ちび太のこと
いつものお散歩コースに
地元のこじんまりした神社がある
そこには 神鹿が一頭いて
みんなから可愛がられていた
先日、久しぶりに神社へ出かけた
ちび太の元気な姿を見たかった
拝殿で神様にご挨拶を済ませ
拝殿横の、ちび太がいる庭を
フェンスごしにのぞきこんだ
生き物の温もりのない空間が広がっていて
ちび太がいない?と
嫌な予感がした
フェンスには貼り紙がしてあり
ちび太が令和3年3月30日に
空の大神様のところへ旅立ったと
書かれてあった
思わず「かわいそう」と呟いた
涙が止まらなくなった
拝殿では、ご近所さんの祈祷が始まったのか
ちび太の庭に祝詞の声が流れていた
ちび太を愛し育ててきた
神主さんの声を聴きながら
ちび太は祝詞を聴いて大きくなったのだなと思った
ちび太は かわいそうなのだろうか
十八年の歳月は短いだろうか
鹿にとっては長生きかもしれない
神様のお使いとしてこの地域をお守りするお役目を
きちんと全うしたのだから
お疲れ様でした
そして、ありがとう と
感謝の気持ちを伝えることが
大事なのではないか
そう思い直したが それでも涙はあふれた
もう会えないのが、悲しかった
例え神社へ行かなくても
そこに ちび太が居てくれると思うだけで
なんだか心の中がほっこり温かくなった
ちび太は愛そのものだった
私たちはたくさん愛のエネルギーをいただいたから
いつも癒されて、笑顔になれたんだね
そんなことをしみじみ考えた
そう言えば日々
空の鳥や道端の草花からも
癒しや笑顔になれる元気をいただいている
どんな小さな命であろうと
みんな愛でできているんだな
ちび太からも、まわりの存在からも
私はたくさんの愛のエネルギーを
いただいて生きてきた
だから、きっと
私の中にもあらゆる命を
愛おしいと思う力が育っているはず
ありがとう
そこまで考えを巡らせたところで
目の前に、きれいな葉っぱが一枚
くるくる すとん と落ちてきた
ちび太からの葉っぱのお手紙だ!
とその瞬間感じた
「ぼくのために ないてくれてありがとう
ぼくは いま かみさまたちに かわいがられて
いつも たのしく すごしています
だから かなしまないで
みなさんも まいにち たのしんでくらしてください」
と 書いてあった
かもしれない
神鹿ちび太の育ての親である
神主さんの祝詞の声は
まだ、続いていて
腹の底に響き渡り
しっかり生きていこう と
思えたのだった
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