使命を知る方法

 



夜中の2時に目が冴えてしまったので、YouTubeを聴きながらウトウトしていた。

光田秀先生(日本エドガーケイシーセンター会長)の対談から、偶然見つけた番組なのだが、櫻庭露樹さんの動画が面白かった。櫻庭さんは初めて知ったのだが、深い話を面白おかしく語るので、視聴者は大爆笑しながら内面世界を探求していくことになる。

さいとうひとりさん、小林正観さんに似たような使命を帯びてこの世に派遣された魂ではないかな?と感じた。語ることで人々を悟りへと導くという使命だ。究極はお釈迦様に通じるのかもしれない。

櫻庭さんの話はどれもこれも興味深いのだが、昨夜は「どうやって自分の使命を知るか?」というテーマが印象に残った。

使命を知りたい人は多いと思うが、自分の使命を知っています!という人はほんの一握りだ。やはり使命(今世の魂の課題も含め)を知るには、それなりに条件が整う必要があるかもしれない。おそらく、能力者にリーディングしてもらって、あなたの使命は〇〇ですよ。と伝えられたとしても、「時間が無い、自信が無い、お金がない!」と言い訳をして、行動に移すところまでは行かないだろう。腑に落とすには、自分の内側の奥底から湧き上がる思いでなければならない。実感を伴い、魂が震えるような気付きが必要だろう。このような気付きが実存的変容につながるのかもしれない。魂のテーマを生き始めるステージへの移行である。

使命を知る方法は二つある。

一つ目は、自分の氏名に使命のヒントが隠されているとか。自分の氏名をひらがなにして、アナグラム化して並び替えるのだ。「さいとうひとり」⇒「さとりいうひと」等。これはなかなか難しいと思うが、お暇な時があれば、解読してみていただきたい。どんな意味が浮かび上がるだろうか?楽しみだ。⇒この投稿の最後の方に簡単な調べ方を書いておいた。

二つ目は、誰でも分かる。よく、人から頼まれることが使命なんだそうだ。

ちょっとイメージしてみていただきたい。職場で仕事をしていたとする。誰かに協力してほしいな~と思ったとする。あなたはどんな人に頼み事をするだろうか。頼みやすい顔をしている人を選ばないだろうか?頼みやすい顔というのは、美醜を言っているわけではない。いつもニコニコしていて、ネガティブワードを口にしない人のこと。反対に頼みにくい人は、怖い顔をしていて、ブスっとしていて、文句ばかり言っている感じの人ではないだろうか?どうせ頼むなら、前者の方がいい。頼む時に気持ちがいい。

櫻庭さんは、師匠の小林正観さんから「お前は頼みにくい顔をしている」と指摘されたことがあるそうだ。そこで、人からのどんな頼み事もニコニコと引き受けるようにしたそうだ。すぐ実行される櫻庭さんがまずスゴイ!なかなか出来ないことだ。

櫻庭さんは、人前でしゃべることが得意ではなかった。しかし、なぜか人前でしゃべることを頼まれることが続いたのだそうだ。最初のうちは交通費も自腹で無報酬で引き受けてきた。そのうち、相手から無報酬じゃなんだからと、500円もらえるようになった。「へえ~。俺の話がお金になるんだ!」と驚いたそうだ。そうこうしているうちに、講演会で話すまでとなり、本の執筆にまで発展していった。

大きな役割を果たしている方は、最初から順風満帆で高額な収入を得ていたわけではない。自分の使命を理解して行動していたわけでもない。ニコニコ笑顔を絶やさず、人からの頼みに応え、コツコツ続けているうちに、不思議と向こうから道が示されてくる。今ここで出来ることを一生懸命やるというところがポイントなんだろう。

