道開きエネルギー

 もしかして、ご先祖様の道開きが行われたのではないか?とひしひし感じる出来事が起きていたので、書いておこう。

事の発端は、昨年秋頃。現在働いている図書館のバイトが3月で終了することとなった。組織側の運営方針が変更になり、バイトが一掃されることになったのだ。当時のブログにも少し書いていたが、「私は、ここの仕事から離れることになるだろう・・」という直観は既に来ており、その直後に、バイト一掃宣言がなされたので、これも宇宙の流れなのだろうと感じていた。つまり、私の魂の成長に合わせて、外側の体験場所も変化させる必要があるということだ。「ここでの学びは終了!卒業おめでとう!さあ、次行ってみよう~。」と言うこと。

きっと、私に最適の働く場所がもたらされるのだろうから、大丈夫だ。という根拠の無い自信も感じていたので、あまり慌てずに日々を過ごしていた。思考が優位になると、先が見えなくて不安にかられることも正直あったが、奥深いところでは絶対的安心感があった。「なんとかなるさ~。今までだって全部何とかなってきたでしょ?だから大丈夫なんだって。」という、理屈ではない、不思議な感覚だ。

夫や姉は、そんな私を心配して役所の事務補助員や、派遣会社の登録を勧めてきた。「とりあえず、登録だけしておけ。紹介された仕事が気に入らなければ断ればいいんだから。登録しないことには、仕事も来ないだろう?」と。確かにそうなのだが、私はずっと気が乗らず、バイト探しは放置したままだった。動こうとすると、ものすごく嫌~な気持ちになって感情が荒れてくるので、そこに触れないようにしてきた。とにかく、今は動く時期ではないと、その感覚に素直に従っていたわけだ。

さて、ここからが、道開きのプロセスに入る。後になり、全部つながってくるのだが、渦中にいるときは、バラバラに出来事は起きていて、関連性に気が付けていない。

☆ステップ1【父への弔慰金】

2月7日(水)午前

夫が所属する労働組合から、弔慰金が出ることになった。その手続きに親子関係を証明する戸籍謄本が必要となった。そこで、夫は区民事務所へ戸籍謄本を取りに行った。戸籍謄本を取るなんて、滅多にないことだから、私も興味津々だった。そしてふと思ったのだ。明日は実家に行く予定があるので、ついでに父の古い戸籍謄本を取ってみようと。何かの手続きに必要なわけではないが、何となく直系血族について知りたくなったのだ。この機会に調べてみようという気持ちが湧いてきたのだった。

☆ステップ2【派遣会社の登録】

2月7日(水)午後

この日夫は仕事を休んでいたので、ずっと避けてきた派遣会社のネットでの登録をしようと誘ってきた。いつかやらなきゃいけないという思いもあったので、しぶしぶ、夫にほとんど入力してもらいながら、細かい登録していった。この作業をやっていると、どんどん精神面が荒れてきて、とうとう私はイライラを爆発させてしまった。1時間ほどかけて、個人情報や顔写真など入力できたのはいいが、夫と怒鳴り合いの大喧嘩にまで発展。ああ、このイライラは何なのだろう。派遣会社に登録しておけば、幅広く条件に合った求人情報がメールで送られてくるということなので、確かに効率的なのだけど。私の内面は嵐のように荒れ狂い抵抗していた。「違う!違う!そうじゃない!」と。

☆ステップ3【改正原戸籍を取る】

2月8日(木)

父がお世話になった施設や病院の挨拶周りをしてから実家のある地域の市役所へ。現行戸籍(電算化により改正されているもの)の前の古い戸籍を取った。

縦書きで、私や姉が婚姻して✖がつけられていたり、実母の死亡日や、今の母の婚姻。各々の出生場所、祖父の本籍地までいろいろ分かるので面白い。私たち家族の正式な歴史書である。なんだか嬉しくて、しみじみと眺める。私の知らない祖先の足跡が、垣間見られる気がしてくる。

*ちなみに、明治5年に壬申戸籍というものが作られるようになり、それ以降、すべての日本人が戸籍に記載されるよう法に定められた。除籍謄本の保存は150年と定められている。明治以前のご先祖のことを知りたいなら、菩提寺の過去帳や地域の図書館、郷土資料館、教育委員会が保管している史料に当たるという方法もある。


