手のひらから出るエネルギー


 今朝の気づき


葉っぱの上のひとしずくの中にも

ひとつの宇宙がある


実は、宇宙はひとつではないらしい

人間の数だけそれぞれの宇宙が存在する

私が見ている世界は、他の人には見えていない

かもしれない

私が体験している、このオリジナル宇宙で

私は何を創造するのだろう


さて、捉えどころのない話しついでに

手のひらから出ているエネルギーについて

書いてみる


手当て と言えば、誰もが体験しているだろう

小さい頃、お腹が痛くなった時に

お母さんに手を当ててもらっていたら

いつの間にか痛みがやわらいでいた

痛いの痛いの飛んでいけ

呪文唱えてもらい、なでなでしてもらった

なんだかほっとして、泣き止んだ自分

そんな思い出はないだろうか


人間の手のひらからはエネルギーが出ている

今、気功を習っている

宇宙のエネルギーを体内に取り込んで、手のひらから相手に向かってエネルギーを送りこむ

エネルギーヒーリングのこと

目に見えないから宇宙エネルギーは存在しないと思うかもしれないが、

私たちは、普段から宇宙エネルギーを取り込んで生きている

そのエネルギーは、人を元気にし、癒し、時には病を治したり、人生を好転させたりする

目に見えないので、感じるしかないのだが

明らかに、ピリピリしたり、体内に風が吹くような感覚がしたり、温かくなったりする

気功教室の生徒同士で、エネルギーを送り合う練習をした時に

ある人からは、マリア様のような慈愛に満ちた癒し波動を感じ、涙があふれて困った

また、ある人からは、新緑のような、フレッシュで生命力あふれるハツラツとした波動を感じ、腹の底から力があふれ、走って帰りたくなるほど元気回復した

手当てをする人の魂を介するので、純粋な宇宙エネルギーは、各々の魂フィルターを通し、個性が出てくるようだ

死後、肉体を離れた魂がエネルギー体に戻った時に、個性を失わないのは、この波動の違いがあるからかもしれない

あちらの世界は、名前を必要としないそうだ

エネルギーの違いで感じ分けられるからだ


気功の訓練を受けなくても

普段の生活で、エネルギーの違いを実感できるものがあると思い至った

おにぎり

これほど、作る人の個性が出るものはない

母の握ったおにぎりを真っ先に思い出す

小学校の運動会

グラウンドの敷物の上で頬張った思い出。

母の笑顔。

重箱に詰められた、俵型のキレイなおにぎりの整列

あれが、史上最高に美味しかった

母の愛情をストレートに感じる食べ物だったから、兎に角、幸せだった


私の握るおにぎりも個性があふれている

以前、職場に毎日、手作りおにぎりを1個だけ持参していた

同僚に、「でかいな!」と笑われた

固めにギュッと握り、塩を効かせる、でかくて、ややいびつなおにぎりだ

私は、人からは、大人しく、やさしく、ふわふわしていて、神経質で、あまり主張しない性格だと思われているが、おにぎりに隠れた本性が表れる

頑固で、厳しくて、融通がきかない、でもおおらかで奔放で大胆に抜けたところもある

そんな個性エネルギーをまとった私のおにぎりは、どんな味わいだろうか

頑固親父さん連中にぴったりのエネルギーになっているのでは?と想像する

工事現場のオジサンたちにぜひ食べてもらいたい 

きっと肉体労働の疲れを癒し、力を回復させるはず


手のひらから出るエネルギーは

人を癒し、元気にするので

料理や掃除、時にはハグで

家族に愛とともに送ってみてほしい


話は変わるが

昨日から、特定の示唆がきている

目に見えない世界からのアドバイスなのだろうか


感じたことを無理に言語化しなくていい

ということ


潜在意識で受け取った情報は膨大だ

それを顕在意識で理解しようとすると

あまりに狭い領域に押し込むので

たくさんの大切なものが取りこぼされてしまう

エッセンスは言葉にすると、歪んでしまう

私たちが受け取っているあらゆる情報のほとんどは言葉に変換できない類いだと思った方がよい

感じ取ったものを、そのままに、ただ、感じることが、これからの時代求められるかもしれない


この数日、植物リーディングを試みているのだが

植物から伝わってくる波動は

どうにも説明しにくい

ただ、身体的反応として

胸の奥深くが微細な振動をしてきて(共振か?)

あたたかくて、やさしくて、清らかで

ど~っと、涙が流れる

身体は素直に感じ取り、応答している

これを言葉に置き換えていくと

あまりに重層的感覚すぎて途方に暮れてしまう

誰かは

「あなたを愛しています」と言っているよと翻訳するだろう

間違いではないと思うが、全然足りないし、そもそも表現する概念が私たちの世界にはない

リーディングは、言葉選びのセンスが問われるし、10000のうち1も伝え切れないということを感じていた矢先

無理に言葉にしなくていいんだよと

何者かから、囁かれているような気がしてきて

ほっとした

でも、これでは宿題ができないなあ


もう少し噛み砕いて説明を試みる

例えば、私が異星人だとして

テレパシーで、地球の情報をキャッチしたとする

私は、仲間たちに、説明する

どうやら、銀河の彼方に、愛の星が浮かんでいるらしいよ と

仲間は、愛そのものをイメージし、素敵な星もあるもんだね。行ってみたいね。なんて感想を抱くかもしれない

しかし、地球には

大気と水と大陸があり

植物や動物や微生物やウィルスが蔓延り

食べたり食べられたり

人間は、目に見えない国境を引き

僅かな違いを理由に争う

光は闇を、闇は光を際立たせ

大いなる循環が、新たなる命を生み育んでいく

母なる星

地球について語ったら、本何冊書けばおさまるだろうか?

これら情報すべてを圧縮して受け取った異星人の私が、愛という概念に置き換えて理解する

愛という言葉すら、数えきれない解釈があるというのにだ

愛という表現は、便利だが、真実を煙に巻く

伝わるようで伝わらない

言葉は、不自由なコミュニケーション手段だ

言葉を扱う芸術家は、その領域をいかに真実に近づけようかと格闘しているのだから頭が下がる



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