日蓮と賢治とイーハトーヴ

 


私は典型的日本人である。

普通に癒されるという理由で、神社仏閣好きだ。

法事は仏式であるが、特に信仰心は無い。結婚式はオーストラリアの小さな教会で行ったし、OSHOの本を好んだりもする。どの国の神話も興味があり、我が家には、ガネーシャの置物から、ホピ族のカチーナドールまで飾られている。神の概念は宇宙存在からきているのではないか?と無邪気に思っている。

空海を意識して、四国や高野山へ旅したこともある。空海は金星つながりらしい。

いつの頃からか、神社仏閣など、聖なる場を訪れると、何らかのエネルギーを感じるようになった。ハッと気付きが起きたり、感謝の気持ちが溢れてきて、ボタボタ涙を流すこともある。浄化が起きる時、もしかしたら、観音様や、マリア様が本当に側に来てくれたのかもしれないと思う。私なりにメッセージを受けとることもある。

この一年、催眠療法を習い、変性意識になれば誰もが高次元とつながり、必要なメッセージを受け取ることが可能であると理解した。

潜在意識の中には、とても賢い自分がいる。質問すると、高い視点から、愛に溢れる回答をもたらしてくれる。どうやら自我と真我というものがあるらしいことに自ら気づいていく。

私たちが把握している世界は僅か5%と言われる。残り95%は、目に見えず感知できていない。その領域を垣間見れる手法が催眠である。

さて、本題に入る。

日蓮のことは、知ってはいたが、そんなに興味があったわけではない。

数ヶ月前、長野の、とある神社に友人達と訪れた。ここも神秘的な雲を見たり、何かしらご縁を感じる古神道の神社なのだが、ここについては、別の機会に語ろう。

事の発端は、境内にある休憩所にいらしたスタッフの高齢男性だった。軽く世間話をしていて、彼が最近、東京から山梨に移住してきたことが話題になった。「身延山に旅行で来たらね、気に入っちゃって、すぐ移住を決めました。」と。彼はさかんに、身延山はいいよ~。と繰り返した。

身延山と言えば、日蓮聖人の久遠寺。法華経の根本道場であり、日蓮宗総本山として信仰されてきた。境内の樹齢400年というしだれ桜は、全国しだれ桜10選のひとつである。

7月に仙台へ旅行に行き、あまりに深く濃い宇宙体験をした。(詳しくは過去のblogへ)

さて、次にどこへ旅行しようか?と考えた時に、ふと身延山が気になった。旅先候補はいくつか上がったが、何故か身延山に惹かれる。その後はスムーズに事が運び、昨日山梨県へやって来たわけである。

今、私は、身延山から車で一時間離れた西山温泉で、川の瀬音を聴きながら、このblogを書いている。ちなみに、西山温泉は、日本最古の歴史を持つ温泉。お肌がフワフワ、ツルツルになり、柔らかな温泉力に癒されている。


今週末も、台風で大荒れではないかと気を揉んだが、有難いことに進路は逸れ、久々にスッキリした快晴の空が広がった。昨日は富士山初冠雪となり、9月30日~10月2日までは、身延山山頂からダイヤモンド富士を眺めることも出来る。私たちは、9時に現地到着したため、日の出は拝めなかったが、冠雪の富士山を眺めることは叶った。とても幻想的で美しかった。


日蓮は、この山を大層気に入り、晩年九年間を過ごしたという。隠棲しつつも、風雨厭わず山頂へ登り、故郷房州を拝し、両親や師匠を慕った故事に因み、山頂奥之院には思親閣というお堂が建てられた。樹齢750年を超える杉は日蓮お手植えとか。


日蓮が、入山したのは、53歳。丁度、夫と同じ年齢である。私たち位の年齢で、日蓮はここにやって来たんだなあと思うと、親近感が湧いた。

ロープウェイで山頂にある奥之院へ。景色も、歴史を感じさせる杉木立も、清々しく生命力に満ちた空気や太陽の光も、すべての雰囲気が自分にピッタリきて、「私、ここ、大好き!また来たくなるのも分かるね。」と、感動を夫と分かち合った。身延山が気に入り、移住を決めたという、あの男性の気持ちがとても分かるような気がした。理屈抜きにしても、好きだと感じた。

