久遠寺再訪

4月14日(金) 山梨県の身延山久遠寺へ。

こちらには、昨年9月30日、富士山初冠雪の記念すべき日に初めて参拝に訪れた。こちらのブログを読んでくださっている方は、記憶に残っているかもしれない。

あの時は、まだ左胸に出現した腫瘍がどのようなものなのか判明しておらず、検査のために病院に通っている時期だった。当時の心境はよく覚えていないが、目に見えない世界から、たくさんの応援をもらっていた。その感謝の気持ちは今もありありと思い出すことができる。

今年の1月、2月と、無事に手術を済ませ、しっかり療養もしつつ、のんびりとした春を迎えていた。ずっと見守ってくださった日蓮さんにお礼を申し上げに行きたいと思っていたので、夫と私の誕生日祝も兼ねて、ドライブがてら身延山を再訪した。


早めに山の麓に到着したため、早朝の久遠寺を満喫。まだ観光客が訪れていない時間帯のため、静かで美しい境内で、写真撮影などしながら、9時発のロープウェイ運行開始を待った。

15分前にロープウェイの駅に行った。先に入口前に立って待っていた、痩身の男性が、合掌しながら、私に「おはようございます。」と頭を下げてくださった。その所作の美しさに、思わずうっとり感心してしまった。その挨拶を受けただけで、私の心は僧侶の清らかさに癒されたような気持ちになった。しみじみ嬉しかった。

その後、数人の作務衣姿の若者が駅に集まってきた。山頂の奥の院へ出勤?する僧侶達なのだろう。リュックを背負い、トレッキングシューズを履いて、スマホを手にしているところは今どきの若者だが。彼らも、次々に合掌しつつ、私を拝んでくださった。爽やかに「おはようございます!」と互いに挨拶を交わした。ああ・・・お寺の朝は気持ちがよい。

何だか、美しくも、不思議な世界に足を踏み入れたような気がした。初対面であろうと、その人の中にある仏性(本質そのものの光の美しさ)を見出し、手を合わせて尊んでくださるからなのか。お釈迦様の教えを日常において、修行の一つとして実践されているのだろう。朝からたくさんの若い僧侶たちに大切に扱っていただいたことで、心がほんわかと温まった。

「おはようございます」に心を込める。合掌一つの所作にも、魂を込める。ありとあらゆる、すべての存在と、そのご縁に感謝して、自然と頭を下げる。あらためて、今まで私は朝の挨拶をなおざりにしていたことに気づき、反省したのだった。

始発ロープウェイに乗り、徒歩2時間もかかる登山をたった7分で頂上へ運んでもらった。よい時代になったものだ。開闢当時53歳の日蓮さんは、日々この山をご自身の足で登られたのだ。夫と私は54歳。似たような年齢であるため、それだけで親近感が湧いてくる。

先程の若い僧侶たちは、一本早い便で出発していた。どうやら、朝は関係者便があるらしい。

始発には、遠方から参拝に来たであろう、袈裟姿の初老僧侶と、その檀家さんらしき四人組。頭を丁髷にした大柄な男性。ロープウェイカードについて、私に熱く語ってくれた一人旅のマニア男性、スタイリッシュなトレッキングスタイルでビシッと決めた70歳くらいの女性。トレンチコート姿のOLが乗り込んだ。人間観察が楽しく、あっという間に時間が過ぎた。

頂上に着くと、OLは、なぜか登山道をさっさと下っていった。まるでオフィス街を闊歩するような姿で、これから二時間かけて下山するつもりなのだろうか。何か心の悩みでも抱えていらっしゃったのだろうか。まあ、それはそれで、素敵なチャレンジだなと思う。

他の方々は、奥の院思親閣へ足早に向かって行った。トレッキングスタイルの女性がせかせかと私たちを追い抜いて石段を上がっていった。まるでバーゲンセール会場へ殺到するようで、先を争っているような利己的なエネルギーを感じて、少し嫌だった。私たちはわざとゆっくり進んだ。清らかな森の空気を深呼吸し、可憐な花を愛でたり、心の中で日蓮さんに話しかけたりしながら、山頂の境内をゆっくり進んだ。


