これでいいのだ。

 11月9日投稿「私はなぜ腰が低いのか」の中で、純白の観音様が、制限という水の中で負荷を感じながら、美しい波紋を広げて歩いているビジョンを見た。そのことについて、解釈に役立つ文章を見つけたので、記録しておく。


「魂だけで存在しているのは幸せだけど、ひとつだけ学べないことがあります。

それを外側から見る事です。

いったん、不自由・不自在側に行かない限り、魂の視点を持って行かない限り、「外側から学ぶ」という最後の学習ができないからです。

それをやってこそ、自由自在だと彼らは考えたのだと思います。

それで肉体を持って男女に分かれたし、子供と大人があって、社会があって、国境があって・・・・面倒くさい世界に生まれ変わらざるを得なくなった。

つまりトレーニングジムとしての社会が展開したのです。

自由自在の人間が現在を選んで、今も格闘していて、その研究はすごく深まっている。

だから我々の最先端の研究に、いろいろな宇宙人が関心を持っています。

身を呈して体で不自由・不自在の修験道をやっているよと、地球人はやっぱりすごいねと思っています。

我々が有している、かりそめの不自由・不自在の状態は死ぬほど嫌だけど、それは自由自在を知るために、あえてやっていることで、その両方がわかったら完全知(智)といえるでしょう。それは、完全なる知(智)、「知る」ということです。

そのために我々は、なんとなく忘れずに微かに空間信仰を持っていて、そこに常に憧れています。未練がましいのかもしれませんが。

何度も生まれ変わったのだから、いったん忘れなければいけないのに、こだわりが強い。

歴史を見ても、戦争が始まるといったら「戦争万歳!」と言って提灯行列をやって、終戦になったとたんに「やっぱり平和だよね」と言う。海外から見たらこんな馬鹿な民族いませんよ。この国の感覚は不思議です。

それはたぶん、よい・悪いを評価するように見せかけながらも、そこが主眼ではなくて、不自由か自由自在かを考えるのが主眼だと思います。そういう気がします。」

『新時代を生き抜く!波動を上げる生き方』西脇俊二・秋山眞人 著 徳間書店

154~156頁より抜粋


この文章を読んで、さらにスッキリ腑に落ちた。

同書の中で、こんな表現もあった。

地球体験は、マラソンに例えることが出来ると。

私の解釈で、この点を深めてみたい。


マラソンには必ず、スタートがあって、ゴールがある。

人それぞれにどんな思いでマラソンを走ろうかという動機があり、希望に胸膨らませ、スタートを切り、ゴール目指して、心臓をバクバクさせ、息絶え絶えになりながら、苦しさを乗り越え、ひたすらに走り続ける。ゴールがあると知っているから人は走り続けられるのではないだろうか。

そう言えば、昔、職場の同僚が東京マラソンに参加したことがあった。同僚数人で沿道から応援しに行った。応援うちわも手作りした。彼のマラソン大会参加の目的は、ゴールで待っている彼女にプロポーズすることだった。なんてドラマチックな発想だろう。私たち同僚は、影ながら彼の努力を応援したのだった。もちろんプロポーズ作戦大成功。現在彼は、よきパパになっている。

話が逸れたが、分かりやすいかと思って書いてみた。

今、この面倒くさい世の中で、辛い~苦しい~と思いながら生きている人は大勢いるだろう。戦争、病、貧困、環境破壊、暴力、犯罪・・・苦しさの原因はいくらでもあげられる。なんでこんな苦しいんだ。なんで幸せになれないんだ。それは、あれが原因で、これも原因で。。。と。どんどん負荷をかけている。大抵は外側に原因がある(ように思いこむ)。

この苦しい部分をマラソンコース走行真っ最中とイメージしてみてほしい。皆さんも、小中学校時代に、体育の授業で長距離走の体験があるだろう。心臓がバクバクするし、呼吸は辛いし、足は怠くなるし、も~しんどいったらありゃしない。なんで私こんな苦しいことしなきゃならないの?って思った方もいるだろう。私も辛い運動は嫌いだ。

でも、東京マラソンの彼は、自ら率先して走ったわけだ。「彼女と結婚したい。この苦しさを乗り越えて、ひとまわり大きくなった自分を実感し、自信をつけたい。彼女を幸せにすると言う覚悟を、完走することで表現したい。ゴールしたあかつきには、彼女にプロポーズする。そして、幸せな家庭を築いていこう。」彼は明るい未来の創造のために、わざわざ苦しい走行を選択したわけだ。好き好んで!

