雷とスイカの発芽

 


二週間くらい前に、戯れに、いつもは捨ててしまうスイカの種を、土に埋めておいた。

たまたま、枯れてしまったハーブの鉢がリビングに一つあったので、何か植え替えしたいと思っていたのだ。苗を育てるのもいいけど、種から育てたら、もっと楽しいだろうなと。

そのまま毎日水やりはしていたが、あまり期待せず、放っておいた。

昨日、私の住む東京は、天候が荒れた。特に夜は気温が下がり、雷が轟いていた。

そういえば、「稲妻」って表現するよなあと、思い出した。確か、雷の作用で稲が豊作になる。窒素が土に影響するとか。自然界は目に見えない部分でも、互いに作用し合って生命を成り立たせている。

この宇宙では、目に見える部分はたった4%。現代は、目に見えない世界を否定する傾向がある。目に見えるものに多くの価値を与えるため、大幅にバランスを崩してしまった。

雷の夜が明け、今朝、鉢に目をやったら、何と!芽が出ていた。

「雷が植物の成長に作用するって、本当だったんだ!」感動して、しみじみスイカの芽を愛でた。

雷は、電気エネルギーだ。雲の中の氷の摩擦で静電気が発生する。そして放電される。私たち生命体にも絶えず微弱な電気が流れている。電気がなければ心臓も動かない。


「人間は送受信機だ。

人間自体が、神経回路を電気信号でやり取りして、理性で考えたり、感情を爆発させて喜怒哀楽を、表現したりする。その表現した波動を送信している。潜在意識が似ているひとは、その送信された内容を受信する。以心伝心やテレパシーなど、送受信がなされている証だ。

このように人間は、生命という「気=エネルギー」の送受信機なので本質的な機能に差はない。やり取りに使う電波の周波数が違うだけだ。

人間を本質から観る癖をつければ、差別する理由はない。人間は見えるものには争うが、見えないもには争わない。

人間が争うのは、姿形、好ましい人、目に見える財産、名誉など。

生命や波動について争っている人を見たことはない。

その波動が表現している肉体について、人は争う。人間の本質である生命、波動を観ることができるなら、この世の争いとは無縁になる。

人生は、「見えるものを見るな!観えないものをこそ、観よ!」という、訓練の場であり修行の場。今、この瞬間も修行。」

『スピリチュアルって何?』小西昭生 著200~202頁一部要約


前回の投稿に書いたが、

私はどうやら、宇宙戦争の反省から、集合意識を変えるために地球へ転生したらしい。

しかし、戦わない世界を創るために、どうしたらいいのか?分かるような分からないような、ハッキリ言葉にならないもどかしさも感じていた。

「戦いは止めましょう。」と、毎日顔を合わせる方々に訴えても、変わらない。物質偏重の価値観を手放さない限り、比較から争いの種は次々生み出されていく。私の中でも争いは絶えない。

だから、集合意識からなんだな。

集合意識は、個々の内面が集まり創られる。目に見えない世界を大切にする価値観を持った方が一定数を超えると、全人類の意識転換が一瞬で起こる。私はその70億分の一の役割を担う。

では、日々、具体的には何をしていったらいいのか?今まで通り、目の前の出来事に自動反応して感情を粗げていて、どうなるのか。

例えば、「あの人、嫌い。」などの感情は、目に見える世界だけを見て比較判断している。私は未だに、「好き、嫌い」で行動している。


昨夜の雷から、手掛かりを掴めた。

感情は電気信号。

神の意識は直流。水平波動。

人間の意識は交流。上下する波の波動。

と例えられると言う。

私たちは、誰もが宇宙根源(神)の生命エネルギーを宿している。ただ、肉体を具現化させるためには、波を粗くしなければならなかった。

物質化=粗い波動

つまり、争いは起こるべくして起きていると考えられる。では、人間をやる限り、私たちは極限まで争い続け、宇宙戦争の時代のように、星一つを消滅させることを延々繰り返すのか。

私の宇宙時代の魂は、「集合意識を変える」ことが解決策と考えた。そして、それを実現するために、こうやって、今、私として生きている。

昨日、試しに仕事をしながら、意識を変えてみた。

人と接する仕事だったのだが、いつもはちょっとしたことで、ビクビクしたり、恐怖や安堵を交互に感じたり、嫌だなあとか、良かったなあとか、感情を千変万化させている。交流電気の波形だ。意識して感情を味わうと、確かに面白い。本当に波なんだ。目まぐるしく上下している。

そこを、直流電気のイメージにしてみる。「私は神意識だ。」と、私の内側に宿っているものにフォーカスしてみたわけだ。

私は神。とイメージすると、現実の捉え方が違ってくるのを実感した。例えば、イライラしている来客者に対して怯えるという感情を選択するのではなく、そこに何も判断をせず、フラットでいられるという感覚。人間存在に対する愛おしさのようなものすら微かにわき上がってきた。

これは、感情コントロールの練習になると思うので、しばらく続けてみたい。


集合意識については、天外伺朗氏の新刊『正義と悪という幻想』にヒントが書かれているようだ。

「正義と悪という見かたをすると

そこから見えて来るものは、

対立である。

人類が進化して、集合意識での

「融和力」を発揮する人が増えてくると

「宇宙の流れ」は「武力行使」を

許さない方向に向かうだろう。

真の意味での平和とは。

宇宙の流れとは。

実存的変容とは。

人間は進化とは。

ワンネスの世界とは。

正義と悪とは。

祈りとは。

魂とは。

肉体とは。

これからの地球とは。」

(萩原優医師のFB投稿から一部抜粋)


天外氏の説く「融和力による集合意識」という箇所に、釘づけになった。

闇を抱きまいらせるという気付きを、前回の投稿でも書かせていただいたが、それをここでは「融和」と表現していると思う。

電気は目に見えないが、私たちは、当たり前のように日常で電気を利用し、生命エネルギーとしての働きも理解している。

残り96%の目に見えない世界を描くこと。私が体験したことを、こうやって文字にして発信していくことは、間違いなく集合意識の一滴になる。大海の一滴。されど一滴が無ければ海も存在しない。

目に見えない世界を理解する人々は、急速に増えている。コロナの影響も大きい。催眠療法も、その一助になるだろう。

目に見えないが、何かありそうだと感じ始めた方々に、催眠療法の世界を紹介していくことで、「意識エネルギーの永遠性。本質は神」等に気づいていく切っ掛けになったら嬉しい。

☆補足

感情について。

肉体を持ち五感で世界を把握する以上、感情でアップダウンしてしまうことは避けられない。

人間だもの。

感情を否定するわけではない。

感情は、掛替えない宝だとも思う。おかげで、ドラマが生まれる。様々な体験が出来る。

ただ、本日の投稿で言いたいのは、もしも感情を味わっても、ちゃんと味わった後は、速やかに真ん中の平和な状態に戻るといいよ。ということ。

現実に反応して、怒りを感じたり、ストレスを味わうこともある。つい家族や友人に愚痴をこぼしたり、八つ当たりすることもある。感情を味わうことなく閉じ込めるよりは、都度発散する方が健全だ。

ただ、問題は、ず~っとその感情に浸ること。粗い波動は、同様の現実を引き寄せる。負の連鎖になっていく。病気や事件に巻き込まれたり、自分が目覚めるために、無意識に大難を創り出す可能性が大きくなる。

速やかに真ん中の平和に戻る。

その、真ん中にあるのが、神性である。

ということを言いたかった。

自分の真ん中にある、静けさに戻る。

そのための工夫を

今までもそうだが、

今後も発信していきたい。


24時間後のスイカ。ぐんぐん成長中。


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