今回の私の目的は御開扉コースに参加することだった。日蓮大菩薩像は普段は非公開なのだが、一名につき千円を納めると、開扉された仏壇前で、僧侶の読経とともに像を拝むことが出来るのである。昨年9月も参加したのだが、若い僧侶の溌剌とした読経を聴いて、心が洗われたことは記憶に新しい。前回は参加者は私達夫婦のみで、静かなひとときを過ごせたので、今回も静かだといいなあと密かに願っていた。しかし、今回は既に待合室に、5人も待機していた。春の観光シーズンなのだから、仕方ない。目的はお礼詣りなのであるから、日蓮さんにその気持ちを伝えられたらそれでいいのだと自分に言い聞かせた。

そのうち、次のロープウェイが到着したのだろう。人が続々と集まり出し、総勢30人ほどに膨れ上がった。待合室付近は一気に笑い声やおしゃべりの声で賑やかになり、私は正直がっかりした。日蓮さんと心静かなひとときを過ごしたかったのが本音だったから。ついつい9月の参拝と比較して、悶々としてしまっていた。

日蓮大菩薩像を拝む仏壇前は、御開扉の参列者で、すし詰め状態となった。どうやら、9割の方々は、遠く九州から参集した檀家仲間で、日蓮宗僧侶が地元で住職になられたお祝いとして、主役の僧侶を囲み、奥の院に参詣に来たようだ。そんなご縁もあり、今回の読経は、久遠寺でも位の高い僧侶が担当してくれた。この住職就任祝いに紛れ込まされ、戸惑う私たち夫婦であった。こんな大切な場に、場違いな私達が居てもいいんだろうか?

私達は、入場の流れで最前列に座していた。ツアーの皆様は遠慮して後方にぎっちり座り、「住職、前にどうぞ、ぞうぞ。」と押し出されて来て、恐縮しながらも隣に座られたのが、袈裟姿の僧侶3名だった。しまった!私たちも遠慮して後方に下がるべきだったのだろうか?とちらっと思ったが、厚顔にもすぐ思い直した。地元の方々から尊敬されている様子の僧侶たちと並んで扉奥の日蓮像に熱い目線を送る私達は、上座下座もどうでもよくなり、いつしか、お釈迦様の説法を共に聞く霊鷲山での五百羅漢のような、貴賤も地位も無く、共に魂の学びをしている子どものような連帯感を感じ始めていた。私の隣の新住職は、感動で涙ぐみながら、日蓮像を仰ぎ見て、手を合わせていた。彼の熱い気持ちと感動の震えが伝わってきた。同じ一人の人間として、遠く九州から遥々やって来たこの僧侶の門出を共に祝いたいと私も思った。

やがて、朗々と読経が始まった。私には何のお経なんだか、さっぱり分からず、ただ、目を瞑って音を味わった。すると、次の瞬間に、面白い展開となった。皆様にとっては慣れ親しんでいるお経なのだろう。前後左右からの支流が本流に次々流れ込むように、お経が唱えられ始め、大奏上へ変化していったのだ。その場の全員の気持ちが本流と一体化し喜びの激流と化していった。

「南無妙法蓮華経」のところのみ、私も一緒に唱えてみた。経文は、音霊でもある。自身の声で内側から、周りの僧侶の声で外側から、四方八方から宇宙音が鳴り響く。細胞がビリビリ振動し、魂の奥深いところから感動が湧き起こってきた。涙がポロポロと流れた。このような貴重な機会に恵まれて、有り難くて、幸せだった。このご縁はきっと必然だった。

終了後、九州からの団体は、風のように去って行った。団体旅行とは慌ただしいものだ。あの新住職は、もう少しこの場でゆっくりと日蓮さんと対話をしたかったことだろう。せっかく遥々、この総本山の地へやってきたのに、何とも気の毒なことだ。

