ヘミシンク体験~炎のビジョン

 「あんまり動くな!大人しく静かにしておけ!何なら瞑想でもしていろ。」

というニュアンスのメッセージを宇宙から受け取っているため、今日も自宅で静かに過ごすことにする。夫がリモートワークでリビングで仕事をしているため、お邪魔にならないよう、寝室に引っ込む。せっかくなので、ヘミシンクに再度挑戦してみることにする。昨日は、爆睡してしまったため、今日は少しでも進展が無いかな~と、期待しつつヘッドフォンを装着し横になった。

『内なるガイドにつながる』は、またしても爆睡。ただし、かなり脳の状態がスッキリ軽くなったので、二枚目の『情報にアクセスする』に期待を込める。ナレーションの誘導に従い、催眠深化がなされていく。カウント11で、情報にアクセスできるよう、暗示による誘導がなされる。つながっている先は「個人的な情報と知識のライブラリ」なので、アカシックレコードの私だけの記録を閲覧しに行っているのかな?と想像する。どんな仕組みなんだろう。

欲しい情報を指示すると、回答がもたらされるそうなので、「義父との関係について、何か分かることがあれば教えてください。心を開けない、怖いと思ってしまう原因は何でしょうか。今後のアドバイスも教えてください。」と心の中で意図をしてみる。

ぼんやりとした光景が浮かんでくる。中国の桂林のような場所。水墨画のようにモノクロの世界。奇山が連なっていて、渓谷の間を流れる川に舟が浮かんでいる。私は、編み笠を被って小さな木の舟の上に立っている。オレンジ色の光に包まれて、一艘の細長い舟が見えている。舟上に袈裟を着た僧侶のような人物が7名ほど、前方を向いて座っている。オレンジ色の光は、まるで燃えている炎のような色で不気味だ。夜であり、松明でもかざしながら舟を漕いでいたのだろうか。それとも、本当に舟が燃えていたのだろうか。ビジョンはぼんやりしていて、ハッキリしない。

だんだん胸が苦しくなってくる。左右の胸の傷あとがズキズキと痛み始める。(普段、手術痕の痛みは感じないので、前世の痛みか?)ああ、痛い。どうしよう。咄嗟に催眠の体細胞療法の手法でヒーリングを試みる。その胸の痛みを形としてイメージする。鉛色の金属で出来た頑丈な中華鍋みたいなものになる。固くてどっしり重い。さてこれをどうするかな?と思っていたところでナレーションが先をうながす誘導を始めた。慌ててイメージの中で中華鍋をブンッと宇宙に飛ばし、光に変えて、胸部に出来た空洞を癒やした。10秒ほどで、チャッチャッと済ませたので、癒し効果があるかどうかは分からない。

潜在意識を通し、インスピレーションで受け取った情報を書いておく。文章にすると長いのだが、以下の内容は、一瞬にして(1秒くらい)ダウンロードされた。情報はエネルギーなのだなあと実感する。

〇義父との前世でのつながりは、火が象徴する何かの事件が起こっていた。私は肉体を傷つけられた。

〇前世の私は、嵌められたか裏切られたかが原因で、恨みや怒りを持っていたが、恐怖により、それを表に出すことは無かった。(身分の違いが原因だろうか)

〇今世の出会いは、互いのカルマの解消が目的でもあった。

〇カルマ解消は、昨年の夏に既に済ませている。

⇒私が、義父の家の仏壇のローソクに火をつけたところ、うっかり飾ってある造花に火が移り、燃えてしまった。あやうく火事を起こすところだった。自分のしでかしたことがあまりに恐ろしく、震えながら外に出たところ、急な暴風雨となり、その後あまりに美しい青空がぐんぐん広がった。私の心模様が現実化して天気に現れたような不思議な気持ちになった。私は、義父の家の仏壇の造花を燃やすことで、前世の恨みを浄化したのかもしれない。このような小さな仕返し?で済んだのは、1年かけて催眠療法により、ネガティブなエネルギーをだいぶ手放せていたからかもしれない。もしも浄化が進んでいなければ、造花では済まなくて、家を一軒燃やしていたかもしれない。大難を小難に変えられたのは、自身の波動を整えていたためであり、何とか最適なパラレルに進めたのだろうと思う。催眠療法に出会っておいて良かった。