☆ステップ4【除籍謄本の郵送請求】

2月9日(金)早朝

明け方、布団の中でうとうとしながら、「そうだ!やっぱりこの機会だから、自分で家系図を作ろう。」という熱い気持ちが湧き上がって、もう寝ていられなくなり、ガバっと跳ね起きた。

昨日市役所で取得した改正原戸籍には、父と実母の婚姻前本籍が記載されている。(つまり、祖父が筆頭者の戸籍)そこは、北海道のA市とK市だ。それぞれの市のホームページから申請書をダウンロードし、項目に書き入れていく。筆頭者の欄に、祖父の氏名を書き入れた時、「私、生まれて初めて、おじいちゃんの名前を書いたかもしれない。」と、ちょっと感動した。私の血縁につながるご先祖様たちが、「思い出してくれて、ありがとう!」と伝えてきているような、あたたかい感覚に包まれた。

除籍謄本は750円なので、郵便局で定額小為替というものを購入し、同封。さあ、2~3週間待てば、それぞれの謄本が郵送されてくるだろう。父方、母方のご先祖の本籍も判明する。かろうじて、曾祖父母の戸籍が役所に残っているかどうかだが、今放っておくと、血縁の歴史がいずれ無くなってしまうだろう。今、知ろうとするのは、タイミング的にもとても良いのではないかと思われた。

この作業をしていると、とても楽しい気持ちになってくる。「私、家系図づくりの仕事始めようかな?」とつい冗談を口走ってしまった。そんな会社があったら、バイトしてみてもいいなあと思ったのだ。出張費もらって、クライアントの先祖を辿るために、郷土資料館や図書館を訪問する旅。なかなか面白そうではないか。

*森鴎外『渋江抽斎』という本が、先祖を調べていく過程がよく描かれていて、面白いらしい。早速図書館に予約してみた。


☆ステップ5【役所にバイトの名簿登録】

2月9日(金)午前

昨日、大喧嘩しながらやっとの思いで登録した派遣会社から、早速メールが届いていた。登録規約をあらためて眺めてみると、紹介料が結構かかることが判明。(中間搾取?)給料からその分天引きされてしまうなら、自力でバイト先を探した方がいい気がしてきた。

役所は30年正職員として勤務して、酸いも甘いも経験し尽くした。何度も大きな病気にかかりながら、何とか30年の節目を迎えた自分を褒めたい。もう役所の体験はやりたくない。どうせバイトするなら新しいことに挑戦したい。そうは思うが、つい、慣れ親しんだ古巣へ戻ろうとしてしまうのは、慣性の法則なのだろうか。変化が怖いのだと思う。流れにのせられたかのごとく、役所に面会の予約を入れ、ババッと申込書(履歴書)を書きあげ、バス停まで全速力で走ってバスに飛び乗った。心臓がバクバクして、ぜいぜいと荒い呼吸をしながら、何とか予約時間に間に合わせたのだった。

この数か月ずっと言い訳を探しながら、まったく行動に移せなかったのに、我ながら今日の行動力は何なの?とわけが分からなくなった。目に見えない力に誘導されるかのごとく、グイグイと先に進まされている感覚。私、動かない時は徹底して何もしないけど、決して怠惰なだけではない。動く時は動くのだ。そのタイミングかそうでないか。それだけの違いだ。今、まさに、動くタイミングなのだと奥深いところの私が伝えてくる。「今だ!行け~!」と。

バスに乗っている時に、ふと、最後の職場でお世話になった上司Yさんのことを思い出した。Yさんは、私の同期でもあった。Yさんは、退職後の私のバイト先のことで心配してくださり、いくつか紹介してくれたこともあった。結局は近所の図書館に落ち着いたのでお断りしたのだが、「Yさんはいい人だったな~。もし、Yさんが働いている職場で空きがあればいいのになあ。」とちらっと思った。今Yさんは、どこで仕事しているのだろう?あれから3年経つ。きっと異動しているだろう。久々にLINEしてみようかな?と、漠然と思った。

(ふと思い出すことに、ちゃんと意味があることが、後で判明する。潜在意識はすべてわかっている。)