奥の院に静けさが戻った。先ほどの熱気がまだ私の中に残されていて、そのギャップに思わず笑いが込み上げて来た。いや~。今日は本当に面白いなあ。日蓮さんがコーディネートしてくれたのだとすれば、素晴らしいご縁の贈り物に感じられ、胸がドキドキしていた。

日蓮さんからのメッセージを意図し、引いたおみくじは小吉だった。「慎重に」という一文が真っ先に心に響く。ああ、今回、私に必要なのは、この部分だと、痛いほど自覚した。ついにご指摘を受けることになったか。という気持ちだ。

実は、御開扉コース参加直前にお寺の洗面所をお借りしていた時、ヒヤリとする出来事が起きていて、これは何らかの戒めではないか?とわが身を省みていたところだった。

お手洗いを慌てて済まそうとして、足元に履いていたスリッパが床にひっかかり、危うく転倒しかけたのだ。出入り口が昔の磨り硝子製で、もう少し勢いよくつんのめっていたら、頭から硝子に突っ込み、あわや大惨事となるところだった。あと一歩で何とか踏みとどまっていたわけだ。ぞっとして、腰が抜けかけた。聖なる場で起きた事件である。きっと仏様の教えに違いないと感じた。

事件の原因は、気持ちが焦って、体がついていけていなかったところにあった。意識的に体を動かしていない。心ここにあらずになり、頭の中は、次にすべきことに飛んでいた。一つひとつの体の動きを蔑ろにして無意識の操縦に任せたままになっていた。

朝、ロープウェイの駅で、若い僧侶たちから心を込めて挨拶することを学んでいたにもかかわらず、私はいつも通り、意味不明の焦りに駆られていた。なぜ、私はこうも焦ってしまうのか。根本的な原因にそろそろ向き合う時期が来たようだ。気を付けないと、いつか大きな事故怪我につながる可能性もある。大いに反省し改めなければならない。

おみくじを手に、日蓮さんのメッセージを以下のように受け取る。エネルギーから私が言葉に翻訳したものになる。


焦るべからず。

そのためには

一つひとつの体の動きを意識するよう

丁寧に所作を行うべし。

行為に心を込めるべし。

なぜ、焦る心が起こると思うか?

お前は、誰と競っているのか?

競うべき相手など存在せぬ。

お前しかおらぬのに

そんな幻(自我)に振り回されて

先を急ぐべからず。

急げ、急げ、早くせよ。

誰よりも先に行けば得をする。

それはいったい、どこから聞こえる声なのか。

自分の中を慎重に観察すべし。

ゆっくりでよいではないか。

遠回りでもよいではないか。

この山は美しいであろう。

景色を楽しみにながら、一歩一歩踏みしめて

今、ここに在る喜びとともに、五感を味わうべし。

お前は、せっかく山の頂に立っているのに、心の中は既に下山の心配ばかりしておる。

先の結果ばかり追い求めるから、焦るのだ。

今ここに無いものを求め続けるということは、砂漠の蜃気楼を追い求める旅人に等しい。

いつまでも、喉の渇きを癒やすオアシスには辿り着かぬのに。

結果(蜃気楼のオアシス)など、どうでもよい。大切にすべきは、その経過(踏みしめている一歩)だ。

焦るべからず。

本質からの導きを信じ、心を澄ませ、歩まれるがよろし。


これらの解釈は、おみくじに書かれた日蓮さんのお言葉を味わいつつ、ふと流れるように伝わってきたものを書きとめた。実際のおみくじの言葉は次のようなものだった。ここから、日蓮さんなら何と言うかな?とイメージした。

