電話帳は役に立つ

 そう言えば、電話帳って最近見なくなった。

携帯電話が普及する前は、街のいたるところに公衆電話が設置されていて、分厚い電話帳が2~3冊置かれていた。家にも定期的に配布され、邪魔物扱いされていたのも懐かしい。

個人情報を気にする世代の影響か、電話帳に掲載を希望する人は激減。電話番号サービスは継続されているが、ネット上でハローページの情報は公開されていない。

電子電話帳『写録宝夢巣』(しゃーろっくほーむず)という苗字を全国単位で検索するソフトなら販売されている。全国的苗字の分布、順位、県市町村単位での住所氏名電話番号苗字ランキング、フルネームでの検索が可能。2000年ごろのものが最も収録数が多い。家系図づくりの業者は、このソフトを活用しているようだ。

さて、久々に、電話帳の恩恵を被った出来事があったので、書いておこう。電話帳はまだまだ、充分に役に立つこともある。


〇3月2日(土)

◯◯市立図書館よりメールが届いた。

 明治30年当時の村の番地が判明した場合、 現在の市のどこの住所にあたるのかを調べるには どのようにしたらよいでしょうか。」という私の質問に対し

「図書館では、新旧の地図を比較して調査します。その年代は絵図になり、山や川などを目安にして現在場所に当りをつけるという方法になるかと思います。

今回の場合、6つの村が合併して△村となったようなので元々はいずれかに所在されていたと思われます。

当館では古文書で6つの村の絵図を所蔵しておりますので、どちらの村のどの場所かがわかれば、もしかしたらこちらで再度調査できるかもしれません。

はっきりとしたお返事ができませんが、またご質問がありましたらご連絡ください。」

と、丁寧な解答をいただいた。


〇3月4日(月)

行き詰まっていた。今日も調査を続行したいが、動きようが無い。

まだ、市役所から、曾祖父の除籍謄本が届かない。入植前の地名が記されていたとしても合併後の村の名になっているから、図書館が知らせてくれた6つの村名までは分からないだろう。それとも字名などで、当たりをつけられるんだろうか。

朝から、悶々としていた。今日、何かしたいんだけどな~。どうしたらいいかな~。

ふと、「電話帳で調べてみたらいいんじゃないの?」と閃いた。突然の閃きである。我が家の苗字は、市内でそんなに多くないはずだ。

月曜日なので、近所の図書館は休館。区内の中央図書館なら開館している。早速電話をかけてみた。図書館なら、全国の電話帳が置いてあるはずだ。思った通り、ハローページがあり、電話応対してくれたスタッフさんが、親切にその市内の該当苗字を調べてくれた。

スタッフ「5件ありますが、住所は分かりますか?」

私「古い村名しか分からないんです。今は合併して変わってるはずです。その5件の中に親戚がいるはずなのです。」

スタッフ「(苦笑している様子・・)今から図書館に来られますか?実際に見てもらえれば。レファレンスカウンターに取り置きしておきますので。」と親切に言ってくれたので、早速出向くことにした。

電車とバスを乗り継いで、約1時間の距離だ。ワクワクしていた。こういう調査大好きだ。

ちなみに、一週間前にも、この図書館を訪問していた。4月からのアルバイトの面接を受けていたのだった。今回のこともあり、何だかご縁がありそうだ。合格すれば、この交通ルートで通勤することになるんだな~。と勝手なイメージを膨らませた。9割くらいの確率で、面接に受かるような気がしていた。

レファレンスカウンターで電話帳を受け取り、該当頁をコピーさせてもらった。5件のうち3件が「〇〇〇町」という住所になっていた。もしや、こちらが遠い親戚か?

ついでに、県道路地図で、その地域の地図もコピーして、ほくほくしながら帰途についた。大収穫だ。『〇〇〇町史』は国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能である。帰ったら早速確認してみよう。帰りがけに、図書館のすぐ近くにあるお惣菜屋さんで夕飯のおかずを買った。バイトが決まったら、このお惣菜屋さんも頻繁に利用することになるかもしれないと思いつつ。脳天気な私だった。

帰宅すると、郵便受けに図書館からの封書が届いていた。面接結果通知である。手にしてみると、中身が薄い。紙1枚しか入っていないのが明らかだ。嫌な予感がした。合格なら、もう少し封筒が重いはずである。

恐る恐る、封筒を開けてみた。不合格だった・・・・。やっぱり、というのと、え~?どうして?という気持ちが混ざり合った。まあ、ご縁が無かったのだから仕方ない。私の人生で図書館で働くという経験はもう不要ということだ。その執着を自分に分からせるための、ちょっとした遠回りだったのだろう。それにしても、奇跡的なシンクロ続きで、応募から面接までの流れもすごく良かったのに。あれはいったい何だったのだろう?単に迷走していただけだったのだろうか。おかしいな~。

かなりがっかりしたが、落ち込むのは後回しだ。『〇〇〇町史』が気になる。

早速、パソコンで国会図書館デジタルコレクションサイトにログインし、資料を読み始めた。

〇壬申戸籍

『戸籍法』が誕生したのは明治4年のことである。明治5年には日本で初の戸籍『壬申戸籍』が作られた。現在は法務局の指令により、公開禁止となっている。私たちが取得できる一番古い戸籍は『明治19年式』である。それも地域によっては既に廃棄されているところもあるので、先祖のことが気になる方は、まずは動いたほうがいい。直系であれば、郵送でも取得できる。

それが、何と!『〇〇〇町史』に、旧〇〇〇村民の明治5年式戸籍(壬申戸籍)の内容が、掲載されていたのだった!嘘でしょ?編集委員の皆さま、ありがとうございます!

