未来を創る私

 未来は決まっていると思いますか?

未来は自分で創れるとしたら

そう信じますか?

いや、無理。私は無力だし、未来はひとつしかない。外側で起こる出来事に左右され、誰かのせいで未来が決められていく。

そう思いますか?

あなたは、どちらの考えが好みですか?

私は、つい最近まで、後者の考えに染まっていた。未来は変えられるようなものではないし、私の好きなように生きられるほど甘くないと。

しかし、催眠療法に出会い、潜在意識につながる体験を重ねる度に、その考えは、変化してきた。

まず、変わらぬ真理として、私たちは、すべてが満たされ、安心感に包まれた平和で穏やかな意識体である。楽しむために、さまざまな感情を味わうために生きている。自ら選択して、エゴの力を利用し、好きなドラマを演じている。故に、今望めば、必要な現実を体験できる。目の前に起きる出来事は、魂が見たがっている幻である。本質の私たちは、何が起きても変わらない。永遠の愛と光である。

欠乏感、不足感、不安感、無力感。これらはすべてが偽りの自分から生じている。ドラマをより楽しむためのオプションでしかない。本来の自分は、安心、許し、希望に満ちている。

先日、とある方の催眠療法に立ち会った。彼は、セッション前は、死に対する怖れで心が締め付けられていた。とある有名な方の未来予言を耳にして、大災難が日本に起こることをかなり心配されていた。

セッション中、彼の要望で、近未来(3~5年後)を見ることになった。未来を見るのが怖いと躊躇していた彼だが、セッション終盤で、催眠状態の彼は、未来に行ってみる気持ちに変化していた。彼の潜在意識は、必要な体験に導こうとしているのが分かった。ベストな答えは、いつも自分の中にある。真に大切な答えは、他人から教えれるものではない。自分のことは、本質の自分が一番知っている。催眠状態で潜在意識につながると、本質の自分から答えがやってくる。これが、催眠療法の醍醐味。これは、誰もが体験し、実感できる。

未来に彼は、ただ、光の存在である自分を体感した。すべてが光であり、最後は光に戻るのだと理解した。そこはとても心地がよく、死は怖れるものではないと分かったのだと言う。

未来を思うと、誰でも、不安になる。しかし、不安にかられながら生きるのではなく、限られた命だからこそ、日々を大切に生きようという晴れやかで穏やかな心境にたどり着いたそうだ。

今までの私は、何かを選択する際に、必ず不安感に邪魔されてきた。何かしようと閃いた時に、「いや、でも、迷惑かかるかもしれないし。やったって無駄だよ。失敗するよ。私には何も成し遂げられない。無理無理。」と、簡単に諦めた。

新しいことに踏み出そうとすると、必ず、不安や無力感が沸き起こり、それを言い訳に、行動を起こさなかった。無難に、変化なく生きるならば、きっと自分が傷つくことはない。それが一番幸せな生き方なんだと信じてきた。行動を起こしたと仮定すれば、失敗するところや、誰かから、激しく否定されている場面をリアルに想像することになり、まるでそんな未来が確実であるかのように感じてきた。

しかし、催眠の力を借り、潜在意識奥深くの本質の自分を感覚として味わって以降、私の選択は180度変化した。

まず、本質の自分は、安心し、穏やかで、楽しんでいる意識なのが実感できているので、もしも何かを決める時に、不安感が出てきたら、「これを感じているのはエゴの私であり、本当の私の感覚とは違う。」と、一旦切り離すことができるようになった。エゴは、小さい時から外部より植え付けられ、生き延びるために身につけた知恵とも言える。自分を長年守ってくれたのは否定できない。だから、中立の目で、落ち着いて検証してみる。

これを選択し、こういう行動を取ると、○○さんに迷惑がかかり、嫌われてしまう。と考えて不安になっているけど、本当にそうかな。やってみて、本当に迷惑になったら、その時点で、考え直してもいいんじゃない?その時はきちんと謝罪して、別の方法を選択すればよい。やってみなきゃ分からない。など。

