年齢退行療法~名前の力

 いよいよ、退行セミナー最終日。

連日、潜在意識に入ったり出たりしているため、常時ぼ~っとしてしまう。

気が付くと、何もしていない自分。何もしていないことにも気づいていない。

これって、無我?それとも、ただぼんやりしているってこと?謎だ。

さて、私の体験の記録だ。


☆テーマ

高校生の時に、とっても腹が立ったことがある。その自分を癒やしたい。

この時は、母と大喧嘩をしたのだが、その時の恨みの気持ちが残っているのか、今でも、年老いた母に強い口調で詰め寄ったりしてしまい、母を泣かせてしまうことがある。すぐ謝るのだが、もっと母に優しくしてあげたい。恨みが残っているなら手放したい。

☆安全地帯

花しょうぶの群生地。しょうぶ園のよう。白、黄色、紫の花が整然と並ぶ。しょうぶ田に木製の橋がかかっており、そこに下駄を履いて立っている。むこうに、高速道路のようなものが見えている。かすかに車の走る音が響いてくる。スッキリするような、モヤモヤするような、複雑な気持ちを抱いている。

☆幼少期の楽しい場面

3歳。庭にいる。滑り台で一人で遊んでいる。「面白い」と言っている。実際に、言葉使いがたどたどしくなり、語彙力が無くなる。これを真性退行という。(過去の自分そのものになってしまうこと)。ただ、顕在意識も少し残っているので、その状況を観察している大人の自分の意識もある。二つの意識を体験する感覚。

☆問題の場面

玄関に立っている。16歳。母と喧嘩したと言っている。

「お母さんが、転校先の高校へ提出する書類を隠しちゃったの。」と泣く。

セラピストから、お母さんに理由を尋ねるよう促される。

「書類を紛失したと言って、学校から新しい書類をもらいなさいって言うの。でも、失くしてなんかいないのに、お母さんが隠したのに。何でそんなことしなきゃいけないの?せっかく合格して学校決まったのに。書類失くすようなだらしない生徒は入れませんって、言われちゃうかもしれない。」私は大声で泣く。「学校行けなくなっちゃう。」

セラピストから、お母さんに書類を返してもらうよう促される。お話ししてみてと。

「書類返してって言ってもダメ。お母さんは、これから北海道に居るお父さん(単身赴任中)のところ行くからって、もう出かけちゃうところ。腹が立ったから、私の人生メチャクチャにしないで!って怒鳴ったの。お母さん、すっかり怒って、今、家から出ていっちゃった。」

セラピストから、家の中に書類があるかどうか探すよう促される。

「ダメ。勝手に触るとお母さんに怒られる。探せない。」

では、誰かに助けに来てもらおうと提案される。10歳の時に亡くなったママに来てもらうことにする。ママの魂がやってくる。私は、ママの膝に顔をうずめ泣き崩れる。ママは背中を優しくさすってくれている。

「悔しい!どうしてこんなことするの!悔しい!悔しい!」悲痛な声を上げて号泣する。人って、悔しさがマックスになると、こんな声を出すんだなあと、大人の意識が観察しつつ驚く。ただ、胸に押し込められていた負の感情を言葉にして吐き出したことで、だんだんスッキリ落ち着いてくる。深呼吸して気持ちを鎮めていく。声に出すって、大事なんだなあと思う。

セラピストの誘導で、大人の私が16歳の私のそばに来る。

16歳の私が、うずくまっている姿を見る。意識交代しながら、会話をする。

16歳「何で、ママがいなくなっちゃって、あのお母さんが来たんだろう?」

大人「人にはそれぞれに人生があり、役割がある。50歳過ぎれば、その意味が解るようになるよ。」

16歳「50歳過ぎれば解るようになるんなら、それまで待つことにする。」

意外と聞き分けの良い私。根は素直なのだ。

16歳「さっき、ママの魂が来て、いつもそばに居るよって。一人じゃないよって、教えてくれたの。いつもは魂は見えないから居るかどうか分からなかったけど。これからは、傍にいるんだって、思うようにする。」

セラピストから、大人の私としたいことをするように促される。

16歳「あ!それなら、ご飯食べてないの。料理してほしい。私が台所触るとお母さんに怒られるの。でも、大人の人だったら大丈夫なのかな。私は作ってくれるのを見ているね。」