造花を燃やしてしまった事件以来、また何か無意識にしでかしてしまうんじゃないかと不安で、義父に会いに行けず、そのことに罪悪感を感じていた。ちょうど、私のがん騒ぎもあり、コロナもあったので、それを言い訳にして何とか会わずに済ませてきていた。

〇カルマ解消は済んだ(造花を燃やすことで恨みのエネルギーを昇華させた)ので、無理に会う必要は無い。罪悪感を持つ必要もない。会いに行ける時に行けばいい。向こうもまったく困ってはいない。

〇そもそも、互いにその配役を通して魂の学びをしたのであるから、配役を脱いでしまえば、本質は同じ光である。これからは、義父を純粋な光として、外側に惑わされずに接していけばよい。

〇その恐怖は、幻にすぎない。恐怖を抱きしめれば消える。

〇地球でも、地震や嵐を起こして、偏ったエネルギーを調整する。私たちの体験も調整のために起こっている。(ネガティブ⇔ポジティブ、光⇔闇など)

〇あの炎は、不動明王のエネルギーだった。義父とのネガティブな因縁は複数の前世で結ばれているのだが、既に炎によりしっかり浄化して中庸エネルギーに戻している。それに気づくだけでよい。(つまり、催眠療法により全ての前世を一つひとつ癒やす必要はない。私が気づけば、過去のエネルギーもすべて書き換わる)


さて、カウント10に移行し、自由に探索してよいとナレーションから指示される。せっかく催眠状態なので、知り合いの〇〇さんに会ってみることとする。自分でカウントを3つ数え、目の前に〇〇さんをイメージする。表情が辛そうだ。背景が赤黒い。

「どうしたのですか?何で苦しんでいるのですか?」と聞いてみるが、答えは無い。牛頭天王のようなビジョンが見えてくる。牛頭天王は、炎に包まれて燃えている。どうしたらいいんだろう?マリア様に来ていただくことにする。静かに祈っている姿のマリア様の全身像が現れるが、その姿も炎に包まれる。紙に描かれたマリア像が、端から焦げて燃え上がっていく様を見る。ああ、マリア様の絵が燃えていく・・・・。その様子を私は静かな気持ちで眺めている。立体に見えていたけど、平面だったんだな・・・というようなことをぼんやり思っている。

このビジョンは何を意味しているんだろうか。幻を燃やし尽くすということだろうか。実体だと思って信じていたものが、実はホログラムだった。というような気付きをビジョンにして見せてくれているのかもしれないなと、ぼんやり思った。

本日のヘミシンク体験で得たものは、以上だ。催眠療法ほどハッキリした気づきは無いが、なかなか収穫があった。一人で出来るところが気軽だ。また挑戦してみようと思う。


☆夢のシンクロニシティ

昼頃、友人より電話が入った。私のブログの投稿をご覧になって、驚いて知らせてくれたのだ。私は前回の投稿で海水が部屋に流れ込んでくる夢について書いた。

友人は、同じ日に、1分ほどの短さではあるが、やはり海の夢を見た。その海は東京湾で、もしかしたら津波?と思ったそうだ。いつ地震が起きるか分からないし、気をつけないとな~。と思ったそう。そして、私の投稿を見て、そのシンクロに驚いたのだった。

この友人とは、ちょくちょくシンクロニシティが起こる。今回も同じ日に、同じようなビジョンを見せられていたようで、「私たちって、シンクロすご~い!」と盛り上がった。感性が似て居ると、意識が繋がりやすいのだろうか?それとも、たまたま集合意識が作り上げる未来のうちのひとつのパラレルに同時に訪れたのだろうか。

日々、「もし今日が最後の一日だったら?」という気持ちで丁寧に過ごすことは、幸福度を上げると思うので、一日を悔いの残らないように過ごすことは心がけていきたいものだ。

