私のシャドウはズルいアメリカのオジサン

 先月末のシャドウワーク宿泊セミナー後、参加者たちのその後を聞く機会があった。

数人は、帰宅後に、自身のシャドウ(見たくないような負の自分自身)を現実化していた!家族間トラブルや恋愛のもつれ、仕事上のモヤモヤなどなど。ただし、参加者たちは、二泊三日でシャドウを学んだ強者でもある。いつもなら、感情の自動コントロールの波にのまれてしまうのだが、今回は「いよいよ私のシャドウが現れた!さて、どうやって向き合うか?」という姿勢になっていたそうだ。

彼らの共通する姿勢は、「自分に誠実になる。まず自分を尊重する。」今までは、たいしたことないからと我慢していたことを、きちんと言葉にして相手に伝えたそうだ。(怒りを表現するのではなく、冷静に伝えるというポイントがある)そうしたところ、思った以上にベストな流れに移行していったそうだ。参加者数人のその後エピソードをお聴きして、みんな凄いな~と感心した。

私も何かシャドウが浮き彫りになるような現実化が起きるかな?そんなことをぼんやり思ってはいた。

昨日の出来事。私のシャドウが現実化された!超、超、醜い、いやらしい、蔑みたくなる影の部分を投影した現実を私は映し出した。面白いので記録しておく。こんな体験は滅多にないので、やはり宿泊セミナーで自分の内部の滞ったエネルギーが動き出したらしい。参加者たちも、エネルギーが動いたと表現していた。

昨日の日曜日は、朝からスッキリ晴れて美しい空が広がっていた。前日まで予定が無かったのだが、ふと「今日は夫の一番行きたがっていたところへ行ってあげたい。」と思いついた。夫は私と正反対の趣味、ミリタリーフアンである。『トップガン』の映画を観て、主人公が着用していたジャケットを手に入れたがっていた。どうやら、横須賀のどぶ板通りに、ミリタリー専門店があるらしい。

軍港めぐりの船にも乗れるようなので、青空をバックに夫や軍艦の写真を撮影してあげたいと思った。たまには夫孝行をしようと気まぐれを起こしたわけだ。普段は私の趣味を優先して出かけるため、今回は夏に雪が降るくらいの珍しい行為であった。

これもきっと、シャドウワークの影響だろう。今まで凝り固まり滞っていた部分のエネルギーを動かすには、まったく違う方向から行動する必要があったのだろう。今思えばだけど。潜在意識の中で必要な現実化創造が着々と起こっていた。

軍港めぐりクルーズは大盛況で、チケットを購入した後は30分ほど並んで待った。皆、出来るだけいい席に座って写真を撮ったりしたいのだろう。長蛇の列になっていた。当たり前だが、皆整然と一列になり、穏やかに談笑しながら待っている方々ばかりであった。順番を守るのは、当たり前だった。今までの私の価値観では!

私たちは長蛇の列の前の方に並んでいた。15分くらい経過した時、私の横に、体格のいいアメリカ人らしきオジサンが立った。双眼鏡で沖を眺めたりしているので、たまたまその場所で景色を眺めたいのかな?とも思った。まさかね~。こんなあからさまに割り込みするわけないしな~。と不審に思いつつ、放っておいた。

やがて、係員が順番に体温を計りに来た。私の前に並んでいた日本人の男性が、その係員に「この人割り込みですよ。」と伝えてくれた。係員は、そのアメリカ人のオジサンに注意してくれた。「後ろに並んでくださいね~。」と。途端にオジサンは英語でまくしたて始めた。係員は困った顔で「この人、最初からここに並んでいたと言ってます。あなたが後ろに気づいていなかっただけだと。」と言った。あきらかに、このトラブルを穏便に回避したいという表情だった。私は、首をブンブン横に振って、係員に不正が行われていることをアピールしたが、係員は、そそくさと次の検温に移っていった。

