里の行とは

 


『山の行より里の行』


日常こそ最高の修行の場

山の行より里の行という言葉があるように、日常の中にこそ最高の気付きがあります。

例えば、妻子を棄て、山にこもり苦行をするのは一見、尊い行為のようにも見えますが、

実は現実と向き合わず、目を背け、逃げているだけと言えるでしょう。

例えば、恐れや苦しみからスピリチュアルなどに依存してしまう行為もまた、現実逃避だと言えます。

釈迦も苦行の果てに苦行の無益さを知った後、ようやく悟りを開いたように、

もし、悟りたいのであれば、特別な修行など必要ありません。

苛立ち、不安、怒り、嫉妬、悲しみ・・・

さまざまな感情が湧き上がる、日常こそ最高の気づきの場です。

あなたが握りしめてきた思い混み(観念)と向き合い手放していく事で、

恐怖や不安が消えて行くこと、それが悟りです。


ichimurayoshi  Instagram(市村よしなりさんの8月9日投稿より)


さて、冒頭に市村氏のInstagram投稿を紹介させていただいた。

昨日起きた出来事について、ブログを書く前にスマホをチェックしたところ、心に響く文章が目に入ってきた。なかなか好ましい現実創造だ。気持ちの良い朝だ。そうだよな~。とスッキリした気持ちになれた。


☆日常は修行の連続

人と会うのと疲れる。なぜなら、相手に合わせて嫌われないようにしないとならないから。頑張って合わせても嫌われることもある。そうすると傷つくから、もっと人に会いたくなくなる。どんどん内に閉じこもり、自分を外に表現することが苦手になっていく。どこか安全な場所に永遠に籠っていたいと願う。そこで、誰にも会わずに、好きなことをして過ごしていたい。

というのが、今までの私の創り上げて来た人生パターンの根底に流れる思い込みだった。

この二年間、主に潜在意識のことを学び続けて来た。一週間前には、大きなブロックをはずすことが出来た。目の前に展開される現実は、自分の観念が創り上げているということを心底理解した。

だからと言って、もう感情を揺れ動かす体験は無くなるか?というと、そういうわけにはいかない。肉体を脱ぐまで、日常の修行は続くのだ。自我と感情をアイテムに、幻ドラマから何かに気づいていく連続。魂の観点から表現するなら、修行というより遊びという表現が近いかもしれない。

そう。私たちは実は遊んでいる。


さて、昨日のアルバイト先での出来事を書いておきたい。

アルバイト仲間の学生Aくんは、忙しい合間を縫ってアルバイトに励んでいる。真面目で穏やかで何事にも丁寧な所作で取り組み、若者らしからぬ古風なキャラクターを知れば知るほど、私はAくんを好ましいと思うようになっていた。尊敬する点が山ほどある人物だ。

Aくんは授業のスケジュールや、遠方から通っていることも原因なのだろう。遅刻が多いようだった。ほとんどは電車の遅延が原因であり、きちんと「○十分遅れます。」と電話連絡を入れてくれてはいるのだが、そのことがアルバイト仲間B氏のイライラの原因となっていった。

B氏は、ザ!昭和!世代である。真面目にコツコツ、仕事を最優先に生きることが賞賛された時代の典型だ。私はB氏も尊敬している。

私は、Aくんとも、B氏ともペアを組んで仕事をするが、毎回気持ちよく楽しく作業させてもらっている。

B氏は、遅刻が許せない。年に1~2回なら目を瞑るのだろうが、一か月に数回あると、遅刻=不真面目 と捉えてしまったようだ。そうなると、全てが気に入らなくなっていく。Aくんの仕事ぶりにも不満を募らせていった。昨夜、とうとうその不満が爆発してしまったらしいのだ。

職場で管理をされている女性から、そのお話を聞いて、ビックリした。私はAくんの素敵な面ばかり見ていたが、別の人から見れば、まったく正反対の評価が下されていたからだ。私は彼女から、「相談させてほしい。」と打ち明けられ、途方に暮れた。

職場として、ルールを明確にすることが先決だと思った。もちろん仕事してお金をいただくわけだから、遅刻は厳禁だ。それでも、抱えている事情は個々に違う。どこまで許容しAくんが学業と両立できるよう寄り添うことが出来るのか、管理者の采配次第ではないのだろうか。

私は、出来るだけ感情的にならずに、自分がAくんをどう見ているかを正直に彼女に伝えた。彼女はAくんと接する機会がほとんど無いので、B氏の評価を鵜呑みにしていたようだった。私が出来ることは、これからもAくんが素敵な面をノビノビ発揮して、気持ちよく共に働いていけるよう、さりげなく応援していくことだと思った。

私が気を付けようと思ったのは、他人の創り上げるドラマに巻き込まれないようにすることだ。Aくんというキャラクターが、他人のフィルターを通すと、正反対になり、まったく違うストーリーになっていく。

そのストーリー、私が本当に観たいのかな?

