がんと向き合う

 先日、ヒプノセラピスト仲間から、こんなメッセージをいただいた。

「がんに対して潜在的な恐れがある。だから、がんのクライアントにきちんと向き合えていない気がする。トリシアさんは、セラピストはまず自分自身を癒しなさいと言った。自分の感情や恐れにしっかり向き合ってみたい。」と。

彼女は、以前は、がんセンターでの勤務経験もあり、今は、闘病中のクライアントに催眠療法で寄り添っている。その豊かな経験は、きっと活かされるに違いない。

私も、開業するタイミングで、初心に帰った。そもそも、催眠療法を学ぼうとしたきっかけは、がん闘病だった。私は、当事者としての経験がある。それを活かして、クライアントの役に立つこともあるのではないか。どこかに、そんな思いを抱えながら一年学んできた。

がん患者向けのヒプノセラピー講座があると知り、手続きをして、翌日は人間ドッグに行った。それが昨日のことだ。

何と、検査でひっかかってしまった。

乳がんで、片方は切除済みであるが、もう片方に、黒くもやもやする影が映っていた。

そんなにショックではなかったが、正直がっかりはしたかも。5分くらいは、落ち込んだ。

実は、二年前の手術後、うつ病と、がん再発防止と、循環器の治療で、山ほど薬を飲んでいた。副作用で不具合が生じ、またそれに対処する薬を増やす。私は、ほとんど寝たきりになり、家事も趣味も、何もできずに生きる屍になった。

ある日、薬を全部止めてみようと思った。がん再発防止は10年続く。10年、こんな状態なら、短い人生でもいいから、動けるようになりたい。勝手な判断だった。しかし、薬を止めた途端に、体調は良くなり家事も出来るようになった。QOL(クォリティ オブ ライフ)を高めるとはこのことかと思った。

そして、ホリスティック医療などを調べ、萩原優医師のイーハトーヴクリニックを知り、催眠療法を学ぶようになった。病院には自分の意志で行かなくなった。薬に頼らずがんにならない身体づくりをしようと一念発起した。

生活も、食事も、考え方も少しずつ変えてきた。自己治癒力を高めるよう、工夫もした。

現代医療は、とにかく長生きが善と見なされる。植物状態でも、あらゆる機器をつないで、心臓を動かし栄養を送り込む。自然な死が大切にされていないようにも思う。

寿命が例え短くても、その人がその人らしく、イキイキ輝いて人生を謳歌するなら、それで成功なんだと思う。病や死は、敗けではない。自然なことだ。そして、病は自分の身体からのメッセージだ。「生き方を変えてくださいね。」と。病をきっかけに、人はより幸せに生きていく道を選択できる。また、病から「愛」を学ぶ。私はそう思っている。

催眠の先生、萩原優医師は、blogで「治さないクリニック」について書かれていた。自然な死が叶う病院。ドイツなどでは、当たり前に実践されているらしい。そんな病院があるなら、通ってみたいし、何なら働きたい。

さて、人間ドッグから帰宅し、すぐに手術した病院に電話をして、二週間後の診察の予約を入れた。気まずいが仕方ない。きっちり検査して、悪性ならまた手術するしかない。西洋医学の恩恵もある。ただ、万能でもないということだ。人間の治る力、生きる力を最大限に発揮させるゆるやかなアプローチは、ホリスティック医療が担う。車の両輪として機能するとよい。どちらかに偏りすぎると、不都合が起きるのだ。まずは、患者がどのような生き方をしたいのか。その意志に寄り添う医療が求められるように思う。

それにしても·······

現実は自分が創っているなら、この流れも魂の望みなのだろうか。う~ん。もう充分に病から学ばせてもらったけどなあ。足りないのか。

もし、手術になったとしても恐くはない。一度経験しているから、乗り越えてきた自分への信頼がある。

私の魂は、あくまで当事者として、さらに学びを深めたいのだろうか。確かに、がん未経験よりは経験したセラピストの方が、人間的深みや味わいも増すかもしれない。さらに、再発も体験済みだとしたら、鬼に金棒だ。クライアントのどんな訴えも、動じることはないだろう。

そうか

恐れを手放すには、そのものを体験し尽くせばいいんだ。どんなものか分かれば、もう恐くはない。想像だけだと、いつまでも全貌が分からないから、恐さは無くならない。

暗闇だって、恐くて立ちすくんでいたら、いつまでも恐い。でも、手探りで探索してみたら、何か分かるかもしれない。暗闇も優しいかもしれないのだ。その気づきは、自分の思い込みを外すことにもつながる。