そのオジサンは「〇〇〇エンバシー××△△!」と英語でまくしたて、私の前にいる日本人男性に名刺を渡そうとした。おそらく「俺は大使館関係者だ!文句あるならここに連絡しろ!」みたいなことを言っていたのだろう。日本人男性は面倒はごめんだという風で、手を振ってそっぽを向いた。私は、オジサンが私の前に割り込まないよう、間合いを詰めた。オジサンは、横に相変わらず立っていて素知らぬ顔で海を眺めている。こいつ!横入りしてきたら、絶対に許さんぞ!と私は決意した。

ここで考えていた事。

今までの私なら、横入りされても、「まあ、いいや~。いろんな人がいるな~。でもおおごとにしたくないし。どうせ何か言ったって、嫌な気持ちになるだけだもん。我慢すればいいや~。」と思って、ちょっと顔をしかめるか、後でこそこそ「ずるい人もいるもんよね。」と内輪で愚痴をこぼす程度で終わらせていただろう。しかし、私はこの日は違っていた。

自分に誠実であること。一番に自分を尊重する行動をとること。

不当なことをされたら、バシッと言ってもいいのだ。相手が怒ろうが機嫌を損ねようが、言うべきことは言っていい。正当な怒りなら、怒ってもいい。そう自分に許可を出した。

さて、乗船が始まり、列が動き始めた。オジサンは見事に私の前に刷り込んだ。敵ながらアッパレである。

「NO!!!」

私は大声を出して、オジサンをにらみつけた。絶対に引かないぞという気迫でオジサンの目を射るように見た。チケットをもぎっている係員たちは、絶対に事情を知っていたはずだが、大勢の乗船客をスムーズに乗船させることに一生懸命であり、私とオジサンの攻防は、見て見ぬふりをされた。「どうしました?」の一言も無かった。「空気読めよ、大人になれよ。一人ぐらい訳のわからんやつがいたっていいじゃないか。さっさと乗船してくれ。」という係員たちの心の声が聞こえてきそうだった。

まあ、確かに、アメリカ様の機嫌を損ねたり恥をかかせたら、軍港めぐりの事業が許可されなくなる可能性もあるだろう。この人が本当に大使館関係者かは知らないが。「まあまあ。穏便に。」と、白黒ハッキリさせないのも、軍港と共に生きるしかない人々にとっては、処世術であろう。それも分かるが。

私の心は熱く燃えていた。私は私を一番大切にする。私が不当に扱われるなら、私が私を守る。勇気をもってしっかり主張する。

「STOP!!」オジサンは大声を出し、私を制した。そして、表情一つ変えずに私の前をゆうゆうと歩き、橋げたを渡っていった。

「黙れ!」という意味だろう。ああ~見くびられたものだ。私がこの長蛇の列の中で一番自己主張しなそうな、弱そうな人間に視られたのだろう。目を付けられたのだ。こいつなら簡単に横入りできるぞと思われた。そう思わせるエネルギーを醸し出していたのだ。すごく悔しかった。私は弱くなんかない。見くびるな!そう思った。

オジサンの背中に向かい「割り込み!」と怒鳴った。

「あなた、最初から並んでなかったですよね!」と。事実だけを言葉にするようにした。

英語が分からないから日本語だ。ここは日本だ。日本語でしゃべって何が悪い。

オジサンは、また英語でペラペラまくしたててきた。「STOP!」を連呼していたから、「黙れ!黙れ!黙れ!」という感じだったのだろう。後は何か分からなかった。英語が分からないから、例え蔑まれる言葉を吐かれていたとしても受け取らずに済んだ。何が功を奏するか分からない(笑)

オジサンは、船の二階の甲板へ昇っていった。私はオジサンと同じ場所に居ると吐き気がするので、一階の室内を選んだ。本当は甲板のベンチで海風に吹かれたかったけど、もうどうでもよかった。甲板は大人気で、列に並んでいた人のほとんどは二階へあがって行った。ズルして軍港を甲板のベストポジションで眺められたとして、オジサンは心底楽しめるのだろうか?なんだか寂しい人だ。

ズルをしてでも、ベストポジションでイージス艦を眺めなければならない大使館員としての秘密の任務でもあったのだろうか?いやいや、人として小さすぎるだろう。恰好悪すぎる。

