胡蝶の夢

 胡蝶の夢

《荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという「荘子」斉物論の故事に基づく》自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえ。

(コトバンクより)

以前から、この故事は好きだ。

想像してもとても美しい。この気づきは誰もが一度は体験しているのではないだろうか。

蝶になり、花から花へ飛び回る意識。何の疑いもなく、身も心も蝶になっていたのに、ある瞬間、私という個人の意識に切り替わる。まだ、蝶そのものだった感覚がこんなに残っているのに!顕在意識では分析できないような混乱が生じる。きっと、俺は蝶の夢を見ていたんだなあ。しかし、あまりにリアルだったなあ。もしかして、俺の方が蝶の夢なのかな?

単なる、夢を見たよ。という話では終わらない。深い気づきを与えてくれる故事だ。以前の私は、潜在意識のことを勉強していなかったので、自分の頭では論理的に説明つかないけど、何となく分かる~。と共感したものだ。人間の意識とは、神秘的なものであると、感じていた。

さて!

私も見た。私版の胡蝶の夢を。よかったら読んでほしい。

昨日の出来事。

朝は四時に起床し、読書や好きな文章を書いて過ごしていた。バイトの日だったので、出勤一時間前には、用意を整えていた。

八時頃。急に眠気が襲ってきた。こんなこと珍しい。バイトが無ければ布団に直行したいぐらいだが、出勤まで後一時間しか無い。暫し迷い、リビングの床でうたた寝をすることにした。ちょっとだけでも眠ればスッキリするだろうと思った。

おそらく数分で、深い眠りに落ちたのだろう。

やがて、意識が戻ってきた。「ヤバい!バイトの時間が!うわ~。随分長く眠っちゃった。」慌てて飛び起き、時計を見た。

5分しか経ってなかった。あれ?

頭はとてもスッキリしていた。ただ、私の中に、何年間という時の経過や、他の人物になっていた体感がありありと残っており、呆然としてしまった。5分の微睡みでしかないという現実に戻っても、半分納得できなかった。

私は、夢の中で、ひとつの濃い人生を生きていた。もうボンヤリしてしまい、記憶に留めてはおけなかったのだが、確実に別の人になり、誰かと大切なことを熱心に話していた。禅問答みたいなイメージ。この世の真理について、ああでもない、こうでもない。と言い合っているうっすらした記憶の断片と、長い長い時の経過が体感に刻みつけられていた。

目覚めた時、どちらが本当の私なのか。もしかしたら、こちらの私の方は、あちらの人物の夢なのではないか?と戸惑うしかなかったのだ。

私は、催眠療法を習い、潜在意識について少しだけ学んでいるので、以前よりは論理的に説明できると思う。いくつか仮説を立ててみる。

まずは、簡単に、意識についての説明を。

意識はエネルギーである。

人間の意識には顕在意識と潜在意識がある。顕在意識は、論理的な部分で全体の10%を占める。潜在意識は、記憶や感情の部分で90%も占める。顕在意識と潜在意識の間には膜があり、簡単に過去の辛い記憶が浮かび上がってこないようにガードしてくれている。しかし、心身をリラックスさせた時に、私たちの意識は膜を透過し、潜在意識の世界に入り込む。日常生活で、私たちの意識は顕在意識と潜在意識を行ったり来たりしている。

潜在意識の中には、過去の記憶だけではなく、胎児の記憶も残っている。また、さらに奥には集合的無意識の領域があり、前世の記憶だけでなく、他の人間、高次元の存在、動物、植物、鉱物の意識と共有されている。さらに宇宙的無意識にまでつながっている。

すべては意識であり、一体である。というところまでたどり着く。

次に、私の夢についての仮説を述べる。

①前世の記憶

前世療法を体験し、人間は魂の存在であり、数々の前世を体験していることが理解できた。他者誘導の催眠は、結局は自己催眠であり、潜在意識の世界に誘ってくれる手法だ。入眠時や目覚め時は、催眠と同じ脳波状態となるので、私は眠っている間に、ひとつの前世とつながり、その人生を走馬灯のように体感したのかもしれない。

②他者の意識とのリンク

集合的無意識では、他の人間の意識ともつながっている。例えば、家族や知り合いと、同じタイミングで同じようなことを考えていた。という経験はないだろうか。最近の私は頻繁に体験している。ふと閃いて、気付きを文章に整理していたら、数時間後に、同じテーマで催眠の先生がblogをアップしていたとか。数日悩んでいたことを、偶然居合わせた知り合いが何気なく話題にしてくれたとか。みんな、意識を共有しているんだなあと思わされることが起きる。その日の朝は、催眠の先生のblogを読んで、宇宙的無意識について熱心に考えていたため、夢の中で、似たような思考の人物にアクセスしたかもしれない。

③高次元の存在との対話

前世療法では、魂の戻る場所である中間世で、高次元の存在とお話が出来る。それぞれのイメージで高次元の存在と対面し(光だったり、エネルギーだったり、人の形だったりする)メッセージを心の中で受けとる。これがテレパシーなのかな?と思うが、短く分かりやすいメッセージで、すべてが腑に落ちる気付きを得られる。今回の夢の中でも、高次元の存在と、「人間の意識」をテーマに、対話してきたのかもしれない。

④宇宙人と交信していた

すみません。半分冗談です。しかし、前世に宇宙人が出てきたので、もしかしたら私は、眠ってる間に宇宙へ戻り、別人格となりお仕事しているかも?と思うこともある。

以上、仮説を四つ上げたが、他にもあるかもしれない。言えることは、意識は肉体に縛り付けられたものではなく、時空を超えて自由に飛び回るし、いくらでも広がるものだということ。潜在意識は奥深い。もっともっと学んで、今後も発表していきたい。

