答えは自然に決まってくる
今朝、催眠療法の萩原優先生のFacebook投稿を読ませていただき、とてもほっこりした。
毎回、学びに満ちた文章を書いてくださるのだが、お人柄が現れていて、なんだか癒されてしまう。
中段で、萩原先生の文章を紹介させていただくが、先に、感じたことを書いてみたい。
1ヶ月前に、アルバイト先の職員さんから、謝られた。どうやら、入力ミスで、1日分のアルバイト代を振り込み漏らしたとか。
それを聞いて、私は素直に、ラッキーと思った。毎回、給料明細をチェックしていなかったため、言われなければずっと分からなかった。気づいてくれて、有難いなと思ったし、丁寧に謝ってくださり、嬉しかった。何より、思いがけずお年玉をもらえたような喜びがあった。
私がこのように、ミスした誰かを責める気持ちにならなかったのは、日頃から信頼関係が築かれていたからだと思う。怒りも不信感も無い。自分の方が気をつけていかないとなあと、思ったくらいだ。
反対に、ミスした立場もある。
以前、大きな組織で働いていた時に、不当利得の事後処理をしていた時期があった。10年以上、システム不具合に気づかず、間違って多い額を数千人に振り込んでいた事実が判明した時に、たまたま担当者だった。数人でチームを組み、力を合わせて解決に取り組んだが、とても良い経験になった。
間違えたのはこちら側である。罵声を浴びたり、土下座したりすることもあろうと、覚悟して挑んだが、予想外な展開となった。
驚いて、説明を求めてくる方々もいた。心を込めてお話をさせていただいたのはもちろんだが、ほとんどの方が、冷静に話を聞いてくださり、きちんと返金してくださったのだ。
「人間のすることだからね。」と、許してくださった。
これは、もしかしたら、ここで働いてきた過去の先輩方の誠実さが、人々と柔らかな信頼関係を築いてくださっていたからこそ、平和な展開に繋がったのかもと感じた。
不都合を被った方々からの許し、信頼、愛をひしひし感じ、涙が出そうになることばかりであった。これからも、気を引き締め、あらゆる方々にご恩返しできるように心を込めて仕事をしていこうと、決意する出来事だった。
人は、許される経験をすると、人間性が成長するように思う。愛の度数が増すような感覚だ。このように、人と人は影響しあい、互いに欠けた部分を補いあいながら、力を合わせて生きていく。その過程は、美しく穏やかで平和なのだと思う。
もちろん、何か不都合を起こしてしまったなら、現実から逃げず、心から謝罪することや、解決に向け出来ることを懸命にやることは、必須である。
きっと、その本気は、相手に伝わる。プラス、日頃から相手を思いやるなど、信頼関係を築いておくことが、柔らかでスムーズな解決をもたらすのではないかとも思う。
困難な仕事だったが、しっかり覚悟をしたら、迷惑をかけた方々から、反対に愛を届けられたような、貴重な体験だった。
この担当を最後に、私は癌になり退職することになるのだが、天からのお試しテストに合格し、次なるステージに移行できたような気がしている。(最後の☆追記もよろしければ、ご覧ください。)
先生の言葉、「判断基準を美しさ、穏やかさ、静寂さにして」、これからも進んでいきたい。
今朝、先生のblogを読んで、「あの時のあなたの判断と行動は、それで良かったのです。」と、数年の時を経て、声をかけてもらえたような気持ちになり、救われた。
以下は、先生のblogです。ほっこりします。
【振込口座を間違えて大慌て】
ゴールデンウイーク中の
日曜日。
なんとなく緊張感がないです。
振込口座を間違えたことは
ないですか?
私は二度ほど間違えたことがあります。
一つは、同じ職場内で、一人の人に
他の人の給与も振り込んでしまった。
それに気づいたのは税理士さん。
「振り込みを間違っていませんか?」
と連絡があったのです。
直ぐに訂正をしたのですが、
興味深いのは、二重に振り込まれた人も
振り込まれなかった人も気づいて
いなかった(笑い)。
この話は内々なので、穏便に解決
した。
困ったのは、見も知らない他人の口座
に振り込んでしまった経験があります。
それはある人の口座に間違って
振り込みました。
それは相手の人の指定した口座名が
そもそも違っていたのです。
この解決がかなり面倒だった。
額も千円前後だったので、それほど
ストレスは無かった。
所が、山口県だったかで4000万円以上の
金額が間違って振り込まれた。
その人は今の時点では返金する意思は
ないそうだ。
もし、自分の口座にこんな大金が
振り込まれたらどうするか?
