失敗は楽しい


 この一ヶ月の学びは怒濤の流れとなり、私の内側を洗い流した。

自分で自分の現実を創るというのは、本当なのかもしれないと、実感するようになった。

取るに足らない話で言えば、例えば

この一年くらい、私の住む地域の駅に、かなり充実したガチャコーナーが出来て、(カプセルの中に小さなオモチャが入っている。)童心に返り時々楽しんでいる。ガチャは、5種類くらいの中から、ランダムに出てくるので、好みの物がたまたま出てくればラッキーだし、ガッカリの時ももちろんある。

私は昭和レトロが好きなので、そのテーマで小銭を投入している。毎回、ドキドキであり、「わ~!」「キャ~!」「え~?」と、不確定性を存分に味わっている。どうやら、この、何が出るか分からないという状況は、脳内に、報酬系神経伝達物質が出やすいそうで、要するに、楽しいという感覚を高確率で味わえる仕組みになっている。

「楽しい」「安心する」「イライラする」「興奮する」などは、脳内の、ドーパミン、セロトニン、アドレナリン、オキシトシン等の作用ですよ。と言ってしまえば、感情は脳内物質をコントロールすれば如何様にもなるということになり、何だか興ざめでもある。が、仕組みを知らないで、誰かの仕掛けにはまるのも、確かに面白い。ホリックにならない程度には。

さて、ガチャであるが、ちょっとした実験をしてみた。

今までは、「これが出ると嫌だなあ。こっちが当たりますように。」という気持ちでツマミを回していたのだが、大抵は、嫌だなあという物が出てくる。

宇宙が思考エネルギーを受け取り、現実化しているとすると、「こっちが当たりますように」は、「嫌だなあ」に思考がフォーカスされているので、「嫌だなあ」の現実を引き寄せる。

宇宙は、善悪、良い悪いの判断は無いので、私たちが発する波動を素直に受け取り、相当する波動をそのまま目に見える形にして返してくる。

だから、分かりにくいかのだが、

「世界が平和になりますように」という祈りは、今、世界は平和ではない。にフォーカスしているため、平和を引き寄せない。ということになるらしい。

というわけで、数百円で出来るガチャ実験をしてみた。

ツマミを回す前に、「○○が出てきた。手に取り、色や形や手触りをありありと感じていて、ワクワク喜びの感情をしっかり味わっている。」というイメージをしっかり行った。「△△が出てきたら嫌だなあ」はイメージしない。100%理想の自分のみを先取りして味わう。

そして、ツマミを回したら、ちゃんと○○が、出てきた!

わ~本当だ。意図するって、すごい効果だ。

現実は、本当に自分の思考が創っているのだと分かる。こういう単純な実験なら、気軽に出来るし分かりやすい。

興味深い点は、顕在意識は望んでいても、潜在意識は望んでいない場合もあり、その際は潜在意識が現実を引き寄せるところ。病の多くは、潜在意識が引き寄せている。(生活習慣や思考の癖をを改めるよう本人に促すためなど。また、自分が病になることで、家族が結束するなどメリットがあることも。)

顕在意識と潜在意識が一致するようトラウマ浄化や統合に取り組むと生きやすくなるのは、このためだ。

さらに面白いのは

「○○」という思考をした時に、「○○」という言葉が脳内で生じるのだが、言葉が生じる前に現実化は起きているということ。

言葉になる前に、思考がエネルギーを発する。それに宇宙が素早く反応し形づくるわけだ。

量子力学分野の二重スリット実験など、科学的に証明もされている。波動と粒子。

認識すると「在る」

認識しないと「無い」


話は飛ぶが、昨日、ある方の悟りの体験談を読んだ。何を悟ったかと言うと

自分の周り360度に現実は存在していない。目の前に認識した部分だけ現実(幻想)は起こっているように見えている。

実は世界は完全な闇であり、無であり、「私」はどこにも居ない。強いて言えば「私」は、言葉の中にしか存在しない。

その「無」を私たちは、宇宙根源の意識などと表現するのかもしれない。

人間は無数に存在し、意識は個性を持ち、バラバラに体験をしているように認識しているが、本当は、源が私たちの肉体を通し、様々な可能性を表現している。その現象を、「創造」と言うのかもしれない。

