現代医療と和解する

 現代医療とは、健康保険が使える一般的な医療のことで、手術や投薬など、対症療法が特徴となっている。私は、二年前までは、不調は病院で治してもらうものと当たり前に考えていた。その依存的な思考に警鐘を鳴らすような出来事があった。

私は、鬱病を治療しながら仕事をしていた。そのメンタルクリニックには数年通っていた。薬の種類は4種類ぐらいだったろうか。うつ病は公的な助成があるため、病院代は1割負担で済んでいた。そんな気軽さもあり、ただ、処方される薬を漫然と飲み続けていた。鬱はなかなか良くならなかった。

2020年、世の中が、未知のウイルス騒ぎで横浜に停泊する豪華客船に注目していた頃、私は肺の血管が詰まり、意識不明となった。幸い、救急車で運ばれた病院の医師の機転で、命拾いをさせてもらった。その後、一か月ほど入院し、点滴で健康な心臓の動きを回復することができた。また、たまたま造影剤を使ったCT検査により、乳がんが発見。リンパ転移の無い絶好のタイミングで手術を受けることが出来た。私は現代医療により確かに命を救われた。

退院してから、メンタルクリニックへの不信が膨らんでいた。肺の血管が詰まった原因がもしかしたら、あの4種類の薬の副作用ではないかと、入院していた病院の医師から告げられたからだった。意見書を書いてもらい、メンタルクリニックの医師には伝えたのだが、不安は膨れ上がるばかりだった。

メンタルの薬だけでなく、血管の薬、ホルモン剤、その副作用を抑える薬、など、毎日体内に取り込む化学物質の量は倍増していた。そして、薬への不安が無意識に体調を悪化させたのだろう。私は、だんだん、寝込むようになっていった。起き上がるエネルギーが振り絞れない。家事も一切できず、毎日布団の中で鬱々と過ごすようになっていた。

ある日、ふと思った。

「このまま何もできずに薬だけ飲み続けて10年長生きするよりも、短命でもいいから、動けるようになりたい。」

私はここで、無意識に意識変容を起こしていた。長生きすることが何よりも幸せであるという世間の価値観から、自分自身の幸せのカタチを求めようと、初めて自主的に行動をしたのだった。

これは、私の価値観なので、推奨するものではないことをお断りしておく。自分の選択は自分で責任を負う。誰も私の人生に責任を負える人は存在しない。私だけである。病院へ通うのも薬を飲むのも、私が選んだ。そしてこの先に受ける医療も、自分が選択できる自由があると思った。私の望みは、唯一、「動けるようになること。」

自己判断で、薬を飲むのを一切やめた。何だかとても吹っ切れた気持ちになった。未来に対する不安が手放せたのが一番大きかったかもしれない。命への執着を手放した。「もう数年の命になったとしてもかまわない。私は最後まで動きたい!」その本心の望みが明確になったことで、私は自由を取り戻せたように思った。誰かに委ねていたパワーが自分に戻って来た。

そして、二週間後、私は台所に立ち、家の掃除もしていた。「やった。家事が出来た。」私は嬉しくて、涙を流した。やがて、散歩をしたり、近所のスーパーに出かけられるようになった。

私は白黒ハッキリしたい性格だったため、極端だった。通院を一切やめてしまったのだ。この時、医師に「薬を止めたい。」と相談すれば良かったのだが、不信感が勝り出来なかったのだ。病院へ行くと病気にされてしまうのではと思い込んでしまったのだ。ここに今思えばたくさんの反省点がある。結果オーライだったから良かったのだが、相性の良い医師を丹念に探し、医療の形も様々であることを学び、幅広く相談していく努力をすれば良かったなと今は思っている。

夫の懇願により、人間ドッグだけは年1回受けたが、「癌には二度とならない。」と信じ込んでいた。生活習慣も食事も変えた。ストレスフルだった仕事も辞めた。そして、やりたいことに(催眠療法)挑戦もできていた。宇宙や魂のことも順次学んでいった。人はなぜ生きるのか、病はなぜ発生するのか、少しずつ、知識を増やしていた。私の人生で、癌になる必要はもう無かった。だから、そんな現実化を起こすはずもなかったのだ。毎日が楽しく、素晴らしい人々と新たに出会い、世界が広がっていた。すべて順調だった。

そして、9月に、癌を発症していることが判明。二か月ほど、精密検査をいくつか受け、手術を決断し、今に至る。

さて、前置きが長くなった。昨日、私は現代医療と和解した。そのことをここに記録しておきたい。けじめをつけたのだった。

昨日、二年前に乳がんの手術をしてくださったM医師と久々に顔を合わせた。私が一方的に通院を止めてしまって以来、初めての診察だった。私は、結局この病院へ戻ってきたのだった。

ホリスティックの医師に電話相談した際には、「場合によっては、代替医療に理解のある乳がんの専門医を紹介することも出来る」と言っていただいてもいた。しかし、二年前、私が一方的に拒絶したこの病院に、この医師の元に、戻って来た。不思議なのだが、この選択しか無かったのだ。再会は正直気まずかったが、自分の選択に後悔はないので、流れに委ねることにした。

M医師は、口調は静かだったが、きっぱりと言ってくれた。

「治療を勝手に中断してしまうのは、患者さんそれぞれに理由があるでしょう。それはいい。問題なのは、医師に相談なく勝手に来なくなってしまうこと。こちらは、どうしたのだろう?と何が起きたのか分からない。治療も途中でやめてしまうと折角の効果が無になってしまう。今日はなぜ、ここに来たのですか?手術するつもりはあるのですか?せっかく治療しても、またこの人は途中で止めてしまうのではないかとどうしても思ってしまう。ちゃんと続ける覚悟はあるのですか?」

