聖地の路地裏

 


ここ最近、河口慧海にはまっている。

『チベット旅行記』を読んでいると、慧海は、どんな景色を見ながら旅をしたのだろう?チベットとは、いったいどのような国なんだろう?といろいろ気になってきた。例えば、慧海が常食していた「ツァンパ」という食べ物、荷物を運んでもらったヤクという動物、遊牧民の移動式テント「ゲル」、ヒマラヤ山越えの時に目にしたであろう聖なる山や湖、巡礼先の寺院、滞在した村々、などなど。本を読みながら、脳裏には勝手なビジョンを浮かべているのだが、どうせなら本物に近いイメージを知っておくと、さらに現地の空気を濃密に味わえそうである。

そんな時、頼りになるのが、地域の図書館だ。「チベット」というキーワードだけで、400件ほどヒットした。その中で、タイトルから適当に選んだのが、冒頭の本たちだ。予約した三日後には全て取り揃えられた。

なんて素晴らしいシステム!!これらの貴重な本を無料で読めるのであるから、平和な日本に生まれて良かったと思う。色々な事が起きてはいるが、日本人として今生きていることは、たくさんの恵みをいただいているということ。しっかり意識に刻み付けて、人生を謳歌していこうと改めて思う。当たり前に好きな本が読めるよう、万人に等しく学びの機会が用意されている。そのことひとつ取っても、いい時代に生かされているんだな~。と胸が熱くなる。道を整えてくれた先人たちに心から感謝。綺麗な水を飲めること、鉄道やバスで遠方へ旅できること、お米や野菜を食べられること、etc.挙げたら切りがないほど感謝することばかりだ。

まだまだ沢山の本が図書館の書棚で待ってくれているので、順番に堪能していきたい。大型のビジュアル本により、ほとんどの疑問は解決された。おかげで、イメージもばっちり得られたので、『チベット旅行記』を読む楽しみが倍増した。

さて、借りて来た本の中で、とても読みやすく、興味深い内容の一冊があったので、本日はその本を紹介したいと思う。著者の文章や、視点がとても馴染みやすく、スイスイ読んでしまった。特に心に残ったページを抜粋しながら、私の所感もメモしていきたい。チベットにご興味ある方も無い方も、よろしかったら以下も読んでみてください。(太字が本文)


『チベット 聖地の路地裏 八年のラサ滞在記』村上大輔 著 法蔵館出版


〇プロローグ

「ただただ、チベットに住むひとりの異邦人として、ラサの宗教世界・民族世界のなかを漂うようになっていた。無意識のうちに限りなく〈受け身〉になっていたのである。そしてラサでチベットに関する文章を書く時も、「なにかを書こう」という気持ちよりも、内側から込み上げてくるものを「なにかしら書かされている」というような感覚が不思議に強くなっていく。レヴィ=ストロースは、自身の神話研究の著作について説明するなかで、本を書くとき「自分の本を書くのだという感じをもたない」などと言明したあと、次のように述べている。

・・・私は以前から現在にいたるまで、自分の個人的アイデンティティの実感をもったことがありません。私というものは、何かが起きる場所のように私自身には思えますが、「私が」どうするとか、「私を」こうするとかいうことはありません。私たちの各自が、ものごとの起こる交叉点のようなものです。交叉点とはまったく受け身の性質のもので、何かがそこに起こるだけです。ほかの所では別のことが起こりますが、それも同じように有効です。選択はできません。まったくの偶然の問題です(『神話と意味』P19より

そういうラサの裏側の世界 路地裏の世界 は、我々外部の人間にはアクセスしにくい構造となっている。実はチベット人でさえ、意識に昇ることは少ない。そこで残された数少ない道のひとつが、レヴィ=ストロースのいう「交叉点」になることだと思うのである。自分の心のなかに、どれだけ「他者」を通わすか、異なる世界を交錯させるか。これは、精神の風景などといったものを捉えようとするとき、そして、そのなかから少しでもリアルなものに近づこうとするとき、もっとも有効であるように思われる。P 22より

