葬儀ビジネスの闇②〜闇は自分たちが創っている

 今後、葬儀社を利用される際に少しでも参考になればと思い、追加情報を記しておく。

昨日、母がD寺からお聞きした、葬儀社の裏事情である。もちろん全てに当てはまるわけではないので、そんな葬儀社もあるのかもなあという程度で受け取ってほしい。

今回、葬儀社が紹介した寺は、しっかりしたホームページがあったが、実は存在しなかった。そして、僧侶は、偽物だった。

葬儀社は、紹介料として一回につき20万円を寺に要求する。そのため、葬儀社を経由するとどうしても遺族の負担は高額になる。寺に納める読経や法名代に紹介料を加算しなくては、寺も運営が成り立たない。

今回、助けてくださったD寺は、地元からも良心的と評価されている。

D寺に葬儀にかかる費用を聞いたところ25万円だった。Kの請求は51万円であり、随分な金額設定だなあと思うが(偽僧侶であることは別にして)

紹介料20万円を葬儀社に支払うのであれば、Kの収益は31万円となる。そうなると、そのぐらいの料金設定にしたくなるのも分かる気がする。葬儀社と組むなら、毎回高額な金額を吸い上げられてしまう仕組みになっている。

葬儀社は、紹介料の旨味があるので、きちんと支払ってくれるなら、どんな人間性の僧侶だろうが構わない。遺族も形だけ儀式をするので、正しい作法やお経かどうかなど知らない。無知であるところに、いいように付け込まれる。

きちんと信仰心を持って日頃から懇意にしている寺があるなら檀家になっているだろうし、葬儀の時は遺族側が僧侶に依頼するので(外部依頼料金を取る葬儀社もある)偽物僧侶問題は発生しない。

上手くやれる仕組みになっている。

そう言えば、結婚式場のチャペルに居る外国人神父も、ほとんどが俳優だと聞いたことがある。日本人は結婚式の時だけ、カッコイイからとキリスト教式で儀式を執り行う。その日一回のみの体験であり、信仰心は関係ない。結婚式場も、新郎新婦も分かっていて割り切っている。海外の観光地に行って、民族衣装を着て記念写真を撮影するのと同じ感覚だ。民族衣装を着たからと言って、その民族の歴史や背景をきちんと学ぶ人は少ない。

とりあえず形だけ、どう見えるかだけが重要であり、中身はどうでもいい。簡単に安く済ませたい。そんな安易さを求める消費者側のニーズに乗っかったビジネスのひとつが葬儀社なのかもしれない。(もちろん、心のこもったサービスを提供する素晴らしい葬儀社もたくさんある。)

そう考えると、そんな上っ面だけを期待して、中身を磨くことを怠ってきた消費者側の意識を問われても仕方ない。

このようなビジネスを横行させているのは、結局は私達の心のあり方が反映されているのだ。

今回、最初の見積もりが総額100万円だったが、トラブル後、S氏自ら提示してきた金額はマイナス20万円だった。いろんなムダを省いたのもあるが、なぜ最初から遺族の要望を丁寧に聞き出しながら、必要なサービスのみにしなかったのだろうか。

D寺のお話によると、葬儀社のスタッフにもノルマが課せられており、個人の売上に応じて報酬に反映される。だから、葬儀にかかる費用など、あって無いようなものであり、個人の采配でいかようにもなるそうだ。

S氏が最初の見積もりで、コース金額をベースに、そこからさらに様々なオプションを加算しつつ、遺族を誘導していったのは、追加になれば、それだけ自分の報酬が増えるのもあるし、厳しいノルマもあるのだろう。いかに不要なものを必要だと思わせるかが、腕の見せ所となる。

葬儀にノルマがあるというのも不思議な話しであるが、いかに買わせるかが資本主義の仕組みである以上、こうやって売上を競いながら葬儀社同士、しのぎを削っていくしかないのかもしれない。

S氏も、最初は、私達に対していつもどおりに対応していたはずだ。誘導してオプションを積み上げていく技は、マニュアルでもあるのだろう。ひとつ追加になる度に、頭の中でノルマ達成率を計算していただろう。

S氏は、Kが偽物お坊さんだったことを知らなかったと言った。本物か偽物かなど、どうでも良かった。宗派はたくさんあるし、S氏自身、正直なところ何も知らないのである。今までも、葬儀にやってきた僧侶がその宗派の正式な資格があるかなど調べたことも無い。興味を持ったことも無い。

今回、偽物お坊さんを紹介してしまった後ろめたさもあり、見積もりをやり直して総額を下げてくれたが、身も蓋も無い言い方をすると、その分S氏のノルマ達成率は下がり、また、別の遺族の時に挽回しなくてはならなくなる。サラリーマンをやっている限り、所属する組織の方針に逆らうことはできない。S氏は、個人的には普通の良心的な人間であるが、社員である以上、数字に追われて働き続ける。今回のトラブルは、たまたまS氏が、私達の担当者だったに過ぎず、S氏の人間性に問題は無い。話せば普通に常識のあるいい人である。大きな仕組みを見直さない限り同じことは起こるだろう。

今回、母がD寺に電話をしたことが切っ掛けで、D寺は、「これ以上被害者を増やせない!」と、行動を起こす決意をしたそうだ。偽物お坊さん問題は、県内の複数の寺と弁護士団が手を組み裁判となる予定とのこと。大手葬儀社にも協力を依頼中とか。おそらくKだけでなく、同じようなことを生業としている人は何人もいるだろう。県内で活動できないようにするのがせいぜいであり、世間のニーズに応えるべく、彼らは活動場所を移動していくのみである。根本的解決に至らないのが、今の法制度の限界なのかもしれない。

私達家族も、付け込まれる隙があった。反省点は山程ある。勉強不足であり、とても安易だった。

まず、葬儀社は前もって複数の見積もりを取ることで、見る目を養えるだろう。

そして、何を大切にしたいのかは、明確にしておく方がよいだろう。

我が家は中途半端な信仰心だったため、今回のトラブルに巻き込まれたのだとも思う。父をどのように見送りたいのか、真剣に考えたなら、葬儀場で一回しか顔を合わせない、よく分からない僧侶に大切な法名をつけさせたり、導師を依頼したりしただろうか。ここは大いに反省したい。(これはあくまで我が家の価値観であり、それぞれにこだわりたい部分は違っていい。一回きりの僧侶でも、素晴らしい人もいるだろう)

母は、今回のことがあり、

「そう言えば、学生のころ、学校が仏教系だったので、親鸞聖人の講話を聞くのが好きだったことを思い出したわ。」と語っていた。

今まで、父の介護に追われ、何かを学ぶという心の余裕も無かったが、これからは自由に好きなことが出来るので、寺社仏閣めぐりをしたり、僧侶の講話を聴きにいったりしてもいいだろう。

D寺奥様と電話で話す機会が多くなり、どうやら話が合うらしい。何が切っ掛けになり、ご縁に発展するか分からないものだ。

母のこれからが、彩り豊かな日々となりますよう。

たくさんの体験と学びに感謝。


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