私は、「申し訳ありませんでした。」と頭を下げた。怒られてしょげたわけではない。M医師は、医師と患者の信頼関係のことを言っているのだった。医師は、全力でその患者さんに、効果があるだろうと思われる方法を情報提供する。リスクもきちんと説明する。互いの同意の上で治療が開始される。癌は、長い付き合いだ。切りました。はいさようならでは済まない。互いに病を治すために協力しあっていくわけだ。医師だけが頑張っても、患者だけが頑張ってもダメ。互いに信頼し合い、覚悟を共にして進んで行く。

この瞬間、現代医療に偏見を持っていた私を心から反省した。M医師は、二年前、手術をしてくださったその日から、私と真剣に向き合ってくださっていたのが伝わってきたのだった。私はかなりドライだったようだ。

私は、正直に心の内を言葉にした。

「手術は受けたい。しかし、その後は、薬による治療は行いたくない。代替療法などを学び、自己治癒力を高めていくことで、がんにならない体づくりを自分でしていきたい。今後は、勝手な判断で通院を止めることはしない。医師と相談しながら、時には治療法の情報を提案してもらいながら、最後は自分で選択していきたい。それではダメでしょうか?」

M医師はあっさり、「それでいいですよ。」と答えた。

肩透かしをくらったようで、思わずガクッとなった。

私は、今まで、医師の治療方針に従わなければ、もうその病院に通うことは出来ないと思い込んでいた。薬を飲みたくないと、きちんと考えを述べれば、このように尊重してもらえるのだ。ああ、なんて私は未熟だったのだろう。現代医療も東洋医学も、様々な療法も、それぞれにメリット、デメリットがある。それぞれの良さを組み合わせ、全体的に調和していくように取り入れていけば、患者のQOL(クオリティ オブ ライフ)もアップする。私が学んで、主治医にそれを伝える。こういう療法を試したいから、この治療はやりたくない。医師も、無下に否定するのではなく、受け入れる余地がある。患者も、現代医療のメリットを医師に聞きながら、ベストを探っていく。そのやり取りがこうやって出来るのだ。現代医療が悪いわけじゃない。私が未熟だった。それこそ信念にがんじがらめになっていた。

そうか、私はそれを手放すために、二年前のこの病院にやって来たのだ。私は現代医療と和解したかったんだ。

M医師は、私に朗報であるかのように、次のように明るく告げた。

「幸い、左の癌は、再発ではなかった。まったく違う癌だった。新しく出来たようだ。」と。

M医師には、この治療が患者に最適だと信じるから提供できるものがある。たまたま、私には合わなかった。やってみないことには分からなかった。でも、合う人も中には居るだろうし、再発する人もしない人もいるだろう。

あの治療を続けていたら、左は大丈夫だったんだろうか。分からない。大丈夫でも、寝たきりで鬱々した二年間だったら、辛かっただろう。ただ、言えるのは、あの時、薬を止める選択をしたから、今の私がある。そして導かれたような学びの日々を、私はとても気に入っている。結局、またガンになってしまったけど、あのプロセスを体験できたのだから、とても幸せだったと思う。一切の後悔は無い。前述のように反省はあるけど。もっと賢い選択があったかもしれないが、みんな、私には必要なことだった。いいじゃないか。こうやって、遠回りしながら生きてもいいじゃないか。病から学んだっていいじゃないか。唯一無二の体験ができた。これは誰かと価値を比較できるものではない。私はこうやって学んでいく。

M医師は、カルテに書き込むために、「その、なんとか療法って、何をやっているの?」と質問してきた。私は、「食事療法と、エネルギー療法と、催眠療法です。ホリスティック医療のクリニックに相談しながらやってます。」と答えた。M医師は、代替医療についてはあまり知らないようで、戸惑いが伝わって来た。きっと「怪しい・・・」ぐらいは思っただろう。でも、受け止めてくれたことが嬉しかった。

診察が終わり、受付で次の診察の説明を看護士からされていた時

その看護士から「薬を飲まないことを選ぶ。それでもいいと思います。」と改めて言われて、ちょっとビックリした。

この看護士は、実は今日の診察前に、私に挑むように声をかけてきていた。

「今日は何しに来たの?ちゃんと手術受ける気はあるの?前の先生からなんていわれてきた?」と威圧的に確認されたからだった。言外に、「ちゃんと医師の指導通りに治療を受ける気持ちが無いのなら、時間の無駄だから帰れ」と言われているのだなと感じた。途中で勝手に治療を中断し来なくなるということが、どれだけ重いことなのか、理解できた。医師からすれば、浅はかな、命の放棄に見えるのかもしれない。

これが癌だったから、なおさらだろう。それだけ、彼らは真剣に向き合ってくれてたという証拠だろうと思った。

昨今は医師側が責められる傾向が多いが、患者側もきちんと学んで、成熟する必要があると痛感した。自分の命のことだ。私は、そこをないがしろにしていたようにも思う。

そして、はなからコミュニケーションを諦めていた。一度はトライしてみても良かった。思い込みは可能性を狭める。まずは、やってみること。それでダメならまた考えればいい。

M医師は、きちんと私にけじめを付けさせてくれたのだった。なあなあにせず、ピシッと言うべきことを伝えてくれた。

有難いと心から思った。学びあふれる一日だった。

そして、この現実も自作自演ならば、またひとつ、両極を統合できた気がする。これから私が進む未来は、より柔らかく丸くなるだろう。

どこかで引っ掛かっていたことは、こうやって、いつか向き合わされるのだ。人生はうまくできている。あ、私が自分で創っているんだから、当たり前か。

すべてに、心から感謝。


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