「私の使命は何だろう?」と悶々とされている方は、かつての私同様の勘違いをしているのかもしれない。

私は最近まで大きな勘違いをしていた。ある日突然、「私の使命はこれだ!」と明確な啓示があり、その道に進む決心をすると、スルスルと条件が整っていき、必要な人と出会い、必要な収入も入って来て、試練とは無縁に、ワクワクと楽しんで邁進することになると。

もちろんそんな人もいるかもしれないが、大抵の人は、人からの要請に一生懸命応え、様々な障壁を乗り越え(人間関係、お金、健康など)、悩み躓きながらも続けていると、いつの間に「自分にしかできないこと」をやっていた。ということになるのだ。

だから、もし、自分の使命を知りたいのなら、自分を変える必要がある。仮にあなたが職場や家庭でブスっとして、私に話しかけないでオーラを発し、文句ばかり口にしていたなら、自分で可能性を閉ざしていることになる。使命への道は、まずここからスタートである。足元をしっかり固める必要がある。人としての基本をしっかり身に着けるということだろう。ここをすっ飛ばして、使命も何もあったものではない。

いつも笑顔で気持ちよく人と接し、神様言葉(感謝など、美しい言葉)を発するように心がけるところから始めると、きっと頼まれごとが少しずつ舞い込んでくるだろう。そこに使命につながるヒントがあるかもしれないので、苦手なことでも引き受けてチャレンジしてみると、新たな人生が展開されいくことだろう。苦手なことは、食わず嫌いなことが多く、やってみたところ意外と性に合っているかもしれない。四の五の言わず、まずやってみることだ。やってみれば分かる。櫻庭さんはこれを「ピッパの法則」と言う。ピッときたらパッとやる。

そう言えば、私はどんな頼みごとをされてきただろうか?記憶を辿ってみる。

私は幼い頃から引っ込み思案で、人と接することが大の苦手だった。そもそも友達のつくりかたが分からなかった。友達が出来てもクラスに一人いればいい方。いつも自信が無くて、ありのままの私で居ては、誰も私を必要としてくれないと、自発的に良い子になるよう振舞った。

小学生高学年あたりから、中、高と、なぜか学級委員長に任命されることが多かった。友達に好かれて選出されたわけではなく、単に大人しくて、いろいろ雑用(人が嫌がること)を黙ってこなしてくれるから、先生も頼みやすかったのではないかな?と思っている。

私も、自己評価が低かったから、「人から好かれたい、そのためには役に立つ人間だと思われたい」というエゴ全開でクラスの取りまとめ役をこなしてきた。私なりの処世術が、「この世界に受け入れられるためには、いい人でいなければならない」という信念に基づいていた。裏側には、「私は価値の無い人間だから、価値があるように演じなければならない」というネガティブな思いを抱えていた。

そのネガティブな思いは大人になってからも続いた。職場でも気が付けば、幹事役、お世話役を自発的にこなすことになった。人前で話すことは苦手だったが、たまに仕事の研修講師をさせてもらった時は、予想に反して周りから褒められた。何十年も昔、私が講師役をやった時のことを未だに覚えてくれていて、「この人は若いのにすごいな。よく勉強しているな。と思ってずっと覚えていたんだよ。あなたの人柄が伝わって来た。」と声をかけられた時はビックリした。自分でも忘れていたような事で、誰かの記憶に残されているなんて、まるで私のことではないような不思議な気持ちになった。

40歳代後半は、地域のボランティアのお祭りを運営する側に携わり、どちらかと言うと、スポットライトを浴びる側ではなく、「お世話する。お膳立てする。応援する。誰もやりたがらない役を引き受ける。」という黒子的役割をこなした。周りの要請から渋々祭りの実行委員副委員長を二年間担った。忙しすぎて辛いことも多かったが、ここで学んだことはとても大きい。やりたくないことをやることは、マイナスな面ばかりでもない。自分の思い込みによる人生パターンを手放せる良い機会になる。どんな経験も魂からすれば、勉強になっている。

