年齢退行療法体験~大ボス登場?
本日、とても信頼しているセラピスト仲間のAさんに、セッションをしていただいた。
私の中に、大きなトラウマが、後一個残されているらしい。最後までしぶとく残っていたというからには、相当やっかいなインナーチャイルドだろう。どんな大ボスなんだろうか?
相撲で言えば、いよいよ横綱登場である。
☆テーマ
怒り、無価値感、ないがしろにされている気持ちを未だに味わうことがある。
人が不機嫌になっていると、過剰反応してしまうのだ。びくびくして自分を責めてしまったり、反対に「もっと私を大切にしてほしい」という怒りが湧いてきたりする。
このネガティブな感情を最初に感じた場面に戻り、癒したい。
☆安全地帯
ポピーの花畑。蛇行した細い小川が流れている景色。愛おしく感じ、胸がキュンとなる。空は薄曇り。
☆最初の場面
「不貞腐れざるを得なかった最初の場面」と誘導される。場面はスムーズに出て来ない。目の前に下へ向かう漏斗型のトンネルがある。その先に小さく何か見えている。セラピストの誘導で、トンネルに飛び込む。その先に
3歳くらいの私が怒って立っている。セラピストから名前を呼ばれても、「何?!」と、かなりご機嫌斜め。
姉が親戚のおじさんに、新しいおもちゃを買ってもらっていて、「ずるい!」と腹を立てている。セラピストが丁寧に、その子の気持ちを汲み取って聞いていくと
姉とおもちゃの取り合いになって、私がそれを奪ってしまったため、可哀そうに思ったおじさんは、姉を慰めるために、姉にだけおもちゃを買ってあげたのだ。小さい私からすれば、「え?買うなら、二人にでしょ?片方だけに買ったら、普通、拗ねるでしょ?」と激おこである。
さらに丁寧に気持ちを掘り下げる。その子は、本当はおもちゃが欲しいわけではない。大切にされたい、自分を好きになってもらいたいわけである。姉は、そのままでいても、まわりからすぐに好かれ大切にされている。それに比べ、私はありのままで居ると好かれないということが分かっている。「それって、ずるくない?おかしくない?なんで、これが欲しいとか、これで遊びたいとか、本当の気持ちを言うと嫌われちゃうの?大切にされたいだけなのに。」と、怒りながら涙を流す。「悔しい」と言う。
小さい頃の私は、確かに大人から見れば、手のかかる我儘な子どもだった。これが欲しいと思ったら、買ってもらえるまで泣いてそこから動かないような頑固さがあった。でも、自分の思いを通すと、この件のように、かえって悲しい思いをすることも学んでいた。
セラピストから、「その気持ちを誰に伝えたい?」と質問される。3歳とはいえ、姉もおじさんも誰も悪くないのは理解している。おもちゃを強引に奪ったのは私であり、自分が原因をつくったわけだ。「誰かに言いたいけど、誰に言えばいいのか分からない。」としばし悩んだ後、神様に聞いてもらうことにする。
白髪老人の神様がやって来たので、小さい私は「おかしくないですか?」と切々と訴える。神様は「ほほほほ」と笑っている。「もっと怒れ。もっと怒れ。」と。そして、「もし誰も聞いてもらえる人が居ない時は、空に向かって大声で言ってごらん。」とアドバイスされる。小さな私はその通りにする。「ずるいよ!おじさんのバカ!どうして、そのまんまの私でいると、誰も大切にしてくれないの?さびしい、さびしいよ~。」しゃくりあげ、大泣きをする。空は、私のどんな感情もやさしく受け入れてくれるのを感じ、だんだん気持ちが落ち着いてくる。
「あなたの、どんな感情も大切なんだよ。ちゃんと感じて、言葉にしてごらん。空にだったら、何でも言えるでしょ?大声出しても、嫌な言葉を発しても、泣いてもわめいてもいいんだよ。それでいい。よく言えたね。」神様はニコニコして、小さな私を褒めてくれる。小さな私はポカンとして、「本当の気持ち言っても、神様はニコニコしてるから、ビックリした~。」と言っている。小さな私は、怒りの裏側に悲しみがあったことに気づく。
大人の私が、小さな私のそばに行く。小さな私から「お姉さん(大人の私)だって、本当の気持ち、言えてないよね。」と、鋭く指摘してくる。そうだ、本音を言ってはいけないと思い込んだから、私はこの子を切り離して、インナーチャイルドにしてしまったんだ。周りの顔色を読んで、適切な言葉を口にするようになった。私は、本音が分からなくなっていった。
