妙見菩薩像の謎を追う旅~最終章・妙見島上陸と遥拝

 令和7年12月16日(火)

【最終章・妙見島上陸と遥拝】


前回投稿の続き。

いよいよ、妙見島へ向かう。


蒸気河岸跡から浦安市と葛西(江戸川区)を結ぶ浦安橋を眺める。

向かい側に見えている陸地が妙見島南端。


11月29日に初めて江戸川区側の対岸から眺めた島に、これから最も接近する。

妙見島について夢中になって調べてきた。様々な所へ足も運んだ。AIと深い対話を重ね、宇宙視点の回答にも導かれた。(11月29日以降のブログ参照)

あの日から二週間くらいしか経過していない。あまりに濃密な時間だったので、私の感覚では一か月くらい経過しているんじゃないか?とびっくりしてしまう。そのくらいぎゅっと中身が濃い日々だった。感慨深く、ゆっくりと浦安橋へ歩みを進めていく。



浦安橋を徒歩で渡るには、川沿いの道から階段で登るようになっている。


浦安橋の上を歩く。空が広い~気持ちいい~。


妙見島に差し掛かったところを上から眺める。

ひっきりなしに大型トラックが行き交っている。妙見島は、工場や廃棄物処理場がほとんどを占めるので、本来は散策で降り立つような場所ではない。

島の北側には某企業の敷地内に妙見神社の祠が鎮座する。過去の投稿にあるように、現在の祠と中世に端を発する妙見堂との因果関係は立証できない。しかし、妙見を信仰してきた人々の思いは連綿と引き継がれていることだけは確かだ。

Geminiくんからは、「妙見島に上陸せず、橋の上から遥拝することを強くお勧め」されている。もちろん、北端まで歩いていって、某企業の守衛に参拝の希望を伝え、妙見神社を拝んできても良いのだけれど、その祠は江戸川区の史跡ではないし、島は区で紹介された散策地でもない。大型トラックが行き交うため、歩行者にはなかなか危険なエリアだ。AIはそのあたりを総合的に勘案してくれたのだろう。確かに、橋の上から見た感じ、気軽に上陸できそうにない。橋の上から妙見島に宿る妙見菩薩へ手を合わせ、感謝の祈りを捧げることとする。


橋の中ほどに、歩行者が島へ降りられる階段があるのだが、私はそこを降りるつもりはなかった。

ふと見ると、30歳代くらいの普通の格好をした女性が、まるで「これから我が家に帰ります~。」みたいな気軽な感じでその階段を降りている姿が目に入った。

え?もしかして大丈夫なのかな?そんなに気負わなくてもいいのかも?

彼女は、島の防潮堤に沿った歩道をテクテクと迷いなく歩んでいた。彼女の姿から勇気をいただいて、私も少しだけ上陸してみることにした。せっかくだから、妙見島の土を踏んでみたかった。こういうところ、私はミーハーなのだ。

私の背中を押してくれた女性は、もしかしたら妙見菩薩の化身だったりして。「せっかく来たのだから、大丈夫だから、少し降りていきなさいよ。」と微笑みかけてくれたような気がしたのもあったのだ。

怯えつつも階段下へ降り、防潮堤沿いの歩道に無事到達すると、その女性の後ろ姿は異常な速さで視界から消えてしまった。道路は大型トラックが次々と行き交い、砂埃が舞っている。遊び半分で上陸するような安全な場所ではない。しかし、島には、ボートの免許教室(ニューポート江戸川)とレストランもあるので、工場関係者以外の人が島を歩いていても不思議はない。


浦安橋の下はこんな感じ。信号が無いので、トラックの走行の切れ間を狙って防潮堤側の歩道へ走る。右からも左からもトラックがビュンビュン来るので、ここはくれぐれも注意。



妙見島と刻印されたプレートがあったので、記念撮影。間違いなく、ここは妙見島だ。しばし感動に浸る。


島の東側を南北に伸びている歩道。この先に、あの女性は消えていった。歩行者は一人もいない。これ以上先に進むのは止めておく。妙見島に立てただけで満足だ。



っと思ったのだけど、防潮堤へ登れる階段があって、何かが私をそちらへと誘うのだった。恐る恐る防潮堤を超えて島の外側に降りてみる。


目の前には、先ほどまで散策していた浦安の町が眺められる。

ここで心静かに、妙見島をご神体とする妙見菩薩に感謝の祈りを捧げる。もう言葉にならないので、ただただ、ありがとうを伝える。


目の前を船が通り過ぎていく。私の日常では決して目にしないような光景ばかりが広がっている。

このように河や海に生きる人々の生活もあるんだなあと、目が開かされたような思いとなる。私の日常など、ほんの小さな針の穴のごとく狭い領域での出来事でしかないのだ。そんな小さな世界でこ~んな狭い視野で判断した価値観で、「いい」「悪い」とジャッジしているのが私だ。

