宇宙は壮大な嘘

 この一週間ほど、目まぐるしい動きがあった。

そこから得た気づきを書いておきたい。

話は15年以上前に遡る。

忙しい職場だった。不文律があり、空気を読むことが当たり前とされ、「察して動け、分かるだろ?」という無言の圧力に振り回されていた。主に私がターゲットにされていた気がする。

こっちからはAと、あっちからはBと指示された。主張の違う者同士は互いに調整することなく、私を責め立てた。私から意見を言えば、お前の意見など必要ないと、無惨に切り捨てられた。

私は矛盾の前で途方に暮れていた。今思えばAとBをミックスして新たなCを編み出せば良かったのだろう。二元論の世界から離れて視点を上げてみれば良かったのだが、当時はそんな知恵もなかったし立場的にも弱かった。

なぜ、Aなのか、またはBなのか。理由を言葉にされないと私には分からなかった。理由が分かれば判断の材料になるし、別の案も出せるかもしれない。何度も、ちゃんと理由を言葉にしてくれとお願いをしたが、なぜかスルーされた。黙って言う通りにしろ!と、感情を荒げる人もいた。

言葉にしたくない相手の意図をどう読むのか?正しく把握したかった。思い詰めて、疑問点を文書にして上司に提出した。ワード10枚になった。それほど、私は多くの矛盾の中で溺れそうになっていた。上司はカンカンに怒った。絶対に回答しないと言い切った。

その組織を束ねるもっと上の立場の方からは、「文書にしたらおしまいだ。」と言われた。空気を読めずに怒りを買い、質問しても怒りを買った。私以外は皆が超能力者でテレパシーで通じ合っているのだろうと本気で思った。

私にとって、手がかりは、相手の口調や表情や、ちょっとした仕草からヒントを得ることだった。「こっちが正解か?いや、こっちか?ああ、また間違えた。何て駄目な私なんだ。」

周りに振り回されて、正解を求めて、神経を張り詰めて、失敗したら謝り、正解が分からない自分を責めて、悔しくて悲しくて疲れて、鬱病が悪化した。

今思えば、言葉にしてしまうと、責任を負わなければならなくなるからだったのだろう。大人の事情は、言葉にすることが出来ない。分かるだろう?という阿吽の呼吸が求められる。あやふやにしておけば、何かあっても責任回避ができる。私は組織に都合のよいスケープゴートの役割を担っていたのだと思う。いざというときの蜥蜴の尻尾切りだ。あいつが悪いと言えるようになっている。皆がそれぞれの立場で上からの圧力を感じて、苦しかったのだ。皺寄せはいつも一番下の弱い立場の人に集まってくる。それぞれの立場の不満や憎悪が「何でお前には私の意図が分からないんだ?」と怒りを正当化し、日本的な察する文化を隠れ蓑にして不満を解消していたのだと思う。皆、無意識に自分の精神を守ろうとしていた。

誰もが一般的な善良な人であり、全員悪気は無かった。川の水が高いところから低いところに自然に流れていくように、負のエネルギーは、向かいやすいところへ濁流となり下っていく。たまたま、私が一番低い位置にいただけだ。

どうして分かってくれないんだ?なぜ周りは私を理解してくれないんだ?誰もがそんな不満を抱えて苦しみを増大させていた。

人と人は、理解し合うことは出来ない。なぜなら、脳の仕組みがそのようになっているからだ。脳は違いにフォーカスするように作られている。脳を使い思考する限り、人はこの苦しみから逃れることは出来ない。そのことを知ったのは、つい最近のことだ。当時の私には、そんな知識は一切無く、思考に暴力的に振り回されていた。こうして、負のループに取り込まれ、ドラマが展開していった。

次の職場は、不本意ながら、私は上の立場になった。私は自尊心を回復しようと躍起になった。いい仕事をして皆から評価されたかったから必死に仕事をした。だからこそ、あからさまに仕事をサボる仲間を毛嫌いした。激昂し、声を荒げることもあった。正解=自分とまで、大いに勘違いしていたかもしれない。

正解は?正解はどこにあるのか?私は、まるで正解を求めて彷徨うゾンビのようだったろう。しかし、正解など、どこにも無いのだから、探せば探すほど闇は深まった。

ストレスや過労から、鬱病とがんを併発し私はようやく仕事から足を洗った。もう正解を探して躍起にならなくていい。ホッとして、療養生活に入った。

しかし、次なる正解探しの旅が始まった。人は次々に欠乏を発見し、それを埋めたい欲望に翻弄されるもの。何と業の深い生き物なんだ。

がんを克服しようと、生活習慣、食生活、◯◯療法、その他よいと言われるものを求めて、あちこちを彷徨った。大量の本を読み、スピリチュアルなワークショップにも参加し目に見えない世界に興味を持ち始めた。神や天使や魂の世界は美しく、優しく、とても魅力的だった。きっと精神世界なら正解が分かるかもしれないと夢中になった。