自然の生命エネルギーによる浄化力だろうか。また、富士山やフォッサマグナも近いことから、大地のエネルギーも強く、同時に宇宙エネルギーもダイレクトに注がれている。細胞や魂エネルギーが活性化されるようだ。

もう不要になったエネルギーを手放し、本質に戻っていくために、身延山は最適な場所かもしれない。

奥之院には、なかなかハンサムな日蓮聖人立像が立っている。私たちは、その像から優しい眼差しを感じ、しばらく日蓮立像の側で時を過ごした。無意識の領域では、何らかの会話をしていたかもしれない。


その後、思親閣というお堂の中へ。ゆっくり座ってお参りできるということで、そちらでもしばらくゆっくりさせてもらった。読経の声や拍子木を叩くような音が外から聞こえてくる。私たちが居る空間は、人払いされたかのように、静かで、ひたすら心地良かった。合掌し、目を瞑り、心を鎮めた。とても癒される。



満足して外に出ると、そのタイミングを見計らったかのように、数人の観光客がぞろぞろやって来た。日蓮さんが、私たちをゆっくりさせてくれたのかなと、有り難く感じた。

夫が、お札授与所で、お坊さんを独り占めでお経を上げてもらえるというメニューを見つけた。一人1000円。希望を伝えると、すぐ対応していただけた。窓口に居た若い僧侶が、そのまま私たちにお経をあげるため、わざわざ正装の袈裟に着替えてきてくれた。

私たちは、建物奥の、仏壇前に座らせてもらった。僧侶が御簾をスルスル上げると、そこに日蓮座像が現れた。普段は非公開であり、このような機会に御開帳される。

たった1000円なのに、(比較することではないが)若い僧侶は、魂を込めてお経を読み上げてくださった。音魂が私たちの魂と共鳴し、感動で涙が自然に流れた。30分くらい読経してくれていただろうか。その間、私は、両親や、今までご縁のあった方、間接的に私を支えてくれた方々、命の糧になってくれた存在、ひとつひとつに、「ありがとうございます。」と伝え続けていた。心という名の鏡の曇りが、読経の力によって、磨かれ、本来の輝きを取り戻していくかのようだった。

日蓮さんから、短いメッセージが私のハートに届いた。

「磨きなさい。」と。

そのシンプルな言葉に織り込まれた多くのメッセージをしっかり噛み締めた。世界が広がっていくような感覚だった。

若い僧侶は、日蓮さんについての説明も、かいつまんでしてくださり、最後に、おふだと、宮沢賢治の手帳を復刻したものをプレゼントしてくれた。お経だけでなく、現実化としても、心の込もった贈り物も受け取り、日蓮さんからの愛や懐の広さにさらに感動した。

「お経、素晴らしかったです。心洗われました。」と彼にお礼を言った。若い僧侶は、屈託無く、ぱ~っと、花が開くような笑顔を見せた。その表情はとても美しかった。日蓮さんの精神が、こうやって若い世代にもしっかり繋がっているんだなあと、嬉しくなった。

彼は、「山のふもとに、日蓮の御廟所があります。とても静かでいい場所です。ぜひ、いらしてください。」と勧めてくれた。

久遠寺の若い僧侶たちの、開かれた心のあり方を垣間見たような気がした。宗教がすべての人々を幸せにすると信じ、山の下の世界に住む一人ひとりに、一期一会の感謝を込めて、その時に出来ることをして、寄り添おうとする姿勢だ。そのあたたかな眼差しが、日蓮さんの核となる精神ではないかと感じた。

これは私の妄想であるが、日蓮さんは、「いいお経を聞かせるから、御開帳コース受けていきなさいな。」と、夫の潜在意識に話しかけてくれたのではないか。夫は私より直感が働くので、素直に日蓮さんからの誘いを受けたのではないかと思った。本当に素晴らしい、豊かな時間だった。