「地球だって生きているからね。地震だって、いつ起きてもおかしくないものね。でも人の命だって明日は分からないよね。自宅を出たところで車にぶつけられるかもしれないし。刺身食べたら、あたっちゃうかもしれないし。いつ死ぬかなんて、誰にも分からないんだもの。あ、魂は人生の計画を知っているけどね。だからビクビク怖がって生きていくのではなくて、静かに穏やかな心持で丁寧に過ごしていけたらいいよね。」

友人と電話でそんな話をしながら、ふと、ヘミシンクで得た「恐怖は幻だ」というメッセージと、炎のビジョンを思い出した。

とある瞬間に、現実だと思っていた目の前のものが炎に包まれて、メラメラと燃えていく。燃え落ちている様を見て「あれ?立体だと思っていたけど、平面だったの?」と驚く。それらは舞台の書割(パネルや板などに紙や布を張り、風景や建物といった背景を描いた物。 舞台で使う大道具のひとつ。 板を組み合わせて書いた物をいくつかに割ることができるため、書割と呼ばれるようになった。)であり、燃え尽きてしまうと、そこは、何も無い、がらんとした舞台だったことが分かる。たくさん居た俳優も消えてしまい、舞台を観ていた意識だけがひとつ、取り残される・・・・

般若心経における、色や空というものを分かりやすくビジョンで見させられたのかもしれないなと、そんな気がしたのだった。

あらためて、ネットで般若心経和訳を読んでみた。催眠療法やヘミシンクなどで得たイメージから、より感覚的に理解が深まってきたように思う。参考まで、下記に紹介しておく。

☆般若心経和訳(一部)

「人は私や私の魂というものが存在すると思っているけれど、実際に存在するのは体、感覚、イメージ、感情、思考という一連の知覚・反応を構成する5つの集合体(五蘊)であり、そのどれもが私ではないし、私に属するものでもないし、またそれらの他に私があるわけでもないのだから、結局どこにも私などというものは存在しないのだ。 

しかもそれら5つの要素も幻のように実体がないのだ」と。

そして、この智慧によって、すべての苦しみや災いから抜け出すことができました。

体は幻のように実体のないものに他ならないのですが、かといって真実の姿は我々が見ている体を離れて存在するわけではありません。

体は実体がないというあり方で存在しているのであり、真実なるものが幻のような体として存在しているのです。

 これは体だけでなく感覚やイメージ、感情や思考も同じです。

シャーリプトラよ、このようにすべては実体ではなく、生まれることも、なくなることもありません。

汚れているとか、清らかであるということもありません。

迷いが減ったり、福徳が増えたりすることもありません。 

このような実体はないのだという高い認識の境地からすれば、体も感覚もイメージも連想も思考もありません。

目・耳・鼻・舌・皮膚といった感覚や心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった感覚の対象も様々な心の思いもありません。

目に映る世界から、心の世界まですべてありません。

迷いの最初の原因である認識の間違いもなければ、それがなくなることもありません。

同様に迷いの最後の結果である老いも死もないし、老いや死がなくなることもありません。

 苦しみも、苦しみの原因も、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません。

知ることも、修行の成果を得ることもありません。

また、得ないこともありません。 

このような境地ですから、菩薩様達は“智慧の完成”によって、心に妨げがありません。

心に妨げがないので恐れもありません。

誤った妄想を一切お持ちでないので、完全に開放された境地にいらっしゃいます。

 過去・現在・未来のすべての仏様も、この“智慧の完成”によって、この上なく完全に目覚められたのです。

 ですから知らないといけません。

“智慧の完成”は大いなる真言、大いなる悟りの、最高の、他に比べるものもない真言であり、すべての苦しみを取り除き(取り除く真言であり)、偽りがないので確実に効果があります。

さあ、“智慧の完成”の真言はこうです。 

「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」

(智慧よ、智慧よ、完全なる智慧よ、完成された完全なる智慧よ、悟りよ、幸あれ)

 シャーリプトラよ、深淵な、“智慧の完成”の修行をするには、以上のように学ぶべきなのです。」

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