不思議と夫は、この割り込みの顛末にまったく気づいていなかったようで、きょとんとしていた。私が騒ぎ出したので、何となく理解したみたいだった。同じ現実が起きていても、人によって見ているもの感じているものがこんなに違うのだなと驚いた。「割り込み?悪いやつだな~。横須賀の海に沈めてやれ!」と夫は笑いながら言った。あっけらかんとしていて、とても軽い。私は、「あいつ!甲板で冷たい風に吹かれて風邪でもひいてしまえっ!」と、ついつい毒づいた。

まあ、オジサンのおかげで、結果的に暖かい室内で、ベンチに座り、ゆっくり軍港を眺められたのと、ナビシステムの大きなモニターを見ながら、スタッフの説明を聞けたので、甲板の吹きっさらしで震えているよりずっと良かったと思う。負け惜しみではなく。思ったよりずっと快適に軍港巡りを楽しめた。もっとベストな体験ができるのに、顕在意識で判断してしまうと、割りを食う。こういうこともあるな~と学んだ。やっぱり、他人より得しようとガツガツせず、自然の流れに任せると一番うまくいきそうだと改めて実感した。ある意味、オジサンの割り込みに感謝である。

さて、美しい海と空を眺め、波にゆられながら、私はシャドウについて考えた。

軍港めぐりの船に揺られながらシャドウについて考える・・・シュールだ。

私の中のシャドウが現実化したのだとすると、あのオジサンは何を象徴していたのだろう?

吐き気がするような、人間のズルさ。いやらしさ、蔑みの心、まさしく闇のエネルギーであろう。私の中に、このエネルギーが潜んでいたのだ。それを浄化するタイミングがいよいよ来たのだ。

想像でしかないが、あのオジサンは、幼い頃から、人を信頼することが出来ない環境に居たのではないだろうか。いつも誰かに騙されたり、不当に扱われた。力の強い人に「黙れ!」と脅され、縮こまって生きてきたのではないだろうか。アメリカの虐待は、けた違いな暴力だとも聞いたことがある。きっと彼は、心が許せる友も家族もいないのだろう。自分がどうしたら得をするかばかり考えているので、同じようなエネルギーの人たちとしか交われない。彼は、人から信頼されたり、心から安心して身を委ねられる関係性を知らないのだ。例えば、甲板のベンチが人でぎっしりになっていたとして、お年寄りや小さな子供が隅の方で立っていたら、「ここにどうぞ。景色が良く見えますよ。」と自分のベストな席を譲ってあげることすら想像できないだろう。彼の心の中は何と殺伐としていることか。

そして、こんな想像できるということは、共感できるということでもあり、私の中にある傾向なんだ。認めたくないけど、確かにオジサンは私なんだ。私の中のシャドウを見せてくれたんだ。私の中に確かにある、醜くて吐き気をもよおすほどの部分。ドロドロの深い闇。ある意味、オジサンが闇の部分を引き受けてその人生を体験してくれたから、私は、その正反対の光の世界に到達することできる。これは魂の学びにおいて、それぞれ必要な役割を果たしているにすぎない。宇宙から見れば優劣はない。そもそも、私たちは源でひとつだ。

イメージの中で、急遽、統合ワークをする。あのオジサンをそのままの姿で抱きしめるのは抵抗があるので、オジサンのエネルギーを色に変える。そして、私のエネルギーと混ぜ合わせ、宇宙に投げる。私の中の新しい空間に宇宙からの光エネルギーを注入する。これを大急ぎでささっと行った。どこかできちんと時間をとってシャドウワークを行いたいと思うが、応急手当的にはこれでいいだろう。悔しいままだと、一日がもったいないので。

45分間の軍港クルージングが終わり、船は桟橋に戻った。2メートルくらいの身長の大柄なオジサンが、人ごみの中で頭ひとつ抜き出た形で、無表情で歩いて行くのが見えた。周りの日本人たちは、家族連れや友人同士なのだろう。感想でも語り合いながら、笑顔で、にぎやかに流れていく。こんな和やかな流れの中で、彼だけが異物のように、ゴツゴツガチガチと不器用に漂っているような気がした。まわりの調和の中で、合い交わりようのない異質性に気づいた時の、焦り、孤独に思いを馳せた。