あらためて振り返ってみると、自信のなさと、人から好かれたいという過剰な欲求が、苦手なことにもチャレンジする原動力となっていた。

光の存在からのメッセージを伝えてくれたChiakiさんのリーディングでは、「受容する、引っ張っていく、連れて行く、一緒に学ぶ、影響を与える、伝える、まわりを笑顔にする。」という私の役割に対するキーワードを伝えられた。まだ使命について明確に見えているわけではないが、思わずハッとさせられた。自信が無いながらも、本音を隠して携わってきた数々の経験が、実は人生後半戦で活かせるかもしれないと思い至った。

もし私が、本音丸出しで生きてきたなら、自己中心的で怠惰で、世話するよりもチヤホヤされる方を望んだだろうから、ただ我儘なだけのダメ人間が出来上がっていたことだろう。私の場合は、自分は欠けているというネガティブさをバネに成長したひとつの例に当たるのではないかと思う。自信があったらきっと何ごともなしえなかったと思う。

私の傾向として「慢心しやすいお調子者」という欠点があるので(この点は、おみくじを引いた時に神様からバッチリ指摘された)、それを反省点に、転生してくる時にいろいろ必須アイテムを付加して、欠点克服を目指したのではないかという気もする。「自信がない」性格は、私にとっては、必須条件だった。だから、幼い頃から自信を失うような経験ばかりをさせられたのだろう。

魂の学びという視点から見ると、人生は本当に上手くできている。学ぶためにわざわざネガティブな条件を背負ってくるわけだ。それが、人により、性格、病や障害、貧困、戦争などだったりするのだろう。と私は思っている。

どの魂も、一生懸命学んでいる。

だから、私の幼少期はみじめだったとか、その一点をあげつらって、いつまでも不幸感を味わっているのは本当にもったいない。魂が学びのために今世に用意した、「私が私のために選択した人生ドラマ」なのだから。そこから何を学んだか?という視点で、一度深堀をしてみてはどうだろう。

このように、人生のネガティブな面にも光を当てて、その影響でどんな役割を担ってきたのかを振り返ってもらうと、きっと使命がおぼろげながら浮かび上がってくることだろう。


櫻庭さんのYouTube番組で、もうひとり印象に残った出演者がいた。瀧本光静さんという尼僧さんだ。二人のテンポあるやり取りに大爆笑しながら楽しく聴いた。楽しくて勉強になるので、だまされたと思って聴いてみてほしい。(櫻庭露樹夜ツタチャンネル第107話~109話「瀧本光静さんご来光」)

ちなみに光静さんは、日蓮宗の僧侶だそうで、ここでも日蓮さんつながりがあって、ドキッとさせられた。

光静さんは、20歳のころ、大事故に合う。次の手術での右腕切断予定を医師から宣告される。その時、光静さんは「今まで人生でほとんどのことを本気でやっていなかった。」と覚る。利き腕がもうすぐ無くなるため、必死で左腕でお箸を持ったり字を書く練習をしたそうだ。何と同じレベルで二日で出来るようになった。本気になれば何でもこんなに早く出来るんだと分かったのだそうだ。

光静さんは、この時点で、腕切断を一瞬受け入れた。何だかワクワクしたのだそうだ。

その後、両手を使わないと出来ないことが人生に多いことに気づいていく。失ったもののカウントが始まる。一切を拒否し、ただただ本を読み漁った。ある日、一冊の本の一行のくだりに出会った。

「あなたがもし身体上の不具合があったり病を得ているなら、その一点を恨むのではなく、正常に動いてくれている所に感謝をしてみてはどうか。」との力強い提案が書いてあった。その時、失ったものをどんどんカウントしていたのに、右腕だけを恨むのではなく、動いている所に感謝って何?と思った。左腕があるから本が読める。足が残っているから靴が履ける。そう考えているうちに、失ったものが全部自分に返って来た。

この素晴らしい言葉を書いてくれた作者に会いに行くと決めた。魂が震えた。たまにそういう言葉に人生では出会うものだ。よし!この人の勉強会に行く!と決めて、この作者はどなた?と本を読み続けていくと、釈迦というオジサンだった。釈迦って誰?