横道にそれたので、戻る。

引き寄せは、望む現実を体験できるので、素晴らしいが、ガチャを楽しめなくなる。

だって、5種類のうち、何が出てくるか、既に分かってしまうから。脳内物質の報酬系も出てこないことになる。

つまり、肉体を使い、様々な体験を通し、あらゆる感情を味わうことは、とっても面白いのである。ガチャで言えば、「分からない」も面白いのだ。

悟ると、地球体験卒業というのは、そういうことだろう。種明かしされることになり、ディズニーランドのミッキーマウスの中身を永遠に暴露されるようなものだから。な~んだ。と明らかに分かってしまったら、その人はもうディズニーランドには遊びに来ない。別の体験を求めて次なるステージに向かうだろう。

昨日、アルバイト先で失敗した。

本に透明なシートを貼る作業をやったのだが、微妙にズレて、皺が寄ってしまった。貴重な本であり、(作業を失敗したからと弁償させられるわけではないが、)私も悲しいし、私に作業を依頼した職員も悲しいだろう。

いつもの思考の癖では、自分をとことん責め立て、しばらく落ち込むのだが

昨日は、何故、この現実化をしたのかを考えてみた。

私(潜在意識)が見たい現実を映写しているわけで、目に見えている人々も本も、本来は存在していないのであるから、私(厳密に言えば、私も居ない)は、何に気付きたかったのだろうか。

本にシートを貼って欲しいと依頼された時に

私が役に立つ人間だと証明したい

綺麗に作業して称賛されたい

喜んでほしい

と、思ってしまった。

裏側には

私は役に立たない

私は称賛に価しない

私は喜びをもたらせない

何も価値の無い人間

というマインドがあった。

エゴが優位に働いたため、意識しすぎて体が緊張し、失敗したのだ。

自転車だって、乗り方を意識したら乗れなくなる。無意識に動く時、人は能力を発揮する。すべては調和し、うまく整っていく。

そうか!これに気づくために、私は失敗を体験することになったのだ。

人の役に立たねば、私の価値を認めさせなければ、というマインドを手放し、自分で自分をありのままに受容することが何より大切だと理解した。頭では分かっていたのだが、まだまだ、潜在意識奥深い所に、浄化されていない闇が潜んでいるようだ。

昨日、作業がスムーズに進んでいて、周りから褒められていたら、私は有頂天になり、エゴを肥大化させただろう。それは、私の成長には足枷にしかならない。

失敗して、良かったな~。と思った。

早速、マインドを手放すワークをやって、浄化した。

こう考えていくと

今、起きている出来事は、完璧であり、上手く行かないことは、宝であり、分からないことこそが、ワクワクであり、宇宙源は、これが楽しいんだなあ。ということがしみじみ理解できた。

最後に

本日の萩原優先生のblogを紹介したい。

毎回、リンクするので、おかげで理解が深まる。

私は、回りくどい表現ばかりだが、先生のはシンプルで、優しさが伝わってくる。何より、短い言葉で多くの人に気付きを与える。

このような文章を生み出せるようになりたいものだ。

以下、先生のblogより


【無意識的な生き方とは】

 

 

とても過ごしやすく

なりましたね。

 


催眠的な生き方を

目指している私にとって、

何が基準になるか?


催眠的生き方とは、

無意識的(潜在意識的)

な生き方です。 


それは、あるものを

あるがままに受け入れる。


できるだけ、判断をしないで、

「わからない」という心の

動きに注意することです。

 


もう一つは、

感情・感覚を大切にする

ことです。

 


具体的には

美しさとか静寂さを

感じる生き方をすることです。

 


それは「心地よい」と

感じる生き方です。


その時には、私、私が

静かにしているので、

闘争的でなく、心が

開いています。

 


そんな生き方を

いいと思いませんか。


催眠の入口のドアを叩いてみませんか。


催眠のことなら​​​​IHC



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