その後、小さな私は、神様に両手をつないでもらい、ただクルクル回るだけの遊びをしてもらう。神様の元気エネルギーが充填されていくのを感じる。
☆次の大切な場面
石づくりの牢屋みたいな場所。光が射さない暗闇の中、悪魔みたいな服装の8歳くらいの女の子が、無表情で膝をかかえて座っている。おそらく心象風景だろう。
その子の意識にフォーカスし続けていると、やがてランドセルを背負い小学校へ向かう姿が見えてくる。学校へ向かう時の気持ちはあまり気乗りしない様子。まだ原因は分からない。
そのまま下駄箱で上履きに履き替え、校内に足を踏み入れた瞬間、恐怖が襲ってくる。「怖い!怖い!」下腹がギュッとする。恐怖で体が緊張する。
やがて原因が判明。担任の男性教師が怒ってばかりいるのだ。「怒られるから失敗できない・・。いつも緊張している。」と言う。でも、学校には通わなければならないし、勉強もしなければならない。いつもビクビクしながら学校へ通っている。
40年前の当時は、先生が怖いのは当たり前だったのだろう。親に訴えようとか、不登校とか、そんな発想もなく、ただ怯えて現状を受け入れていた。兎に角、失敗してはならない。イイコでいなければ。気を抜いてはならない。と。
以下は、年齢退行催眠療法の特徴でもあるが、実際の記憶による体験と感情を味わった後で、当時は叶わなかった願いをイメージで体験し直し、ポジティブな感情に書き換えていく。潜在意識は、現実に起きた事も想像上で起きたことも判断しないので、失敗のやり直しをして成功体験を味わうことが可能となる。
セラピストからどうしたいか質問される。小学生の私は、さっきの神様からのアドバイスをここでもやってみることにする。屋上へ行って、大声を出して感情を吐き出すのだ。
「先生!どうしていつも怒っているの?もっと優しくして。私たち、そんなに悪い子じゃないよ。先生と仲良くしたいよ~。」小学生の私は大泣きする。「でも、先生のバカ!とは言わないよ。」と、いちおう配慮しているところが成長の証だろうか。
怒っている先生に意識交代する
「掃除をちゃんとやらないから、今、男子二人を叱っていたんですよ。ふざけてばかりいる。みんなどうして言う事聞かないのかな~。イライラする。思う通りにならないから、大きな声で叱る。でも、もっと言う事を聞かない。もっと怒らなきゃならなくなる。なんだか疲れたな。」先生の疲労が伝わってくる。全身も心もとても重く、気を抜くと、地面に埋もれてしまいそう。怒ることで気合いを入れ、何とか立っている感覚。
小学生の私に意識交代
「先生は、本当に怒りたい相手は、私たちじゃないでしょ?本当の気持ち、お空に向かって言ってみればいいのに。」とつぶやく私。
先生に意識交代
「う~む。・・・・確かにそうなんだ。今、やっと本当の気持ちに気がついた。本当は、校長や教頭、同僚に怒りたいんだ。言えないから、つい、生徒に当たってた。俺は小さな人間だ。なんてやつだ。」
先生も、屋上に行って、大声を出してみることにする。教室から出る時に「子どもたちを見ててください。」とセラピストにお願いしていく辺り、とても生真面目な先生だったんだなあと思った。先生は一人、とぼとぼと、廊下を歩き、階段を昇り、誰も居ない屋上に到着する。
「校長のバカやろ~!教頭のばかやろ~!チクショウ!何でもかんでも文句つけてきやがって。思うような授業もできない。重箱の隅をつつくように、いろいろ言いやがって。ああ、なぜだろう?私は今泣いています。大人になってから涙を流すことなんかなかったのに。大声を出すというのはいいですね。スッキリしました。私は生徒たちに謝りたい。」
今で言う、パワハラをされていたのだろうか。ただ、我慢するしかなかった当時の階層社会の重圧をひしひし感じる。私たちの父親世代は、大抵、会社で同じような苦しい経験をしてきたのだろうと想像できる。外で嫌なことがあっても、家庭で愚痴をこぼせない父は、理想の父親像を演じ続けていたのだろう。それが幸せな家庭を築くことになると、誰もが本音を隠して生きてきた。そして、溜め込んだネガティブなエネルギーは、自分より弱い存在に向かいやすい。