⇒何か文章を書いている時、実は私も時々、この記述と同じような感覚になっている。その感覚をうまく言葉に表現できずにいたのだが、レヴィ=ストロースがその感覚を「何かがそこに起こるだけ」と表現していることに、安堵感を覚えた。この感覚は、催眠療法の体験を重ねていくと、自分の中で、少し説明がつくように思う。書くことに集中していると、フロー状態(夢中になって集中している)となる。その時、脳はいわゆる催眠状態となり、潜在意識優位となっている。自我意識は静かになり、内奥深くの本質の領域にアクセスしやすくなる。潜在意識はすべての存在と意識でつながっているので、「我」が消える。私たちの本質は「自我(エゴ)」そのものではないということが、理屈でなく理解できてくる。「何かが起きているだけ」であり、ただそれを静かに観ている。そんな状態で書いたブログは、時に6時間ほど、休憩無しで一気に書き上げるのだが、後から読み直すと、どうしても自分が書いたものと思えない。「書かされている」「何かが私という肉体を通し、表現していた」「そこに、私は介在していなかった」という感覚がぴったりくる。「私が書いている」と意識する時、それは自我の行為だから、とても狭い世界観の中で、肉体脳の知恵だけで不自由な言葉を駆使して書いている。「書かされている」時、書いている意識すら消える。ただ、後から文字の連なりを見て、その出来事が起きたのだなと、距離を持って眺めるような、そんな状態のことである。催眠療法のセッションにおいても、文章を書く時も、このような状態になれれば理想的だろうと思うのだが、意識的にそうなれるものでもない。やはり、起こるに任せるしかないのだろう。


〇祈りのリアリティ

そして、チベット人の生きている世界を、ことさら深いものにしているのは、こころや祈りといったものが自分の生きている輪廻の世界に直に働きかける、という生々しい感覚である。そこに彼らの信心深さの秘密がある。祈りとは神仏の力を借りつつ成就を願うものであるが、実のところは、自分が生きて行くための力を自ら蘇生させる「誓い」のようなものにも近い。チベット人はそれを言わないまでも、身体でよく知っている。彼らの祈りは生きとし生けるものにどこまでも向かいつつ、自ら生きて行くことにそのまま繋がっていくのである。日本では祈りといえば、死者への弔いや初詣など儀礼的なことで行われることが多いのかもしれないが、チベットでは、祈りは普段から人々の生きる糧になっている。命の日常。それがラサの路地裏の日常である。P27より

⇒現代、日本人の中で、日常的に祈りを実践している人は多くないかもしれない。私の親の世代までは、家に当たり前のように仏壇や神棚があった。親を見習いながら、形だけ手を合わせていた子ども時代だったが、親はきっと心から祖先の霊に日々の感謝を申し上げ、一日の無事を祈っていたのだろうと思う。信仰を抜きにしても、催眠療法では、暗示療法と言う手法があり、「自分が生きていくための力を蘇生させる「誓い」のようなもの」という説明はとても良く分かる。潜在意識の中でありありと思い描いたものを脳は現実と勘違いする。催眠療法はその脳の仕組みを利用し、苦手を克服したり、良い習慣を身に着けさせたりする。このようにして生き辛さを解消していく。祈りとアファメーションは意味合いが違うかもしれないが、「自ら生きていくことにそのまま繋がっていく」ところは似て居る。先日、前世療法を体験し、修道女だった時の記憶をよみがえらせた。戦禍の患者収容施設で、恐怖に硬直する自身を奮い立たせるために、祈りの言葉を心の中で唱えながら、ひたすら患者に向き合っていた一人の女性の内面を味わった。信仰と祈りの力は、このように過酷な時代を生き抜く際の混沌の中を照らす命の灯であったのだと、理解した。


〇心を奪っていく物乞いたち

彼とすれ違うその直前、私は自然にポケットから財布を出して、小銭を握り渡そうとした。もちろんお布施としてである。そして、そのお布施は、受け取りを拒否された。宙に浮いたそのお布施を片手に、私はショックでその場に立ち尽くした。その僧侶は見透かしていた。私の怠惰な心情を。怠惰にしていたつもりは全くなかったが、私は信仰心からではなく、慣習的・便宜的にお布施を施そうとしていたのである。尊いものに対する自分の不感症を暴露させられたのであった。ビジネスや契約の関係ならいざ知らず、神仏や僧、そして物乞いなどの全くの「他者」に何かを施す、贈るということは、こちらも相応の覚悟や信仰、生き方といったものが求められる。さもなければ、何かとても大切な機会・教えを永遠に失い続けてしまうであろう。P33より

