前世療法体験~家族の課題を探る

 前世療法セミナー二日目。私の前世療法体験の記録である。

☆テーマ

家族という大きな枠で、課題を知りたい。私の人生は、一貫して家族の課題に向きあっている。何らかのヒントが得られればうれしい。現在、父が認知症で施設に入所している。父の感じていることも知りたい。

☆安全地帯

小さな、青と紫の花畑。薄曇りの空。足元の土には、大き目の砂利のようなものが混ざってごつごつしている感触。

☆前世への階段

丸いマンホールみたいな穴の中、砂で薄汚れたコンクリート製の階段がまっすぐに下りている。

☆前世の世界

黄土色の固めの砂。砂漠まではいかないが荒地のよう。地面のイメージから、中東あたりか。世界地図では、エーゲ海あたりが気になる。BC.かAD.600年?いずれにしても古い時代。アントニオ。逞しくエネルギッシュな男性。20代。白い一枚布をまとって肩のあたりで留めている。

☆アントニオの家

粗末で小さな四角い家。玄関は無く、入り口に大き目の布がかけられている。家の中に家具らしきものはない。

☆食事の場面

マスカットのような葡萄が、目の前に見えている。女神のような美しい女性が葡萄を収穫している姿が見える。葡萄畑の傍らで、大勢の男性が、ピクニックみたいに地面に料理を広げて、お酒を飲んだり、ワイワイ楽しんでいる様子がぼんやりと感じられるが、はっきりとビジョンで視えているわけではない。アントニオは、情熱的で、ちょっと短気で、エネルギーを持て余している、やんちゃな性格だったようだ。

食事はいつも戸外でとっているわけではなく、たまたまピクニックの場面が出てきた感じ。先ほどの女性以外、他に20人くらいいるはずの男性たちの姿ははっきりしない。気配だけを感じて、そうかな?と捉えている程度。

この女性に意識交代し、情報を得る。

アントニオは、その美しい女性(妹)に恋をしている。まぶしい思いでいつも見ている。妹もそれを感じていて、戸惑っている。嫌な気持ちではないが、当時も近親婚は禁じられていたので、心の内に秘めるしかない恋心だった。

☆大切な場面

視界の左上部に、巨大な白い三角形が見える。紙飛行機みたいなイメージ。あとは、黄土色のグラデーションの世界。ぼんやりして、何も分からない。アントニオの感情を探ってみる。何かに挑戦しようとしている。やる気のような気持ちを感じる。

☆次の大切な場面

巨大な石造りの遺跡のようなイメージ。地一面に、長方形に彫られた模様で埋め尽くされている。前方に太陽の光を集めて放射するような装置が見えている。アントニオ30歳。何かを発明し、エネルギーに関する仕事に携わっている。20代のやんちゃな感じは無くなっていて、落ち着いた男性に成長している。その装置を見ても、喜びとか、浮ついた感情はなく、ただ、淡々と作業をしている。成功者であったようだが、特に喜びを感じているわけではない。

☆臨終

浅い水位の茶色い池のようなところで、仰向けになっている姿。何故死んだのかよく分からない。35歳くらいで死亡。

☆魂への質問

どのような人生だったか

「仕事の上では成功したが、恋は実らなかった」

次はどのような人生にしたいか

「好きな人と結ばれたい」

☆今世の私と前世魂との対話

アントニオから、何とも切ない感情が伝わってくる。成就しなかった恋心がどうにも満たされなかった様子。理性では、どうしようもなかったことを分かっていても、気持ちはどうにもならない。物質や地位が恵まれても、人は幸せになれないことを学ぶ。アントニオとエネルギー交換しながら、その執着を手放すよう、どうにもならないことへのこだわりを捨てるよう、やんわり諭すイメージを持つ。

☆グリーフセラピー

中間世では、亡くなった人や、存命の人物の意識と対話することも可能。

そこで、認知症でコミュニケーションがとれなくなった存命中の父の意識とつながってみることとした。今どんなことを感じているのか知るために、意識交代する。

ただただ、悲しい気持ちが伝わってくる。

父の気持ち「家に帰りたい。普通の生活がしたい。(私に対しては)元気なら良かった。」

父の感情をリアルに体感し、涙がボロボロ流れる。

家に帰してあげたいけど、どうにもならない。父の容体は、既に介護のプロの手助けを必要としており、私たちには、施設に入れるしかベストな選択肢は無かった。父の悲しみに対し、何も打つ手がない。ただ、許されたのは月一回の施設訪問(10分の制限あり)のみ。