光静さんは、熱狂的なクリスチャンだった。イエス様は今も大好きだとか。その時初めて釈迦という人は2600年前に死んでいることが分かった。講演に行けないではないか。どうやったらこの人の事を勉強できるの?と。それ以降、釈迦の本を読み漁り、釈迦の事を取り上げている講演会に行きまくった。

「あの一行の言葉で今の私の命がある。命の恩人。絶望に近い状況の中お釈迦様の一行を読み、生きる希望が出て来た。」と光静さんは語る。

生きる希望が蘇った瞬間、その変化の喜びを覚えておいて、今絶望している人に語ってあげたいと、必死に書きとめるようになった。その時の心の変化をブログに書くようになった。すると読者の方から人生相談が舞い込むようになった。尼僧になった今も文章を書き、人生相談にのっているのだそうだ。

話は事故に遡る。あの事故で、残ってくれた体の部位に感謝をするようになった。一個一個の身体の現象、ひとつひとつの部位に手を当てて感謝をしていった。右腕にも感謝を伝えた。身体の全てに涙を流しながら感謝を伝え続けた。ある日、動かなかったはずの右腕の指先が動いた。そこから、ギブスを外し、5年かけて電気治療をした。ギリギリ残っていた神経が枝分かれをし始め、腕が上がるようになった。何と、切断せずに右腕は残されたのだった。今、重いものは持てないが、「これは仏さまが残してくれた粋な計らいだと思っている。完全に治ってしまうと忘れてしまう。微妙に残してくれた粋な計らいの後遺症。」と、光静さんは、後遺症に感謝をして過ごしている。

光静さんはいつも明るく笑顔だ。そんな事故を経験されていて、腕の後遺症があるなんて、誰にも微塵も感じさせない。ぱっと人に会った時に「あれ?今日なんかいいことあった?」と人から言われるような人になろうぜ運動というのも広めているとか。ご機嫌というのを宇宙に投げかけるのが一番重要だと櫻庭さんもコメントをされていた。「人が真似したくなる笑顔がつくれていたのならいいな。笑顔は、すごいお布施。お金より大切。ご機嫌が一番大切。眉間の皺を目じりに動かすだけで幸せになる。」との言葉が心に沁みた。

光静さんは、自殺未遂も経験されていて、その半生はなかなかドラマティックだ。その経験があるから、自殺願望を持つ人びとからの相談に応え、生き直す希望を与えられるのだろう。大動脈解離の持病を抱えながら、講演活動で国内を飛び回っていらっしゃる。緊急入院した時に、医師から余命三日と宣告され、「何それ、面白すぎる!」と思ったというエピソードは、あまりに骨太すぎる。

仏教には、順縁の菩薩と逆縁の菩薩という教えがあるそうだ。良いことも悪いことも、菩薩が私たちを導くために起こしている。目にするもの、起きる出来事すべてが菩薩の働きなのだそうだ。私もそう思う。結局、体験の全ては魂の学びに通じる。全てのご縁に感謝しかない。この世界は、愛と感謝なのだと思う。

☆光静さんとの共通点

対談をお聴きしていて、いくつか共通点があることに気が付いた。

まず、大きな事故により、肉体の損傷を受けたこと。そこから、全てを受け入れ感謝していく過程を経て、意識変容を起こしている。私の場合は、複数回の手術により肉体の一部とお別れする体験をしているが、自我意識がフリーズしてしまうくらいの大きな出来事に見舞われ、やがて受け入れていくまでの過程はとても苦しいものである。それでも最終的には感謝に至る。

