暗闇が怖いインナーチャイルド

 年齢退行セミナー二日目の体験を記録する。

☆テーマ

感覚が敏感すぎるところがあり、生き辛かった。幼少期に感覚について悲しい思いをした場面があれば、癒やしたい。


☆安全地帯

紫色の菖蒲畑。背が高い。凛とした感覚になる。畑の向こうは真っ青な空が広がる。スッキリした感じを味わう。


☆小さい頃のアルバムを見ながら幼少期の楽しい場面へ

3歳くらい。赤いスカートをはいている。家族四人でドライブ中。高速道路を走っていて、工場地帯の煙突が何本も見えている。どこかに遊びに行く途中。煙突を見ているのが面白いと感じている。


☆問題の場面へ

先ほどのドライブの続き。到着したのは、何かのテーマパークのアトラクション。西洋のお城のような建物が正面にそびえている。小さな私は、車の窓からお城を眺めて怯えている。そのお城の中には、乗り物があり、建物の中を移動するというアトラクションのようだ。お城の入り口が半円形になっていて、その先が暗闇になっている。

家族はこのアトラクションを楽しみにして出かけてきているので、入りたがっているのだが、私は訳の分からない恐怖感により、「絶対行かない!」と拒否している。

小さい私「すごく怖い。皆は行きたがっているのは分かるんだけど私はものすごく怖くて嫌なの。その入り口の暗いの見たら何だか分からないけどゾゾゾってくる。こみあげてくるくらいものすごく怖い。私は行きたくない。皆は、そんなこと無いから行こうって、なんとかなだめすかして連れて行こうとする。せっかく遠くから来たのだから。楽しいからって。どうしてこの怖さを分かってくれないのかな。皆楽しみにしてるのに私一人が嫌だって言ってる。どうして自分がこうなるのか分からない。絶対行きたくない。絶対無理。だって変だもん。すごい怖い世界がある気がする。行ったら死んじゃうくらい。絶対無理。誰が引っ張って行っても私ここから動かない。絶対行かない。そこおかしいもん。

私が行かないと皆は行けない。置いていくわけにいかないから、結局皆は諦めて、がっかりしてて、ごめんなさいって思うけど。でもどうしようもない。行くって考えたら足がすくんじゃう。

お城の暗いところが怖い。たぶんあの形。よく絵本に出てくるお城あるでしょ。あんな感じ。その入り口の暗いところ。皆にがっかりさせちゃって。遠くまで来たのに。どうしてこうなのかなって。どうしてこんなうまくいかないのかなって思った。何か泣きたくなってきた。(泣く)

どうしてこんな怖いの?みんなと一緒に行けたらよかった。(さらに泣く)

怖いから行きたくないけど理由は知りたい。」

セラピストから提案され、家族に話しかけてみることにする。小さな私は気持ちを家族に伝える。

小さな私「変なところあるからって言われちゃった。ううう・・・(泣き始める)変だって言われちゃった。ううう・・・変なんだって・・・ううう・・・。何で分かってくれないの?うううう・・・・。」


☆大人の私が登場

セラピストから、小さな私の様子を聞かれる。

大人の私「悲しそうですね。ただ悲しんで泣いています。やっぱり原因は知りたいようなんですけど怖いんですね。あのお城に入るのはダメらしいです。」 

セラピストから、大人の私と二人なら原因が分かる場面へ行ってみる?と提案される。小さな私は勇気を振り絞り、承諾する。

小さな私「ああそうか。一緒ならいいか。」


☆原因の分かる場面へ

ぼやっとした世界に到着。夕日。海。山の上。木が茂っている。四角く切り出された石のようなものが積み上げられている。城壁か遺跡か。何かの建築現場か?ここは前世?ザワザワした感覚。意識は小さい私ではなくなっている。

「建設」「落盤」というワードが降りてくる。前世場面は出て来ない。どこかの人生で、閉じ込められたことがあったかも。私の意識がここに来させてもらって、特に何か起きた出来事のところにいるというよりは、心象風景の中で、そういう情報を与えてもらったという感じがする。特に深堀はせず、幼少期の場面へ戻る。


