らかんさんのことば

 


境界尊者

自分自身を静かに見つめる

解空無垢尊者

一切の心の迷いを断ち切れば、恐れるものはない

鉢利羅尊者

慢心を除く

光英尊者

心の闇をはらい、光に満ち溢れる

慧作尊者

おだやかな顔とやさしい言葉


その名にちなんだ名句は、羅漢堂に納められている百四十六体の羅漢像それぞれにつけられている。

私は、それぞれに表情もポーズも違う羅漢さんの姿に圧倒された。これらを江戸時代の一人の仏師が四十年かけて彫ったのだと言う。たった一人の力は、こんなに凄まじいものなのかと、その発願への熱い思いに心打たれた。

羅漢さんの名前は、経文の中にある言葉から引用されている。一つひとつの像から伝わってくるのは、過去に存在したであろう生身の人間のエネルギーだ。きっと、こんな雰囲気の人が本当に生きていたんだろうなと思わされる。

伝わってくるエネルギーの違いを感じながら、名前につけられた意味を読んでいく。お釈迦様の教えを静かに聞いているような不思議な心持になってくる。とても穏やかで、幸せな感覚に揺蕩う。私、ここが好きだなあと思う。羅漢さんに相対しながら、お釈迦様の教えの一つひとつを丁寧に噛みしめたいと静かに思う。

目黒にある五百羅漢寺を訪問した。

ソメイヨシノが開花し始めたあたりから、東京は曇りか雨の天気が続いていた。冬に逆戻りしたようで、せっかく蕾を綻ばせた桜が、寒さに身を縮めているだろうと、気の毒だった。水曜日に久々に青空が広がったので、ふと、目黒不動尊へ出かけてみることにした。たまたまその隣が五百羅漢寺だった。あまり期待せずに拝観したのだが、心から訪問して良かったと、魂が喜びに沸き立った。こういうことがあるから、寺社仏閣巡りは楽しい。

五百羅漢寺について

「目黒のらかんさんと親しまれている。五百羅漢像・諸仏像は、元禄時代に僧侶で仏師でもある松雲元慶が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて、たった一人で彫り上げた。現在は東京都重要文化財に指定。徳川家の援助を得て繁栄。江戸の人々に親しまれてきた。明治維新以降没落し、甘露をやっとしのぐほどの無残な状態となった。多くの困難をのりこえ昭和五十六年に再建。」

『らかんさんのことば』五百羅漢寺発行 2~3ページより要約

羅漢さんは、お釈迦様のお弟子さんだ。お釈迦様が亡くなったとき、その教えを正しく世に伝えていくために五百人の仏弟子が集まって話し合った。そこでまとめられた教えが経典の原型となっている。この五百人が五百羅漢のモデルとされている。この羅漢さんがいなければ、私たちはお釈迦様の教えを学ぶことが出来なかった。阿弥陀様も、観音様も、お地蔵様も伝わらなかった。2600年の時を経て、お釈迦様の言葉が私たちに影響を与えてくれている。多くの困難を乗り越え、後世に伝えようと奮闘してくれた名も無き多くの人々の情熱があったからこそだと、有難い気持ちになる。

私は、数々の経文の中身も知らないし、かろうじて般若心経の意訳をかじっている程度だ。僧侶の読経を聴いたとしても、ちんぷんかんぷんで、うとうとしてしまうのが関の山だ。それでも、何となくお釈迦様に惹かれるのはなぜだろう。お釈迦様の教えに触れたことがない人でも、羅漢さんのことばを目にすれば、人の道を示してくれていることが容易に理解できるだろうと思う。難しい経典を読めなくても、江戸の庶民は羅漢さんを拝むことで、お釈迦様の教えを抵抗なく腑に落としていったのではないかと想像する。とても伝わりやすく、子どもにも分かりやすい。

百体以上の羅漢像は、それぞれがユニークなので、亡くなった親族や友人に似た姿に出逢うこともある。亡き人の面影に似た羅漢さんに出逢って、例えばそれが参拝者の亡き父に似て居て、直意尊者(いつも、すなおな心をもつ)だったとする。お父さんから「おまえは、ちょいと頑固なところがあるからなぁ。素直になるよう心掛けて生きて行きなさい。」と冥界からメッセージを届けてくれたような気がするのではないだろうか。

また、自分の顔に似た羅漢像を探すのも一興ではないかと思う。私は、特大医尊者(笑顔で迎え、感謝でおくる)に何となく惹かれた。名前に「医」が入っているので、これから病を通し人生と向き合っている患者さんのお役に立っていきたいと願う私に響いたのだった。そして笑顔と感謝は、何よりもまず大切にしていきたいと日頃から胸に抱いている。

