なかつくに

 人間として生まれたからには

人間としての役割があろう

思い出せ


たまふり


魂を震わせよ

それぞれに震えで、エネルギーが違う

それを感情で味わうか

あるいは

身体のどの部位で

どのくらいの強さで

色や形や固さや温かさなどを感覚で受け取る

言葉にならぬ震えもあろう

様々に味わう

魂のふるえ

命のふるえ

ふるえる存在

人間として生まれたからには

存分にふるわせよ


たまふり


ふりわけ

違いがうまれ

共にふるわせ

ひとつにもどる

ふるえを分かち合う時

己れは嬉しくはないか

笑みがこぼれないか

相手の顔が輝くのを見る

エネルギーがまるく溶け合う

共にふるえる喜びを味わう


それを知る

ふりわけも大切な道のり

違いがあるから

ふるえを共にする喜びも知る

必要な道のり

どちらも必要


両方知ったなら

そろそろ

まるく響き合う時が

きていやしないだろうか


人間として生まれたからには

響かせ合う

人と人と

人と自然

人と宇宙

あいだの存在

己れのふるえをもって繋いでいく

調和へチューニングしていく

それは役割


中津国に

国津神と天津神がやってきたそうな

なかつくに は

あたたかく、受け入れたそうな

まるく まぁるい エネルギーで

包み込むようにしてなあ

共に響きあおうとして

真ん中の存在として

·······


それからの流れは

一側面で見れば、暴力的で破壊的でもあるが

何千何万の時は

瞬きのような、ひとくくり

知るために

それぞれに 「ふるえ 」ることで

役割をふりわけたということだ


以上は

先ほど、朝風呂中に受け取ったエネルギーを翻訳したもの。私の解釈も入っているが、大まかにでも伝わればと思う。

今日は一日バイトの日に当たり、正直、面倒だな~。家に込もってノンビリ、ダラダラ好きな本でも読みながら過ごしたいなあ。あまり人に会いたくないなあと思っていたら、

「人間として生まれたからには、役割があろう。」と、ハイアーセルフなのか、守護する何らかの存在なのか、たしなめられたのが、上記のメッセージである。

私は特に、人に接する仕事が苦手で、窓口でいろんなエネルギーの方に接すると、怖いという感情が起きるのだ。例えば、私の作業が遅いと、イライラされたり、相手の伝えたいことがうまく飲み込めなくて、質問したりすると、「何ですぐ分からないんだ?」と、キレ気味になられたり。全員ではないのだが、思い通りにならないと、瞬時に荒いエネルギーを放出する人(ネガティブエネルギーを無意識に選択しがちな人)に接したくないと思う。原因としては、私の潜在意識に、まだ癒されていないインナーチャイルドが居て、反応しているのだろうと思う。これは今後の課題だ。

家に閉じ込もって、好きな読書をしていれば、幸せだし穏やかだし何の問題も起きないだろうが、

「あなた、何のために地球にやってきて、人間やってるの?本来の目的は何だったんだ?」と、振り返りをさせられたわけだ。朝から(笑)

私の役割は、何も大きなことをせよと言うことではない。

目の前の存在を尊重し、敬意を払い、笑顔で優しく穏やかに接すること。

それはもしかしたら、誰かの荒いエネルギーを角の取れたものにするかもしれないし、誰かのイライラが、スウッと和らぐかもしれない。少なくとも火に油を注ぎ、増幅させるのではない。

今までは、相手の強いエネルギーに負けて、自分のエネルギーを閉じ込め苦しんできたが、これからは今までの対処方法ではなく、自分のエネルギーを活かしつつ、対立しない方法があるよね。ということだと思う。つまり、存在そのもので、エネルギーを融合し自然に調和していく。ぶつからず逆らわず流れるような、そんな在り方のこと。私はそれを学んでいる。これは、外に出てたくさん体験しなければ叶わない。そのために人間をやっている。そして、バイトをしながら、人に接する機会を得ている。

なるほど。

その役割をイメージしていた時

ふと、なかつくに  というワードがもたらされた。

勉強不足で、間違えているかもしれないが、日本に元々いたという、縄文の流れを汲む穏やかな民族の住まう国のことかもしれない。

現在の神社の御祭神たちは、大陸の別々の地域からやってきたもので、もっと遡れば、宇宙星系が違う。それぞれのエネルギーに個性がある。どれが良い悪いではなく、宇宙の源泉はひとつなので、これも宇宙が見る壮大な夢の断片でしかない。

支配的なエネルギーを神と崇めた時代もあったろう。悲惨な歴史も繰り返したろうが。

宇宙の流れは、共に手を繋ぐハーモニーへ向かっている。おそらく、別々の宇宙星系も仲間として、個性を活かしつつ、補いあって、学び合っているだろう。

現し世に一喜一憂し、振り回される段階から、目に見えない95%の世界から学んでいく。そんな時代がやってきている。

バイトに行きたくな~い。

から、こんな壮大な内容のたしなめをいただきました。

あなたが、この瞬間に、ニッコリ微笑む選択をするだけで、いくらでも世界は変わるということです。

さあ、新しい一日のスタートです。

バイトに行ってきます。

☆風に乗って飛んできた葉っぱを見て

先ほど、自宅で昼食を食べながらベランダを眺めていたら、ヒラッと一枚の葉っぱが飛び込んできた。

小さくて、黄色くて、可愛いと感じた。

「ようこそ。ゆっくり遊んでいってね。」と心の中で声をかけた。

葉っぱは、楽しそうにベランダのあちこちを散歩して、また飛んで行った。

この時ふと思ったのだ。

ベランダに葉っぱが飛び込んできた時に

「ああっ!また、掃除しなきゃ!」とイライラすることも出来たわけだ。

葉っぱを命ある存在と捉えるか、単なるゴミと捉えるかで、受け取り方が180度異なる。

自分の中でも、おなじ出来事に対して、ニコニコするも、イライラするも、どちらも可能だ。きっとその時の体調とか、余裕があるかないかで、感情の選択は変わる。

どちらも、ありだけど

私はどう生きていきたいのか。穏やかに葉っぱとお話しながらニコニコして生きていきたいのなら、今がそうあるように、意識的に生きていこうと思う。

感情はエネルギーであり、振動だとすると、目の前の現実も私の振動により引き寄せ、具現化したものが繰り広げられている。

現実を見れば、自分の発したエネルギー(振動)が分かる。

起きた出来事を見て、自分の内面を知ることになる。

私はどうありたいのか。

見直す切っ掛けになる。








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