さて、事務補助員名簿登録をさせてもらい、人事課の職員さんから説明を受けた。私の条件に合う部署から、携帯電話に都度連絡が入るらしい。ただ、社会保険の扶養の範囲内と希望していたため、「その条件ですと、あまり求人は無いと思います。あるとしても短期集中で、かなりハードな業務になります。」とのこと。コツコツと部屋で静かに作業するような業務は大人気なので、既に埋まっているようだ。求人が出されるのは、最低賃金に見合わないようなものばかりのようだ。私の甘い期待は裏切られた。役所の業務はだいたいわかっている。あの心身を削るような業務を今度はバイトの身分でやるだけのこと。やっぱり、仕事するって、大変なんだなあ~。と思い知らされたのだった。

そうなると、図書館の事務補助員の仕事は、私の適正にもバッチリ合っていたし、本当に恵まれた仕事についていたのだなあと、しみじみ思い知らされた。失ってみないと、大切さが分からないだなんて、私って、本当に救いようがない、我儘な生き物だ。

☆ステップ6【図書館のホームページに誘われる】

2月9日(金)午後

さて、役所から帰宅。すっかり疲れ切っていたため、缶ビールを飲みながら、ぼんやりと過ごした。頭がうまく働かないまま、しばらくぼ~としていたところ、ふと「そうだ!家系図の作り方の本を図書館に予約してみよう!」と思いついた。家系図をエクセルなどで手づくりするのも、表示には一定のルールがあるようだった。例えば配偶者は二重線で結ぶなど。

図書館のホームページで資料検索をして、数冊予約を入れた。明日には窓口で受け取れるだろう。

家系図のことを考えると、わくわくと楽しい気持ちになる。ご先祖様の名前それ自体に、子孫を守り導くようなパワーを感じるのは私だけだろうか?なんだか、とてもあたたかい(熱い?)気持ちが湧き上がってくるのだ。きっと子孫を一生懸命応援してくれているエネルギーとリンクするのだろう。

図書館のホームページにアクセスして予約入力をするのは、いつもはスマホを使っていた。この日は、たまたま机上にパソコンを出していたので(事務補助員申込書を朝入力していたから)珍しく、パソコンから予約入力をしたのだった。

パソコンだから、スマホと違って画面が大きい。情報も見やすい。そのため、いつもは全然目にしないホームページのトップ画面が否応なしに目に入ってきた。そこに新着情報が並んでいて、目立つ位置に、前日の投稿で「図書館の事務補助員募集中!」という見出しがあった。

え?

思わず目を疑った。

確か、図書館の運営方針の変更で、バイト(つまり事務補助員)は一掃されるとのことだった。だから、私はこのようにバイト探しに奔走していた次第だ。どういうこと?方針変更?こういうの、誰も知らせてくれないものなの?

そのタイトルをクリックして内容を確認した。区内に十数か所ある図書館のうち、二か所だけ事務補助員を募集しているとのことだった。場所は遠くなるけど、今と同じ条件でバイトできるならありがたい。

締め切りは一週間後だ。慌てて申込書を印刷し、ガリガリ記入して写真を貼って、(朝、同じような作業を一度やっているから、スムーズにできた♡)バタバタと郵便局に出しに行った。念のため速達扱いにしてもらった。

さりげなく、今のバイト先の職員さんにLINEして確認してみたところ、「え?そうなの?事務補助員はもう募集しないって聞いてたんだけど。募集しているんだ~。ビックリ!」と寝耳に水だった様子。私がたまたまホームページを見て、最新情報をゲットできたということだが、自力でこの情報にたどり着けたような気がしない。どうも、2月7日以降の流れがすべて、目に見えない力の働きを感じざるを得ないのだ。あれが無ければこれも起こらなかった。という奇跡の積み重ねが、私をこの情報まで導いた。ずいぶん遠回りのようだが、私が「当たり前は奇跡で成り立っているということに気づき、体験に感謝する。」という学びに達するためには、すべて必要なプロセスだったのだろう。一旦、大切なものを失うという体験をしなければ、私はその価値に気づくことが出来なかった。

夫が図書館の職員名簿を調べてくれたところ、何と、今回募集対象になった2か所の図書館のうちのひとつ、O図書館の館長が上述のYさん(元上司で同期)であることも判明。ああ、だから午前中にバスの中で、ふとYさんのこと思い出していたんだ。ご縁があるということなんじゃないだろうか。もしかしたらまたYさんと一緒に働くことが出来るかもしれない。そう思うと、ワクワクの気持ちがさらに高まった。O図書館に自転車通勤してる自分の姿がリアルにイメージできた。