⇒この箇所は、読みながら、私も自身の過去の行為を恥じる思いとなった。突き刺さる文章だった。まだまだ私には咀嚼が必要な課題である。悪気がなくとも、私の中の無知や不感症が、時に偽善となり、内面を知らず知らずのうちに汚していくのだろう。生き方を問われ、頭を垂れる思いとなった。

〇「円環」と「直線」交わらないラサの二つの空間軸

直線的な中国の政治空間と円環的なチベットの宗教空間。この民族化された空間を人々は積極的に言葉に表すことはない。だがチベット人にとって、線は「文明」「支配」という大きな傷として刻印され、円環はチベット人の魂の糧として彼らを優しく包み込む。平面上ではこの二つは交わっているが、両者は本質的に交差し得ない。直線と円環の向かうベクトルはそれぞれに全く違う方向を向いているからだ。実は円環は天空を向いている。そこにチベット人の宗教感覚の本質が表れていると思われるのだが、それこそ「大地の匂い」というもので、私はチベット人の習慣に抗って、いつかそれを言葉にしてみたいと思っている。P38より

⇒よく、このことを文章に表せたものだと感心しながら読んだ箇所。全然違うかもしれないが、感覚的に引き寄せてみると、現在地球がアセンションの過渡期に入っており、既に三次元世界に重なるように五次元世界が存在しているということを連想した。次元を上昇したからと言って、どこか別の場所に世界が構築されるわけではなく、今ここに全ての次元が存在している。例えば、Aという現実が起きたとする。それをある人は「なんて不幸なんだ!」と嘆き悲しむ。別の人は「なんて幸せなんだろう!」と感謝して受け取る。五次元世界は、三次元世界より愛の度合が増している世界なので、どんな現象にも愛と感謝の意識で反応する。三次元の意識で生きる人には、地獄のように見える世界も、五次元意識の人には、天国に思えるわけだ。そして、死は終わりではなく、この意識は永遠の存在であり、すべてはそもそもひとつであることを理解している。だから、困難な出来事が起きたとしても「私の内面にまだこんな重いエネルギーが潜んでいたのか。それを分からせてくれてありがとう。」と感謝する。この意識で生き始めると、どんなことも魂の学びであり、すべてが愛の表現であるから、宇宙の流れのままに、スムーズに生きられる。その波動が現実を引き寄せるので、喜びの波動はさらなる喜びを体感できる世界を目の前に繰り広げ始める。ここで言う宗教感覚とは、重なり合う二つの次元を行き来する人間の意識について触れているようにも思った。

〇色のスピリチュアリティ

ところで、チベットの伝統文化には色のシンボリズムというものがある。それぞれに色には意味が込められているのだ。例えば、雪山の色である白は、潔白や純真、幸運などを表し、僧衣の色である赤は、智慧や高貴さを象徴している。また深い青は空を表しているといわれるが、あの吸い込まれるようなチベットの青空に包まれたときの名状しがたい解放感や浄化作用といったものと、他方、病苦から救うと信じられているチベットの薬師如来の瑠璃色は、どこか深いところで繋がっているように思える。P71より

⇒催眠療法を体験するようになってから、高次元からのメッセージを脳裏でビジョンとして見ることに慣れていった。言葉は真理を表せない不自由なツールなので、私の肉体脳を通して理解させるには、色や形というビジョンを伝えた方が、理解しやすいという配慮だろう。ビジョンは一瞬で理解できるので、これがテレパシーなんだろうと思う。その受け取った膨大な情報を言葉に置き換える作業を通して、ブログの投稿になるわけだから、どうしても一面的な表現にならざるを得ない。翻訳のセンスも問われるだろう。だからこの世の宗教は、元は一つの宇宙真理なのに、これほど多彩に分かれてしまったのだ。何千年の伝言ゲームの果てに、まったく別物になり果ててしまった教えもあるはずだ。先日の前世療法でも、ハイアーセルフから、色でエネルギーを伝えられた。例えば言葉で「愛ですよ」と伝えられたとしても、人の数だけ愛の解釈がある。ビジョンで色のエネルギーとして受け取る場合は、言葉を超えたメッセージとなるので、その感覚を歪ませることなく、自らの理解に落とし込むことができる。まあ、肉体脳の限界があるからこそ、言葉を超えた世界をどのように表現しようかと試行錯誤する楽しみもある。誰かにその本意を伝えられ、または共感し合えた時の喜びは、この物質次元ならではの感動である。それもまた面白い。


〇チベット男はどのような愛の言葉をチベット女に投げかけるのか?

