フラーレンに浄化される
水晶のフラーレン作りを習ってから一週間経過した。
その間、8個のフラーレンを作った。
順調なら一個につき、1〜2時間の作業時間だ。
途中で、数を見失ったり、五角形と六角形の配列を間違えてしまったり、最後に90個にならず、呆然としてしまったり、何度も何度もテグスを解いてやり直した。
「どこで間違えたんだよ!きぃーっ!」と、ムカムカしながら、時には、乱暴に道具に当たってしまったりしながら、そんな自分にハッとする。
上手くいかなくて、自分にイライラする。小さなビーズの穴にテグスをなかなか通せなくて、あ〜もうっ!とムチャクチャ腹立たしくなる。投げ出したくなるが、それでも、作業を続けたくなる不思議な魅力がある。
一進一退の攻防とでも言うのか?自分との戦いである。つい、戦ってしまう自分に気がついていく。その一瞬一瞬の内面の変化を、その流れを、生じては消えていく様を、眺めている意識に気づく。都度、渦中から浮上する。
ブレては戻り、またブレては戻る。
講師のKさんにラインで報告をしたところ、「行動瞑想しているんですね。」と返信が届いた。
確かに!
フラーレン作りでは、脳は瞑想状態になっているはず。ひたすらビーズの数を1から90まで数えることに集中している。(他のことに気を取られると数を間違えるため)そして、手はテグスをビーズの穴に通すという、単調な動きをしている。
どんどん自分がシンプルに、削られていくような気がする。耳には、外で鳴いている野鳥の声だけが入ってくる。
無我になるわけではない。見たくないような我に直面させられる。内面から浮き上がってくるネガティブな衝動をありのまま見つめさせられる。
一番大きいのは、失敗してしまう自分を許せないという怒りの感情だ。
単純な動きの中で、様々なドラマが内面で展開する。そのドロドロした感情を味わい尽くしていくと、日を追うごとに、内面が静かになっていく気がする。
その過程を分かりやすくするために、講師に送ったラインメッセージを記録しておく。
☆メッセージ一回目
「今朝、2ミリビーズに挑戦してみました。忍耐力を試されながら、イライラしたり、休憩したり、自分を騙し騙し、なんとか形になりました。
一つ作るとメチャクチャエネルギー使ってグッタリするのですが、しばらく経過すると、また作りたくなりますね。
無心にフラーレンを作るまでには成長できていなくて、毎回、イライラや焦りが出てきます。数を必死に数えている時に夫にほのぼのと話しかけられて、イラッときたりとか。
いつも、忍耐強く、穏やかでいることの練習になりそうです。
フラーレン習って良かったです。学びが深いです。ありがとうございます。」
☆メッセージ二回目
「フラーレン作り、気がつくとやりたくなってます。
今日は、3つ作りました!
行動瞑想って言うんですね~。
グレートセントラルサンのエネルギーにさらされるからなのか?波動が高まるからなのか?わかりませんが、不要なネガティブエネルギーが、浮き上がってくるみたい。浄化が、起きているようで、その感情を味わって、これがあったんだなあと認めて、こういうのエゴの働きなんだなあと、客観視して、ふむふむと思いながら、数を90まで数えています。
これ、ヒプノより効果あるかもですよ。感情のお掃除にピッタリです。
フラーレン習って一週間経過しましたが、初めは負の感情が溢れ出てきてビックリしましたが、今日あたりは、内面がだいぶ綺麗になったみたいです。落ち着いてきました。失敗してしまう自分にイラつかないようになってきました。フラーレンに助けられてます。
教えてもらえて、本当に感謝しています。
ありがとうございました。」
☆一週間経過して思うこと
きっと、自我は消えることは無い。周りに対して怒り、また不甲斐ない自分に対しても怒り。うまくいかないアレコレに我慢ならなくなる。肉体脳を使って思考する限り、これからも否定したくなるような感情は自動反応で湧き出してくるだろう。
水蒸気が空に昇って雲になるように、川は上から下に流れるように、太陽が東から昇るように、そういう仕組みになっている。自我の働きも、自然の一部であり、そういうものなのだ。
自我をありのままに、あるものとして、生じるものとして、消えていくものとして、その様を眺める。
ああ、鳥が鳴いているなあ。風が吹いているなあ。太陽が昇ってきたなあ。と、自然のあり様そのままに自我も味わってみる。