最後に、潜在意識の奥に存在する「本当の自分」について、紹介しておきたい。前述した集合的無意識の領域で、個人の意識を超えて、自然や宇宙の意識に到達するには、エゴに縛りつけられた偽りの自分の意識ではたどり着けないそうだ。参考になればと思い、私の催眠療法セミナーでの感想文を掲載しておく。萩原優医師のblogで紹介されたままの形で以下に貼りつける。

******************

【体験談が催眠の素晴らしさを教えてくれます】

【催眠療法で気づける事とは】

催眠療法でどの様な事に気づけるのか、

興味がありませんか。

催眠療法の土台は「暗示」にあります。

催眠の理論と暗示療法の基礎セミナー

での感想を頂きました。

ご本人の許可を得ましたので、

お伝えしますね。

「初日の暗示療法のデモンストレーションに立候補させて頂き、萩原先生から直接、催眠療法を施術して頂いた。

うまく催眠状態になれるものなのか、不安だったが、とてもスムーズだった。暗示がうまく潜在意識に取り込まれたのかは、これから一か月間の間自分の行いを見て行くしか効果はわからないが、施術後に、大きな気付きを得た。

心が、今までにないほど、癒されていたことだ。今までは、絶えず不安感があり、どこかで自分を信頼することができていなかった。それが、まったく感じられない状態になっていた。

驚いて、質問したところ、癒しは自分の中から出てきたものだという。さらに驚いた。今までは、癒しは、外側から与えられるものだと思っていたからだ。

催眠状態になり、潜在意識に繋がることにより、意識の深いところでは、何者にも影響されない、静かで、穏やかで、平和な領域があり、「実は私は、今までも、今も、とても幸せなのだ」という実感が起きたのだ。

幸せの青い鳥の童話にあるように、実は青い鳥は、自分の家に居た、という信実だ。

幸せは自分の中にある。幸せに生きるには、本来の自分に気づけばよい。誰もが自分の中に、幸せに生きる力を持っている。

催眠療法は、クライアントに、そのことを実感させる手法であることが理解できた」

以上が感想文です。

潜在意識はクライアントに広大な情報の中から、必要な情報を授けてくれる。

それは、通常の「私」の領域の奥にいる「本当の私」に気づかせてくれる。

誰もが持っている「本当の私」とは文章にするとクライアントが感じられた内容であるが、大切なのは本人の実感であり、それが腑に落ちることにある。

催眠療法はこのようなことを味あわせてくれます。

この事を是非多くの方に体験して頂きたいです。

*****************

最近、萩原先生のblogばかり引用させていただき、恐縮です。今、潜在意識の魅力にどっぷり浸かっているので、まるでストーカーのように、萩原先生から発信される情報を追いかけている。(笑)

催眠療法は、とても面白い。もっと学びたい。勉強できることに感謝している。

☆追記

講座の最中に、萩原先生が雑談でさりげなく話されていたこと。

「本当の自分には、すべての人が到達できるわけではない。本当の自分に気がつくかどうかは、本人が決めてきている。」

という。なんて意味深!

以下は私の考え。

本当の自分に気がつくとは、世間で言われている「覚醒」「目覚め」のことだろうか?「悟り」は次の段階になるのだろうか。いずれにしても、潜在意識の中で、どこまで深く、集合的無意識の世界へつながれるかで、自然や宇宙まで到達すれば、すべてが一体であることが分かり、悟りの境地、あるがままの自分になっていくのだろう。

魂の存在である私たちは、エゴを利用し、偽りの自分を演じることで、何かを学んでいる。私は前世で人を殺していた。悪者の自分を演じたからこそ、命の尊さを、そのろくでもない人生から痛みと共にしっかり学んでいた。

魂は、転生する際に次の人生の課題を決めてくるらしい。皆が本当の自分に目覚めてしまうと、課題に取り組むには不都合なこともある。闇から学びたい魂もあるだろう。転生を繰り返し、ある程度経験してから、そろそろ本来の自分に戻ってみようかな。という気持ちになる。だから、転生の際に「次の人生では、もう目覚めたいと思います!」と決めてきた魂が、今世で、私みたいに精神世界を探求したり、催眠療法に惹かれたり、目覚めを促す現実を創造するのだろう。

本当の自分に目覚めても、目覚めなくても、魂の選択次第。どちらが良い悪いではない。何を経験し学ぶかは、人それぞれ。エゴにまみれて、怒りや不安に満ちた人生を体験している人が目の前に居ても、「あなたは、その人生を選択し、今、学んでいるのですね。」と思う。その人の主張に同意はせずとも、受け入れ尊重する。どの人生にも敬意を表する。だって、すべては一体だから。すべては私なのだから。

何となく、分かってきた。

☆参考にセイリオスという音楽ユニットのblogから、サーキュラーという宇宙存在のメッセージを引用しておく

「よく言われる 覚醒 とはどういうものなのでしょうか?

 

覚醒とはまず、私たちが「1」であることに気づくことです。

「1」とは全てが1つであるということです。

あなたも、また路傍の人も、小さな動物も、たった一つの源から出ていて皆がつながっているということを、

頭ではなく、実感するということです。

 

もしそのことに気づいたなら、人のために何かを行うことが決して苦ではなく、喜びとなります。

自らだけでなく、人のために本当の、真の愛を持って行うことが出来ます。

何もかもが愛に包まれます。

ですから、「1」なるものに目覚めることを『覚醒』といいます。

 

イエスもブッダも覚醒していたため、全てが「1」であることを知っていたのです。」


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