現実の荒波より、全然マシだった。それほど私は心身共に疲弊し切っていたのだと思う。静かさ、穏やかさ、優しさが欲しかった。仏陀の言葉は私にとって、まさに蜘蛛の糸だった。私は、真理の世界に昇りたかった。すべてを見通せる世界に辿り着けば、もう正解を探し回らなくてよくなる。この拠り所の無い不安から逃れられるに違いないと、その糸に縋った。

正解に執着する発端は、きっと幼少期にあったのだとは思う。うっかり間違えてしまった時に親から叱られたり、無視された時、あまりに悲しかったのだと思う。いつも相手にとっての正解を私が選択できれば、もうこんな思いをしなくて済む。「お願い、もう間違えないから、私を見て、私を愛して、私を大切にして。私、頑張るから。」インナーチャイルドは、いつまでも思い込みの世界に因われている。このインナーチャイルドには、何回かアクセスし、癒やしを行ってきたが、なかなか浄化されない。きっと利得があるからなのだろう。

偶然が重なり、催眠療法に出合った。探していたのはこれだと思った。潜在意識からつながる不思議な世界から生き方の指針を掴めそうだと期待した。潜在意識が出してくるイメージは、叡智にあふれ、たくさんの気づきを得ることができた。

しかし、資格を取得しヒプノセラピスト業を始めたところ、なぜかどんどん苦しくなった。人の役に立ちたいと思うが、空回りばかり。さらに自己否定に拍車がかかった。正解が分からない自分の不甲斐なさを感じ、あまりの辛さに、セラピスト業を中止した。

何者にもならなくていい。と自分に許した。初めて失敗ばかりしてしまう自分を許すことが出来たのは収穫だったと思う。

催眠療法を学ぶことだけは続けていた。潜在意識からの気づきを記録するのは面白かったのだ。何かの形で自己表現をしたいという欲望があった。パソコンに向かい文章を書いていると、時空感覚が無くなり、何時間でも書いていられた。

やがて、学びさえも苦しくなっていった。やっぱり正解が無いのだ。前はAと指摘され、次はBと指摘された。人により正解は違う。実技で、講師から具体的なアドバイスを受ける度に、苦しくなった。おそらく、上述の「空気を読め」体験が思い出され、どうしても自己否定のエネルギーに繋がってしまうのだ。

また、同じことやっている。否定のループにはまり込んでいる。このエネルギー、私に必要なんだろうか。だんだん疑問が膨らんできた。

否定のエネルギーは、思考の特徴である分離意識が原因となっている。脳を使えば必ず違いにフォーカスさせられ、欠乏感が顕になっていく。催眠療法は統合するための療法なのに、そのための技術を身につけるはずの学びは、計らずも否定エネルギーを増大させていった。未だに癒やされていないインナーチャイルドやアダルトチルドレンが悲鳴を上げていたのだろう。

セッションの度に、受講生の顔色をうかがい、講師のコメントに一喜一憂。駄目な自分ばかりが浮き彫りになり自信を無くす。必死にアドバイスをメモし、次は失敗しないぞ!と頭に叩き込む。時に正反対のアドバイスを受けて戸惑う。判断の拠り所となる理由をもっと知りたいと願う。私が知りたいのは現象のみを捉える枝葉のような対処療法ではなく、表に出ない部分、根っこの捉え方だった。

私は、過去の過ちを繰り返した。ワード数枚にのぼる質問書を予め提出した。ほとんどすべて、講師陣により回答をもらえ、とても親身になってくださったと心から感謝している。

ただ、正解ゾンビに成り果てていた私は、あまりに正解に執着しすぎていた。周りに対する配慮に欠けており、空気を読むことに失敗した。

同じことを繰り返している自分に気がついた。計らずも、不快な現実化によりパワーゲームに巻き込まれていった。この同じパターンのドラマは、私が執着を手放さない限り、いつまでも繰り返される。だって、自分が創作しているのだから。ここに魂の課題がある。