「教主釈尊の出世の本懐は

人の振る舞いにて候けるぞ

慎重がよし」


人の振る舞いという部分が、今回の大きな教えのようにも感じられた。

私はロープウェイに乗る前から、若い僧侶たちの美しい所作を見て、無意識に行為するのではなく、心を込めて丁寧に行為をするということを学んでいたはずだ。もう、登頂前から、日蓮さんのレッスンは開始されていた。私の中に湧き上がる焦りの気持ち。普段はその自我の強い力に流されて、まるで脳内に発作が起きてしまったかのように振舞ってしまうのだが、これからはその部分を観察し、戒めていこうと思った。そのため、夫と互いの焦りを指摘し合い、「慎重に!」を合言葉にしていくこととした。夫の中には私の姿が、私の中には夫の姿が見える合わせ鏡だ。互いの振る舞いをわが身に引き寄せ、心を澄ませていく練習をしていこうと決意したわけだ。

例えば、私は夫の運転にイライラしがちだった。高速道路を走っていると、夫は時々、速度を上げて、前の車を追い抜くのだった。それが速度超過になっているので私は気が気ではなかった。充分に余裕を持って出発しているわけだし、ゆっくり進んでも充分現地に到着できるのに、なぜ夫は急ぎたがるのか。速度超過が原因で事故でも起こされたらたまったものではない。望み通りのスピードが原因で死ぬのなら、夫は満足かもしれないが、助手席の私まで被害が及ぶ。そんなことで死んでたまるものか。怖いからスピードを出さないでくれと何度も悲鳴を上げたにもかかわらず、夫は改めようとしなかった。「なぜ、前の車を追い抜きたくなるの?」と質問したところ、前の車は周りの流れに乗れずに、遅いからだと言う。あいつが悪いのだと吐き捨てるように言う。(速度制限を守っているにもかかわらず!?)まるで、遅い人は大悪党であり、生きている資格すらないとの蔑みようだ。この辺りの機微は免許を持っていない私にはよくわからない。よくよく問い詰めると、「(追い越さないと)何だか負けた気持ちになる。」とのこと。なんじゃそりゃ。

これは競争社会で生かされてきた私たち世代の洗脳が原因なのだろうか・・・。夫は苦々しく語った。「小さい頃から、早くしなさい。と叱られてきた。早いことが美徳だった。それは社会に出てからも続いた。絶えず、早くしなければと焦る気持ちに駆られている。」と。そう。理由などどうでもいいのだ。早くしなければ、叱られて怖い思いをする。早くしていれば、まわりから認められ受け入れてもらえる。そのよう私たちを叱った親世代も、祖父母からそのように育てられてきた。戦後の学校教育方針が軍隊式をベースにしていたことも要因なのかもしれない。私たちはこうやって、ゆっくりした時の流れを失った。ゆっくりする自分を否定しているから、現実に遅い動きの人が現れると、怒りが湧いてくるのだ。

しかし、スピード狂?の夫を責めることは出来ない。お手洗いで焦ってつんのめっている私はどうなんだ(笑)なぜ焦るのか?「お手洗いに他の人が入ってきたら嫌だから。」という気持ちが湧いてくる。お手洗いに他の人が居ると落ち着かないからというのが情けないが、原因だ。何と利己的な理由だろう。自分でもビックリする。理屈ではなく、「早いことは得すること」(得をするというのは、一人勝という意味の他に、褒められるという意識もある)という、他人と比較して優位に立とうとする発作的欲望がガッチリと根を張っている。この欲望が無意識の選択となり、利己的な行為へと駆り立てる。ふとインナーチャイルド講座を思い出した。早くせよと脅され急かされてきた小さな私を癒やしてみたらどうだろう?無意識の反応が少し落ち着くだろうか。連動して夫も変わるだろうか。

下山してから、のんびり散策しつつ、日蓮聖人御廟所へ向かった。私は個人的にこちらの方が好きだ。木々に囲まれ、すぐそばを自然の清流が流れていることもあり、精霊たちが集う聖なるエネルギーに満たされた場であると感じるからだ。上空には既に龍神雲と、太陽の周りには微かな日暈(ハロ)が出現していた。