事故直後(腕を切断する宣告を受けた際)光静さんは、ワクワクしたと語って櫻庭さんに笑われていた。大抵の方は信じられないかと思うが、実は私も同様に、がんの宣告を受けた時、本当にワクワクしたのだ。頭で考えれば不本意であり、我ながら驚くのであるが、奥底から湧き上がるワクワク感は、否めなかった。魂がメチャクチャ喜んでいた。私の場合は催眠療法で自分の内面と対話する方法を知っていたので、なぜ喜んでいるのか把握することが可能だった。私は病をきっかけにして、本質の求める道へ方向転換することになったのだから。そりゃあ、魂は嬉しいに違いない。本領発揮の人生が始まるわけだから。

光静さんは、ご自身の体験(釈迦の言葉に救われた喜び)を人に伝えていきたいと思われて、体験を書き綴り、ブログを読んだ人々から請われ、人生相談に発展し、釈迦を愛するあまり僧侶になる。自身の思いに正直に行動し、人の要請に応えて一生懸命動いているうちに、いつの間にか使命に誘われているという流れが見えてくる。

私の場合は、まだ使命が良く分かっていないのだが、方向は間違っていないと思う。人が本質に目覚めていくお手伝いをするために、催眠療法で人と関わり、文章を書くことで発信していくという方向だ。

これからは、積極的にアンテナにひっかかった場に出向き、いろんな出会いを経て、人からの要請に応えつつ、出来ることをこつこつと積み上げて行こうと思っている。私の人生経験のために犠牲になってくれた肉体さんの愛に報いるためにも、手術痕は、私にそれを思い出させるために残された神仏の計らいなのだと、私もそう思っている。


☆おまけ:私の名前のアナグラム化

アナグラムメーカーというアプリを使って50個を生成、辻褄が合いそうな文字列を自分なりに漢字に置き換えしてみた。

無理矢理感は否めないが(笑)、遠からずと言う気もする。


①「うけこいこよ」⇒受け請い来よ

②「いけこよこう」⇒行け来よこう

③「よいけうここ」⇒良い稀有ここ


音を漢字変換していて、ある傾向が見えて来ていた。

①受容する。人から請われることをやる。共に進む仲間と集う。一緒に行こうよ、おいでよ~。という感じか。寄り添っていくニュアンス。

これは、まさにヒプノセラピストの精神そのものだ。

②「こうしたらいいよ~。」と伝えていくこと。本質につながる手段を示していくこと。行く(進む方向)来る(過去から辿って来た道)を照らしていく役割。

これは、催眠療法もそうだが、自分の経験を綴っているblogを書くことに当たるのではないだろうか。自分の気付きが誰かの気づきにつながると嬉しいから、書き続けている。幸せに生きる人が増えていくことが私の魂の喜びでもあるので。自分だけが悟ってゴールすればいいとは考えていない。ヒントになることがあれば、シェアしたい。みんなと一緒に歩みたいと思っている。

③「ここに本質がある。ここに永遠の穏やかさ、静かさ、美しさがある。」という「ここ」=「幸せは自分の中にある」を催眠療法を通じて広めていくこと。幸せ(稀有な良いこと)が、実は過去も未来も今もずっとそうであることを伝えていくこと。今ここに魂の(本質の)喜びがあることを日々体現していくことで、影響を与えて行く。いつも笑顔でご機嫌でニコニコしていることもこれに当たるだろう。

最後に、私の名前の漢字は、おひさまの意味なので、これも転生する際に、使命を忘れないよう名前に託した魂の計画であろうと感じている。

おひさまの役割は、あたためる、照らす、明るくする、育くむ、無条件の愛などが連想できる。手っ取り早く出来ることは、笑顔である。笑顔はおひさまの役割全てを含み表現することが可能だ。Chiakiさんも、満面の笑顔の私が仲間に囲まれているというイメージを伝えてくれた。

おひさまのように、笑っていこうとあらためて思った。


もし、これを読まれた私の友人・知人の中で、自分の使命に興味がある方がいましたら、私までご連絡ください。解析のお手伝いをいたします。




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