ここで、大きな気付きが起こる。

私「人生には、どうにもならないことがある。」

努力しても、力を注いでも、何とかなるものとならないものがある。変えられないものに対し、いつまでも執着し悲しんでいるのが、私たち人間だ。

アントニオもそうだった。妹への恋心を成就するには、結婚しかなかった。しかし、社会の仕組みがそれを許さなかった。恋心を秘める選択しかなかった。妹への執着を一生手放せず、どんなに他の面で成功して、他の望みが成就しても、幸せになれなかった。100ある出来事のうち、99が望み通りになったとしても、たったひとつ、望みが叶わないことがあると、そのひとつにフォーカスするあまり、人生を謳歌することができなくなってしまうのだ。自分で自分のエネルギーを下げてしまう。

父もそう、母もそう。そして私もきっとそうだ。

頭では分かっていても、99の恵みより、たったひとつの欠乏に気を取られ、幸せを忘れてしまう。どうにもならないことなのに、何か出来るわけでもないことに対し、いつまでも執着して悲しんでしまう。

変えられないことがあると覚った時に、あきらめる(明らめる)。

同じ出来事が起きていても、明らめるかどうかで、人生の進む方向が分かれるように思う。光に進むのか、暗闇に進むのか。人生に同じことが起きていても、幸せを感じて満足して一生を終える人もいれば、不幸ばかり感じて、後悔して一生を終える人もいるだろう。

どちらの道へ進んで、魂を成長させていきたいのか?どちらのコースを選択しても、その魂の望み次第。良い悪いではない。どちらのコースも学びに満ちている。

アントニオだって、転生して、妹の魂と生まれ変わってから結婚したとしても、実は喧嘩ばかりの結婚生活で、やはり満ち足りなかったかもしれないではないか。不足にフォーカスすれば、いくらでも不幸の種は用意される。欲望は果てしない。新たな欠けを発見してしまうので、永遠に負のループから抜け出せず、悔いを残して、輪廻転生を繰り返すのだ。まあ、これが人間ドラマの醍醐味なのだろう。つまり、あまりの刺激の強さに、その遊びから抜けられなくなっているのが、地球で体験中の私たち魂の現状なのだ。

☆安全地帯へ戻る

父の悲しい感情が私の中にリアルに入ってしまったので、大粒の涙を流し続ける。

セラピストから、「何かここで、他に出来ることがあったら、おしえてください。」と優しく声をかけられる。

セッション終盤で、開始時より、あまりにエネルギーが下がってしまった場合、解催眠前に、ヒーリングや不要な感情の手放しなどを行うことも出来るので、このように声掛けされる。抱えてしまったネガティブなエネルギーを、この時点で何とかするかどうかは、クライアントに委ねられる。これは強制するものではない。

私は、「この悲しみ、辛さ、父の感情は、大切に現実に持って帰りたいと思う。ここで、癒やしたり、手放したりするのは、違う気がする。この父の思いを宝物として、今後の人生で醸成させていきたい。一年かかるか二年かかるか分からないけど、この宝物を大切にすることで、きっとここから何かを学ぶのだと思う。今、私の感情が軽くなる必要はない。このままでいい。」と伝える。

☆解催眠

号泣しながら催眠から目覚める。悲しすぎて嗚咽しそうになったので、しばらく落ち着くために一人となる時間をもらう。顔を洗って出直したら、とてもスッキリした。7分後、笑顔でZOOM画面に戻ったところ、セラピスト役の受講生が、ほっと胸をなでおろしていた。「笑顔になられて良かった・・」とおっしゃってくださる。心配してくださった彼女の人情に、ぐっときてしまう。有難いと心から思う。

☆感想

実は、このセッション相手はまさに宇宙の采配ではないかと思わされた。課題が対になっていたのだ。私が今回のセッションで学ぶことは、「もっとシンプルでいい。」ということだった。「潜在意識にまかせていれば、必ずベストな事が起こる。それを信じればいい。」という単純明快なことを、しっかり落とし込むための現実化だった。

セミナーの実技であるため、セッションは役割を交代して行う。この前に、私は彼女をセラピストとして誘導していた。

私は、彼女へのセッションを失敗したのだ。これが本番だったら大変申し訳ないことになった。事前面談で、彼女を不安にさせるような発言をしていたため、彼女の潜在意識が蓋をしてしまった。セッション中、心の隔たりを感じていた。信頼関係を築くことができなかった。これは大反省だ。例え自分に自信が無くても、「自信がない」など口にしてはならないと肝に銘じた。自信がないセラピストに自分の大切な部分を開示したいクライアントなんているはずがない。