愛の告白のカタチはある意味普遍的なのかもしれないが、チベット民族特有とでもいえるような愛の表現が存在する。「前世の縁、カルマによって、僕たちふたりは出遭えたんだよ・・・この間一人で部屋にいたとき、君の名前を題にした物語を書いたんだ。ああ、君の笑顔、君の事が大好きだ・・」「ダライ・ラマ六世の詩や、昔のチベットの諺には、心の内側のことは自分の母親にさえ話してはいけない、などと言われているけど、僕は違うよ。僕の心は白いままにそのまま誠心誠意、君にすべてを告げてきたし、これからも告げるよ・・・君もすべてを僕に告白すればいい。君のことが大好きだ・・・一緒になりたい」「ああ、君の笑顔、君の宝石のような二つの眼、美しく安らかな顔と、君の紅い唇・・。君のすべてに僕のこころは奪われてしまったよ・・・。君は、十万もの芸術作品よりずっとずっと美しい。僕はこのことに絶対の確信を持っているよ・・・」みなさんは、これほどの雄弁さと自信に満ちたラブレターをもらったことがあるであろうか。チベット人の告白表現の特徴をひとつ挙げるならば、仏教用語を多用しているところであろう。また、田舎では、一風変わった表現もある。「お前は、オレの心臓の脂肪だ」なんとも遊牧民らしい、心の臓の一部となった君への、最高級の愛のオマージュといえる。(中略)想像してほしい。僧侶中の僧侶でなければならぬ男に、このような言葉を投げかけられた女の気持ちを。宗教と愛の交錯するチベット人は、チベット宗教文化の矛盾・問題・魅力そのものなのである。P77~78より

⇒個人的に興味津々だった箇所だ(笑)こんなクドクドした愛の告白をされたら、私は鳥肌が立って、逃げてしまうだろうな~と思った。私は、日本人的な淡白さが好きだ。確か、夏目漱石だったろうか。愛の告白が、「一緒に月を眺めませんか?」だったかと記憶している。そう言えば、私も一応結婚しているので、夫から告白を受けたかな?と思い出そうとしてみたが、一切覚えていない。愛の告白など無いままに、いつの間に結婚することになっていた。言葉を必要としなかったのだと思うしかない。「愛しているよ。ハニー。」というのが毎朝毎晩の挨拶だという欧米の慣習をうらやましいとも思わない。「ありがとう」は頻繁に伝えるけど、「愛している」は使ったことが無い。「愛している」は、口にすることが憚られる何かがある。脳の違うところ使っているような。真心から遠く離れてしまうような、そんな感覚がある。言葉にするとその単語しかないので、「愛」と便宜上使っているのだが、日本人のDNAには馴染まない欧米の概念が、その乖離を浮き彫りにするのだと思う。人生の伴侶となる人への気持ちの伝え方は、「あなたと月を眺めたい・・」とやっとの思いで、顔を赤らめつつ、こそっと伝えるのが性に合っている気がする。いや~。世界は広いな。「お前は俺の脂肪だ・・」か。何だか新鮮!いまどきの若者同士はどうやって告白しあっているのだろう?今度、若者と話す機会があったら聞いてみよう。


〇チベット人が手を叩くとき

ラサに住んでいると、一風変わったジェスチャーに出くわす事が多いが、これはその一例である(手のひらを上に向け、五本の指先を一点に集め触れ合わせる)洋梨状の手の形は胡桃をあらわすとされ、ようするに胡桃のように固く押し黙っていろ、ということなのである。また、舌を出しながら、こめかみや頭の後ろを掻くしぐざ。バツの悪い時や、恥じらいなどを目上の人に示すときに、チベット人が思わずやってしまう仕草である。親しみやすく、可愛らしいものであるが、このジェスチャーにはちょっとした謂れがある。(一千年以上前。仏教推進派のチベット人たちは、敵であるボン教徒を探し出すため、舌を出させて頭を見せることを強いた。ボン教徒たちは、黒い舌と頭に角が生えていると信じられていた。それから自分がボン教徒でないことを証明するために、舌を出し、あたまの後ろを掻くジェスチャーが生まれた)。もうひとつ、大変興味深いのは、手を叩く動作であろう。伝統的には攻撃性を示すものなのである。(僧侶の問答・悪霊退散の祈祷の例)~中略~戒律を破った僧侶を手をパチパチ叩いて送ったという。厄払いの意味合いが込められている。手を叩くことで僧院を汚してしまった罪の穢れを払っているのである。~中略~その仕草ののものよりも、叩くその鋭い音によって場の空気を振動させ、滞った気の流れを変えていくといった効果を求めているような気がする。この古代的だが誰でもどこでもできる邪鬼の祓い。手の動きのなかには、人間の最もプリミティヴな工夫が現れているものだ。P84~86