思親閣の外に出て、先ほどの日蓮聖人立像の前に戻って来た。その像は、「どうだ?お経、良かっただろう?」と、言いたげに、ニコニコしていた。

側の建物に、おみくじがあったので、「日蓮さん、私たちにメッセージをお願いいたします!」と話しかけつつ、おみくじを引いた。二人とも大吉だった。

「わあ~~~っ!大吉だ!日蓮さん、大吉でした!ありがとうございます!」

おみくじを日蓮立像に見せながら走り寄ると、その表情はさらにニコニコ優しく、柔らかになったように感じた。

「そうだ。すべてうまくいくから、どんどんやりなさい。思い切りやりなさい。」

日蓮さんから、温かい手のひらで、背中をトンと、優しくたたかれた気がした。

「存分に生きなさい。思うように。」と。


夢見心地で、ロープウェイで山を下りた。

山裾に広がる伽藍は、五重塔を含め、とても立派だったが、日蓮さんのエネルギーは奥之院ほど強くはなかった。これは、やはり、御廟所へ行くしかない。きっと、「御廟所も、いい場所だから、来るといいよ。」と、日蓮さんは、あの若い僧侶の口を借りて、誘ってくれたのだろう。



そして、やはり行って良かったのだ。本堂から徒歩10分、観光客はこちらまで足を運ばないようで、私たち以外、一人しか参拝者は居なかった。苔むした墓石群や、清らかな沢、わび・さびを感じさせるお堂など、本当に静かでよい場所だった。


廟墓はとても立派だったが、何となく、ここに日蓮さんは居ないような気がした。お墓に故人の魂はいないという歌があるが(千の風になって)本当にそのようだ。


すぐ近くに、日蓮さんの草庵跡があった。日蓮さんはここに庵を建て、法華経の読誦と弟子の教育に終始されていたらしい。苔むした玉垣に囲まれた緑地には、木漏れ日が降り注ぎ、神秘的な光の模様を映し出していた。

あまりの美しさに、デジカメのファインダーを覗いたところ、不思議な光が万華鏡の世界のように広がっていた。私の肉体の目では捉えられないが、デジカメは繊細な光を感知している様子。デジカメ特有のフレアとも言えるが、光が美しいのに変わりは無い。私は、勝手に日蓮さんの愛溢れるエネルギーではないかと思っている。虹色のシャボン玉のようだった。


日蓮さんは、この地をたいそう気に入り、死した後には、墓を身延の沢につくってほしいと遺言した。その意思を継いで、弟子が入滅時の五輪の墓を廟墓に収めた。日蓮さんは、永遠の光エネルギーとなり、この地に宿り、目に見えない領域から人々の営みをサポートし続けているのだろう。すべての人々の救済をめざして。

日蓮さんがめざしたのは、争い、比較、排除の無い、穏やかで愛に満ち調和した美しい世界なのではないかと私は思う。これは、私が催眠療法により気づいた世界のことでもあり、目指す方向に親和性を感じる。

さて、一旦本堂へ戻ることとする。

三門をくぐると、本堂へ続く、急な階段がそびえ立つ。高さ104メートル、菩提梯と呼ばれている287段の階段だ。南無妙法蓮華経の七文字になぞらえて七区画に分かれている。覚りに至る階段であり、石段を登り切ると、涅槃の本堂へ至るということで、覚りの悦びが生ずるとか。体力に自信のない参拝者は、緩やかな女坂を選ぶことも出来る。


普段はあまり無理をしない私だが、この日は、チャレンジしたくなった。この階段を諦めることなく登り切ることと人生を生き切ることが、重なるように感じたのだ。

奥之院で、日蓮さんから、「思い切り生きなさい!」と、エールをいただいていたこともあり、この階段を登り切った暁には、今後の人生に光明を見る予感がしたのもある。どんな人生も、自らが選択し引き寄せたのだから、しっかり味わい、学びながら進んでいこうとすること。例えば病も苦難も、魂の気付きに至る為のギフトと捉え、積極的に生きる姿勢のこと。そう生きていけると自信を持つことに繋がるような気がしたのだ。

実際には・・・・いや~~~~。確かに、キツかった!