蓋をされているので、どんなに誘導しても情報が出て来ない。焦るあまり、不要な質問を重ね、前世での大切な場面も多めに誘導してしまった。

萩原先生が私のセッションを見て、講評してくださった。「もっとシンプルでいい。質問しすぎている。情報を欲しがりすぎている。余計な事は聴かなくていい。スクリプト通り進めばよい。」と、シンプルさに戻るようご指摘くださった。どうやら、何とか情報を得ようとガツガツしてしまい、それが全体の流れにぎこちなさを生んだようだ。

そして、役割を交代しての上述セッションだった。彼女は、催眠療法は初心者でも、本業は命や心の領域でプロとして活躍されている。だから、誘導はスクリプト通りでシンプルであり(余計な事を何ひとつしない)、かつ、クライアントの潜在意識を100%信じて寄り添う姿勢が一貫していた。結局は、信頼が全てであり、スクリプトはシンプルで最低限であっても、必ずベストなことが起こるのだ。それを反対の立場で、「本当にそうなんだ!」と確認させてもらえたのだ。あまりに対照的なセッションであったため、私の勉強不足なところが浮き彫りとされ、今の課題がしっかりと把握できた。私は、このことを学ぶために、この方に出逢えたのだなと、心からご縁に感謝した。

そして、さらに面白いことに、彼女の前世からの気付きが「シンプルな、さっぱりした人生だった。それでいい。」ということだった。私が今回学ぶべき課題と、被っていてビックリした。このように、セッションの組み合わせは、ランダムなのだが、まるですべてを把握する大いなる存在により、ご縁結びがなされているとしか思えないことが起きる。

今回の前世体験では、今までと違う体験をしていた。

情報量があまりに少なかったのだ。

しっかり潜在意識にも入れているし、誘導もスクリプト通りだし、質問も抜かりない。いつもと条件は同じはずなのに、伝わってくる情報があまりにも少ないのだ。場面を見ていても、「これ、何の事かサッパリわかりません。」という発言ばかり繰り返した。見える場面もぼんやりしていて、まるで砂嵐の中にいるようで、気を抜くと、さあっと崩れてしまいそうな儚さだった。前世ストーリーからは、「妹が好きだった。」「仕事で成功した」というくらいしか情報を得られず、この乏しい情報から何に気づけばいいのか、さっぱり分からなかった。

ところが、終盤のグリーフで、父の意識とつながった時に、全てが一本線につながって、電撃のように気付きがもたらされた。ああ、そういうことか!と一瞬で腑に落ちた。これが潜在意識がもたらす気付きの特徴である。長々説明する言葉より先に、「あ、そうか!」というスコ~ンとした開ける感覚が訪れる。その気付きはほんの一瞬なので、後から文章にすると、かなり文字数を要することになる。思い出しながら、言葉に翻訳する作業となる。

気付きも一種のエネルギーなのだろう。波動が変わり、タイムラインを移行するとは、こういうことに繋がるのかもしれない。私自身のエネルギーが一瞬で変化するのだ。だから、持っている情報も一瞬で書き換わる。萩原先生は後日ブログに、前世療法は、量子的飛躍が可能と表現されていた。

もし、グリーフが手順の中に無かったら、私は何の気付きもなく、不満足でセッションを終えただろう。潜在意識の世界で、今日起こることは、時空を超えて、もう手配済なのだ。もうベストな事が起こることは決まっていて、私はそれを体験するだけになっている。そういうことなんだ。

そして、潜在意識は、不要な情報は出してこない。私の顕在意識が「情報が少なすぎる」と不満に思っていても、潜在意識は、「今日の気づきに必要な情報はこれだけあればいい。まあ、待ってなさい。ちゃんと後で全て判明するから(笑)」と余裕綽々なのである。だって、ベストな事が起きていることは、間違いないのだから。

これでいいのだ。(まるでバカボンの父の台詞・・・ああ、深い。)


☆量子的飛躍について

量子の世界は、波動エネルギーで語ることもできるだろう。目に見えない世界と橋渡しするための考え方を科学で提示してくれる。

私の量子的飛躍体験を書いておきたい。

目の前に起きていること、感覚、感情は、変化するものである。常ならぬもの。無常。確かではない、幻。

このことの意味を私なりに体感した出来事だ。


この日、先に行ったセッションで、私のセラピスト役への指摘を先生とクライアント役からいただく時間があった。

クライアント役は潜在意識優位になっているため、本音がわかりやすい。取り繕うことが出来ない。彼女はセッションに満足していないことを明らかに示していた。私に、「あの場面では、Aということをしてほしかった。」と教えてくれた。