☆幼少期の場面へ

小さい私「いろいろあったんだなあ。って。少し理由があったみたいだから分かってほっとした。」

セラピストから、家族にお話できるか確認される。

小さな私「変だって思ってほしくない。でもうまく説明できない。だって、大人の〇〇さんと夕日見に行って帰ってきましたなんて…。」

大人の私から家族に理由を話す。

大人の私「前世というものがあって、怖い思いをしているから理由が無くても怖くて動けなくなってしまうこともあるし、この子はとても敏感だから、大事に育ててあげてください。」と頭を下げてお願いをする。

父の意識に交代

父「言っていることは良く分からないけど、普通の子とちょっと違う敏感なところがあるとは思っている。それは分かっています。」

小さい私「感覚が違う人がいるんだなあって。いちいち泣いてもしょうがない。今思った。だってわかんないんだもんしょうがないよね。大丈夫。結構、スッキリした。分からない人もいるよねって言う気持ち。悪い気持ちじゃなくて、そっかと言う気持ち。」

大人の私「結構、自分の中で気付きがあったみたいです。表情が強くなった。あ!みたいな感じの。言葉は足りないけど、やり取りの中で気づいたことがあったんじゃないかなと。」


☆大人の私と小さい私の交流

皆が楽しめるところへ行って遊ぶため、ドライブの続きを楽しむ。小さな私は、さっきの工場地帯を窓から見ていて機嫌よく歌っている。工場を見るのが好きらしい。


☆大人のわたしから小さい私へのメッセージ

大人の私「感覚が敏感だったり前世とか目に見えない世界のことが理解出来る人は今少ないけど、大人になったらその感覚を活かして、人の役に立ったり、自分の役に立ったりする時代がちゃんとくるから。大事にしていってね。全然変なことじゃないよ。」


☆安全地帯へ戻る

蝶が飛んでいる。ほっとする。


☆胎児期退行

まぶしい。手足がある。月数がかなり経過している姿を感じる。のびのびしている。胎内ではけっこう自由な感覚になっている。綺麗な音楽が聴こえる。気持ちがいい。

赤ちゃんの私「いろいろ抱えて来ちゃった感じ。けっこうたくさん。でもやり遂げる。」

どうやら、今世の課題のことを赤ちゃんは言いたいらしい。

産道を通る時、母が「うんうん」唸っている声が聞こえる。産まれた後

赤ちゃんの私「お母さんが大変だったみたい。うんうん言っていたから。」と気にしている。「けっこう賑やかだった。大変だったって思った。」

母に意識交代

「嬉しいです。・・・(泣いていて言葉にならない)・・・・ありがとうって・・・・。」

赤ちゃんの私「嬉しい・・・・ありがとう・・・」(しばらく泣く)

母に抱かれてお乳を飲んでいる感覚を味わう。ありがとうと言う気持ちでいっぱいになる。涙がとまらなくなる。こうやって母から無条件の愛を注がれたことを全身で感じる。


☆安全地帯に戻る

体が大きくなった感じ。視点が上になった。ちょっと自信を取り戻したような感覚となる。


☆近未来へ

空の上。雲が見える。質問に答えているうちに、飛行機かもしれないと思う。夫がいる。状況がだんだんはっきりしてくる。

飛行機の窓から雲海を眺めている。機内食(ハンバーグらしい)を食べて喜んでいる。隣には夫が座っている。機内食が出ているということは行き先は海外だろう。自由を感じている。

未来の私からのメッセージ

私「小さい時の両親が私のことを変わっている、おかしいって言っていた。私のことを理解できないからそう言ったのだと思う。そういう人を見る目が私にもあった。夫の繊細な部分にイラっときたりしたこともある。難しいなあって。『同じ事やっていたんだよ。もっと理解してあげないさい。理解してほしかったんでしょ。人の事も理解してあげなさい。』とメッセージをもらった。」


☆安全地帯へ戻る

結局は自分の内面を見させられていた。誰も理解してくれないという思いの根っこが自分の中にあった。すごく腑に落ちた。

☆解催眠


☆感想

なんでお城の入り口が怖いんだろう?たぶん今世ではないのだろうと催眠状態のまま、葛藤した。知りたいけど怖い。何らかの手段で情報を得に行かなきゃいけない。でもそこの場面にいきたくない~。どうやってその情報を仕入れるんだろう?

