戒名シンクロニシティ

 ☆戒名の癒しの力

私は戒名の字数にお金を積むことには否定的だった。

ところが、そんな疑念はいとも簡単に翻ってしまった。やはり、父の戒名(浄土真宗では法名という)は、6文字にして良かったと心から思うようになった。宇宙の流れは、必要な出来事しか起こさないのだと痛感する出来事だった。

母は、D寺から、「法名に入れてほしい字があったら、いつでも知らせてください。」と言われていた。

浄土真宗の法名は一般的には3文字なので、生前の名の字を一文字入れるのみである。ところが、母は追加のお布施を包んでまでも、6文字にこだわった。主な理由は、父の兄の字数とそろえてあげたいという思いからきていた。6文字もあるので、結果的に、人柄を表す漢字も入れられることになった。表現の幅が広がった。

母は「夫は、いつも穏やかで笑顔の素敵な優しい人でした。笑顔を表すように「笑」という字は入れられますか?」とD寺に提案したそうだ。(法名に「笑」が入ったら、まるで落語家だ。と心の中で突っ込みたい。。。)

D寺は、「その字は仏教的に使えるかどうかわかりませんが、その意味を表す漢字を考えてみます。」と好意的な回答があったとか。

さて、葬儀当日。儀式前の僧侶との打ち合わせで、母は初めて父の法名を知ることとなった。母は、その法名を見て、思わず微笑んだ。ふわっと優しくあたたかい気持ちになるような、命の宿った6文字が並んでいた。

父の俗名は「智」である。

D寺が用意してくださった法名は

「陽和院釋智温」(ようわいんしゃくちおん)

6文字に、いつも周りを癒し、ほっこり和ませる笑顔と穏やかな人柄が、美しく表現されていた。

D寺は、父の笑顔を「陽」に、温かい人柄を「温」に、そしてそれらが調和をもたらしていたことを「和」に表現してくださった。この6文字から、父そのもののあたたかなエネルギーが伝わってくるようだった。そのエネルギーは、母の癒しになるだけでなく、法名を見る人の意識の次元までも引き上げてくれるような不思議な力を宿していた。

母は感動して「ああ、とてもいい法名だわ。眺めるだけで、なんだか心がほっとして温まってくる。自然に笑顔になってしまうわ。」と言った。

私は、母のこの様子を見て、「戒名ビジネス」と揶揄していたことを反省した。戒名は、決して、見栄だけでつけられる形骸化したしきたりなどではなかった。正式な僧侶がつけてくださる戒名は、一字一字が故人の魂の音を拾い、その生涯をかけて果たした役割(天命)をこの世に目に見える形で残してくれる、芸術作品の一つのようにも感じられた。

そして、父の魂は、この世に残していく母のために、心から6文字の法名を望んだのだ。それは、決して見栄のためではなかった。この法名は、母が別離の悲しみから元気をなくしてしまうような時期も、この法名を目にするだけで、癒され、陽だまりのようなぬくもりを感じさせる。父の笑顔を思い出すたびに、前向きに生きていけるお守りになるのだと確信した。母の残りの余生を最後まで見守り支えたいという、父の大きな愛の表現だったのだ。父の魂は、D寺の住職のお力を借りて、その望みをこの世に現実化させた。

そうなると・・・・

私たち家族は、最初は、D寺のことなどまったく意識していなかったので、ご縁のつながりようが無かったわけである。父の魂は、苦肉の策で、お坊さん詐欺師Kの協力を得て、なんとかD寺と母のご縁結びが成就するよう画策したのではないか。悪役とは、誰かを目覚めさせ、魂意識をレベルアップさせるために不可欠な、宇宙視点から見れば、大きな愛の働きの一側面と言えるのかもしれない。本来、善人も悪人もいないということが理解できる。すべてがかけがえのないご縁であり、そこから何に気づいて、何を学び、どう行動していくのかということが、各々の魂に課せられた地球カリキュラムなのであろう。

D寺住職は、私と同年代か、やや年下かもしれない。しかし、とても穏やかで静かで上品な人柄が醸し出されており、魂年齢の高さを感じさせる立派な僧侶だ。お経は、音一つひとつを魂を込めて発音されており、こんなに丁寧にお経を唱える僧侶には初めて出会ったように思う。何を質問しても丁寧に答えてくださるので、母はすっかり住職の大フアンとなってしまった。「あまりに素敵なので、お母さん、恋してしまいそうだわ。」と冗談を言うほどであった。既にD寺奥様とは、電話でなんでも相談できる懇意の仲になっている。「お父さんのおかげで、こんな素敵なご縁が実現できたのだわ。ありがたいわ。Kにも、ちょっぴり感謝だわね。」と母は、何度も愉快そうに語るのだった。

ちなみに・・・・

父の法名の「陽」の字は、私の名の文字と同じである。これは偶然であり、住職は次女の名に「陽」が入っているとご存知なかった。こういう不思議なシンクロが起こるのは、既に目に見えない存在の采配であることの証であろう。

父はいつも周りに感謝して、ニコニコと優しい笑顔で人に接していた。存在だけで、その場を癒し、穏やかな人柄が周りから愛された。

父は大きな社会貢献をしたわけではない。普通に生きた普通の人間である。だから、戒名は3文字でいい。と私は思い込んでいた。

その存在だけで、周りをあたため、癒すという役割を担って89年間生きてきたのだとすれば、それは立派な社会貢献であり、ご縁のあった方々を笑顔にしてきたのだとすれば、充分に6文字に値すると、今更ではあるが、思いなおした。

そして、その魂の役割を表現する字「陽」を私が名乗っているということは、父の役割を私が引き継いでいくということを示されたのかもしれないと思った。

戒名の世界は深い。天命にまで思いを馳せることができるなんて、想像の範囲を超えていた。

父の葬儀を通して、人としていろいろ学んだことを、これからも大切にしていきたいと思う。


昨日1月30日

とどこおりなく、父の葬儀を終えることができました。

怒涛の一週間でした。一時はすべての儀式を諦めて、火葬のみにすることまで考えました。しかし、たくさんの方々とのご縁に助けられ、最終的には、心あたたまる、愛あふれる式を執り行うことができました。

父に届けられた色とりどりの花々を、お棺の中に入れました。お棺に入り切らないほどの美しい花々に囲まれて、まるで父は花園にダイブして、顔だけぽっかり出しているように愛らしく見えました。

父の顔は、まるで天女のようで、あまりにも無垢で清らかな美しさでした。

全ての煩悩を手放した肉体は、最後の一日に、そのお顔の表情を通して、本質の魂の存在とは、すべてこのように美しいものなのだと教えてくれているようでした。

父の魂は、空にのぼっていきました。

昨日は、1月には珍しい、3月の陽気となり、まるで父そのもののような、穏やかなあたたかい天気に恵まれました。

火葬場からの帰りの車から空を見上げると、龍や鳳凰や天使の羽のような美しい雲が空一面にたなびいて、私たちの家族の車を先導しているかのようでした。

父は、あの大好きな歌のように「千の風になって あの大きな空を ふきわたって」いたのかもしれません。

このたびの一連の出来事について

お力を貸してくださったり、心あたたまるお手紙を送ってくださったり、遠く離れていても愛を送ってくださったすべての方々に

父になりかわりまして、心より御礼を申し上げます。

ありがとうございました。



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