それを受けて、先生も「○○という部分を拾えばAが出来る。」と、Aを行うのが正しいと指摘した。

私は、その指摘に、一瞬抵抗する気持ちが湧いた。今まで学んできた中で、Aをしなかった理由を説明できたからである。ここで、私の前には2つの選択肢がもたらされた。現実化の岐路である。

Aにこだわり、自分の正当性を主張し、抵抗するか。

ジャッジなく、現実をそのまま、穏やかな気持ちで受け入れるか。

私のエゴは、「私の正しさを相手に分からせろ!不快な気持ちを表現しろ。」と主張してきた。

私は、一瞬、選択する間を与えられ、思考ではなく、ハートに従った。咄嗟の無意識の判断である。

私は、エゴの気持ちも2割ほど感じつつ、ハートに従う行動をとった。まず、落ち着いて、ありのままを受け入れることにした。私が正しいとか、指摘が不本意でムカつくとか、そんな自我の主張から意識を切り離した。

「ああ、そうでしたか。そのように感じられたのですね。教えていただきまして、ありがとうございます。」

静かな気持ちで、教えてくれたことに、まず、ありがたいという感謝の気持ちを深く味わい、笑顔と声で表現した。これも偽りのない、ハートの領域に感じる私である。

おそらく、ここで、私が発する波動エネルギーが、大幅に変化したのだと思う。

数分、お手洗い休憩をして、戻ってきたら、まったく話が変わっていた。Aの話がまるで無かったかのように、Bになっていたのだ。Bは、私がとても納得できる流れだった。

ここで、「先生、さっきAって言ってたじゃないですか!どっちなんですか!」と、切り込むことも出来ただろうが、私はしなかった。ああ、変わったんたなと、それも受け入れた。

私が量子的飛躍をして、フォーカスするタイムラインが変化したのだと捉えることにした。パラレルシフト。発する波動に応じて、私たちは、あらゆる可能性の現実を、ぼんぽん移動している。波動変化が小さければ、パラレル変化も少ないから、気が付かない。私たちは、たいてい、少ない変化の中で、無意識に現実を渡り歩いている。

波動が一気に何段階も超えて変化すると、Aが、Bになってしまい、まるで違う世界に来たようで驚くことになる。

前提を思い出してみたい。

現実は幻であり、いかようにも変化する。時間は連続して流れているわけではなく、今、今、今。今というひとコマしかない。過去も未来も無い。思考や判断をしている自我も無い。

私は正しい。相手は間違い。ジャッジする自我も、幻であり、観察していると、やがて消えていく。あらゆる感情も感覚も、目の前の映像も、消えていくのであるから、その流れをありのままに眺めていれば、同一化してしまっていたドラマから抜け出すことができる。

後は、その体験を楽しむだけである。

源の意識に目覚めるまでの、ひとときの夢の世界を。

源意識は、愛と感謝のエネルギーに満ちている。いつもその波動をまとい、静かにニコニコしている人は、もうすぐ夢から覚めるのだろう。

微睡んでいる人は、ただ、至福である。


☆小林正観さんの話

話は変わるが、正観さんの講話から。

私たちは、人生で25000人の人と出会う。だいたい、その同じ25000人で、何千回と転生している。

正観さんは、誰に対しても態度や話し方を変えることは無い。親しい友人でも、初対面でも、同じ。

なぜなら、今日、初めて会った人も、25000人のうちの一人なので、既に家族のようなものだからだ。

例えば、講話をしている会場の、目の前の男性は、過去世では、9回夫婦をやっている。二列目の女性とは、8回。三列目の方とは、7回。「私は、あなたの妻であった時に、足蹴にされて、ヨヨと泣いた人生もあったかもしれない。」と。

「だから、この人生で会う方は、みんな何千回も、役割を変えながら、既に会っている。親しい家族だったこともある方々ばかりなのだ。」と。

本当に、そう思う。

今日、街へ出かけて、一瞬すれ違った誰かとも、過去世では親友だったかもしれないのだ。みんな、みんな、愛する誰かだったかもしれない。

そう思うと、心が柔らかく、あたたまる。

世界は大家族だと思えるようになれば、やがて、すべては私であり、私はすべてである。みんなひとつの存在である。という意識に目覚める日も近いだろう。





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