宇宙会議その後の緩急
一難去ってまた一難
地球メタバース遊園地で言うなら、一難は大切なイベントだ。
それにしても、息継ぎする暇が無い・・・目まぐるしい。
遊園地(ワンサイクルの人生)の終園時間が迫っていて、欲張ってあれもこれも体験したいと詰め込んでいるだろうか。緩急が分かりやすくて笑ってしまう。あたかも体験こぼしが無いかどうか、何なら空いているアトラクションに片っ端から乗ってやろうと、鼻息荒く園内を走り回っているかのようだ。
本日からの投稿は、親しい友への報告と、後から読み返して自分で検証することが出来るようにするための記録となるだろう。
☆宇宙会議その後
魂兄Yさんのアドバイスのおかげで、会議後の私の視野はぐんと広がり、「どんとこいや」という大らかな気持ちに変化した。慣れ親しんだ思考(恐怖ベース)に頼るのではなく、本質から自然に湧き出してくるものを信頼できるようになった。その感覚はYさんが教えてくれた、地のエネルギーを感じて、その流れのままに踊るという話が大きなヒントになった。決められた振付(世間の常識に従う)ではなく、自由にのびのびと踊ることをようやく自分に許した。
思考に頼るなら、傷つくことから自身を守るため、分厚い鎧を着用し、外側からの評価を基準にして、怖いことが起きないようにという思考回路であれこれ対策を練ることとなる。
本質は元々、全体の中で調和しているので、ベストなことしか起こらないようになっている。湧き出してくるものを信頼するだけでいい。その瞬間の肉体脳では全体を見ることは出来ないが、後から俯瞰するなら、「ああ、あれでよかったのだなあ~。」と腑に落とすことが叶う。その時の私にはその体験が必要だった。なるようになっている。魂のカリキュラムを楽しんで受け入れていけばいい。
宇宙会議で得たこと(多面体である真理)として、ほんの一側面を表現する不自由な言葉で記録している。読む人によっては、ほとんど何の意味も持たない。選択している人生体験コースも、人生すごろくの駒を置いている位置もそれぞれ違う。だから私はこの記録を自分の楽しみのために書いている。後から俯瞰して我が人生をニンマリ笑って眺めるためである。よく、死に至る直前の患者に看取り士が質問すると、「もっと好きなことをすればよかった。」と後悔を口にする人がほとんどだと、記事を読んだことがある。永遠の存在である魂は後悔するだろうか。どの人生体験も満足しているはずだ。戻っていく宇宙には祝福しかない。
☆自然に離れていく人の縁
人生ステージを一コマ進めると、今までの人のご縁が一掃されてしまうことがある。これは悲しいことではなく、自然なことである。誰が悪いわけでもない。次なる体験ステージに入ったのだと理解すればいい。義理人情という伝統的美徳からすると抵抗があるだろうが、それはあくまで自我が外側を判断基準にしている反応にすぎない。ここで無理に関係を続けようと努力しても、次々と苦しいことが起こってくる。
前回の投稿で、母と私の魂は共同作業をして一つの学びに達した。おそらく次のステージへ移行したのだろう。その直後分かりやすいことが起きていた。面白かったので書いておく。
月命日の法要を終えて、住職はお寺に帰っていった。その後で、住職の奥様から母に電話がかかってきた。「お布施が足りない。」と。
そんなこと言ってくるお寺さんもあるんだとビックリ仰天であった。
お布施については失礼の無いようにと、母は奥様にしっかり確認していた。またネットで調べ一般的な金額も確認し納得していた。それが1月のことである。母は奥様から言われたとおりの金額を包んで毎回住職にお渡ししていた。母は、一年間は毎月父にお経を聞かせてあげようと決めていた。住職の読経が本当に父の魂の慰めになっているのかは正直よく分からない。私にはそれほど信仰心も無い。ただ、それで母の気持ちが救われるなら好きなようにしたらいいと思っていた。
奥様は、今までの二倍の金額を要求してきた。ネットで調べたら、常識的金額の範囲ではあったがその中で最高金額に該当した。お寺も綺麗ごとだけでは運営できないのだろう。世知辛いものである。急な態度一変の原因は、一周忌法要を今回は北海道の霊園で納骨式に合わせて執り行いたいと、母が電話で相談したからだろうと思われた。今後何十年にも渡る年忌法要の度に入ってくるお布施を見込むからこそ、毎月の法要を良心的金額で設定できていたのであろう。年忌法要をうちでやらないのであれば、割に合わないということだろう。
とても理解できることであるが、母は寂しい気持ちになった。毎月工面しようと思えば出来る金額ではあるが、年金の範囲内でやっていくにはなかなか厳しいのも現実だった。母はこのお寺さんに助けられていた。父の葬儀の際に、葬儀社が手配したのが詐欺師だった。それを見抜いて葬儀社と掛け合ってくれたのが住職の奥様だった。母は心から感謝をし、今後の法事は全てこのお寺にお願いすることに決めた。穏やかな住職であり、お経の声もとても美しかったが、違和感があったのは否めない。住職が教えてくださる宗派のしきたりが、母の価値観に合わなかった。母は自分を曲げられず、住職のアドバイスに従うことは無かった。(例:生花のお供えを、殺生であるという意味で住職は不要とした。母は花の好きな父のために、生花を飾り続けた。どちらの気持ちも尊いと思う。宗派にこだわらなければ正解は無い。)