この町史が発行されたのが1969年なので、まだ壬申戸籍は普通に誰でも閲覧可能な、おおらかな時代だったのだろう。きっと悪用するような人なんて、あまりいなかった時代なのだろう。(注:差別の要因となる身分関連についての項目はもちろん省略されている)

ドキドキしながら、壬申戸籍の項目に目を通した。

あった!曾祖父の名前も、実兄の名も、しっかり記されていた。つながった・・・・。曾祖父の故郷は、現在の〇〇〇だったんだ。ああ~、電話帳に、NTTに、心から感謝。面接が不合格になったダメージをすっかり忘れ、喜びの気持ちでいっぱいになった。

壬申戸籍には、次の項目の記載がある。

〇生業 〇屋敷番号 〇戸主氏名 〇父の名 〇妻の名 〇家族 〇手次寺 〇社

おかげで、一足飛びに、高祖父より上(6代前)の名まで分かってしまった。どうやら、電話帳に記されていた3件は、この6代前に分家に分かれていたようである。6代前は兄弟関係だったのかもしれない。高祖父からの血筋は、〇〇〇町では途絶えてしまったようである。皮肉なことだが、明治30年以降、故郷を脱し北海道へ移住した方の血筋が、連綿と今に続き、7代目(姉の子)まで誕生させているのである。

生き延びるための苦渋の選択であったことだろうが、曾祖父の勇気ある決断のおかげで、私がこの世に誕生し、平和な世を謳歌できている。人生の分岐点での行動が、その後の子孫まで多大な影響を与えることに思い至り、心が震えた。

ひとつの命が、どれだけの奇跡の積み重ねで存在しているのか。一人の人生にはいろんなことが起こる。(面接にも落ちる!)けれど、既に生きているというだけで、大成功なんだ。これって本当に凄いことなんだ。「私」という存在は、奇跡そのものなんだ。という大いなる気づきに至った。有難くて涙が出た。

早速、エクセルで作図していた家系図に、6代前の先祖の名前を追記した。まさか、ここまで辿れるなんて、思いもよらなかった。


ウィキペディア:「続柄」より図を拝借


〇手次寺

もう一つの収穫は「手次寺」が判明したことだ。

「手次寺」:昔は宗門人別帳と言って、家族全員の名と生年月日を書き連ねて、「以上のものはキリスト教の信者ではなく、どの宗派のどの寺の門徒に相違ない」旨の報告を、毎年提出していた。更に遠方に旅行に出るにも、奉公に行くにも寺の証明が必要だったので、寺が戸籍事務をとっていた。

つまり、日本人なら、江戸時代から明治にかけてどこかの寺の門徒とされていた。今で言う住民登録のようなものだろう。

曾祖父の手次寺は、現在の◯◯にある古刹だ。ネットで住所も判明した。この寺に間違いなく、直系のご先祖様の名が記された宗門人別帳及び過去帳が存在するのである。江戸時代のことを知りたければ、寺の資料を頼るしか方法は無い。

しかし「先祖の名を調べてほしい。」と寺に申し出たところで、一般的には断られるのがオチだ。門徒の数は相当あるだろうし、過去帳は命日順に書き記されているから、該当者を探し出すのも一苦労だ。また、明治以前は、村中に同じ名前を付けられた子どもが山ほど居た。ちなみに壬申戸籍を見ると、私の曾祖父と同姓同名が3名もいた。父親の名をそのまま子に引き継がれるのも当たり前(歌舞伎役者みたいに)なので、どの世代の〇〇さんなのか、特定する必要がある。村では、個人を識別するのに、「呼び名」というものが別に使われていた。

あまりに労力がかかりすぎること、昨今の個人情報保護重視の関係もあって、そう簡単には寺の資料を調査してもらうことは出来ない。よほど、代々その寺と懇意にしている熱心な檀家が親戚の中に存在し、住職と信頼関係が構築されており、本家の代表が口利きしてくれてようやく住職が動いてくれることだろう。もちろん、相応のお礼も包むことになる。

ううむ・・・行き詰った。

とりあえず、そのお寺に手紙を書いてみることにした。まずは、高祖父のお墓まりをしたいので、お墓は現在もありますか?という質問をしてみようと思っている。はて、手次寺と墓所はそもそも同じなのだろうか。別なような気もする。

曾祖父の伝記が出来上がったら、ゆかりの地域を訪問し、先祖代々の墓が残っているなら、手を合わせてきたいと思う。旅行は、今年中には実現させたい。夫は既に、宿泊するホテルまで調べてくれた。

また、江戸時代の宗門人別帳は、郷土博物館が調査研究をしている可能性もある。そちら方面でも調べてみようと思っている。

〇一日を終えて

いろんな収穫があった一日だった。やっぱり、閃きを無視せずに動くって大事だ。時々間違うこともあるけど、遠回りにだって何かの意味があるはずだ。思考では何も理解できなくても、魂の私は全て分かっていて、必要な体験に導いてくれているはずだから。本質の自分からのメッセージを信頼しよう。

そしてようやく・・・

今日やるべきことを終えてから、

面接に不合格になったことを思い出して、落ち込んだのは言うまでもない。( ´艸`)




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