⇒小学生の低学年の頃の記憶がよみがえってきた。私は、どこかで、失敗した時など、舌を出す仕草を覚えてしまった。学校の友達やアニメの影響だったんだろう。母親の前で、舌を出した時(可愛いと思ってやっていた)母に物凄く怒られた。「今度舌を出したら、鋏でちょん切ってやる!」と鬼の形相で脅された。やってはいけないと思うのだが、身体が言う事を聞かない。癖になっていたので、その後数回舌を出してしまって、その都度母の反応を見て怯えたのを覚えている。幼いながらも、「癖を直すのは難しいんだな。勝手に身体が反応しちゃうから、コントロールするのって努力が必要なんだ。」ということを学んだ。また、母があまりに怖かったので、未だに誰かの舌を出す行為を目にすると、胸が恐怖にうずくのだった。今思えば、母親の前世は迫害されたボン教徒だったことがあったのかも?(笑)前世あるあるだ。手を叩くのは、効果的なお祓いになると聞いたことがある。軽い憑き物ならそれで落ちるとか。気の流れを変える行為だったんだなと、あらためて勉強になった。


〇チベット語の身体感覚

我々が英語を話すときには、こちらの心持ちや精神性まで欧米モードへ跳躍させ、言葉を紡ぐのが常である。これに対して、内陸アジアの言語であるチベット語は、そのような「精神のジャンプ」があまり必要ではなく。頭も心も普段の日本人のままで話せるような気楽さがある。普段チベット語に触れて思うのは、仏教の用語がとても平易な日常語で表されている点である。たちえば、日本語「有情」は「生きとし生けるもの」と言う意味である。チベット語の「セムチェン」に対応し、「心を持っているもの」となる。「中有」(人間が死んで生まれ変わるまでの四十九日間)はチベット語では「バルド」。「バル」は単純に「あいだ」といった意味で使われる語句である。「聖なる」は「ツァチェンボ」。原義は「大きく脈打っている」という意味になり、明らかに、聖地に行ったとき、聖人に会ったとき我々が受ける波動のような体験をそのままあらわしている。日本人にとって漢語は外来語で、外部から付与された言語である。それだけで仏教の概念を語ろうとすると、観念的な理解に陥ってしまうこともあるのではないか。それよりもチベット仏教用語のように、身体感覚に近い土臭い言葉のほうが、難解な教えや現地の感覚もスッと心に入ってくる。~中略~邦訳する際、漢語を多用する便利さはあるだろうが、どこかしら誤魔化されたような気がするのである。一世紀以上前、河口慧海は、漢語で歪曲されたものではない原典を求めてチベットへ旅をした。「どうにか平易にして読みやすい仏教の経文を社会に」と。何かと世間を騒がせた慧海であるが、チベット語と日本語の親近性、そしてチベット仏教という現在でもピチピチと生きている精神遺産を考えると、彼の理想はいまだに新しいといえるのではないだろうか。P197~199より

⇒英語を話す時、自分に違う人格が宿るような気がしていたことを思い出した。自分の中の隠されていた面が出てくるというのか、脳の違う回路を使っているというのか。日本語は言魂の言語と言われ、やまとことば(宇宙音を基本)を日常遣いしているから、穏やかで調和を大切にする国民性になるとも言われている。英語は個を重要視し、より分離感を加速させているようにも思う。ディベートなどは英語ならやりやすいが、日本語でやると、そぐわないのはそもそも全体の調和を大切にする言語だからこその違和感だったのだろう。漢字が入ってきてから、日本も争いの歴史に巻き込まれていくのである。戦争の無い平和な世が何万年も続いていたという縄文時代、私たちの祖先はどのようなコミュニケーションをしていたのだろう?言葉は言魂だから、無暗に口にしないようにしていたと聞いたこともある。日本語と親和性のある外国の言語というものも、いろいろ調べてみたいものだ。そういえば、仏教のお経とはどうしてああも難しいのだろう。そもそもサンスクリット語の音を漢字に当てはめたものであるから、意味不明となってしまうのだ。頭で理解するのではなく、音として体に響かせる方が、何らかの効果があるのかもしれない。音楽のように耳にする。そんな味わい方の方が、伝わってくるものが多いかもしれないので、今度試してみよう。