もう二度と会わない彼に私は心の中でエールを送った。

「グッドラック!」

この後は、気持ちを切り替え、横須賀を満喫。海軍カレーとネイビーバーガーも味わった。また、夫は念願のジャケットも購入。

一番心が弾んだのは、ワッペンの老舗、ダイヤモンド商会をたまたま発見できたこと。

1951年創業。アメリカ海軍や自衛隊のパッチ(ワッペン)を製作販売している。

店番をしていた高齢の女性が、どうやら創業者の家族らしく、いろんな歴史を語ってくださった。最近は、アメリカの犯罪取締局(?)から依頼があり、富士山と鳥居とハクトウワシとその局の紋章を組み合わせて適当にデザインしたのよ~なんて、朗らかに笑っていた。

南極観測船しらせのワッペンは、ペンギンのデザインでとても可愛かった。これもここがデザインしたらしい。嬉しくなり何枚か購入した。しらせは、3パターンしかないのよと裏事情も話してくれた。

この店はとても小さいが、壁がワッペンだらけで、宝の山だ。もし横須賀へ行かれる方がいたら、ぜひ寄ってみてほしい。横須賀の歴史を感じさせてくれる。





以下はシャドウを抱き締めた後の学び


☆宮崎ますみさんのFB投稿紹介

なんだか、胸に刺さった。こういうことか·····


「なんか、夢を見た…


その世界がとても幸せであったことは覚えているけど、

ビジョンは思い出せない。


日本に世界中の人が訪れていた。

とても調和的に…笑顔で共にいた。


かつて「外国人」と呼ばれた人たちは、

もはや外国人ではなく、「仲間」だった。


そこにはちゃんと日本人としての尊厳があり、

彼らは日本人のスピリットを深く理解し敬った。


アガスティア聖者はこう葉っぱに書き残している。

2037年ごろにはVISA等も必要なくなり、

世界中を行き来できるようになると。


今こそ、未来のために、

素敵なパラレルを選んでね!


イマジンよ〜


世界は人が持つ意識で創られる。

排他的になることなく、互いのアイデンティティを尊重して調和的に生きる未来もある。


まず私たち一人一人の中でそれを深く理解して、

自分の恐れを克服して、生きることからよね。

過去傷ついた経験からの未来を選択してはいけない。


人間にとって、「嫌悪」を超えることは容易ではない。

一人一人の課題かな。


そんな夢…11月6日」


☆宮崎ますみさん11月6日アメーバblog紹介


全てを見せてくださっているのは神です。

 

外界はあなたの魂を上達させるためのレッスン。

 

神は今自分にどんな課題を与えているのか?

 

それを真に理解するために経験を与える。

 

その経験を与えるのも神なのです。

 

アシュラを演じきった登場人物のカルマ 

 

自分の親から受け継いだカルマ

 

自分自身のカルマ

 

そのカルマを通して経験を与えるのも神。

 

真の知恵にしてくださるために。

 

そのドラマ、神芝居を作ったのも神。

 

役柄を配置したのも神。

 

全部神様。

 

神様の愛。

 

だからその神が作ったものを恨んでも

 

神を恨むようなものでしょ。

 

真実、リアリティーは、神芝居の世界にはないの。

 

全てはイリュージョンだから。

 

想念が作り出した幻だから。

 

神が私を神のもとへと還すために

 

イリュージョンを作っただけ。

 

そこにリアリティーはないの。

 

全部神なの

 

それがリアリティーなの。

 

だからイリュージョンを憎んでも

 

幻を憎んでいるだけ。

 

憎むな 怒るな 追及するな。

 

 

相手が自らのカルマに

 

その役を演じたことに

 

気づいていようといまいと、

 

あなたには関係のないこと。

 

その人自身の道なのです。

 

全てを神は面倒見ています。

 

神にのみ意識を合わせて、

 

愛と感謝だけを捧げなさい。」




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