御草庵跡が、特にお気に入りだ。日蓮さんの魂は、立派なお墓の方ではなく、こちらの方にいらっしゃるように思うのだ。前回も、この草庵跡を撮影したところ、シャボン玉のような虹色のたまゆらを映していた。日蓮さんの清らかなエネルギーを一番近くに感じられる、美しい場所だ。


そして、今回は、草庵跡に、虹のアーチのような光を撮影した。カメラのレンズによる光の作用と言えばそれまでなのだが、目に見えない聖なる光を現象として見せてくれたような有難い気持ちになった。きっと日蓮さんも、私たちとの再会を祝してくださったのに違いないと、感謝の気持ちでいっぱいになった。「人と人の心に、虹の橋を架けなさい。精進せよ。」と伝えられたようだった。使命を生きることは、魂の望みを生きること。ご縁ある人々の本質の光を取り戻すお手伝いをしていくこと。この方向に進んでよいと、応援されているようで、とても嬉しかった。清々しく柔らかい風が吹いていて、私たちの心の中の重いエネルギーを吹き飛ばしてくれたかのようで、とても素直な穏やかな心持になっていった。毎年、この場を訪れて、初心を思い出すようにしていこうと心に決めた。


夫が日蓮さんからのメッセージを代弁してくれた。「すべて(手術が)終わったのか。良かった。良かった。」と言っているとのこと。夫は私の一番傍に居てくれて、この半年の間、私以上に不安なこともあったろうと思う。それでも私を意気消沈させないために、絶えず明るく元気に振舞ってくれていた。それがどれだけ力になっていたことか。そうか・・・ここにも人の振る舞いの大切さが学びとして潜んでいたのだな。先ほど目にした、おみくじの言葉が心の中でリフレインしていた。共に人生を歩んでくれる夫からは、合わせ鏡として一番大きな学びをいただいているのかもしれない。その大切な関係にもあらためて目を開かされた思いとなった。夫にもありがとうだ。


さて、久遠寺本堂へ続く急な階段、菩提梯を登ろうとしたのだが、今回は途中から緩やかな坂道(男坂)を歩くことにした。無理するのはやめようと、お互いに意見が一致したのだった。その坂道は、白い花が咲き乱れ、この世とは思えない美しさだ。もし、死後であれば、あの世へと続く道はこんな感じなのかもしれないと、夫と笑い合った。


「急がばまわれ」とは、なかなかな言葉だと思った。菩提梯は、涅槃(本堂)への近道のようだが、歩むにはとても厳しい。焦って登れば足を踏み外し、大怪我するかもしれない。迂回する道は、遠回りのようだけど、安らぎがある。道端の花を愛で、爽やかな風に心を洗い、友と笑い共に歩く余裕と喜びがある。近道の利点もあろうが、遠回りの道にも味わい深さがある。どちらが良い悪いではなくその価値は人知では計り知れないものがある。

時間に最大限の価値を置いて走らされてきた現代社会の潮流を思う。見失ってしまったものは多く、目先の損得勘定で、簡単に捨て去られてしまった。「我が我が」と急いた心は、自分を周りを本当に幸せにしたのだろうか。

さて、場面は変わる。

その日の宿は西山温泉だった。露天風呂で手足を伸ばしていると、目の前の岩の上を一匹の蟻が這っていた。彼は自身の体長ほどある虫の死骸を運んでいた。きっとこれから巣穴へ運ぼうとしているに違いない。蟻から見れば、この露天風呂を囲む岩のひとつが、チベットを隔てるヒマラヤ山脈に等しいのだろうと、楽しく連想しながら眺めていた。蟻は帰り道を見失ったようだった。その岩の上をグルグル行ったり来たりしているのだった。岩の一部は陥没していて、まるで噴火口のお鉢巡りをしているかのようだった。また、湯に接する岩肌は、ヒマラヤの絶壁であり、私が少し身体を動かせば、湯は荒波となり絶壁を這う蟻をいとも簡単に大海へ叩き落としてしまいかねなかった。