しかし、七区画に分かれていたため、心臓が破れそうになるタイミングで足を止められた。無理したらどこかで倒れていたかもしれない。階段を登りながら思ったのは、

休み休み、自分のペースで進むことが、登り切る秘訣であるという実体験から得た確信である。

それと、夫と二人で、「イチニ、イチニ。」とリズムをとりながら、気持ちを合わせて足を動かしたことで、一体感を感じた。不思議と、分かち合える相手が居ると、頑張れる。エネルギーが二倍になるのだろうか。一人ならどこかで諦めてしまったかもしれないが、共に歩む仲間がいると、つられて歩を進めてしまう感覚でもある。人と人は支え合い生きているということも実感した。

また、半分くらい上った位置で、振り返ってみたところ、あまりの急勾配に、足がすくんだ。「怖いからと言っても、もう戻れない。この急な階段を降りるのも怖い。登り始めたら、どんなに怖くても、進むしかないんだ。」と夫が言った。その言葉も、人生を語っているような気がした。そう。私たちは生を受けた瞬間から死に向かって進み始める。どんなに怖くても、進んでいくしかない。つまり、生きていくしかないのだ。どこかで、このまま生きるのは怖いからと、大人から子供時代へ戻るわけにはいかない。ひたすらゴールに向かって年齢を重ねていくしかないのだ。

汗だくになり、足が痛くなり、呼吸が辛くなりながらも、互いに声を掛け合い、やっと登り切った。やり遂げた後の爽快感は、例えようもない。「やったぞ~!」という歓喜が込み上げて来た。階段を登り切った場所は、本堂(涅槃)である。覚りに至る人生を287段の階段になぞらえて、疑似体験させられたように思う。人生の最期も、歓喜とともに迎えたいものである。後悔の無いように生きていきたい。

今後どんな困難が起ころうとも、大丈夫な気がする。夫が、「今後、どんな階段を登る機会があっても、この菩提梯のことを思い出せば、楽勝になる気がする。」と言っていた。何事も経験って大事なんだ。経験を積むことで、人は強く成長していける。本当に強い人間は、とても優しい。「あの経験があるから、自分は大丈夫!」と言えることは、大きな人生の宝となる。だから、どんな人生経験もギフトになるのだ。おみくじで言えば、ぜ~んぶ、大吉なのだ。日蓮さんのニコニコ笑顔を思い出しながら、そんな気付きを得た。

そういえば、話は変わるが

なぜ、思親閣でお経を読んでいただいた際に、お土産に宮沢賢治の手帳復刻版をいただいたのだろうか。と思い至った。この現実化の意味は何だろう?

賢治は、『雨ニモマケズ』の詩を手帳に書き記していて、最後に「南無妙法蓮華経」とたくさん、曼荼羅のように書いている。


賢治の弟さんによると

「日蓮宗は現世利益、この世の理想社会を実現することを打ち出しています。賢治さんは岩手県を「イーハトーブ」、つまりドリームランドにしたかったのでしょう。当時、日蓮宗のお寺がなかった花巻にお寺を造ったほどです。」と龍谷大学との対談で語っている。書くことは仏教の心を伝えることだと思っていたようだ。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の言葉も、有名である。この風の時代に、一人ひとりが魂の本質に目覚めていく時、実はすべてがひとつであったことに気づく。世界も他人の未来も自分と同じように関心を持ち、貢献していこうとする人が増えていく。

日蓮のめざしていた世界と、賢治が夢に描いていた世界が、時代を超えてシンクロしていたように感じる。

ここまで連想して、はっとした。

「イーハトーヴ」だ。

私の催眠の先生である萩原医師のクリニックはイーハトーヴクリニックと言う名称であり、催眠の学校は、イーハトーヴヒプノセラピーカレッジである。

「イーハトーヴ」は賢治につながり、日蓮にもつながっていく。

目に見えない一本の糸が、今、明確に姿を現したような気がした。

富裕層だけが救われるような宗教ではなく、貧しい農民も全てが等しく救済される法華経を熱心に信仰した賢治にとって、花巻に実現しようとしたドリームランドは、もしかしたら、覚醒した人々が調和して暮らす、次元上昇した後の世界を表現した言葉だったのではないだろうか。