ここから離れるタイミングなのだと理解した。私は学びの場に感謝のメッセージを送り、自発的に卒業した。

ノジェスさんの本を読んだ。

脳も五感もイメージもエネルギーさえも、嘘の世界である。脳で絞り出せる答えは、正解ではない。そもそも、宇宙は大いなる嘘から出発している。

本質を分かりかけたと思うなら即座に否定せよ。脳は何も分からない。

生きて死ぬ。ゼロに戻る。正しく絶望せよ。

あなたは一回も誰かに出合ったことはない。

この壮大な嘘の世界は、なんのために展開したのか。

私が私を知りたいという切望は

完璧で無限であるからこその絶望から生まれていた。

「分からない」から、「分かりたい」から、分離という幻を生み出した。

私には、まだ、難しい。

目に見える世界、感じる心はあまりにリアルで、容易に揺さぶられてしまうけれど

もし、嘘の世界にいるのだとしたら

嘘を本当だと思い込むくらいに、嘘でも幻でもいいから誰かに出会いたいと思ったのなら

今、目の前に展開するすべては、あまりに儚く、切なく、愛おしい。

勝ったり負けたり、承認したり否定したり、あったり、なかったり、一喜一憂するこのドラマは、宇宙が見るひとときの夢。

そう考えると、制限だらけの肉体脳が出してくる結論は、ただ、ありがとう。

思い切り、体験して味わって、目の前のあなたに、「出逢ってくれてありがとう」と、心から伝えていきたい。

今はそんな心境でいる。


☆守破離

「いったん全部呑み込んで、感じて、アウトプットするんです。でも、だんだんその車輪が回りづりくなってエラーを起こし始め、苦しくなってきた。舞うことはとても幸せなことだけど、この苦しみは何だろうと思ったときが、自分自身を見つめ直して魂の計画を思い出したタイミングだった。

私も一人の神なのだから、ということを思い出してからは、だんだん自分の中に芯が立ち上がり、エネルギーがスムーズに流れるポイントを見つけられるようになりました。自律性、自主性、自分を大事に尊重するということもできるようになったんです。

いまこの瞬間にも、雨が降るみたいに宇宙からは叡智が降り注がれている。皆がそこにつながればいいだけなのだ、ということをに目醒めました。いまこの瞬間の流れに乗ることを自分の中に許したというか。

でも、それは、先生のもとで修行したベースがなければ、知識や感覚だけでは無理だったと思うんです。

守破離〜教えを守る、破る、離れる

そのステップだったのでしょう。」

舞の道 観音舞家元 柳元美香さんインタビューより

たまたま、本日の投稿をした後に、柳元さんの記事を読んだ。ここに私への回答があるような気がした。

守破離と捉えると、スッと腑に落ちた。

今回の出来事も、今までの悩み苦しみも、私を知るための順調な流れなのだと思う。


☆『転生の終焉』エドガー・ケイシー

地球卒業の魂を持つ17名のリーディング記録


まとめより

①最初から聖人のようではない

後退(誤り)→成長

誤る可能性、失敗じゃない


②職業や能力の継続性

同じような奉仕の機会

パズルの1ビース、個性→理想


③動乱期、分裂期を過ごした

今生中ですら立場が変わる

今度はどうする?


④アトランティス、エジプト

誤り→移民→受け入れる側

ケイシーの過去世でも関わり


⑤金星、水星、木星の影響

アルクトゥールス

太陽系を卒業するか戻るか選択

さらなる学びの場


⑥奉仕(与える)

真理への気づき、学びが多い

心、体、魂を尽くして与える

積極的な忍耐、寛容

裁かずに慈悲の心

分かっていない、誘惑も体験


⑦最高の理想

善と悪、生と死→選ぶ力

意志力は成長を飛躍させる

※You Tube 健康セミナー『転生の終焉』紹介②より


とても学びになったので、メモを残しておく。

こちらの本は、取り寄せて読んでみたい。また、後日私の所感を紹介できたらと思う。

私が地球卒業かどうかは別にして、魂の普遍的な方向性が垣間見れる気がしたので、今回の私の実体験を分析するのに、参考にしたいと感じた。

やはり克服すべきポイントは、私の未成熟な愛の学びにあると思う。インナーチャイルドの反応から分かるように、怖れから出発して誰かに愛を求めてしまう傾向がある。自分の未成熟さが許せないから、他人の中に同じものを発見すると、裁いてしまう潔癖さが際立つ。

「人間なんだもの、間違えるんだよ。たいしたもんじゃないんだよ。人ってそんなもんだよ。」

これは、今回の渦中にいた時に、寄り添ってくれた知人から送られた言葉だ。

最終的には、理不尽な出来事を愛と感謝に変えることが出来た。小さな一歩だが、魂の学びについて、どれだけ進捗したのか、自分で自分に試したのかもしれない。抜き打ちテストだ。

例えば、忍耐と愛を身に着けましょう。相手に優しく語りかけましょう。

と、理想の教えを知っているだけなのと、生活の中で実践できるのとでは、大きな違いがある。

神は、理想は語れても、肉体が無いから実践が出来ない。やってみたくても出来ないのだ。だから、神は意識を分けて、波動を落としてわざわざ制限だらけの肉体をまとい、体験しているのではないだろうか。

私もあなたも一人の神なのだから。




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