先生は、教室に戻り、それでもうまく言葉が出ない。「すまなかった」とただ一言。そして、ずっと頭を下げている。生徒たちから、言葉にはならない感情が伝わってくる。「先生、いいんだよ。大丈夫だから。」と。
小学生の私に意識交代
先生の言葉を聞いてどう思ったかセラピストから質問される。
「先生も辛かったんだなって、分かった。みんな思ったことちゃんと言えたらいいのにね。特に怒りの感情は、声とともに出さないと、体にたまっちゃうでしょ。そうしたらどうしようもなくなって、弱い人にぶつけたくなるでしょ?でも、弱い人は優しいから、我慢するしかない。どうしたらいい?ぶつける人もういないから、とても辛くなっちゃうよね。でも、先生が本音を校長先生たちに言っても、もっと苛められたりするかも。やっぱり、お空に大声で気持ちを言えばいいんだよ。そうすれば、きっと楽になるよ。」
最後に、先生は、「どうしていったらいいか、まだ分からないけど、皆の中に入って、給食を食べることを続けようと思う。」と、自席ではなく、生徒と輪になって給食時間を過ごすことからリカバリーを始めていく。
ここで、小学生の私の言葉を聴きながら、もう一人の私が感じていたことを書いておく。
目に見える世界では、苛める側が強者で、苛められる側が弱者と見なされる。しかし、魂視点から見れば、強弱は逆転する。苛められる側の方が魂は勇敢で愛の深い存在。苛められている魂は、その役を引き受けることで、苛める側の心を癒そうとしている。存在自体で光を届け、地球のヒーリングの役割も担っている。
しかし、もっと深堀すると、どちらの役割も、魂は合意している。それぞれに学びたい役割を通し、感情を味わっている。最終的には、どちらの役割を担ったとしても、自分が愛の存在であることを思い出すプロセスを体験することが目的。それを成立させるために、苛める役割も必要。光も闇も、本質は愛でできている。
☆成功体験
セラピストから、何かやりたいことはないか質問され、小学生の私は「ありのままの自分でいても友達ができるのか試してみたい!」と答える。
この頃は、優等生で、親切で、優しいというキャラの着ぐるみを着た自分じゃないと人から好かれないと思い込んでいたため、ありのままの自分を隠していた。友達も出来にくかった。いつも孤独だった気がする。
試しに、黒板に自由に絵を描いてみる。すぐ、同じクラスの子達が、「面白そう!」と言って一緒に絵を描き始める。みんなで夢中になっている。
「友達つくるのって、本当はあまり難しくなかったのかも。今まで、○○しなきゃ好かれないからって、頭で考えて動いてたから、ギクシャクして上手くいかなかった。今、何にも考えないで、ただ好きなことしてたら、皆も自然に寄ってきて、皆笑ってる。ありのままでいる方が、頭使わない方が、うまくいくのかも。」という気付きを得る。
☆インナーチャイルドたちと統合
3歳と8歳の私に話しかけ、抱きしめ、お礼を言う。「本音を言ってはならない。ありのままの自分で居ると嫌われる。」という思い込みをつくってしまった原因の場面を再体験し、「ああ~、何だか、健気だな~。私・・・」と思う。
当時は、その感情を押し込めるしか、術を知らなかった。分離された感情は、本体である私に拒絶され、潜在意識の奥深くで息を潜め半世紀近く閉じ込められていたわけだ。
特に、8歳の子は、自ら悪魔の衣装を着て嫌われ者になりきっていた。「ごめんね、ごめんね。ずっと辛い思いをさせてずっと無視してきてごめんなさい。あなたたちの感情はよく分かったよ。しっかり受け取ったよ。あなたたちもとても大切だよ。大好きだよ。さあ、もう安心して、一緒に光に戻ろうね。」感謝の気持ちがあふれて、涙がこぼれた。自分を「愛おしい」と深く感じた。
☆高次の存在からのアドバイス
マリア様に来ていただく。
「今までは、本音を言うとうまくいかないことが多かった時代でした。みんな、ありのままの自分を隠して生きる術を身に着けてきました。でも、時代は変わりました。本音を言ったほうがうまくいくようになったのです。ありのままの自分を出して生きられるようになりました。でも、まだその変化を知らない人々が多いのです。あなたは、そのままのあなたで生きていいという姿をみんなに見せて、話してあげてください。そのお手伝いのために、私(マリア様)は、あなたのところへ来ました。」