催眠療法は、宗教とは一切関係は無い、ある一面は科学的な手法でもあるが、「イーハトーヴ」を目指しているところはきっと同じである。

宇宙の采配は、計り知れない。

でも、魂は知っているのだ。

本質を思い出すためのお手伝いをする催眠療法に携わることで、世界はイーハトーヴになっていく。そうなんだ。そうなんだね。

日蓮さん。

ありがとうございます。


そして

イーハトーヴと言えば!の

萩原優医師の本日の投稿が

「闘いはもういい」

という、この一週間の私のテーマにシンクロしていたので、紹介させていただく。


以下、萩原医師FB投稿より転載


【自分自身をリニューアルしてみませんか】

 

10月は緑の葉、落ち葉、季節の変わり目ですね。

何だか日々がスピードを上げて、過ぎ去る感じですね。


穏やかに生きるベストの方法は、

あるがままの現実を素直に受け入れる。


こころを開いて素直に受け入れる時、

そこには穏やかさがあります。


抵抗を感じる時には、

本来の生き方ができていない証拠です。


本来の生き方とは、

どんな生き方なのでしょうか。


私たち誰もが宇宙の一員であり、

その宇宙の流れの中で生きています。


その宇宙の流れを創っているのが

源泉・源なのです。


ところが、自我(エゴ)は自分が

世界を創っていると考えています。


ですから、自我の世界は自分と他人と

の違いを明らかにします。


また、自我は源とのずれを

感じます。


宇宙の流れは自然な流れなのです。

自然な流れに逆らった方向へ進もうと

すると、それが悩みや葛藤の原因と

なります。


では、どうしたらいいのか?


宇宙の流れを知るには、

自分は生かされているのだと

思うことです。


それは、今をあるがままに

静かに受けいれることです。


スーパーのレジでも、

混んでいても、少しでも

列の少ない所などをキョロキョロ

しないで、静かに並べばいいのです。


多分、10分とは違わないでしょう。


車を運転していても、

信号が黄色に変わっても

慌てて道路を横切らないことです。


また、運転中に割り込まれても、

「まあ、いいか!」とカッカしない

ことです。


自我を中心に生きるか、

宇宙の流れに乗って生きるか。


それは、日々、今、この瞬間に

選択できるのです。


どこかで特別な修行などの

必要はないのです。


今生きているこの場が

修行の場なのです。


自我は顕在意識に属します。

ですから、考え、判断します。

思考が働いています。


一方、宇宙の流れに乗る生き方は、

潜在意識につながった生き方です。


個人の潜在意識は更に広がりを

みで、集合的無意識へとつながり、

最終的に根源につながるのです。


潜在意識的な生き方を学ぶのが、

「催眠療法」です。


悩みや葛藤や嫉妬など、

あらゆる悩みは自我である

顕在意識から発しています。


その様な闘いの生き方は

もういい。


その様に思ったら、あなたを裏切らない

潜在意識を学んで下さい。


それが、催眠療法なのです。



☆追記

忘れないようメモ

日蓮聖人立像前で、お線香を手向け

手を合わせていた時

あるビジョンが見えていた。

人型のシルエット

左胸あたりに、丸い光が浮かび上がっている。

左胸は、もしかしたら癌かも?

という、懸念がある位置だ。

検査してもハッキリしないため

今後も、精密検査は続く。

おそらく、今月末までには、特定できるだろうが。

日蓮さんが、何かしらのエネルギーを送ってくださったのかもしれない。奥之院は、長寿のパワースポットと言われている。

私が、どれだけ不要な思い込みを手放し、浄化できるか、問われているように思う。

私は、どんなパラレルに進むのだろうか。




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