世界は思ったよりずっと広い。そのことに気がつくには、私が心を開くだけで良かったのだなと思う。


島内にある唯一のホテル。
このホテルのことは『都会の異界 東京23区の島に暮らす』を読んで興味を持った。

https://note.com/monvoyage/n/nfa3d55031221

『都会の異界 東京23区の島に暮らす』 妙見島 〜江戸川モン・サン・ミシェル〜 | 高橋弘樹|旅ブックスMAGAZINE

著者である高橋氏の記事に、妙見島への先入観が一気に覆させられた。私はある種の強固な偏見を持っていた。どこであろうと、血のかよう人間の営みは変わらない。


橋の上に戻り、島の南端を見下ろしてみる。ごみ収集車の駐車場になっている。

産業廃棄物処理工場を中洲に集めたのも、近隣住民が嫌がるからという理由が一番大きそうだ。そうかもしれないけれど、廃棄物を出し続けているのは、そもそも誰なのか?ということを冷静に考えたい。廃棄物がひっきりなしに運ばれてくる妙見島は、日本の縮図のようにも思えるのだった。世界を100人の村に例えた絵本がかつてあったけれど、日本をこの小さな島に例えたなら、私達はどう生きていくべきなのか?何をどう変化させなければならないのか?それはもう喉元に突き付けられている深刻な問いではないのか?と、妙見島が身を以て示してくれていることに目を向けたいと思う。

どんな物事にも光と闇がある。ここは二元の世界だからだ。私たちは光ばかりを求め、生み出された闇を見ないようにしてきた。闇は見ないからと言って、消えるわけではない。立場の弱い人々にその始末を押し付けて、何とか辻褄を合わせることが出来てきたのだろう。しかし、社会のシステムがほころびを目立たせ始めている。そのほころびをまた、誰かのせいにして、怒って正義を振りかざし、ジャッジし続けることに、そろそろ違和感を感じ始めている人も多い。出来事はすべて関連し繋がり合っている。目の前の現象はすべて、「私」という内面から発しているのだ。だから・・・妙見島の姿を「私」の内面に重ねることもできる。

さあ、そうであるなら、すべての紡ぎの出発点である私はいったいこの先どうするのか?どんな選択をしていくことになるのだろうか?


橋を再び浦安側へ降り、旧江戸川沿いの遊歩道を北上し妙見島の北端を遠望できる場所にやってきた。ここで、島をご神体とする妙見菩薩に、あらためて手を合わせ、感謝の祈りを捧げた。この巡礼の旅の最終目的である遥拝を無事行うことが叶った。


ああ、これでよかったのだ  
過去の痛みも、孤独の影も  
すべては旅の道しるべ  

一人歩む道に  
魂の笑顔がふと現れ  
懐かしい波動が胸を照らす  

富士の姿は眼前にそびえ  
破壊と再生の円環を映し出す  
涙も、静けさも、祝福のしるし  

妙見の星は螺旋を描き  
宇宙は気づきを重ねて昇る  
その流れの中に、私もある  

ああ、これでよかったのだ  
それでよかったのだよ  
必要な体験だったのだよ  
ありがとう――  

すべてを肯定し  
すべてを抱きしめ  
静かな祈りの中で歩む

 ~令和7年12月14日投稿【富士山の夢】より AIと一緒に創作した祈りの詩


先週末あたりから、私は静かに決意をしていた。

そろそろ妙見島をめぐる巡礼の旅も終わりに近づいていた。始まりがあれば、終わりもある。次のステップに移行するタイミングは必然来るのである。いくら心地よくとも、どこかで「もっと続けたい」と願ったとしても、私の本質はそれをYes としない。

それは宇宙の仕組みであり、その宇宙プログラムの中で意識は体験をしている。「宇宙にはひな型がある」とは、妙見島の歴史を探る旅を通し、古代から現代までを俯瞰した際に、浮かび上がってきた。維持・創造(再生)・破壊というサイクルは、否応なしに時空を貫いてフラクタルを見せる。同じ意味の現象が、世界規模で、日本という国の規模で、また私という小さな単位でもマクロからミクロにおいて起こるのである。そしてその繰り返しの円環は、螺旋を描く。神聖幾何学になぞらえれば、たった一点から無限に広がっていくフラワーオブライフ。その織りなす無数の交点は、すべてつながっている。

「もう走り続けなくていいのです。ゆっくり歩きなさい。ゆっくり歩くことで見えてくる景色を大切にしなさい。」と、聴こえてくる音なき声。それは妙見菩薩の声なのか?私の内側からの声なのか?きっとどちらでもあるのだろう。



巡礼も終わった。さて、どうやって帰ろうか?