誰もが人間なのだから、完璧ではない。凸凹しているからこそ、世界はジクソーパズルのように調和するようになっている。補い合って生きている。そこが地球体験の醍醐味でもある。人より優れた面もあれば、短所と見なされる面もある。その短所も踏まえた上で、尊敬できる面も公平に見ていく。凸凹を立体的理性的に眺めてみるように心がける。どうしても目立つ凹部分ばかりフォーカスしてしまうのは、肉体脳の傾向であり、多くの苦しみの原因である。敢えて観方を工夫することが、冒頭に紹介した日常の修行に当たる。目の前の相手をどうにかするのではなく、自分の思い込みにアプローチする。

場合によっては、不都合をどう克服するか、やり方を伝えてもいいかもしれない。「あなたは、とても素敵な人ですよ。唯一無二の素晴らしい存在なんですよ。」という前提の上で、穏やかにアドバイスくらいは出来るかもしれない。相手の凹部分を自分が出来ることで補うというイメージ。相手を叱って怖がらせて強引に外側の凹凸をならそうとするのではなく、どちらかというと、自分の内面の凹凸に向きあう。

例えば「昭和の価値観で相手をコントロールすべき!」という観念を手放すのか、まだしがみついていたいのか?B氏の修行の面もあるわけだ。このようにAくんが凹役を引き受けることで、B氏の気づきに一役買っていることになる。凹凸も、もっと言えば、被害者も加害者も本来は存在しない。ドラマ上の設定でしかない。

Aくんばかり肩を持つようであるが、私はB氏の真面目さも尊敬している。彼の気持ちもよく分かる。20年前の私は、B氏の100倍くらい人の凹部分をあげつらって強烈に批判していた。それを正義感でやっていたのだからかなり重いカルマを背負ってしまったことになる。そのカルマの清算と思われる出来事(頑張ってやっていても、痛烈に批判され苦しい想いをする。自己否定の権化となる。)は、この数年の間に体験済みなので、人生は上手くできている。B氏は、今まさに「~すべき。」という観念を手放す人生修行に取り組んでいる最中なのだと思う。他人を批判してしまう根底には、頑固な自己否定が潜んでいる。その根っこに向き合わなければ、いつまでもイライラする人物がB氏の前に登場し続けることになる。Aくんが、この職場を去ったとしても、次なるCさんが、B氏の感情を逆なですることだろう。

もうひとつの考え方は、パラレルワールドという観点だ。

私が創る現実ドラマにおいて、Aくんも、B氏も、好ましいキャラクターで登場する。ストーリーも穏やかだ。「幸せだな~。有難いな~。みんな素敵だな~。」との感情をメインで味わっている。

時々、お試しのようなショートドラマがインサートされる。自分が現実の創造主であり、外側に振り回される無力な存在ではない。どんどん観たい現実を創造していい。ということを腑に落とすためではないだろうか。私が私を信頼し、大切にしているのかを再確認する機会にもなる。

今回のようにB氏視点のショートドラマが、不本意にインサートされた時に、一瞬は動揺する。しかし、ブレたとしても、ちゃんと自分軸に戻るように癖をつけておく。ドラマの構造を見破っておけば、「苛立ち、不安、怒り、嫉妬、悲しみストーリーの脚本」へ巻き込まれることはない。

私が放つ感情エネルギーが振動となり、共振する現実ドラマを瞬きごとに選択している。これがパラレルワールドの仕組みだ。私の現実には、無数のキャラクターのAくんやB氏が存在している。

どんな現実ドラマを体験したいのか?何を学びたいのか?何に気づいていきたいのか?

「わたし」とは、自我のことではなく、魂の目的を踏まえてこの現実創造を楽しんでいる「わたし意識」の方だ。こちらの「本当のわたし」は、脳の反応でもなく、肉体でもない。「わたし」とは、気づいているこの意識であり、生じたり消えたり、千変万化する領域は全て幻でしかない。

いつも自分自身が穏やかに戻れるような感情を選択するなら、きっと自我ではなく、本質による選択になっていると思う。

もちろん、自我をアイテムに、思い切り様々な感情を味わって号泣必至なドラマを体験したって構わない。「わたし」が体験したいようになっているのだから。つまり、AくんもB氏も、それぞれがフォーカスしたパラレルで、最適な現実ドラマを味わっていることになる。そして、私も同様である。

昨日、私は、心の中で、AくんとB氏に、「出会ってくれて、色々気づかせてくれてありがとうございます!」と感謝の想いを伝えたのであった。

Aくんも、B氏も、私も、その他の私の人生を彩る人物たちも、里の修行仲間である。互いに鏡役となって、「わたしとは何か?」を知ろうとしている。いつか分離意識から目覚め、一つに戻っていくゲームに興じている、0=∞=1である。

もう、こうなると、批判することが無くなってしまう。

すべてが愛おしく、ありがとうの気持ちが湧き上がってくる。

この面白い体験の数々に、味わい深い様々な感情に、ユニークな私の創作ドラマに、ありがとう。

さあ、どんなドラマを創造する?

楽しみだね。

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