不安感というエゴの背後には、自尊心が傷つくことの怖れが隠れていた。しかし、行動を起こさなければ何も変わらない。その行動に、我が儘で利己的な思惑が無ければ、自分を信じ、相手も信じて、一歩踏み出してみたい。

閃きは、直感である。直感は、本質の自分からのメッセージだ。○○やりたい。ふと閃いたら、まず、やってみる。その癖をつけておくと、面白いほど、人生が開けてくる。可能性の扉がいくつも現れる。

小さなことでは、夕飯のメニューから。新鮮な蕪が手に入ったけど、何つくろうか?ぼんやりしてたら、脳裏にシチューが閃く。よし!今夜は蕪と秋野菜のシチューだ!と決め、実際に料理する。小さな閃きを現実化するのは、自分の行動だ。

とある懸賞で、有名バイオリニストのチケットが10名に当たるという。いつもなら、絶対当たらないから、無駄だから止めよう。とやる前から諦める。しかし、今回は、応募用紙をしたため、送付。当選し優雅にコンサートホールで鑑賞している自分をありあり想像。ウキウキしながら待っていた。なんと、昨日、当選の連絡あり。

地域の料理コンテストに誘われた。いつもの私なら、「料理下手だし、無理無理。恥ずかしい。」しかし、本質の私はワクワクしている。やってみたいと感じている。落選したら恥ずかしい?別に、誰に公言して応募するわけでもない。気軽にトライしてみたらいい。気の向くままに作ったメニューで応募してみたら、努力賞に選ばれ、図書カードをいただいた。

本を出版したいと夢を描く。ふと閃いた内容で企画書を書いてみる。インタビューしたい方に思い切って送ってみた。いつもの私なら「こんなド素人の企画に協力いただけるはずがない。迷惑がられて、避けられるようになっちゃうかも。怖い。」と、一歩踏み出す前に諦めていた。今回は違う。本当に相手に迷惑がかかることなのか、冷静に検証する。客観的に、自分の企画を眺めてみる。そこに自己顕示欲などのエゴがあるなら、止めた方がいい。でも、純粋な願いならば、ただ、やりたいのだと、透明な意識でいるのなら、やってみよう。そう思い、エイヤッと、企画書を送ってみた。

結果、協力いただけることになった。さらに昨日は、出版経験者に二名も出会えた。想像をはるかに超えたすてきなご縁が結ばれた。

夢のような流れが、この数ヶ月で起きている。

不安、無力感を感じた時に、「これは、本当の私の感覚ではない。」と、一旦離れてみる。そして、エゴを脱いだ、素の自分に問いかける。「やりたい。」と素直に思うなら、行動に移す。本質の自分の願いなら、どんどん道が開けていく。必要な情報が入り、必要な人に出会っていく。新しい未来に、レールが敷かれていく。いくつもの新たな可能性が現れる。行動しなければ拓けなかった世界が、ちゃんと見えてくるのだ。

これを「自動操縦」とも言う。

本質の自分は、愛と光である。その自分の願いのままに行動するなら、必ず、結果は愛と調和をもたらす。本質は、皆、神仏の魂であるから、うまくいくようになっている。

私たちは、本質とつながり、自動操縦にまかせていればよい。肉体担当の私たちは、体と心を動かして、この世界に自分を表現していく。それが、お菓子づくりでも、文章を書くでも、先生になるでも、工場で何かを作るでも、様々な表現手段で、個性を輝かせる。喜びに輝く光のエネルギーが、やりたかったことを。命の限り、ひたすらやっていく。

未来は創れる。今、目の前にやってきた選択を一つひとつ、自分につながりながら行動に移していくだけで。

最後に、私たちは、光に戻る。

「ああ、楽しかった!」

公園で走り回り、遊び尽くしたあの幼い日。あの無邪気な感覚を思い出してほしい。

楽しんで、楽しんで

私たちは、帰るのだ。

根源へ。

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