面接は2月25日あたりになるようだ。合格するかどうか正直不安もあるが、きっと大丈夫!という楽観的な気持ちもある。

☆全部つながっている

この三日間の流れを書いてみた。

目に見えない世界からのサポートなので、あくまで私の想像でしかないのだが

一連の仕事探しの流れに裏リズムを刻んでいるのが、「家系図づくり=祖先の名を調べる」という行動だ。実際に行動を開始すると、物事の滞りがスウッと解消されて、エネルギーの流れがスムーズになったような体感があった。気持ちがいいくらい、次なる行動に促されていく。私はそれに乗っかっていればいい。

流れに乗るためのポイントは

・タイミングが来るのを待つ

・思いを明確にする

・タイミングが来たら、即行動する

の三本柱ではないかと思う。

私は、夫に熱く語った。

「これ、思っただけでもダメなんだよ。実際に行動することが大事なんだ。その行動が失敗でもいいの。結果がうまくいかなくてもかまわない。実際に行動することで、エネルギーが動く。そうすると、パラレル(未来の可能性)がぐんと広がる。その広がった選択肢の中から、自分が心地よい道を選んで進んでいけばいいんだ。」と。

そういえば、ユーチューブ番組で開運マスター桜庭露樹さんが以前こんなことを言っていた記憶がある。「最高の開運法は、家系図を作ることとお墓参り。」と。これを素直に実行した視聴者の何人かが「人生が好転した。」と、喜びの声を寄せていたことを思い出した。

ご先祖様に想いを馳せることは、ご先祖様のエネルギーとつながることにもなる。エネルギーをつなげるための鍵が、俗名(生前の氏名)を唱える(書く、意識する)ことなのではないだろうか。エネルギーがつながれば、ご先祖様も思いっきり子孫を応援することが出来る仕組みになっているのではないかと推測する。

目に見えない存在は、どんなに手助けしたくても、相手の魂の成長を考えると、見守ることしか出来ない立場でもある。それでも、人の力ではどうにもならないような事態が起これば、目に見えない采配で、最適なご縁つなぎをしてくれているのではないかと思う。偶然必要な人物に再会するとか、ふと思い出させるとか、久しぶりに電話が来るとか、ふと目にした文字情報とか、耳に入ってきた音声とか。。。。目立たず、出すぎない範囲内で、偶然を装って、そっとサポートしてくれている。

そんな時、可愛い子孫が、自分(祖父や曾祖父など)の名を思い出してくれたら、すごく嬉しいんじゃないかなと思う。「思い出してくれてありがとう!」という気持ちになっているのではないだろうか。

こういう思いのやり取りが、なんだか胸の奥があたたかく感じられたとか、何かに包まれているような安心した気持ちになったという体感に通じるのではないか。

この先、どうなるのか私には分からない。

しかし、大きなエネルギーに促されるように行動した3日間をありがたく思っている。ここに魂の学びがふんだんに盛り込まれていたからだ。

魂の学びという観点から眺めれば、どんな出来事も最善最適最高なのだ。その体験をしなければ私は学べなかったということなのだ。思考が想定できる成功など、ほんの小さな狭い価値観から見た判断にすぎない。物質次元の幸せ≠魂の望み ということだ。この食い違いに自我は振り回されて一喜一憂してしまうのだが、魂は実は満足しているのかもしれない。

ご先祖様の見守りとサポートについて書いたが、人によっては、ご先祖様を宇宙源とか創造主とか、神などという表現をしてもよいのだと思う。

「いろんな体験をしてきてね!」

というのが、宇宙源の私たちへのメッセージである。

光も闇も、自分自身を知るために創造した設定でしかない。光は光の中にいれば、自分の輝きや美しさが分からない。だからわざわざ闇(自分にとって最悪なことをしてくる誰か)という配役を外側に設定して、自分の光を思い出すという体験を可能にしている。

闇(最悪な相手)も、元々は同じ輝く光である。そのことを思い出してね。ということなのだ。

元々はひとつなのだから、ただ思い出せばいい。

一旦、忘れて、だんだん思い出していく。そのプロセスにこそ、宇宙源の喜びがある。




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