未来から吹いてくる風
私たちは、時間の流れについて、ある概念に縛られている。
過去→現在→未来
この一方向に流れるものだと信じて生きている。
今、目の前で起きていることに不安を感じたり、諦めたりしてしまうと、望む未来を創造できない。
実は、未来→現在→過去という流れであると、信じられるだろうか?
未来は、自分で、創れてしまう。実は今までも創ってきている。
他人から見ると、どう考えたって不可能だと思えることを、誰かが実現してしまう。他人はそれを「奇跡だ!」と驚いて受け止める。その誰かは奇跡を信じて未来を創っていただけである。
昨夜、YouTubeで、桜庭露樹さんの話を聴きながらウトウトしていた。桜庭さんの体験談は毎度ながら面白い。「アホと素直と行動力が世界を救う」というコールが、この番組の冒頭に流れるのだが、これは真理かもしれないと笑いながら思う。
確かに、思考ばかりに頼って、行動に制限をかけているより、未来を信じて動き続けている方が、夢実現の可能性は高まるだろう。思考優位は顕在意識の狭い価値観に頼るので、直感(潜在意識)とつながれなくなってしまう。本質の自分とのコンタクトは、直感&インスピレーションでしか取れないのだとすると、パッとアイディアが浮かんだら、サッと行動するのは大切だ。
桜庭さんによると、望む未来を創るには、行動を起こすことだと言う。
例えば、一年後に海外旅行へ行けたらなあと願った。行けたらなあ・・・だけでは未来は動かない。実際に、一年後のチケットの予約手続きをしてしまう。この行動をすることで、未来が形づくられてくる。桜庭さんは、旅先の現地でも、様々な事件に遭遇する。その都度、諦めずに考えつく限り、行動することを止めない。その熱量は、半端ない。他人から見れば「この人アホじゃない?」と笑われるくらい。そして桜庭さんは、数々の奇跡を起こして、素晴らしい体験を実現し、大満足で帰国する。その「アホと素直と行動力」に裏打ちされたエピソードをお聴きしながら、大爆笑しているうちに、なんだか私も勇気が湧いてくる。よし!私も何かやってみよう。未来から風を吹かせてみよう!そんな、明るい気持ちになってくる。
どうしても、何かしたいと思っても、思考が邪魔をする。失敗を恐れる気持ちが膨らんできて、諦めてしまう。こういうのを大人の分別と言うのだろう。小さいころから、家庭や学校で、失敗は避けるものとして躾られてきた。安全な道だけを進む。前人未到の険しい道、前例の無いチャレンジなどは、もってのほか。まわりは口をそろえて反対してくる。そこで諦めたら、もう抱いた夢は実現しない。棚からぼたもちが落ちてくるのを待って、「なかなか思い通りにならない」と嘆いているのが、多くの一般人だろう。たま~に、神様の気まぐれか、行動しなくても望む未来が用意される人もいるのだろうが、よく分析してみると、それも潜在意識の中に要因が潜んでいるに違いない。
そう言えば、私も、数少ない体験ではあるが、諦めなかったことで望む未来を引き寄せたことが、半世紀の人生の中で、燦然と輝く転機となっている。
分かりやすいのが、夫との結婚だ。私の両親から大反対を受け、しっかり勘当された。父からは、「葬式には出席させない」とまで言われた。職場関係の、信頼する方からも反対された。それでも諦めなかった。一年間説得の努力をしてみようと夫と相談して決めた。そして、説得できなかったとしても一年後は結婚しようと約束した。両親とはその後、10年近く疎遠になったが、私たちは決めた通り、一年後に結婚した。その間、結婚に向けて、式場の予約をしたり、旅行の手配をしたり、ひたすら未来のゴールに向けて動き続けていた。このように、周りからの大反対を受けても諦めなかった理由は何だろう。「そうすることになっている。」という揺るがぬ自信があった。夫と共に歩む未来しか思い描けなかった。おそらく、このご縁は魂の約束だったのだろうと思う。そして、私の今世の課題が、「自立」にあったのだろうと今なら思う。ちなみに、現在、夫は私の両親から信頼され、「優しい人だ」と受け入れられている。他の人生の選択は無かったと思うが、もしも私が親の反対を受けて、この結婚を諦めて見合いでもしていたら、今頃不本意な結婚生活に嫌気がさして、荒れまくっていたかもしれない。今、私は夫と穏やかな人生を送ることができていて、とても幸せだ。この未来を引き寄せた私を褒めちぎりたい。「よくぞ諦めず行動した!」と。この未来創造は、私の人生の中の大きな勲章である。
