葬儀ビジネスの闇③~未来の葬儀
1月27日
☆父の帰宅
母から連絡あり。父が一時的に自宅に帰ることとなった。
29日に湯灌をするために、父は車で一時間離れたところにある葬儀社の支社(一時保管場所)から明日移送されてくる。通常は真っすぐ儀式殿に向かうところ、少し遠回りルートになるが、実家の駐車場に5分間停車してくれるという。その際、お顔も見られるそうだ。父の肉体は8か月ぶりに家に帰ることとなる。(父の魂は既に自由に飛び回っていると思うので、あくまで目に見える世界だけの話であるが)母はとても喜んでいる。当初は、移送車が自宅前をゆっくり通過する予定だったのだが、D寺奥様がS氏に「迷惑かけたんだから、そのくらいやってあげなさい。」とプッシュしてくださり、短時間の駐車による帰宅が可能となった。明日10時に、到着予定。
☆骨壺は父のスーツ?
平成20年当時のパンフレットに、棺桶や骨壺の写真がいくつか掲載されており、父は「これがいいな。」と思うものに丸印をつけていた。母は、出来るだけその写真に近いデザインのものにしてやりたいと思った。一般的な骨壺は白い無地のものであるが、父は青色のものに印をつけていた。
墓は、北海道にある。父の兄と共同で購入した墓なので、既に祖父母や早くに亡くなった兄弟姉妹、私の実母などが納められている。地域の風習なのか、スペースの関係なのか分からないのだが、墓には骨壺ではなく、骨だけを入れてしまうらしい。
私たちは、6月に納骨のために北海道を訪問する予定になっている。骨壺は数か月間の仮の入れ物であり、後は処分することとなる。私は一般的な白い骨壺でいいんじゃないかな~と思った。それならコース料金に入っているのだから割り切ってもいいような気がした。
S氏が母に骨壺のパンフレットを持ってきてくれた。青い色のものは、2万円代からあったのだが、ごちゃごちゃと模様がついていて、父の好みではなかった。母は青い模様の白磁の4万円のものを選んだ。「お母さんからお父さんにお誕生日プレゼントです。」と母からLINEが入っていた。
骨壺に4万円か~。必要かな~。と正直思ったが、ふと4万円で連想するものがあった。
その日、私は急遽駅前のスーツ専門店で黒のパンツスーツを購入していた。私の持っている喪服は30年も前に購入したものであり、父の儀式にはきちんとした服装で出席したかった。私の年齢も折り返しを過ぎたので、きっと喪服を買うのもこれが人生最後になるだろう。そのスーツの値段が偶然4万円だった。父の骨壺と同じ値段!(笑)
ああ、そうか。この骨壺は、父にとってのスーツだと思えばいいんだ。母はもう父に洋服をプレゼントすることが出来ない。父はとてもお洒落で、デイサービスに出かける時も色合わせに気を使っていた。介護士さんたちから、服装をいつも褒められていたそうだ。母は父に、最後のスーツをプレゼントしたのだと思ったら、この骨壺もなかなかお洒落でいいんじゃない?と思ったのだった。
☆法名は見栄?
さて、母はD寺に父の戒名(浄土真宗では法名)をお願いした。
ちなみに法名とは
↓
「釋は「しゃく」と読み、「釈」の旧字です。法名の上に使われる文字なので、読み方とあわせて知っておくとよいでしょう。釋にはお釈迦様の弟子という意味があり、法名につけることで、お釈迦様の弟子(仏弟子)になったということになるのです。
男性は「釋○○」、女性は「釋尼○○」と使い分ける宗派もありますが、男女で区別せず、女性でも「釋○○」を使うことも増えています。〇〇に入る文字は生前の名前などから文字を取って2文字にするのが一般的です。」(小さなお葬式 ホームページより抜粋)
とある。
戒名は宗派によって違いがあるので、お布施次第で6~11字の字数にも出来るらしいが、本来は、寺院に対する貢献度などにより字数や使える漢字を選択したようだ。
なので、D寺も、「三文字で充分ですよ。」と何度もすすめた。それが浄土真宗の正しい法名のつけ方なのだから。何度も何度もD寺は母に三文字を納得させようとしたのだが、母は頑として6文字にこだわった。
なぜなら、戦前に亡くなった親族を除き、ほとんどの仏様が6文字になっているからだ。母は言う。「お兄さんも6文字なのに、お父さんが3文字ではかわいそうだ。それに、6文字の法名をつけてもらえると、あちらの世界に行った時に、徳を積んだ証になるらしいのよ。(メリットがある?鼻が高い?尊敬される?特典がある?みたいなニュアンス)」母はどこでこの情報を刷り込まれたのだろうか。法名は免罪符か?
祖母や父の兄などは、葬儀社か霊園紹介のインスタント僧侶に法名をお願いしているかもしれないので、おそらくその僧侶も正式な宗派ではなかった(偽物とは言わないが)のではないかと思われる。だから布施を包んで6文字でつけられたのだろう。このあたり、高額なお布施を狙う寺側の営業の匂いがぷんぷんする。今回、D寺のおかげで、やっと正しい法名の字数を知ることが出来たのだが、母は受け入れることが出来なかった。今更であるが、安易な戒名ビジネスの負の連鎖に、唖然とさせられた。今まで知ろうとしなかった私たちにも責任はある。
最終的にD寺は6文字でつけてくれることになったが、お布施はプラス20万円となった。本来の意味での字数ではないが、それで母が墓参りに行く度に、親族の字数と比較して悔しい思いをしないで済むという点では、意味があるのかもしれない。これって、見栄の張り合いだよなあ。と思ってしまう私なのであった。どう見えるかを重視する。これが昭和遺産なのだ。ただし、母の気持ちもとてもよくわかるので、母の好きなようにしてもらうこととした。
☆未来の葬儀
時代はどんどん変化している。現在の形骸化した仏式の葬儀も近い未来には廃れていくだろう。
ちなみに私が亡くなった際は、墓も位牌も法名も無いスタイルを希望している。
僧侶の導きが無いと魂は迷ってしまうと言う人もいるが、それは仏教を信仰していて、死後の魂がその信念が創り出す幽界へ行く場合の話である。私は幽界へは行かず、輪廻を終えてまっすぐ宇宙の故郷へ戻る予定なので、宗教による集合意識が創り出した信念の世界に寄り道するつもりもない。
お借りしていた肉体を感謝とともに地球にお返しするのみである。お返しの仕方は一番簡単であれば何でもいい。肉体が自然の循環に戻っていけるように出来たらとそれだけを願う。
それに戒名字数で徳のあることをアピールしなくても、その人の一生の記録はすべて宇宙(アカシックレコード)に記録されている。ごまかしは一切きかない。「故人はどんな人柄だったのかな?」と思えば、各々リーディングすれば済む。
これからの時代は、地球人も直観を通して宇宙とつながる能力が開花していくだろうから、もしかしたら氏名すらいらなくなるかもしれない。コミュニケーションはエネルギーを介してテレパシーで行われるだろう。
わざわざ巨大な古墳を造って権力を誇示した時代の遺物を眺めるように、十年後は今の葬儀スタイルを懐かしく振り返るのかもしれない。大変だったんだね~。と。
☆葬儀をめぐる人間ドラマを俯瞰して思うこと
「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」
Charlie Chaplin(チャールズ・チャップリン)
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