恐怖の原因は、自分の思考。自分が創る暗闇なんだ。

人生後半は、「がんから学ぶ」が、メインテーマのようだ。


☆萩原優医師のblogより

全文を掲載させていただく。


【治さないクリニック】

星の王子さまミュージアムの敷地の中を

不思議な服装をした女の子たちが歩いていた。

まるで、星の王子さまの世界に入り込んだようだった。

時々、思い出すことがある。

夕べも布団の中でふと浮かんできた。

それは、「治さないクリニック」。

クリニックは患者さんを治すのが

その役目。

治さないとは、自然な流れ。

理想の死に方は動物にあると

思っている。

昔は動物病院なども

現在のように普及していなかった。

年老いて、或いは、病気になり、

自らが動けなくなったら、それが寿命。

ところが、今は動物病院が

人間のために作られた、医療機器が

用意され、点滴なども当たり前の

ようにされている。

「治さないクリニック」は基本的に

医療行為をしない。

まったくゼロではなく、せいぜい、

吸引機くらいは用意する。

そこには、医者は必要ない。

ただ、診断書など、何らかの形で

医者が関与する必要がある。

そういえば、2005年にキッペス先生に

引率されて20名くらいで、フランスの

ルルドを皮切りに、ドイツのホスピスを

見学したことが思い出された。

印象に残っているのは、経営者は医師では

なく、看護師であったり、宗教関係の人が

運営されていた。

老人施設の片隅にあったり、少し、大きな

民家のようなところだった。

中にはエイズ患者を収容している

立派な建物もあった。

治さないクリニックは自然な生命が持って

いるその生命力を邪魔しない。

西洋医学の恩恵で、何度も入院したり、

手術をして元気に生活されている人も

多くいる。

それは、それとして、日本にも

何もしないクリニックは、宿泊できる

施設が必要となる。

日本にもこのようなクリニックというか、

施設があるのではと思っている。

ホスピスに近いが、やはり、管理された

病院とはイメージが異なる。

治さないクリニックは理想のままで

終ってしまうかもしれないが・・・・・・


☆追記

萩原医師の「治さないクリニック」は

ホスピスというより

マザーテレサの看取りの家のイメージなんだそうだ。


今朝、イーハトーヴクリニックにメールし、がん患者の電話無料相談を申し込んだ。統合医療に興味があるが、診察を受ける前に、大まかに知りたい方におすすめだ。自由診療なので医療費はけっこうする。そのためか、自力でできるよう、講座もある。

エドガー·ケイシー療法の講座もあったので、早速申し込んだ。

私、行動も切り替えも早いのだ。

これも宇宙の流れだろうか。

「もっと学べ。どんどん学べよ。」と。

約40分、萩原医師の電話無料相談を受けさせていただいた。

診察時のように、丁寧に聞き取りしてくださった。

診察の場合、15分5000円なので、この無料相談は有り難かった。萩原医師は、心から、がん患者に寄り添いたと思っていらっしゃるのだろうなあ。

病歴、何が問題で、どうしたいのか、きちんと聞き取りした上でアドバイスをくださった。

○再発ではないかもしれない。別個に発生したものではないか?

○マンモグラフィーや手術は仕方ないとして、術後、ホルモン治療、抗ガン剤、定期的マンモグラフィー検査を避けたいなら、それをきちんと医師に伝えてよい。通常の病院なら、患者の気持ちを尊重する姿勢のはず。

○ただし、一部の大学病院などでは、医師の治療方針に従わない場合、「他の病院へ行け」と言われるケースもたまにあるようだ。

○術後、しばしば病院に通うなら、自宅の近所の病院の方がいいだろうが、半年に一度の検査ぐらいで経過を見ていく程度なら、理解ある病院を紹介することもできる。

○また、経過により、何かあったら連絡してください。

○私の場合は、催眠療法を学んでいるし、イメージ力や直感力もあるので、自己催眠で、身体からメッセージを受け取ったり、宇宙根源につながったりしてみたらいいんじゃないか。まだ、病院診察日まで間があるのだから。

とのこと。

無料相談で、ここまで親身になっていただき、涙が出そうになった。

しばらく、萩原医師の催眠誘導CDを聴いて、身体と対話してみようと思う。


☆今私に必要なアファメーション

「私は自分への思いやりを持って、過去を振り返り癒します。」

願いは叶う

その願いは、今は周りの期待を意識してしまい、カーテンに覆われているかもしれないが、本音はとても柔らかく優しいもののはず。

「こうした方が喜ばれるかも。」よりも、自分の本音を大切に。

今、大切な局面にいる。

天使がラッパを吹くとき、過去の出来事や感情を思い出すかもしれないが、一つひとつ癒していくこと。

過去を癒して自分を許すことで、次につながる。

桜色のようなピンク色を身につけるといい。

*Roseさんのオラクルカードリーディングより

来月、トリシア·カエタノさんのシャドーワークを学ぶ宿泊講座に参加することになっている。目に見えない世界で綿密に計画された流れに乗せれているよう。

大切な局面にいるようだ。


☆外の世界で起きているドラマ

すべて、LINEか電話で知らされたことであり、実際に現場にいたわけではないが、夫と私の親に、同時に衝撃ドラマが展開していた。

義父(夫の父)は、軽い認知症がある。我が家から15分くらい離れたアパートで、同居人の女性と二人暮らしをしている。その女性は、働きながら、義父のお世話も、とてもよくしてくれている。

昨夜、その女性から夫に電話が入った。どうやら、義父が女性に暴言を吐き、手を上げる直前までいったらしい。女性は、泣いていた。「泣いちゃいけないんだけど、私も精一杯お世話しているつもりなんだけど。ごめんね。ごめんね。」と。