(注:ありのままの自分とは、本質の自分のことであり、本質から分離したエゴの自分のことではない。潜在意識につながることにより、人々が本質に気づけるようお手伝いをしていくことが前提として入っている。)
☆安全地帯へ戻る
ポピーが青い花畑に変化。光が満ち溢れ、とてもまぶしい。
青は、マリア様の象徴の色なので、もしかしたら、世の中がマリア様のような優しいエネルギーと高次元の光に満たされていくという未来を見せてもらえたのかもしれない。
☆感想
いや~~~
ビックリした。
最後の大ボスなので、どんなにやさぐれたインナーチャイルドが登場するかと思ったら、メチャクチャ健気だった。愛おしい子たちだった。そんな子たちを、暗い闇の中へ閉じ込めて生きてきてしまったことに気づいた。
しかし、後悔する気持ちはない。当時は、その生き方をするしかなく、時代の要請であり、私は小さな私でありながら、精一杯考えて一生懸命生きてきたのだから。
また、闇の役割を担ってくれた自分が存在したからこそ、統合した先に、人間的深みを増した成長した私が存在出来るのだ。魂の輝きは、さらに磨き上げられ、ピカピカに光っている。
神様が「ほほほほ」と笑っていた意味が良く分かる。
魂が、自ら選んで、色んな感情を体験しに、ここにやってきているわけで、神様はそれをすべてご存知なのだ。
「怒りというものを体験して、学んできます!」とルンルン出掛けて行った魂が、「神様、辛いです~。どうしてくれるんですか~。」と、自分の選択も忘れて嘆いていれば笑いたくもなるだろう。だって、魂の望み通りのことを体験し、しっかり学びを深めているのだもの。「うまくいってるの~。ほほほほ。順調じゃよ。」と伝えたいところだろう。
なぜ、最後まで、この子たちが大きなインナーチャイルドとして残されたのだろう。おそらく「本音を言ってはいけない」という思い込みだったので、一番警戒心が強かったのかもしれない。「自分が出て行ったら、本体が嫌われてしまう。生きていけなくなってしまうかもしれない。」と本体の私を守ってくれていたのである。私はこの子たちに愛されていたのだ。
☆セラピストさんについて
インナーチャイルドが、やっと警戒心を解いて、おずおずと出て来てくれたのは、やはり、セラピストAさんのおかげとしか言いようがない。
一時間の事前面談で、しっかり心がほぐされていたので、「あれ?もうセッションやらなくてもいいのかも?」というくらい、面談だけで満足し、癒やされてしまっていた。
本人は「自分の考えは口にせず、ただクライアントの言葉を復唱し、質問につなげていただけ。」と言うが、そんな手法すら気が付かないほどナチュラルで、いっぱい対話したような満足感があった。
おそらく、面談しているうちに、セラピストもクライアントもしっかり潜在意識に入っていたのだと思う。これは、セラピストが一切の判断を手放し、クライアントを100%信頼した透明な状態にならないと実現しない。
また、Aさんは、セッション中、余計な声掛けをしない。感情を味わうべきところは、沈黙を守り、クライアントに委ねてくれる。クライアントは安心して好きなだけ大きな声で泣いたりわめいたりできるのであるが、ここが一番大切だ。エネルギー開放を行っているからだ。声掛けが無いということは、放っておくということではなく、潜在意識では互いにつながっているので、言葉が無くてもセラピストの心が寄り添ってくれているのをクライアントはひしひしと感じる。寄り添い力とはまさにこのことだと実感した。
私も一応はセラピストなのだが、とにかく余計な事を口にしやすい。自分の力量に不安があるのと、相手を100%信じ、潜在意識に委ねるということがまだ出来ていない。
素晴らしいセッションだった。たくさん学ばせていただいた。
Aさん、ありがとうございました!出会いとご縁に心から感謝しています。これからもよろしくお願いいたします!
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