「大人の私とだったらどう?」と提案されて、「そうか!一人でなければいいか。」という気持ちになったのが転換点だった。「えい!ままよ!」という感じで誘導された場面へ行った。

やはり潜在意識は必要の無い場面は出してこない。こんなことがあったっぽいよ~という情報のみさらっと伝わってきた。潜在意識は信頼できる。その怖い場面にストレートに行ったら、落盤して閉じ込められて怖くて苦しくて息がつまって・・・そういう人生を再体験する必要はない。ただ、こんなふうに怖がっている理由は、きっと前世にあるのかも?というニュアンスだけを伝えてくれた。

そういう人生もある。人それぞれ抱えている課題は違う。私の敏感な感覚のことや、前世からの恐怖感など、家族から理解されなくて、傷ついていたけど、私も理解できない人がいる。

例えば、夫には繊細なところもあって、ちょっとしたことで簡単に傷ついてしまうところもある。私には理解が足りなかった。夫には夫の前世があったり、幼少期の悲しみがあって、人生の中で課題を抱えて、今世で頑張って生きている。

人それぞれ学びが違うということが理解できた。

数年かけて学んで賢くなった未来の私から、「あんたも今そうでしょ?同じじゃない?親と同じ事してるじゃない?夫に対してもそうだよね。みんな抱えている課題違うよね。」とメッセージをもらった。本当だよね。繊細とか、人と違うとか、どうでもいいんだ。小さい悩みだった。みんなそれぞれに課題を持っているってことなんだ。

セッション中は、自分の潜在意識がどう乗り越えるのか興味があった。あまり踏み込まないでくれたセラピストの距離感が心地よかった。声掛けを少なく、黙っていてくれたことで、より信じてくれていたということが伝わってきた。葛藤して悩んで膠着状態であった場合、何かしてあげなきゃ!と、私だったら悩んでしまう。「いいよ。じっくり悩んでいてもいいんだよ。」と伝えられた気がした。

子どもが、葛藤しながらもちょっとずつ何かに気づいていく。「自分で何とかしなきゃ。それにはどうしたらいいんだろう。」と一生懸命考えている。その勇気の元はセラピストの信頼だったかもしれない。セッション中に勇気を得て、一生懸命感考えて、その子は成長していくのだ。解決力はクライアントの中にある。子どもの方が大人より叡知があるんじゃないか。このことこそが、レジリエンスの力なのだ。

言葉少なに、その子の中から出てくるものをいかに待てるかがポイントなのだ。よくぞ待ってくれたと涙が出そうになった。

☆講師の感想

クライアントの繊細な感じる力に委ねたセッション。共感しているけど引っ張らない。流れに邪魔しない。寄り添って行く。そうすることでクライアントがいろいろ気づいていく。すごい様々な気づきをされていた。途中前世行ってどうするのかなと思っていた。やはりそのあたり試行錯誤しながらもまとめ上げた。


☆翌日の気づき

浅いセッションと深いセッションについて。

人には段階がある。解決する力も徐々についてくる。

一気に核心に至る人も、外堀から遠回りして至る人もいる。

年齢退行で、嫌な人物から謝罪され、満足するのは、浅いセッションの方だと思った。

深いセッションは、現実は鏡であり、自分の内面が映し出されている。同じエネルギーが自分の中にあるのだと認めるところに成立すると思う。外側をどうにかしようとするのではなく、鏡に映った映像も自分なのだと認めるところから、解決が始まるように思う。

今回は、幼少期から、胎児期へ行き、全面的に受容されて生まれてきた無条件の愛を思い出した。どんなに嬉しくて、感謝の中で生まれたのかを再体験することで、核心に向き合う勇気をもらえたのだ。

近未来で未来の自分から、「それ、同じことやってるよね。」とメッセージをもらい、ようやく気づいた。

目の前の人は鏡。

いくら、相手に謝罪させても、自分の奥に潜む核心(今世の課題)に向き合わなければ、また、同じことが起きる。配役を変えて次なる嫌な人物が現れたり、心乱される出来事が起こる。同じような体験を繰り返していると思えたら、チャンス到来だ。後は、自分のペースでゆっくりと薄皮を剥いていけばいい。必要なタイミングで必要な学びがやってくる。何かに気づいていくその繰り返しが人生だ。

