ほんものは内にある

 「この世の中でほんものに出会うことはなかなかむつかしい。大多数の人たちはほんものなんか探そうともしないで一生を終えてしまう。またある人たちは、ほんものに近いものに飛びついて満足してしまう。ほんものは必ずあるが、自分がほんものでないと、ほんものが目の前にあっても気がつかないで見過ごしてしまう。類は友を呼ぶという法則はここにも活躍している。

ほんとうのほんものは、実は私たち一人一人の内部にあるのだ。外部にあるのは、ほんとうのほんものの影といってもいいほんものである。経典も聖書も貴重な書物も、ほんとうのほんものを教えてくれるガイドブックであって、読むだけではほんものを知っただけである。私たちはそこから出発することになる。

そして結局のところ、ほんものに出会いたければ、まず自分の心をたがやし、肥料をくれて、良い種をまき、それを育ててみなくてはならない。心をたがやすのは意志であり、肥料はこの世のできごと、そして良い種が理想である。自分の行いで忍耐をもってそれを育てて、その結果は、すべて良いものを育ててくれる生命エネルギーにまかせて待つことだ。こうして自分がほんものになったとき、外部にあるほんものがはじめてみえてくる。するとほんものを行動している人に会える。ほんものを記した書物とも出会う。身体も植物も動物も、そして意識までもがほんものを教えてくれるのだ。」

『エドガー·ケイシーの人生を変える健康法』福田高規 著 たま出版 85~86頁抜粋

私は、沢山の本を読む。知りたい、学びたいと思う。今は主に精神世界を知ろうとしているが、医学、歴史、宇宙、生命の神秘についてどんどん学びたい。死ぬまでに、どれだけの本が読めるだろうか?間に合うかどうか、ドキドキする。

いろんな書物を読んでいると、世の中には様々な考え方があり、一冊や一人の言うことを鵜呑みに出来ないことがわかる。結果、自分がしっくりくるもの、読んでスッキリするものに傾倒していく。しかし、時間が経過すると、過去に夢中になって読んだ著者の本に惹かれなくなったりもする。これは、自分の飽きやすい性格から、きているのかな?と、苦笑いしていたのだが······

連続講座を受講していた時、講師の神原氏より注意を受けた。

「本を読みすぎ!真実は本には書いていない。自分の魂に聞きなさい。」

つまり、ほんとうのことは、自分の魂が知っている。逆を言えば、魂の声が聞こえなかったり、微かな感覚を無視していると、世の中に溢れる偽物に翻弄されてしまうよ。と言う警告だった。

おそらく、若いうちはまだいい。偽物に翻弄され痛い経験をすることで、見る目を養うことも有だ。しかし、既に人生折り返し地点にいる私。そろそろ、ほんものを追求しないと、人生もったいないよ。いつまで同じ痛い経験を繰り返すの?と、見るに見かねる状況だったにちがいない。

神原氏の指摘はよく分かるが、自分の魂の声はなかなか聞こえない。日々、本来の自分の求めを意識して、一つ一つ、どうしたい?と問いかけたり、モヤッとしたりスッキリしたりする身体感覚を拠り所にしたり、潜在意識の勉強を始めたり。手探りながら、実践を開始したところである。

どうせ学ぶなら、出来るだけほんものに近いものに触れたい。それを鵜呑みにせず、ガイドにして、さらに追求する姿勢を貫きたい。

近い将来、私の魂が、すべての真実を教えてくれるようになるのだろうか。

精神世界のお話では、「宇宙につながる」とか、「アカシックレコードにアクセスする」とか、そんな表現をする。肉体を持った生命体は、潜在意識の奥底に超意識があり、すべての存在の意識は、そこでつながっているのだという。個々人の過去から現在まで、あらゆる体験や感情が潜在意識を通して浸透し、超意識に蓄積されていく。だから、肉体が消えても、体験の記録は永遠に残り、宇宙全体で共有されていく。

手を使って説明すると、手には5本の指がついていて、個々に動かすことができる。指は個性と捉えることができる。しかし、指は手のひらでつながっている。小指に怪我をすれば、手のひらは痛みを捉える。痛みを全体で共有する。これが、宇宙の生命体は、元々がひとつ。すべてはつながっている。という説明によく使われる。

最近、世の中の動きがあやしい。特に、感染症関連。トップの方針も、二転三転し、人々が木の葉のごとく翻弄されている。あれ。なんかおかしくないか。そう感じるのは、あなたが、ほんとうのことを奥底で知っているからではないかと思う。方針が二転三転するのは、ほんとうのことから、かけ離れたところで判断しているからだ。無理に辻褄を合わせようとするから、ボロが出る。

この、目の前に起きている現実は、絶望するために起きているわけではない。エドガーケイシーの冒頭の言葉を借りれば、「肥料はこの世のできごと」だ。

ほんとうのことを知ろうという意志を持ち、目の前の現実を肥料にして、素敵な世の中になりますようにと理想を描き、小さな選択を積み重ね生きていく。こう考えると、世の中の不都合なできごとは、すべて、自らを耕すためにプラスに変換できるわけだ。

この世に生まれてきた意味は、

魂を成長させること。自分を知ること。

これに尽きる。

翻弄されて、目を曇らせて、不安な日々を過ごすのではなく、目をしっかり開こう。ほんとうのことを知りたいという意志を持とう。

現実は、意志が動かしていく。目の前に起きることは、その結果が次々現れているだけなのだから。

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