〇チベット人に伝わる大切な仏陀の偈」


それは仏陀が説いたといわれる四行詩であった。


比丘や賢者たちは、金細工師が

金を熱し、切り、磨くのとおなじように、

よくよく私の言葉を吟味してから受け入れるように。

尊敬の念だけでそうしてはならない。


私があなたの師であるからと言う理由だけで、私の言葉を安易にそのまま吞み込んではいけない。私の言葉をクリティカルに吟味し、ちゃんと咀嚼してから自分のものにしなさい、という大切な仏陀の教えである。~中略~チベット人と接するまでこの仏陀の言葉を知らなかった私は、最初に聞いたときはいたく感動したものだった。仏教という宗教は、信徒のためにこれほどまでに突き放すものなのかと、非常に新鮮な教えに響いたのだ。周知のように、チベット人は信仰心がとても篤い。それはチベット人自身が一番よく知っている。だが、その篤い信仰心は時として、盲信へ繋がる危険があるのだ。この仏陀の偈の広まりは、いわば汎民族的な自戒の現れのような気がする。~中略~仏教に対する信仰や親しみがなければ、そもそも吟味しようとする心も湧かない。言葉を吟味せよといった仏陀を、吟味なしにすでに信仰しているのである。つまり無信仰から信仰へではなく、信仰から信仰へ人は導かれていく。理知を媒介としながら。~中略~崇高な教えと自分とを絶対的に対峙・並立させようとするこの偈は、言語レベルの単なる忠告を超えて、宗教の果てへと我々を駆り立てているような気がするのである。信心深いチベット人が、教えの真髄(仏陀の言葉)を一旦括弧に入れ、いわば「空にする」ことのなかに、彼らの宗教の生命力があるように思う。P199~201より

⇒仏教の教えの中で、確か、信じたものを一回手放しなさい。という言葉があったかと思う。そのことの意味がようやく腑に落ちた。そもそも仏陀がそうおっしゃっていたのだった。ここ最近、宇宙から「咀嚼せよ!」とメッセージを受け取っていたのだが、こういう意味もあったのだなと理解した。そう言えば、うつ病になることも、「空にする」無意識の状態ではないかと感じている。私は二回もうつ病を経験しているので、何となく分かる。意識的に「空になる」ことは難しい。それを病の症状として可能のしている。うつ状態は、エネルギーが低下していて、頭はぼんやりして思考が働かないし、ただぼんやりするか、寝ているしかない。うつ病はクリエイティブ・イルネスであると心理学者の河合隼男先生もおっしゃっている。うつ病だけでもないが、大きな病を体験した人は、生き方を大きく方向転換し、魂の道を見出して行かれる方が多いように思う。私もその一人であり、病の恩恵には心から感謝している。人生の苦しい時期も、意味がある。


〇著者村上大輔氏について

人類学者。社会人類学博士。 『中外日報』紙上に2011年5月から三年にわたって連載した「チベット万華鏡」をもとにした原稿。ラサには、「風の旅行者」現地駐在員の身分として長期滞在が叶う。フィールドワークのため中国チベット自治区をはじめ、インド、ネパールなどに約10年間滞在。2014年帰国。現在、駿河台大学専任講師、早稲田大学非常勤講師など。

〇チベット関連書籍

河口慧海(1866-1945)『チベット旅行記』

多田等観(1890-1967)『チベット滞在記』

青木文教(1886-1956)『秘密の国 西蔵遊記』『西蔵の民族と文化』(近代チベット史叢書)


〇おまけ


このカバーは、ローマ市公民権証書であり、支倉常長宛てに交付されたもの。(羊皮紙・1615年)仙台市博物館の所蔵らしい。

仙台!行かなきゃ。

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