ああ、これが神仏の視点に近いのかもと私は思った。

その迷子になった蟻を憐れに思い、私が素手で掬って、蟻の巣へ運んでやったとする。でも、私はそもそも、その蟻の目的地を正しく把握しているのだろうか?もし勘違いだったら、余計なお世話となってしまうではないか。だとしたら、その蟻の旅を信頼し、見守ることしかできない。目的地はその蟻にしか分からない。

ただし、噴火口に堕ちそうになったり、絶壁で荒波に持っていかれそうになっている危機を知らせることは出来る。上から見ていれば、「そのまま進むと危ないよ!死んじゃうよ!」とハラハラすることは出来るわけだ。そのまま過酷な旅の様子を眺めているだけの役割の神仏もおられるだろうが、きっと、情けをかけて救おうとされる神仏もおられるだろう。

私は、いつしか蟻に声援を送っていた。「そっち行くと危ないよ!崖ルートはいつ波が襲ってくるか分からないから(私は波立たせないよう気を付けているが、次に入ってくる湯治客が蟻に気づくとは限らない)尾根づたいルートを取った方が安全だよ」と。彼が無事獲物を巣穴に届け、彼らの子どもたちが、お腹を満たすことができますようにと祈りながら、しばらく見守っていた。

もしかしたら、蟻にとって私のメッセージは天の声として、彼の直感に働きかけ、危険を回避しつつ、旅を続けるのかもしれない。蟻の世界は、人間世界のジオラマのようにも思え、そんな自分に苦笑するのだった。もしかしたら、宇宙源の意識は、こんな風に露天風呂で寛ぎながら、私たち人間が(分離した無数の意識)あっちこっちへと右往左往しているのを、楽しんでいるのかもしれない。時々わざと波立たせてみたりしてね。あり得るなあと思った。

日蓮さんも、天から私を見ていて、見るに見かねて、声をかけてくれていたのかもしれない。「そっち行くと危ないよ~。安全な道はこっちだよ~。そう焦らないで行きなさい。」と。だって、焦ってトイレで転びそうになっている私なのであるから、日蓮さんから見れば、ハラハラしどおしであったろう。上から見れば、よく見える。私の今の視点のように。

私はこの蟻を愛おしいと思って眺めている。欲張って、体長より大きな餌を抱えて、右往左往している彼の姿は、まさしく自我に捉われて一喜一憂する人間そのものだ。その執着は時に命の危機を招きかねないのだが、蟻の世界で生きるとはそういうことだ。人間の自我の働きは、蟻が必死で餌を巣穴へ運ぼうとする熱意に通じるものがあるような気がした。人間の世界で生きるとはそういうことだ。

西山温泉にて、蟻から人間の自我の働きについて気付きをいただきつつ、湯を堪能。夫から誕生祝をしてもらい、子どものようにケーキの蝋燭の灯りを吹き消した。今年私は55歳になる。GO GOであるから、楽しんで進んでいこうと思う。最高の相棒である夫と共に。

翌日はうって変わって土砂降りの雨となった。山梨から静岡ルートで東京を目指した。富士山の勇壮な姿は、白い雲にスッポリ覆われていて残念だったが、前日に遠景を拝めていたので、良しとした。高速を走る自動車のタイヤが上げる水しぶきがまるで雲製造機のようであり、視界は霞に包まれていた。スピード狂の夫も、さすがに危ないと感じたのか、追い越しを自粛して、自ら「慎重に、慎重に!」と唱えていた。

この一泊二日の旅で、お互いに自我を客観視することを学べたようだ。

日蓮さん、ありがとうございました!



こちらの2枚は、4月16日、旅から帰宅した翌日の空。

彩雲が美しかった。

いきなりの土砂降りに難儀したのたが、その直後の空からの贈り物に、心を洗われた。

ゆっくり空を見上げれば、誰もがこのような、贈り物に気がつくことができる。

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