切り離された悲しみの正体

 


前回の投稿のテーマ「切り離された悲しみ」について、取り上げてみたい。

人間の根元的な悲しみは、宇宙源から意識を分離したことで、潜在的に持つものではないかと思われる。

本来は切り離されてなどおらず、本質は、いつも繋がっているのだが、何故だか、人間は、それを忘れて、さまざまなレベルで分離の苦しみを味わう。

それも、体験を成就するためのスパイスに過ぎない。

前回の投稿で、私の潜在意識から、その仕組みの大枠について、伝えられたことは書いた。

その翌日、本屋で偶然手にしたある一冊に明快な解説が掲載されていて驚いた。

以下に、紹介したい。

「常識や社会通念というものは、ただの思い込み、鵜呑み、思いつき、決めつけによって構成されがちで、そのために時代を支配する考えや至極当然という認識を生んでしまいます。そしてそのことが、人の意識を、この物的次元の世界のみに縛り、限定し、執着させ、そして幻惑させてしまう原因となるのです。

潜在意識がネガティブエネルギーに満ち、そこが不快な思い出や抑圧された感情の貯蔵庫と見なされるにつれ、人々の内なる意識の世界に魂や神聖なものの居場所がなくなってしまいました。

私たちは、自分たちがこの物的次元に意味もなく放り出され、予見不可能で不条理な運命に翻弄され続けるだけの、波間に漂う存在と考え、頼りない自我と老いていく肉体が自分自身のすべてであると見なすようになりました。自らを劣った、卑小な存在と見なすよう条件づけられてきたのです。

ところが、実相を見てみると、私たちは皆おしなべて、高次元の光ある世界よりほんの一時期、この物的次元の特異性を体験し、二元世界のもたらすもろもろの体験によって、多くを学ぶために訪れている旅を続ける光の存在です。

本来は多次元的存在で、そのうちの一人がこの物的次元に生きて、生活している、それがあなたです。この物的次元、三次元が唯一の現実だと信じ込まされ、知覚的にもそのように訓練され、縛られてきたことに気づく時がついに到来しました。

あなたの意識が高まり、高周波になるにつれ、自分自身の大いなる部分を創造するというよりは、発見していき、思い出していくことになります。高次元のあなたは、今から創造するのではなく、もう既に存在しているのです。今後は、そういう存在と融合し、一体化する。そのようにあなたはつくり出されたのです。

私たちは、受精卵が育成して生物学的に何らかの脈絡もなく、偶然に意味もなくこの世に放り込まれた存在ではありません。私たちの人生は時代背景、台本、舞台演出まで計画立案されたものです。私たちはその舞台にリハーサルなしに主演で登場する、自作自演の俳優であって、演出まで自らが手掛けているのです。

その役になりきることにより、種々の感情を抱き、経験をし、試練にあい、そのことで多くの知恵や知識を得るための劇場があなたの今いる環境です。

多くの試練や困難が設定され、それをじかに経験すると、なぜ自分がこういう目にあうのか、自分が何か悪いことをしたのか、全く理不尽だと嘆き、悲しみ、怒りさえ覚えますが、それは自分が設定したことを忘れてしまっているからです。

この世、すなわち物的次元に生誕するためには、人生脚本、舞台設定の他に、以下のような必要になるものがあります。

肉体

この世に適応機能するための魂の一部よりつくる自我、性格

時間と空間という枠組み

本質である魂、大いなる自己を忘却すること

魂の波動を下げること

肉体と光の身体をつなぐものを準備すること

魂の世界、すべてが見渡せる世界から時間と空間が作り出す新しい枠組みの中へ、新しい意識の在りかたへと踏み出し、自分の大いなる部分を高次元の世界に残して、いまこの世にいるのか私たちです。

この高密度低振動の物的次元に誕生するということは、大いなる挑戦、冒険の旅であり、私たちは一大決意と希望を持って生まれてきたのです。」

『驚異の高次元世界』木村忠孝 著 たま出版 1~18頁より


先ほど、入浴中に閃いたこと。

私は、湯船に浸かる時は、浴室の電気を消して真っ暗やみの中でボンヤリするのが好きだ。

電気を消した直後は、目が暗闇に慣れていないので、何も見えない。目を開けているのか閉じているのかすら分からない。

しかし、目が慣れてくると、おそらく瞳孔が開き、微かな光をキャッチするのだろう。ぼんやり、浴室の輪郭が見えてきたり、もやのような薄明かりが見えてきたりする。

前者は、この物的次元での私たちの状態に近い。周りに色んなものが形態や色彩を持ち、存在しているのに、肉体機能に制限があるため、脳に情報が入ってこないのだ。だから、私たちは、周りに何も存在しないと思い込んでしまうのだ。

後者は、催眠などで変性意識となり、肉体の感覚を超えて、目に捉えられなかった情報をキャッチし、イメージ化することにより、周りを少し理解した状態に近いかと思う。

電気をつければ、隅々まで明らかになるが、これは、覚醒した状態に当たるだろうか。

私のお風呂体験で申し訳ないが、こんな風にイメージしてもらえたら、伝わるかも?と書いてみた。

この宇宙は、プラズマに満ちており、ありとあらゆる情報が飛び交っているそうだ。一定値に振動数を落とした状態しか感覚器でキャッチできない人間は、宇宙では、盲目に近い。何も把握できていないに等しい。

9割以上は、目に見えない世界であり、本来の世界はそちら側かもしれない。

催眠療法は、そちら側の世界への入り口を用意してくれる貴重な体験となる。

瞑想、ヨガ、座禅、マインドフルネス、呼吸法、ダンス、アート活動など、安全に変性意識へ誘ってくれる体験は、他にもある。

私は催眠療法を学ぶことで、目に見えない世界の広大さを知ることができた。それは、物的次元での苦しみからの脱却を意味する。全く違う捉え方になるので、楽に生きられるようになる。

信念が変わると行動が変わる。

これからも、催眠療法から得た気付きを、少しずつ、こちらに書いていきたい。

☆追記

偉大なことは、実は地味なこと

思いやりという小さな灯を点し続けていくこと。

○○を助ける!とか、何も大きな情熱が必要なわけではなく、例えば、生き物を大切にするとか、家族が少し楽になるように、優しくするとか。地味な小さな思いやりをひたすら続けていくこと。

今朝、反省点があり。

思考と感情のコントロールは、なかなか厄介だが、しっかり足元を整えながら、小さく、地味に、思いやりを忘れずに過ごしていきたい。大切なこと、気づけてよかった。

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