大人の私は料理が相変わらず苦手なのでと言い訳しながら、カレーを作り、二人で食べる。

16歳「お腹空いてたから・・・・助かった!」

(そういえば、当時、私は何を食べていたのだろう?と思い出しながらこの場面を体験していた。仲の悪い母と食事をしていた記憶がほとんど無い。そもそも母は父の所へ行ったきりだったので、家には私と姉が放置されていた。思い出すのは、パン屋で30円とかの袋いっぱいのパンの耳を買ってきて、冷凍しておいたものを食べたり、たまに姉がカレーを作ってくれた。まともに食事をしていなかったように思う。それでも生きていたんだから、丈夫に産んでくれたママに感謝だ。今でも命をつないでくれた貴重な糧、パンの耳を見ると、涙ぐみ、手を合わせたくなる。ただ、記憶は書き換わると言うし、もしかしたら家に居る時は、母はしっかり料理してくれていたかもしれない。忘れているだけかも。)

食事の後、大人の私と16歳の私は、協力しながら家中の窓を開け、換気し、庭の雑草を抜いて綺麗にした。また、学校の職員さんに自宅に来てもらい、事情を説明。新しい書類を北海道の父に郵送してもらい、父から手続き書類を提出してもらえるよう手配する。「お父さんならやってくれると思う。よかった。これで学校へ行ける。」16歳の私はようやく笑顔になる。

大人の私から16歳の私へ「しっかり生き抜いてくれて、ありがとう。あなたがこの時期を頑張って乗り越えてくれたから今の私がある。今はとても穏やかに平和に暮らせている。あなたはとても勇気があるね。本当にありがとう!」と伝える。しっかりハグして統合。

私は16歳の自分を誇りに思う。

☆胎児期へ

ママのお腹の中。まだ受精して間もない段階か。魚類のような小さな姿を感じる。お腹の中は広大な宇宙と重なっていて、無数の星が見えている。今までにないくらいの「自由」を感じている。ミシンの音が聞こえてくる。ママがミシンで何か縫っている様子。「この音好き」と胎児は思っている。

セラピストから、自分のペースとタイミングで生まれるよう誘導される。

生まれようとするのだが、なかなか進まない。あれ?どうして進まないんだろう?セラピストから焦らないで、そこに居たければ居ても大丈夫だと声掛けされる。

生まれると、先ほど体験したように、窮屈な人生が待っていることが分かっている。それに比べ、ママの胎内は、無限の自由を感じる世界。つい、このままここに居たいと思ってしまうのだ。ぐずぐずしている胎児の私。でも、生まれなきゃいけないのも分かっている。

「よっし!行きま~す!」気合いを入れ、宣言する。(ガンダムに乗り込んだアムロみたいな気分だった)

無事産まれる。外に出た瞬間

「あ~。始まるんだな。」と思う。期待と諦めの混じった感覚。これから苦難の人生が待っている。胎児は勇敢なんだなあと思う。分かってて、それでも気合い入れて、勇気を振り絞って出てくるのだから。もちろん苦難だけではない。愛して愛されて、喜怒哀楽を味わい、人生という川の流れに磨かれて美しい玉(魂)になっていく。激流であるほど、角が取れて、より滑らかに磨かれる。それが分かっているから、魂は、自らの意思で激流人生を選択してくるのだろう。

ママに抱かれ、お乳を飲む。セラピストの機転で、ママに意識交代。

赤ちゃんを胸に抱き愛おしく見つめるママの心が感じられてくる。

「この子には、〇〇という名を付けました。太陽の意味です。太陽のように、明るく元気に育ってほしいという願いを込めました。」とママからメッセージをもらう。

☆解催眠

☆感想

セッションの最後の最後に、大きな気付きがやってきた。

私は既に、生まれた時から、人生を生きる上で必要な答えをもらっていた。どう生きていけばいいのかという拠り所、指針、すべてを包括する回答。大いなる愛の贈り物。

それは、名前だったということ。

人生ではいろんなことが起きる。悩んだ時、苦しんだ時、絶体絶命の危機に陥った時、どんな時も、私を支える魔法の力がある。それが名前。

どうすればいい?そんな時、自分の名前を思い出す。そこに答えがある。

「どんな時も、顔をまっすぐに上げて、太陽に向かって咲くひまわりのように。光を求めて進んでいこう。あたたかい太陽のような存在であり続けよう。」

私には、こんな素晴らしいお守りがある。生まれてから死ぬまで、私をしっかり支えてくれる音の魔法。忘れそうになったら、自分の名を口にしよう。きっともう大丈夫だ。


母に優しくできるかな?

大丈夫。私は太陽なんだから。


☆セラピストとの気付きのシェア

セッションで、大きく感情が出てきた場合、当日の事後面談でシェアし切れない時もある。クライアントは、まだ潜在意識の蓋が開きやすくなっているため、翌日以降も感情があふれてきたり、涙が流れたり、さらなる気付きを得たりする。そのため、セラピストは、「何か気付きがあったらお知らせください」と伝えるようにしている。


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