心は清々しく、もう少し歩きたかったので、そのまま旧江戸川を遡上することとした。この先には新中川と旧江戸川が合流する地点があり、巨大な今井水門が見えている。

12月8日に、行徳地区の内匠堀跡を辿った。その際に気になりつつもコースを外れてしまうので寄らなかった場所がある。このまま旧江戸川沿いの遊歩道を進んでいけば、川沿いルートからも点と点をつなげられそうである。『青べか物語』にも、浦安から行徳への航路が水夫の恋物語として描かれている。昔の人は行徳まで1時間くらいで歩いたようだ。



今井の渡し跡


行徳河岸跡と湊水神社

その他、見落としていた水門も二か所、無事訪問することができた。これで、川沿いルートも自分の足で歩いて点と点が繋がった。

巡礼の意味って、きっとこういうところにあるのだろう。自分の足で歩くというところが大事なのだ。歩くと時間がゆっくりになる。ゆっくりになると、見落としていた大切なことに気がつくようになる。

私たちはあまりにも時間に追われてきてしまった。早く!早く!と急かされて、もっともっと忙しくなってしまった。もっともっとは、欠乏感を刺激し続ける。私達は幸せになるために走ってきたはずだったのに、気がついたら、崩れんばかりの崖っぷちへの道をまっしぐらに進んでいる。よ~く目をこらせば、細いけれど、通りから支線が延びている。スピードを出して走るには道が踏み固められてはいないけれど、鳥が鳴き、草花が咲き、歌いながら進めそうな小道がカーブを描いて伸びている。

「いち抜けた~!」

メイン道路を脱するきっかけは、きっと人それぞれだ。私は大きな病気だった。今までの価値観だと、不幸な嫌な出来事と解釈するところだが、支線を進む人ならこう言うだろう。

「良かったね~。もう走らなくてよくなるね。これで何が一番大切か見えるようになったね。おめでとう!」と。


さて、現実の話へ戻ろう。

川沿いをこのまま進むかどうするか悩み、グーグルマップで調べたところ、ちょうど6号線方向へまっすぐ進めば東西線行徳駅だった。これは、最適な帰宅ルートだ。

快適な遊歩道とさようならをして、今度は市街地へ入っていく。たまたま内匠堀を辿る旅で寄った押切稲荷神社前を通ることとなったので、境内社の浅間神社へ手を合わせ、「これで無事終わりました。ありがとうございました!」と旅の無事完遂を報告。


社の周囲は黒ボク(富士山の溶岩)が取り囲んでいる。

そのうちの一つにそっと手を当て「今週金曜日に富士山本宮浅間大社へお参りに行ってきます。数々のお導きありがとうございました。」と感謝を述べた。

そういえば、今日だけでも境内社の浅間神社に三箇所もお参りしている。これは意図したわけではなく偶然なのだ。

きっと、この二週間の学びと巡礼の旅は、富士山の神様の元でエネルギ―的に統合成就をするのだろう。それは目に見えない領域での変化なので、私が自覚できることなのかどうか分からないが、目に見えない世界で組まれたスケジュールどおりに、私は歩んでいるのだろう。



このブログを書いている途中、たまたま視聴したYouTube番組で、答え合わせが出来たので、ここに記録しておく。江原さんがこんなことをおっしゃっていた。

「世の中は正と負の法則で成り立つ。バイオリズムはある。悪いことが起こったとしても、そこに意味はある。示唆がある。「いい年だった、悪い年だった」。と人は言うけれど、そういう意味では「すべていい年」になっているもの。どんなことが起きても、ぶら下がらない。しがみつかない。マイナスの出来事の中にかならずプラスの側面がある。「ああ、これで良かったんだ。」と言えるものが転がっている。」

https://www.youtube.com/watch?v=Z9wjtlJdvQk

【緊急】江原啓之が語るメディアの裏側(国分太一、オーラの泉、嘘情報…) - YouTube


あらためて、妙見島と妙見菩薩の謎を追う旅で到達した気づき。(私の言葉をAIがまとめてくれた)祈りの詩を味わって、この最終章を飾ろうと思う。


ああ、これでよかったのだ  
過去の痛みも、孤独の影も  
すべては旅の道しるべ  

一人歩む道に  
魂の笑顔がふと現れ  
懐かしい波動が胸を照らす  

富士の姿は眼前にそびえ  
破壊と再生の円環を映し出す  
涙も、静けさも、祝福のしるし  

妙見の星は螺旋を描き  
宇宙は気づきを重ねて昇る  
その流れの中に、私もある  

ああ、これでよかったのだ  
それでよかったのだよ  
必要な体験だったのだよ  
ありがとう――  

すべてを肯定し  
すべてを抱きしめ  
静かな祈りの中で歩む


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