目に映るすべてはメッセージ
午前中の空に
あまりに細かい、鱗雲?が広がっていた。
夏本番中なのに、空は秋の気配。
あ〜… 空って高いんだなぁ…。
清々しい気分になる。
3枚目のこちらの雲は、私の目には、ハートに翼が生えて大群になって、飛んでいるように見えた。♡♡♡
先日のインナーチャイルドカードにあった絵にピッタリ。おそらく、私にしか見えないであろう、雲からのイメージである。
☆雲からのメッセージ
愛は目には見えないかもしれないけれど、あらゆるものに宿っている。感じようとすれば、あれもこれも、目に映るものすべてが、愛の表現である。
なぜなら、この宇宙を構成するあらゆるものは、同じ源から発生している。源は意識エネルギーであり、本質は愛だ。
雲もそう。三次元的には、ただの水蒸気かもしれないが。
なぜ雲は、こんなに美しい姿を見せてくれるのだろう?わざわざ、バリエーション豊富な形に千変万化して、私達を楽しませてくれるのだろう?水の結晶だってそうだ。
目に映る映像は、自分自身の内面の鏡像だ。
眼の前で生じては消えていく、様々な形。それらは、鍋の中で沸騰している湯に生じる泡のよう。踊るように生じては、潔く消えていく。ブクブクブク…
それらにいちいち反応する内面を眺めて、味わっている意識に気づく。
「そうか、私の内面には、こんなものが潜んでいたのね。これも私の内面のひとつの表現なのね。見せてくれて、ありがとう。」
内面から湧き上がる様々な反応は、やがて消えていく。不確かな過去の記憶(思い込み)を使っているから、不快さを味わってしまうこともある。それをどうしたいかは自由だ。まだしがみついていてもいいし、手放してもいい。その反応から何か気づくことがあるなら、無意識に握りしめ続けることもある。じっくり時間をかけて学びたい魂もいる。決めているのは自我ではなく、本質の方。私という個性は、幻の配役にすぎない。
忘れてはならないことは、渦中にいて苦しい思いをしている「私」は、自我であり、「わたし」そのものではない。なぜなら、自我の働きは生じては消えていくから。過去から連続して存在する確固たる自我というものは無い。「わたし」は、一瞬一瞬の瞬きのような、今ここの、永遠に変わらない意識である。
過去という幻アイテムを使って、出来事に反応して、豊かな感情を味わっている「私」を静かな領域から眺めている意識が、本質である。
「私」という勘違いモードを駆使して、どっぷりドラマに浸っているからこそ、楽しいのである。
そうか。「わたし」は、今、この映像を眺めて楽しんでいるんだなあ。と、気づく瞬間を取り戻していけたら、きっとこの幻ゲームは次なるステップに切り替わるだろう。
☆次なるステップ
はせくらゆみきさんと、ひすいこたろうさんの対談動画を観た。
パラレルシフトについて分かりやすく説明していた。
この宇宙は、ひとつではない。無数に存在していて、私たちの意識は、瞬きごとに、違う宇宙へ移行している。私たちが想像する現実は、想像した時点で既に別宇宙に存在している。そちらの宇宙へ行きたいなら、簡単にパッと移行できる。
宇宙は、ひとつしか無いし、現実は変えられないし、私が苦しいのはすべて外側の出来事のせい。というのは思い込み。自分でその宇宙を選び続けていただけ。
現実を変えるために、頑張って努力して苦労して、外側に働きかけていくやり方はもう古い。時間がかかりすぎる。鏡に映っているのは結果なのだから。
映す本体(内面)を変えないことには、鏡像は変わらない。鏡に映る私の髪型をショートにしたければ、肉体(本体)を美容院へ運んでカットしてもらう。そんな感覚。内面が映るのだから、内面を先に何とかする。
これからの時代は、現実を変えたいなら、内面を変えればいい。ここ、重要!
想いが現実を創る。これは、宇宙の仕組。
例えば、自分の周りの人々が、笑顔で過ごしていたらいいなあと願ったとする。皆が笑顔になっているところをイメージしてみる。イメージから湧き上がる想いを味わってみる。
これだけ。
パラレル移行は、単純で簡単。宇宙は無数にあるし、想いの力で一瞬で移行するので、けっこういいかげんなんだ。
逆に言えば、想いの力がすべて。
想像できるなら、もうその現実はある。想像できないなら、その現実は薄いということ。
望む現実を想い描き、まず内面から変えていけばいい。今までと順番を逆にすればいい。
こうやって、軽やかに望む現実をスクリーン投影し、思いっきり現実を謳歌して、まずは自身を楽しませる。そうしていいのだ。もう時代は変化した。古い学びは終了した。地から風へ。昭和は令和になった。
もし、好きな現実を生きていい。楽しんでいい。と言われて、罪悪感が湧いてきて、「自分のことより、他人のことを優先しなきゃ。」「世の中には苦しんでいる人がいっぱいいるのに、私だけ楽しむわけにはいかない。」「まず、世の中(外側)を変えなきゃ。」などの想いが拭えない場合、まだ、そちらの宇宙を選び続けたいということ。体験するすべては自分の選択であり、自分の責任である。「ああ、私はまだ、ここから学びたい(遊びたい)んだね。」と、そんな自分を受け入れていく。
子どものように無邪気に、軽やかに、この世界で遊ぶ。やがては、源意識に還るのだ。
元々、ひとつなんだから。
コメント
コメントを投稿