪い。だから、国会議員が悪い。そして、注目の的になっている町民について、その態度を理解しかねてもいる。どう考えても、幸せな未来を約束する選択にはなっていない。
グルグル考えてみたが、どこかを批判していると、収拾つかなくなってくる。善い悪い。正しい、間違い。という思考を使うと、どんどん泥沼にはまっていく。
せっかく、催眠を学び、潜在意識や俯瞰的視点について体感しているのだから、二元論を離れてこの出来事を捉えてみようと思う。
出来事は、真っ白なキャンバス。そこに善悪などの意味は無い。どのような意味を与えるのかは、その出来事を眺める個々の思考次第だ。
現実は鏡であり、自分の内面の反映なので、この出来事をなぜ私が見るようになったのか。私の内面に何が潜んでいて、ここから何を学ぶのか。探っていく。
評価、判断を一切手放して、(外側に原因を求めない)ひたすら、自身の内面を覗き込む。そこに、何かが見えてくる。もう不要な観念だと感じたら、「気づかせてくれてありがとう」と出来事に感謝し、その重い周波数を手放す。本来の自分に戻るために。
この出来事から、私の中に同調する重い周波数を発見した。「不信感」。
不信感は、例えば誰かに不当に扱われたとか、冷たくされたとか、自分以外の誰かにより引き起こされる。外側に不信感を募らせる現実をつくる。なぜそうなるかと言うと、私が私を信じていないからだ。自分を信じるようになると他人も信じられるようになる。
さらに、深堀。自分を信じるとは、自分をありのまま受容すること。心の光も闇も、すべてが自分であると認めてあげること。何かが出来ても出来なくても、私は居るだけで価値がある。愛し、愛される大切な存在であることを思い出すこと。
想像するに、その町民の心中は、今、不安でいっぱいなはずだ。沢山のお金を手にしたとしても、絶対的安心感からはほど遠いはず。彼は、日本中からバッシングのエネルギーを受けている。
あの時、返金しない選択をした彼は、顕在意識のエゴを使って判断したはずだ。「自分には価値が無い。」をベースに現実を味わってきたため、外側の出来事も、不信感を募らせることばかりで、日常的に不満もたまっていたかもしれない。役場に「返せ」と言われ、「返すものか」と、頑なになってしまったのは、更なる分離感を刺激された何かがあったからだろう。
人と人は、意識下で影響し合っている。逆転移という心理的現象がある。相手の潜在意識下に隠された感情をもらってしまうのだ。あたかも自分が感じたように思わされる。(転移、投影もある)
あくまで仮の話をする。
件の町民を説得に行った役人が、いかに丁寧に謝罪し頭を下げたとしても、心の中で「何で俺がこんなことしなきゃならないのか。悪いのは担当事務員や、システムを作った会社だろうが。なんで俺はいつもこんなに不遇なんだ。あ~許せない·····」という思いを無理やり押し込めていたとしよう。
対面する二人が、そのうちどちらかが、顕在意識優位になりエゴを活性化させると、もう一人も同じ状態になる。これは、催眠療法セッション時に、セラピストとクライアントとの関係で実際に起きていることである。意識はつながる。
その役人の「不信感」をひろってしまった町民は、自分のエゴにエネルギーを注ぐきっかけにする。返金するはずだった気持ちを翻してしまう。「悪いのは役場じゃないか。なぜ、俺が返さなきゃならないんだ?」
ということは、起こり得るのだ。役場の集合意識や、町の集合意識、広げれば、日本の集合意識までもが、件の町民に影響する。
もちろん、エゴを使い、その体験を選択したのは、彼の責任である。これから起こることは、自ら背負うしかない。
ここで、言いたいのは
件の町民が起こした出来事は、沢山の意識が影響し合っているということ。つまり、魂レベルでは、「私はこういう気付きを得て学ぶ体験をしたいので、協力してもらえますか?」「いいですよ。では、私は今回は悪者役をやりますね。」「ありがとう。来世では、役回りを交代しますね。今回は胸を借ります。感謝します。」みたいなやり取りが行われていると考えられるのだ。
だから、件の町民の問題は、私の問題にも捉えて、学ばせていただく。私の内面がクリアになれば、日本の集合意識に影響を与える。
「私は、この出来事から、自分に対する不信感に気付きました。自身を受容し大切に思うことを学びました。ありがとうございました。」という気持ちになれば、全体の周波数も軽くなる。それは、私たち本来の周波数に近づくことになる。
私たちは元々、愛と受容の周波数を発するエネルギーだ。比較、判断、評価の無い、自由で創造的な穏やかな世界が、私たちの故郷である。
件の町民も、対応に四苦八苦する役人も、同様であり、私たちの意識は本来は一つだ。
潜在意識のつながりによる効果について、私の体験を書いておく。
返金騒ぎについて、似たような体験がある。
仕事で、誤送金が発覚した。私は担当だったので、文字通り四苦八苦した。やはり、最初に出てくる感情は、「私のせいじゃないのになあ。運が悪いなあ。」であった。そんな気持ちを抱いている間、すべてがギクシャクし、うまくいかなかった。
さて、誤送金先の相手から、担当の私に怒りMAXの電話がかかってきた。物凄い不信感をぶつけられ、強い口調で責められた。
その瞬間、わたしは、すべてを手放した。ひたすら、相手の言葉に集中し、相手の感情に共感を示し続けた。これは、テクニックを使ったわけではなく、意図なく、自然体で行っていた。今、思えば、潜在意識に繋がっていたのだと思う。
気がつくと、相手は、全く関係ない話を始めた。相手は、自身の家庭のこと、親子関係の悩みなど、とめどなく語り続けた。私は、その間、自然と受容の心で居た。相手を愛おしむ気持ちが泉のように湧いてきた。
二時間くらい話を聴いていたと思うが、時間の感覚が無い。それだけ互いに潜在意識に入っていたのだろう。(催眠状態とも言う)
途中から相手はとても優しく穏やかになり、感謝の気持ちを伝えられた。間違えたのはこちらなのに、反対にお礼を言われ、心が震え、涙が出た。「あんたも大変だろうけれど、仕事頑張りなさいね。」と、励まされ、その後すぐ返金してくださった。
私は、相手の中に神性を垣間見た気がした。
人の本質は美しい。私は、この一件から深く学んだ。
クレームの多い職場で、ストレスフルな毎日だったが、この一件以来、私が怒鳴られるような怖い体験をすることはまったく無くなった。つまり、現実化する必要が無くなった。
今でも、この方から学びを得たことを心から感謝している。この体験が、今の催眠療法を学ぶ伏線になっていたようにも思う。
今、世間を賑わせている一件は、私たちが気付きを得て、本来の自分に戻るための切っ掛けである。外側の世界は、魂のお芝居でもあるのだ。その困難な役回りをしてくださる方々に感謝し、まずは私から、本来の愛と受容に戻っていきたいと思う。
すべてが「ありがとう」しかない世界へ。
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