皆がそれぞれに、いろんな人生課題を抱きしめて、この世に誕生した。皆違うから、意味がある。潜在意識では繋がってその貴重な体験から得た気づきを共有し、この宇宙を豊かに育てている。他愛のない気づきすら、全体を彩るかけがえのないワンピースとなる。

人生課題は玉ねぎのような構造になっている。真ん中に核心が隠されていて、一枚一枚、薄皮をはいで行きながら、課題を解いていく。

核心へのアプローチは、様々なやり方があるだろう。いずれにしても、最初の一枚に手をかけなければ、次の皮は表面に現れない。一枚剥いで、また一枚。下から次々に現れる課題にひたむきに取り組んでいるのが、私たちの魂である。

私たちは、それぞれに人生課題を抱えて生まれてくる。たくさん抱えてきた魂の玉ねぎは、何層の皮に包まれて、核心までたくさん皮を剥かなきゃならないけど、中には、一気に核心に到達する魂もいるのだろう。一枚剥いたら終わり。おそらくその魂は転生経験が豊富で、やり残した課題が少なかったのだ。人間転生卒業の最後の詰めとして、今世にやってきたのだ。

なぜ、核心が見えないように、わざわざ皮を何層にも厚く纏わせてくるのか。それは、学びを効果的にするためなのだと思う。一つひとつ皮を剥いていくこと。(=問題を解決したり、何か気付きを得たりすること)その過程にこそ意味があるからだ。魂は、結果ではなく過程から様々な学びを得る。

だから、一気に核心に到達してしまうのは、魂から見ればもったいない話なのだ。それだけ体験が少ないということになってしまう。より深く、より豊かに気付きを得たいから、わざと複雑にしているのだ。

そう考えると、解決が早いから偉いというわけでもなく、人と比べる必要は一切ない。今世を生きている一人ひとりが、それぞれのペースで、魂の学びをしている。誰もが尊い存在なのだ。

こう考えたのは、セッションをしていると、何となく、ここに核心があるのだろうな~と感じることがある。クライアントに水を向けてみても、たくみにかわされてしまうことがある。まだ本質に向きあいたくないクライアントは、いつまでも同じ課題を握りしめていることが多い。それを潜在意識が望んでいることに気が付けない。頭では解決したいと願っていても、いくら改善できる情報をもたらされたとしても、それを活かすことなく、同じ問題に捕縛されてしまう。何故なんだろう?と思っていた。

面談時に、課題に焦点を絞っていく過程で、私が方向をコントロールしてしまっているようだと講師から指摘された。確かに、ここに核心があると思うのは私の勘違いかもしれず、クライアントはまだそこに向きあいたくないこともある。クライアント中心(主体)の療法である催眠療法では、課題へのアプローチも、どれだけの皮を剥くか剝かないかということも、クライアントの意思を尊重する。セラピストはそこに踏み込むことはない。ただ、考えの整理をして差し上げるだけである。そして自然な流れで潜在意識優位にして、クライアントが自力で問題解決するのをただ見守る。必要最低限の静かでシンプルなセッションが一番適切であり、本来テクニックは一切不要なのだと萩原医師は言う。そういう意味では、初めてスクリプトを読む初心者受講生であっても、深い気付きを得るようなセッションを誘導できることもあり、ヒプノセラピストには誰でもなれるわけである。才能など必要ないのだ。

わざわざ過程を楽しむために厚い皮を纏ってきたのに、セラピストが勝手に皮を一気に向いてしまうようなことは、避けなければならない。その皮(課題)を剥くのは、クライアントがやりたいことであり、その学びを奪ってしまうようなことはしてはならないのだ。その方の魂が転生してきた意味が無くなってしまう。

どんなにゆっくりな歩みであろうと。行きつ戻りつしていようと。過程にこそ意味がある。葛藤の中にいることに、渦中にいることに、どっぷり浸かって味わうことに、醍醐味がある。私に出来ることは、クライアントの一歩一歩の歩み、その勇気をとても尊いと思い、見守ることなのだと思う。


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