義父には認知症の症状でムラがあり、息子達の前ではプライドがあるのか、ちゃんとしているのだが、彼女には気を許しているのだろう。おそらく潜在意識に押し込めたものが、理性の蓋が弛んだ時に噴出し、彼女に当たってしまうのかもしれない。若い頃、自分を圧し殺し、真面目一本で働いてきた人は、認知症になると言動が暴力的になる傾向があるようだ。

今後どうなるか分からない。彼女が、義父と一緒に暮らせないとなるのか。それとも、そんな義父を丸ごと受け入れ、二人で切磋琢磨しながら無条件の愛を学んでいくのか。この人生課題は彼らのものであり、外部の人間が学びの機会を奪うことはできない。二人の関係は、おそらく魂の約束なのだろうと思う。

近々、夫が父親の元を訪れ、「彼女を大切にしてあげて。そうでないと、施設に入ることになるよ。」と、なだめることになっている。が、認知症が原因だから、感情コントロールは難しいのだろうな。

私たち夫婦も、将来、認知症になるかもしれない。お互いに、永く連れ添うためにも、今からストレスの少ない生活をして、感情はその都度発散し、潜在意識の中をクリーンにしておきたい。どうせ認知症になるなら、可愛い老人になりたいなあと思う。いつもニコニコして、歌っているような。癒されるおばあちゃんに。

義父は、80年近く、溜めに溜め込んだ負の感情を、今ようやく解放し浄化しているのかもしれない。これは、いい、悪いでは判断できないことだ。それだけ、家族を支えるために頑張って生きてきたんだね。と感謝することもできる。受け入れる側の人間力が試されるし、これも魂が決めてきた学びなんだろう。

二人の関係を、学びの邪魔をすることなく、見守りたい。もう、男女の恋愛ではなく、人間愛の学び合いの段階に入っている。こうやって、ドラマを体験し、魂は成長していく。

一方、私の両親だが、

実家で二人暮らしをする両親。父はやはり認知症。ほとんど寝たきり。こちらは、穏やかであり、大抵、うつらうつらして過ごしている。お世話は高齢の母がしている。

その父が、コロナに感染した。喉が痛み声が出なくなった。痰がからみ、呼吸が苦しくなり、高熱による幻覚か、一晩中手足をバタバタさせていた。母は、徹夜で看病し、暴れる父の身体を抑え続けた。

そして、翌日の夜、とうとう救急車を呼び、父は一人で運ばれて行った。(コロナだから、家族は付き添えない)

壮絶な2日間を、母はユーモアを交え、淡々とLINEで書いてきた。

私の両親は、介護をめぐり、様々な葛藤を乗り越えてきた。その壮絶な体験が、結果的に二人の絆を太くさせたようだ。精神的に追い詰められ、泣いていた母は、今はとても強くなった。時間をかけ、父のありのままを受け入れていった。「早く戻ってきてほしい。一緒にいられればそれでいい。」LINEのメッセージは、そう結んでいた。

ありのままを受容する愛を学んだ母は、どんなことが起きても、「嬉しい。ありがとう。」を周りに伝えるようになった。どんな局面にも、感謝を見つけ、言葉にしている。

昔の母は、いつも怒っていた。私たち娘は、徹底的に否定され、同居することが不可能だった。母は自分を否定する力が強かったから、他人も受け入れられなかったのだろう。母が外側に投影する内面世界は、いつも怒りに満ちていた。

再婚し40年連れ添った、私の両親であるこの夫婦は、晩年に介護というドラマを通し、人間的に大きな変容を遂げた。母は、既にマリア様のようになっている。

私は、時にハラハラしながら、時にイライラしながら、両親を見守ってきた。自分の心を守るため、一定の距離を置いてきた。それが結果的に良かった。彼らの学びを邪魔することがなかったからだ。

一見冷たく見えるかもしれないが、両親であろうと、一人の独立した人間である。尊重し、介入しすぎないようにすることも必要だと思う。幸せの尺度は、皆違うのだから。

それにしても、戦後を生き抜いてきた昭和世代は、やはりたくましい。父も母も、生命力が強いし、へこたれない。困難な局面では底力を発揮し、全て何とかなっている。二人は、共に過ごすことだけを最優先に、今を生きている。

私は、この両親を心から尊敬する。

力強い人生を見せてくれて、ありがとうと伝えたい。

ちなみに、母も少し熱があり、昨日発熱外来に行ってきた。検査でコロナ陰性だったとか。

母の免疫力、天晴れである。

この母に愛を送りたいと素直に思う。

認知症役を演じ、周りの家族を成長させ、「愛とは何か」という究極の学びの機会を与えてくれている、義父と私の父にも

ありがとうございます。


二週間前に種を撒いた三つ葉が

今朝、芽を出していた。

新たな命の誕生だ。

このように、現象界では、絶え間なく

エネルギーが循環している。

死は生への始まり

生は死への始まり

私たちの命も間違いなく循環してきたエネルギーだ。

宇宙開闢から、延々と。

生きるって、すごいことなんだ。

三つ葉の芽を眺めながら

そんなことを思う朝。


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