母と電話で話しながら、「人のご縁が切れる時は、人生ステージが変化した時」ということを思い出した。そのタイミングを迎えた証なのではないか?義理人情一般常識に従うなら、二倍のお布施なんだろう。しかし、理解はできるけれど、何か引っかかるのも正直な気持ちだった。毎月住職が来る度に、このことを思い出して、割り切れない気持ちになる。住職の顔を見ても嬉しくない。そもそも、父の魂を慰めるための読経である。父は嬉しいだろうか?母が浮かない顔で毎回お布施を包む姿を見る方が辛いだろうと思った。
父が亡くなる前までは、父母は自分たちだけで仏壇に向かってお経を上げていた。お寺さんにお願いするのは大きな年忌法要の時だけであり、菩提寺というものは無かった。経本も実家にあるのだし、以前の形に戻せばいいんじゃないの?と母に提案した。父もきっとそれを望んでいるからこそ、今回の出来事が現実化したのだと思った。月命日に家族で集まって、経本を見ながらお経を上げるなら、それがたどたどしくとも、父には一番の供養になると思われた。そう思ったら、母も私もすっきり晴れ晴れとした気持ちになった。きっと父は「もう十分やってもらったよ。これからは自分たちのことにお金を使いなさい。割り切っていいよ。」と伝えたかったのだろうと思った。
そもそも寺の檀家制度に基づく葬儀などは江戸時代以降であり、その伝統に引きずられて成り立っている無数の宗派など、時代に合っていないのは目に見えている。私たちの魂の学びが分離から統合へ、ワンネスへ戻っていくことを目的とするなら、目に見えない世界のあらゆる教えも分離の極みでバラバラであるが故消えざるを得ないものも出てくる。この流れを感覚として捉えているなら、違和感はヒントとなる。自分の内面の反応こそが重要なセンサーとして働いてくれる。
これからは内面の喜びとともに生きていく。これが母と私の共同作業で選択した次なる人生ステージである。
人とのご縁が変化する時、まずは違和感がもたらされる。魂はそれぞれの人生コースで必要な学び(遊び)をしている。今までは同じステージで影響し合っていた。そのための出会いだった。しかし、そこでの学びが完了したなら、次なるステージに別れていく。これはごくごく自然なことだ。小学校を卒業したなら、どんなに親しかった友人も疎遠となり、中学校での新たな友人関係に移行する。それと似ている。違和感を感じる出来事は強烈で悲しい感情を覚えることもあるだろうが、小学校の卒業式セレモニーであると思えばいい。別に相手が悪いわけでもない。今までの学びに感謝して、自分の選択した道を進むのみである。体験したいことも学びたいこともそれぞれであることが分かっていれば、どちらも尊重することができる。そして自分の人生は、自分が責任を持って体験していくのだ。
☆義理の父急変
5月23日
休暇を取ってくれた夫と久しぶりに一時間ほどドライブをし、牧場へ遊びに行った。
1月から怒涛の日々を過ごしていた。父の死があり、親しい仲間との別れがあり、新しい仕事を始め、コロナに罹り、家族間のトラブルが発生し・・・・
22日に一段落したところだ。学びと気づきを得て、次なるステージへの扉を開き、清々しい心境になっていた。広大な緑と花々、飛び交うモンシロチョウを眺めながら、夫とまったり珈琲を飲んだ。ああ、自然はいい。心身癒される。こんなに落ち着いてゆっくり過ごせるのは半年ぶりくらいだろうか。
ところがどっこい、そうは問屋は卸さなかった。夫と私の魂は新たなステージで待ちきれず、次なるアトラクションにバタバタと乗り込んでしまったようだ。おいおい、ちょっと休憩しようよ・・・と自我意識は抵抗したと思うが、これが魂の傾向なのだろう。諦めるしかない。
束の間の休息は、義理の父の入所施設からの電話で終了となった。
85歳の夫の父は、二か月ほど前、車で二時間ほど離れた施設に入所しお世話になっていた。ゴールデンウィーク中に肺炎となり、施設で点滴治療をしていた。今朝、状態が急変し、救急車で病院へ運ばれることになったと言う。
その後、状況を知らせる電話が夫の携帯に入り続けた。
命のことは神のみぞ知ることだから、なんとも言えないのだが、医師が予測するなら、もう意識が戻ることは無いということだった。このまま水分補給の点滴をするなら二週間の命。鼻から管を通して栄養を流し込むなら一か月から数か月。いずれにしても多くは誤嚥性肺炎が原因で亡くなっていくのだそうだ。なんだか、私の父の状況にとても似ていた。私の父も一か月臨死期状態を続け、死亡診断書の死因は誤嚥性肺炎と書かれていた。
その日、夫は帰宅してから出来ることは全て行動した。夜はよく眠れなかったようだが、今出来ることはもう何もないので、割り切るしかなかった。
「あの電話の知らせを、牧場に居る時に受け取れてよかった。自然や動物に癒されている時だったから、自分にはとても良かった。」と夫は帰宅してから何度か口にした。
私たちは、何の意図もなく気ままに牧場へ出かけたのだが、結果的に重い現実を受け止める夫のショックを和らげるよう、宇宙が采配してくれたのかもしれない。その現実を「運が悪い」ではなく「運がいい」と感謝して受け入れる夫が眩しかった。
これからどのように展開していくのか分からないが、すべてうまくいくようになっているので、流れのままに体験していこうと思う。
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