このエントリー(動機)、スタート(期待)、ゴール(目的)すべて記憶喪失状態となり、気が付いたらマラソンコースを走らされている。本当は自分がエントリーしたのに、忘れてしまっているから、ただただ、辛い。苦しさのあまり、途中で走るのを止めてしまうランナーも居る。無理しすぎて、肉離れを起こし、泣く泣くリタイヤなんてこともある。全員が完走できるわけではない。

ゴールまで、走り続けるには、それなりに工夫も必要だ。体力消耗を防ぐため、ペース配分を考えたり、水分補給もする。沿道の応援で活力を取り戻すかもしれない。ただやみくもに走っても、完走は困難だ。この工夫が、唯一無二の個性が発揮される体験をカタチづくる。それぞれのコース上の出来事や味わった感情は、同じものはひとつも無い。

だんだん、伝わってきただろうか?

そうなのだ。私たちは、好き好んで、この人生を体験中なのである。

こんな人生、自分で選ぶわけないだろう?好きで、こんな苦しいこと選択するわけがないじゃないか!とキレたくなるかもしれないが、いやいや、あなたは、自ら地球体験にエントリーし、無事転生(スタート)したのだ。やりたくて今ここで目の前のことを体験中。東京マラソンの大会当日のコース上にいて、あえいでいる、そこだけを切り取っている感覚なのだと想定してもらいたい。

ただ、動機も、目的も忘れたままだと、苦しいので、それを思い出してから、納得して走ってもいいよね?という者も現れた。辛すぎて、リタイヤしそうになったから、きっと沿道に待機していたコーチが「ここからはこうやって走れ!」とアドバイスを送って来たと想像してみると分かりやすいかな。今だと、スマホを通してLINE通信とかしてくるのかな(笑)

そのアドバイスが、催眠療法である。潜在意識に入ると、なぜこの人生を選んだのか、目的は何だったのかを思い出すことが出来る。

または、瞑想や修行により「覚醒する」ことかもしれない。「悟り」とも言える。

「悟り」とは、そんな大げさなものではない。ただ、思い出す。「あ、そうだった。」というとってもナチュラルな意識移行だ。忘れていたものを思い出す行為だから、外から与えられるわけではない。ずっと内側にあったものを取り戻す感覚。「そうだった。ずっとここにあったんだね。」という感じ。


自由自在を知るためにその反対を体験中。両方知れば完全知を得られる。

両方知る=両極を知る

だから、二極(善と悪、光と闇など)を体験できる地球は宇宙では大人気なのだ。

天使などは、善と光の存在だから、完全知ではないわけだ。

純粋な光である彼らは、「痛いって何?苦しいって何?」と興味津々なのである。体験したことがないから、分からない。赤ちゃんに、「アイロンは熱いから触っちゃダメよ~。」と注意しても、熱いって何か分からないから学習できない。実際に親の目を盗んで、触ってみて、「ぎゃ~っ!」となる。痛い思いをして初めて、身を守る知恵を身に着けていく。または、様々な知恵はご先祖様からの贈り物(遺伝子)として引き継がれてもいる。

今、辛く苦しい思いをされている方に、こんな話をしても聞く耳を持ってもらえないことはよく分かる。聞く耳を持たないのも、自由。それも学びであり貴重な体験だ。そもそも、一旦自由を忘れないと、不自由を満喫できない。私たちはそれを味わいに来たのだから、忘れて当然。当たり前のオプションだ。

何てことだ。すべて順調なんじゃないか。

うゎ~。そうか~。今起きていることすべて

「これでいいのだ。」(by バカボンのパパ)


写真は、昨日地元で開催されたお祭り会場にて。着ぐるみの中は人間であるが、皆、それを一旦忘れ、そのキャラクターを純粋に楽しむ。

中はむさ苦しいおじさんかもしれないけど(笑)

私は、ウサギさんに抱きついて、写真を撮ってもらいました。

楽しかったです。

いわゆる、これが、地球体験です。

完璧に忘れるほど、楽しめるということです。

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