~「あしたにしようか明後日にしようかと二十三日の暮方店の火鉢で一人考えて居りました。その時頭の上の棚から御書が二冊ともばったり背中に堕ちました。さあもう今だ。今夜だ。時計を見たら四時半です。汽車は五時十二分です。」1921年1月23日夕方、二十五歳の賢治は、日蓮の「御書」に迷いをふっきられて、家出し、東京へ向かった。決意はすでに前年には固めていた。~『図説 宮沢賢治』66頁より
私は、この部分を読んで、「棚からぼたもち ならぬ 棚から 日蓮!」と、思わずニヤリとしてしまった。
賢治のその後の偉業を鑑みても、この出京は人生の転機に相違なかった。魂が、迷っている(自我意識の)賢治の背中を押すために、日蓮の御書が落ちるという現実化を引き起こし、本質が希求する道へと強烈に誘った。ここで、賢治が親の反対に心折れ、諦めてしまっていたら、賢治の童話作品を私たちは目にすることもなかった。とりあえず東京へ出るという行動を起こすことで、東京で必要な人と出会い、賢治の世界観を確固たるものとする道を歩んでいった。
生前の賢治は、文学界で評価を得ていたわけではないのだが、未来の人類の霊性進化のために、既に100年前から準備をしていてくれたことになる。あの時、賢治が家出をしてくれたからこそ、私たちは『銀河鉄道の夜』などから魂の学びを得ることが出来ている。賢治の決意と行動が、未来からの風を吹かせたのである。まわりから反対されても、不安に負けず、行動すること。その勇気こそが大きな可能性を開く鍵なのである。
結果はどうであれ、行動することに意味がある。狭い狭い価値観で計られる物質次元での成功や失敗など、魂視点から見れば、ほとんど意味はない。魂にとって、行動から生み出される体験こそが、今世で得るべき宝なのだから。本来の意味での「失敗」など、一切存在しない。すべてが「輝かしい成功体験」である。この点は、今夢中になって読んでいる『バガヴァッド・ギーター』にも書いてあるので、後日紹介できればと思う。
さて、未来が創れるということで、私のささやかな体験を最後に書いておく。
昨日、よい天気に恵まれたので、虎ノ門方面へ散歩に出かけた。家を出発した際に、青空を仰いで、こう宣言した。「今日、必ず、彩雲かハロ(日暈)が見られる。私は必ず見る!」高次元からの祝福あふれるメセージ「うまくいっているよ!」の合図である、美しい光を現実化するために、まずは未来を信じ切ったのである。
次に、行動である。私は度々、空を見上げて、青空観察を続けた。歩きながら空を眺めているわけなので、閑散とした虎ノ門の歩道とはいえ、「ほら、足元フラフラするから。危ないから。ちゃんと歩きなさい。」と夫に再三注意された。それでも、私は天空から必ず合図があるはずと疑わなかったので、時折青空を眺め続けた。つまり、諦めなかった。(足元は気を付けましょう~)
そして、私の熱意が空の雲に通じたのだった。
光の輪の一部のみが写真に写っているが、虹色の環が見えるだろうか。
このように、私は未来を創った。
不安はゴーサインとも言う。
未知の世界は誰でも怖い。本能が、必死になって止めてくる。自我意識は変化を嫌う。いろいろ理屈をつけて、行動を回避しようと仕掛けてくる。
しかし、自我意識は、本当の我ではない。この地球を肉体を持って生き延びるための仮初の意識でしかない。頭で考える私と、ハートの奥深くに潜んでいる本当の私は、望むことが正反対なこともある。もし、あなたが魂の望む道を歩みたいと願うなら、本質に生きたいと望むなら、簡単なことからで良いので、夢を描く→決める→小さなことから行動する を試してみていただきたい。今夜カレーライスを作って食べる!だって、立派な現実化だ。カレーの材料を買いにスーパーへ出かける。これも立派な行動だ。同じ要領でいい。
私も未来からの風を爽やかに吹かせるため、日々の体験を大切にしていきたいと思っている。
そして、上記投稿した直後
家を出たら、ハロが出ていた(笑)
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