語学にときめく

 


先日、本屋に行って、何気なく手に取り、感覚的に胸がときめいたので買ってきた本。

『語学の天才まで1億光年』高野秀行 著 集英社インターナショナル 2022年9月発行

最近は精神世界関連の本ばかり読んでいた。ちょっと箸休めになるかなと思い、読みはじめたら、これが物凄く面白い!

時間の合間に少しずつ頁を捲っている。読みたい本は部屋に山積みになっている。しかも、仕入れるスピードの方が読むより早いため、山はぐんぐん成長している。エベレストになりそうなので、せめて富士山くらいにしておこう。雪崩れる前にコツコツ切り崩していかねばと思っている。ああ、人生は何と短いことか。おそらく一生かけても、読みたい本を読みきることは無いだろう。

一回読んだ本のほとんどは、次なる循環に送り出す。大切に読んでくれそうな知人に送ったり、古本屋に引き取ってもらう。本もエネルギーだ。本の使命は情報を伝えていくこと。私の所に燻らせては、本は生き生き使命を全うすることができない。「有り難う。行ってらっしゃい。」と感謝と共に送り出す。

特に大好きな本や、贈り物の本は大切に保管している。贈り物の本は私のお守り。

さて、冒頭の本について。

辺境ノンフィクション作家である高野氏の語学青春記。彼は取材に行く前に必ずその地域の言語を学ぶ。ネイティブに習い、テキストを自作したことも。大学生時代に怪獣を探しにコンゴへ旅した時の話など、舞台裏が楽しすぎるので、ワクワク読んでしまう。

世界は広い。ヨーロッパ系の言語だけが言語ではない。アフリカやアマゾンなどの少数民族が語る言葉はそれぞれ違う。日本でも、アイヌ民族の言葉がかろうじて残っているが、本当は無数に存在していたはずだ。

時の征服者は、まず言語を奪う。精神的支柱を失った被征服者は、このように大きな流れに暴力的に飲み込まれていく。宇宙との繋がりを断たれていったのも、こんな背景があるだろう。

そう言えば、私は昔から、語学&留学を扱ったエッセイが好きなのだった。なぜだろう。

『ロンドンの勉強』浅見帆帆子 著

『ロシア語だけの青春』黒田龍之介 著

『フィンランド語は猫の言葉』稲垣美晴 著

『パリの国連で夢を食う』河内有緒 著

『ミラーニューロンの彼方へ』大嶋信頼 著

他にもあるが、大好きな本だ。読んでいると心ときめき、現地の空気を一緒に味わっている気分になれる。

私は大学では、英米文学科に所属していた。主にイギリス文学に傾倒し、シェークスピアや英詩の教科書は、抱き締めるように読んでいた。比較文学(海外の文学の影響を受けた日本文学の研究)は大好きで、図書館に通っては、明治時代から昭和初期の日本作家達の読書遍歴に思いを馳せ、至福を味わいつつレポートを書いた。ただ、日本の語学教育の落とし穴だろう。会話はさっぱり上達しなかった。

30年英語にも触れなかったため、今は文法も単語もほとんど忘れてしまった。本当に使わないと忘れる。私の脳が、生きていくために必要無いと判断し、綺麗さっぱりデリートしてしまったようだ。

第二外国語では、フランス語とドイツ語を学んだが、こちらはあまり面白くなかった。女性名詞、男性名詞など、なんじゃそりゃ?と戸惑った。単語一つ覚えるのも大変なのに、性別も覚えるのかと思ったら、気持ちが萎えてしまった。試験のための勉強だから、頭には一切残っていない。フランス人の友人がいるなど、会話したいというモチベーションがあれば、もっと楽しめたかもしれない。勿体ないことだ。

大学を卒業し10年たった頃か。仕事仲間と英会話サークルを楽しんだ時期があった。お金を出し合い、ネイティブの講師に来ていただき、簡単な英会話を習った。

講師が本国に帰るということで、私と夫で、講師夫妻を東京散策に連れ出した。お礼をしたい気持ちだった。女性の方は英会話講師なので日本語バッチリだったが、彼女の夫はほとんど英語しか話せなかった。

東京都庭園美術館へ行き、絵を見ながらおしゃべりした。中学生程度の英語力しかなかったが、何とかなった。

例えば、ある絵を見て、私はマグダラのマリアについて話したいと思った。「マグダラ マリア」と彼女の夫に言ってみたが、通じない。発音が違うようだ。困った私は、「バイブル、バッドウーマン」とつい言ってしまった。娼婦を何と言うのか分からなかったのだ。しかし、彼は、「おおっ!マ○○○マリア!」と理解してくれたのだ。やはり発音が違った。

授業と違うのは、このように互いにコミュニケーションを取りたいと意欲的であり、ボディーランゲージ含め、全情報に神経を研ぎ澄ませ、何とか相手の意思を受け取ろうとしてくれているところ。この日、一日、カタコト英語で会話したが、大変盛り上がり、このご夫妻に出来る限りのお礼をすることが出来たと嬉しく思っている。

語学として学ぶのと、コミュニケーションとして学ぶのでは、何か、脳の中の繋がり方が違うようだ。今思えば、私は潜在意識に繋がり、相手のエネルギーを感じ共有意識を読んでいたと思う。人間には、このような能力があるのだ。

そう言えば、私、本当は語学留学をやってみたかったんだよなあと思い出す。

当時、昼間働きながら、夜の大学に通っていたため、生活のためには、働き続ける選択肢しかなかった。学費と家賃でギリギリ生活だったため、夕飯は大抵、300円の学食パスタで乗り切った。何を食べていれば死なないか(バナナと納豆だそうだ)という、教授の貧乏時代の話しは、私の拠り所となった。お金がなかったから、端から夢を諦めていた。だから、語学留学のエッセイ本に惹かれ続けたのだろう。せめてもの代用として。

きっと何か目的があれば、頑張れたかもしれない。後悔しても、もう遅いか。

諦めることはないかも。感染症が落ち着けば、また、海外にも気楽に行けるようになるだろう。

今、私は催眠療法を学んでいるので、例えば海外のセミナーに参加し、まだ日本に紹介されていない手法を身につけてくるとか。考えるとワクワクする。

たまたま、今週末の催眠療法の合宿は、講師が外国の方だ。通訳は付くが、久々の英語をどこまで理解できるのか、それも楽しみだ。

新たな言語を学べば、新たな道が拓け、未知の世界に誘われる。

楽しんで生きていい。

私たちは、やりたいことをやるために生かされているのだから。

今朝は、昔のワクワクを思い出したので、書いてみた。皆さんも、昔やりたかった事、思い出してみてください。もしかしたら、今ならチャレンジできるかも?

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