実際に振り込まれていないので、
どう対応するのかわからない。
ただ、判断基準が、
「美しさ」「穏やかさ」「静寂さ」
だったら、答えは自然に決まって
くるように思える。
よく宝くじに当たると、
人生が変わってしまうという
ことを聞く。
私たちは、全く想定外の
ことが起こると判断基準も
狂ってしまうのかもしれない。
それが、良い意味でも
悪い意味でも。
催眠のことならIHC
先生のblogは以上です。
☆追記
システム不具合が判明した時は、真っ青になった。二つの大きな部署にまたがる事件で、初めの頃は、それぞれの責任者が、責任の擦り合いをしていて、混乱を極めていた。新聞沙汰にもなった。
不思議なもので、出来事に抵抗している時期は、人間関係も泥々して、(私は関係無いのに!○○がちゃんとやらないからだ!ああ、最悪!という気持ちでいる場合)、踠いても踠いても、泥に足をとられ、前に進めない状況だった。
しかし、覚悟を決めた途端に、物事がスルスル動き始めた。つまり、抵抗を止め、精一杯取り組もうと気持ちを切り替えたのだ。
二つの部署は、仲が悪かったのだが、この事件解決のため、チームを組んで協力することになった。共通の困難に取り組むうちに、自然と仲が良くなっていった。互いに苦労を労り、尊重する気持ちが芽生えた。
今まで、合同会議を開く機会はあったが、互いに押し付けあい、エゴ丸出しで、心の垣根を感じる関係だったのに、見事な変化だった。これだけ大きな事件になると、人間は本能的に、エゴを制御するのだろうか。それぞれが必死になるし、力を合わせなければ解決できないから、心を開く切っ掛けになったのかもしれない。
こう考えると、エゴとは、単なるツールなのだなあと分かる。
人間は、本当に困った時は、本気になるから、本質が現れてくる。本質は、宇宙源であり、皆、繋がっている存在なので、愛、調和に導かれていく。
エゴは、本質を忘れるために後から身につけたアイテムである。エゴ丸出しで生きていけるのは、ある程度平和な状況でないと無理なんではないかと感じる。特に、命がけの状況では、本質で立ち向かわないと死ぬかもしれないわけだから、無駄な思い込みは邪魔なだけ。エゴは強制的に静かにさせられる。
困難なプロジェクトだったが、あの期間に関わった方々とは、心が繋がっていたような気がしている。共に居て、何故か、ホッと和むような安らかな空気を共有した体験も多い。大変だったのに、今思い出すのは、幸せの感覚ばかりだ。不思議。
人間の美しい本質を垣間見る機会となり、つらいことも多かったが、学びの多い職場でもあった。今は、感謝しか無い。
今朝、先生の投稿を拝見し、また一つ、過去の体験が美しく統合されたような清々しい気持ちになった。
先生。いつも素敵な投稿をありがとうございます。
☆☆人生はふりかけごはん☆☆
今、お風呂でぼーっとしていたら面白いひらめきか降りてきたので、書いておく。
出来事は、白飯
エゴは、ふりかけ
感情は、ふりかけごはんの味わい
のようなものではないか。
白飯は、安定の味わいであり、まず私たちは、一喜一憂することはないだろう。感謝とともに、静かに穏やかに食べている、あの感覚が、本質の私。
しかし、毎回白飯ばかりだと、飽きてくる。
どうやら、地球食堂に行くと、ふりかけというものが提供されて、色んな味が楽しめるらしいよ。
興味を持った私たちは、ワクワクしながら、地球食堂にやってきた。
ふりかけは、ゴマ塩、のりたま、鰹節、梅味·····
私たちは、「今日はこれにしよう♡」と、自分の意思で選んで、白飯にふりかけている。
ゴマ塩かけて、「わあ!しょっばい!」とか、鰹節かけて、「なかなか美味いぞ。」とか。それぞれを味わっている。
エゴは、スパイスであり、ツールであると書いてきたが、ふりかけという例えも、日本人には分かりやすいかもと思ったので、書いてみた。
出来事は中立なので、味わいが素っ気ない。エゴがあるから、「わあ♡」とか「キャア~☆」とか、一喜一憂してドラマを楽しめる。
映画もそう。淡々とした一日を描いたものも良いが、事件があるとさらに盛り上がる。そんなドラマを味わいた人が映画館に足を運ぶ。
と言うことは、私たちは、望んで地球食堂にやってきて、白飯に、好みのふりかけをかけて、味わっているということ。
そして、「ふりかけも美味しいけど、やっぱり白飯のシンプルさが一番よね。」という気づきを得た人が、地球食堂の暖簾から出て行こうとしている。
地球食堂で、まだふりかけごはんを楽しむも良し。
もう、たくさん味わって、満足したから、お会計して帰るも良し。
地球「まいどあり~!」
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