自我に翻弄され、怒りに同化している私を眺める「ワタシ」という意識に気がつく。怒りを感じているなあと、眺めている「ワタシ」は、静かで穏やかな領域だ。
感情の嵐はやがて、何事も無かったかのように消えていく。そこには、肉体脳の記憶しか残されない。ああ、さっき、怒っていたなあ。と気づいている、やはり静かで穏やかな変わらない意識がある。
今朝も鳥が鳴いている。
今日からは、セミも鳴き始めた。
何だか、耳に聴こえるもの、目に見えるものが、純度を増したように感じる。
微かな変化だけど。
断食した後、味覚が研ぎ澄まされるような、あんな感覚に似ている。一杯のお粥の味わい深さに、涙が流れるような。今まで当たり前にスルーしていたことが、ひたすら有り難くて、一つひとつに感動するような。
浄化とは、
手放すということ。
シンプルに戻っていくということ。
削ぎ落として、削ぎ落として
それでも、変わらない、消えない、純粋な無限へと
還っていくこと。
写真∶使用した天然石
水晶、アラゴナイト、スモーキークォーツ、アクアマリン、アベンチュリン
☆若者に感動する
昨夜のアルバイト先での出来事だ。
作業のペアを組んだのは、大学生の男の子だった。まだ、お会いして3回目くらい。
まだ、若いのだけど、静かで丁寧で、日本語をとても美しく話すので、私は初対面からこの子のことが大好きになった。素敵な子だなあと思って、ペアになれると素直に嬉しかった。
彼は就活中で、炎天下にスーツを着用し、あちこちの会社を訪問しているのだと、前回おしえてくれた。スーツの中は蒸し風呂地獄です。と笑っていた。
さて、昨夜は嬉しい報告を聞くことが出来た。
何と!今日、第一志望の教育機関に内定が決まったとか。
私も最高に嬉しくなり、彼におめでとうを伝えた。
彼は、本当は教師を目指したかったそうだ。ただ、現実問題として、今の教師の苦しい現状を見て、自分は教師になるより、教師が働きやすい現場を創りたい!と決意した。そして、大学法人の職員を目指すことにしたとか。
彼は、自分のエゴよりも、世の中の仕組みを変えるために何が出来るのかを考えて、自分の将来を決めたわけだ。教師に感謝をし、リスペクトするからこそ、教師が苦しむことのない未来を創造する側(サポート側)を選択したのだ。
凄いなあと思った。
私が22歳の時は、世の中のために自分に何ができるかなど、一切考えていなかった。生活のために出来るだけ安定して楽そうな仕事を選んだだけだった。自分の事しか考えていなかった。今もそうだけど。
こういうの、日本語では「志」って言うんだろうなあ。
エドガーケイシーの「魂の理想」という表現にも通じる。
全体の調和のために、自分の魂をどう使うか。彼は魂の理想を掲げて選択したからこそ、ベストな職場を引き寄せたのだろう。
「教師の働く仕組みを変えてみせます!」彼は瞳をキラキラ輝かせて、珍しく熱く語ってくれた。
ああ、こういう魂の成熟した若者たちが、これからの地球の未来を創っていくんだ。ホッとすると同時に、エゴまみれで爆走してきた私たち世代も、彼らの後に続き、何事も愛ある選択をしていきたいと思った。
息子くらいの年代の子どもたちから、愛を学ばせてもらっている。何と有り難いご縁なんだろう。
何だか、と〜〜っても幸せな気持ちになり、帰途についた。夜のそよ風が心地よく、ひたすらすべてに感謝したくなった。
☆ふと、心の耳に届いた仙台弁
「覚醒してもお腹は空く」
んだ、んだ。
人間だもな〜。
↓
朝、こちらの投稿をしたのたが
文章締めくくりの段階で、ふと、仙台弁のあたたかな言葉が聞こえた気がしたので、何となく記しておいたもの。
仙台といえばYさんなので、「今朝、何となく仙台弁が聴こえた気がしました。」とメッセージを送った。
その返信に驚いた。
丁度、同じ時刻あたりに、YさんはYou Tubeの訛シンデレラ(ディズニー映画シンデレラを仙台弁でアフレコした動画)を楽しんでいて、爆笑中だったとか。
その、楽しんでいるエネルギーを私が受信したのではないか?と教えてくれた。
へぇ~。偶然だけど、Yさんとはたまに説明がつかないような不思議が起こるので、仙台弁シンクロが起きたのかもしれない。
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