自分らしさとは
スピリチュアルな視点で見た場合、
仕事は自分「らしさ」を開花するためのアイテム。
仕事を通して自分らしさを見つけるとは?
私は高校卒業後、公務員になりました。
時はバブル時代。公務員になるなんて、安定はしてるけど、夢もなく、何の取り柄もない自分がなんとか糧を得られる手段ぐらいに考えていました。
そして、大学へ行けなかったコンプレックスから、自分でお金を貯めてから夜間大学に通い、英語教師を目指そうとしました。
が、教職に向けての勉強はつまらなくて、途中でやめました。
ただ、大学卒業によりコンプレックスは満たされ、毎日、平凡に役所に通う日々が30年。
それしか出来ないと思っていました。
大きな病気になり、病院にお見舞いに来てくれた知人に、「心からやりたいことをしなさいよ!」と一喝されました。
病気に後押しされ、私はやっと退職することができました。
しかし、何をしたらよいのかサッパリ。
迷走が始まります。
こうやさんからは、「あなたは、苦労が足りない」と指摘され、さらに混乱しました。
困難を抱えた人に関わる仕事を探しました。
しかし、障がい者に関わる仕事の面接は直前で車の免許がないからと、断られ。
それならと、一念発起し、社会福祉士の資格を取ろうと奔走しましたが、夫にメチャクチャ怒られ、断念。
唯一残ったのが、月に5日程度の図書館バイトでした。
昨日、宇宙がまた揺さぶりをかけてきました。
以前の上司から突然連絡が入り。バイトに来て欲しいとのこと。
その職場は障がい者の相談窓口です。
私が求めていた、まさにぴったりの。
一ヶ月前なら飛び付いていたでしょう。
しかし、私の心のなかは、なんとなく引っ掛かりがありました。
そこで、例の、マインド探しをやってみました。
でてきたマインドは「困っている人を助けるべき。人は人に奉仕すべき。」です。
もちろん、当たり前のことで、人間は本能的に奉仕に喜びを感じるものだと思います。
私も数日前までは、「神様のお手伝いがしたい」なんて言ってましたから。
でも、何か引っ掛かるのです。
このまま奉仕の世界に入っても、きっと偽善になる。
昨夜は、上司にお断りをしました。
そして、今朝、本を読みながら、「らしさ」について考えました。
土の時代の感覚から判断すれば、
(こうやさんの指摘もあり)私は、障がい者に関わる世界へ挑戦するべきだったでしょう。
純粋に、いい人になりたいと願うからです。いい人とは、世間一般のイメージですが。
「らしさ」を考えた時、
私は、整理することが好きなのだと漠然と思います。
役所にいた時も、誰もやりたがらない情報の整理を黙々とやっていた時、静かな幸せを感じていました。
今、図書館で本を棚に戻したり、整理したりしていると、無心になり、ああ幸せだなあと噛み締めています。
お金にもならないし、尊敬もステータスもない、小さな役割です。
混沌を整然としていく作業。
絡まった糸を一本一本ほぐし、色分けし、分類していくような仕事を私はしたいのだなと素直に思ったのです。
天職は、まだ解りません。
でも、もう「神様のお手伝い」などという背伸びはやめようと思います。
今回、マインドの囁きに流されず、微かな身体感覚に従って、仕事を決断。
コンプレックス解消のために、いい人と思われたいための判断は、もうやめようと思います。
こうやさんの「苦労が足りない」のアドバイスをどう現実に活かせばよいのか、
まだ見えません。
マインドを手放し、自分を満たし、本来の魂に同化できた時に、心から沸き上がる真実の愛の発露が、私にどんな役割を担わせるのか、楽しみです。
ゆっくり確実に、順番を踏んで進もうと思います。
聞いてくださり、ありがとうございます。
喜びにあふれる一日となりますように。
コメント
コメントを投稿