本堂にあがらせてもらった。堂内はお釈迦様を中心に説法に聞き入る十大弟子、十六羅漢、五百羅漢が安置されている。かつて、霊鷲山という岩山で、たくさんの羅漢さんを前にお釈迦様は説法をされていたそう。その雰囲気を少しでも再現しようという意図があるのだろう。本堂には説法のナレーションが絶え間なく流されていた。

最初は無音の方が心静かにお祈りできるので、この演出はどうかな~と思ったのだが、しばらく堂内で座っていると、あ!と閃くような瞬間が訪れた。説法の音声は無意識にしみ込んできて、気が付くと私の意識は2600年の時を遡り、霊鷲山のお釈迦様の肉声を聞いている、かつての羅漢になっていたからである。催眠状態に陥っていたわけだ。意識した途端にそれは消えてしまったのだが、感覚はありありと残っていた。「ああ、お懐かしゅうございます。」という言葉が潜在意識の奥深くでつぶやかれていた。

私の前世記憶なのか、集合意識の記憶なのか、判別はつかないが、人の幸せを願い熱心に学んでいたであろう若者の清冽な精神に一瞬触れたような気持ちになった。三方の雛段に安置された羅漢像が、私をあたたかく包むように取り囲んでくれている。かつての親しい仲間たちに再会できたような、深い安堵を感じ、しばらく本堂を辞することができなかった。私はここで、線香を供え「健康。人のお役に立つ」旨を祈願させていただいた。その間、本堂への参拝客は一人もなく、私が静かに祈れるよう人払いがなされていたかのようだった。

後で史料展示を見て驚いたのだが、河口慧海(日本最初のチベット入国者)が、この五百羅漢寺の第二十七世住職だった!慧海は、当時鎖国状態だったチベットを目指し、多くの仏典を持ち帰った。その決死の冒険は『チベット旅行記』という本に記されている。数日前のブログにも書いたが、『天路の旅人』沢木耕太郎 著 を夢中になって読んでいたこと。そこに慧海のエピソードも掲載されていて、親近感を持っていたことから、またしても引き寄せられたかと驚愕したのだった。(この本から吉田松陰につながり、松陰神社や靖国神社へ無意識に引き寄せられたシンクロは3月20日投稿「三つの指標」をお読みください。)

今回も、たまたま天気が回復したので、ふと桜を見たくなり、何となく目黒不動尊がいいかな~と思いついた。おそらく目黒川が桜の名所だったから連想したのだろう。そして、たまたま隣が五百羅漢寺であり、何となく面白そうだったから、拝観したのだった。仏像が沢山並んでいて圧巻らしい。という曖昧な情報しか知らなかった。

直感(たまたま、ふと、という感覚で導かれること)は、このように顕在意識が意図していなくても、偶然を装って、必要な出逢いを縁結びしてくれる。奇跡のような出来事は、物質次元の感覚からすると毎回驚いてしまうのだが、想念エネルギーの世界(本人の想いが現実を創る)では、不思議でもなんでもなく、当たり前の現象なんだろう。まだ慣れないから、その都度「不思議だ~!」と大騒ぎしてしまう私なのであるが。いずれは直感をもっとスマートに使いこなせるようになるんだろうか。今、この世界は次元移行の過渡期であると言われている。以前だったら、このようなシンクロは一年に一回あるかどうかだったのだが、2022年以降、頻繁に起こるようになり、今年は数日に一回のペースなので、今日は何が引き寄せられるのだろうと、毎回ドキドキして過ごしている。

シンクロニシティはなぜ起きるのか。ある方が高次元存在に質問してみたところ、次の様な回答だったとか。「シンクロニシティに慣れてもらうために起こしている。これらのことは実は奇跡でもなんでもなくて、当たり前のことだと理解してもらうためだ。」と。なるほどな~と思わされた。

五百羅漢寺は、とても良かった。かつての仲間が集い学び合っていた頃の情熱が思い起こされる、なつかしい空気に満ちている。ほっと安らかな穏やかな気持ちになる。「仲間と力を合わせる」というキーワードがマリア様のエネルギーを通じても、もたらされているので、目に見えない高次元の世界では、宗教の違いなど無いのだろうと推察できる。

元は同じ教えでも、土地や人種の特性に合わせ、伝わりやすいようアレンジされたことから、様々な宗教に分かれてしまっただけであり、同じことを言っているのだと思う。私はマリア様のエネルギーと観音様のエネルギーは、もしかしたら同一かもしれない?と感じることもある。ちなみに、この日は胸にマリア様のメダイネックレスをぶら下げていた。(笑)

この数日気になっているのはインド哲学の『バガヴァッド・ギータ―』だ。全ての叡智は大元がひとつだとするなら、ギータ―もかじってみたいものだ。近々、超入門的な本を探しに行ってみようと思う。

さて、今日は午後から仕事の日だ。本代のために、行って来ます~。


目黒不動の桜







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