前世療法体験~遊郭編
本日、ヒプノセラピートレーニングに参加。
前世療法を受けたので、私の体験を紹介する。
☆テーマ
「無価値感の原因を探りたい」
昨日、アルバイト先で、良かれと思い行動したことで、そこの責任者をイラつかせてしまった。自分が悪いわけではないので、流してしまいたかったのだが、結構長く引きずっていた。悲しく落ち込むようなネガティブな感情を深堀したところ、「無価値感」が浮き彫りになった。出来事はニュートラルであり、それをネガティブに捉えるのは、自分の観念のせいである。 なぜ、こんなに無価値感を感じやすいのか。もし前世に原因があるなら知りたい。
☆安全地帯
通常、お花畑に誘導されるのだが、私が見たのは、背丈をはるかに超える高さのススキ野原。ススキに視界を遮られ、遠くを見ることが出来ない。かろうじて、夕焼けの空を上空に見た。ススキの葉を触って感触を感じる時、鋭い葉で手を切るんじゃないかと心配になり、そっと触っている。足元は、白足袋に草履。静かで安心はしているが、みぞおちあたりが重苦しく感じている。
☆前世への階段を下りる
漆塗りの木製の黒い階段。古い日本家屋で見るようなタイプ。途中で90度に直角に曲がっている。
☆前世最初の場面
日本家屋、畳の上に座っている女性。30代くらいか。茶系の地味な着物で髪を結っている。白髪交じり。痩せている。中庭があるようで、縁側に赤い着物を着た女性が立っているのが見える。名前はキク。日本。江戸時代か明治初めあたり。
☆キクの家へ誘導
木製の大きな門。広い通りの両脇に町屋みたいな建物が並んでいる。その門の造りから、嫌な予感がしている。キクは10代の女の子。キョロキョロ、びくびくしながら門の中へ。斜め前に風呂敷包みを背負い手ぬぐいのようなものでほっかむりした男性が歩いている。キクを目的の場所に案内するだけの斡旋業者のよう。会話は無い。
☆目的の場所へ
嫌な予感が当たる。ここは遊郭だった。建物の造りで、分かった。あ~・・・この前世を見るのか・・・嫌だなあ。出来れば見たくないな~。そんな気持ちになるが、これはヒプノトレーニングであり、セラピストの勉強のために行っているものだ。勇気を出して進むこととする。まだ、昼間なので、玄関には人がいないが、夜は賑わうことを知っている。左奥に茶箪笥のある和室が見える。おかみさんがちょっと顔を出すが、冷たい態度。斡旋の男性はお金を受け取って、そそくさと帰って行く。建物の奥から、キクと同じくらいの年齢の女の子が出てくる。キクは、やっとほっとする。この子にいろいろ聞けばいいんだなと分かる。彼女はアカネちゃん。布団部屋のようなところに案内してくれる。とても親切で優しい。
☆食事の場面
仕事が忙しく、座って食べる暇がない。食べていいものが置いてある場所から、タイミングを見計らって、口に流し込む。おそらく、まだ年齢が小さいので、遊郭の下働きをさせられていた様子。キクは、疲れすぎてあまり食べたくないのだが、アカネちゃんから注意を受ける。「ちゃんと食べないとダメ。死んじゃうから。要領よく食べないと!」と励まされて、必死にタイミングを計り、口に食べ物を流し込んでいる。味わう暇もない。生きるために食べている。
土間の向こうに部屋があり、綺麗な女性が数人食事をしている。彼女たちは、お膳がついている様子。セラピストから、一番気になる人物がいるか問われる。「花魁さん」が、一番きれいで、とても優しくしてくれるので、キクは素敵だなと思って見ている。
「花魁さん」の中に意識交代。セラピストから、キクをどう思うか質問される。「キクちゃんは、かわいい。妹みたいに思っている。」キクに将来どうなって欲しいのか質問される。「健康が心配。ちゃんと食べないと、病気になって死んでしまう。死んでもきちんと弔われる事はないから。」とのこと。
☆人生の大切な場面へ
夜。遊郭の建物の二階。行燈の灯りがついている廊下に居る。部屋の中は大勢の人が居て、大騒ぎをしている様子。年頃になったキクは、ある程度綺麗な着物を着て、廊下に一人で立っている。セラピストから何をしているところか質問される。「これから仕事をします。私は生きるために仕事をします。ただ、生きること。それだけが生きる意味です。心の反応を止めます。」仕事をしている場面は、あまりに過酷な記憶だからだろうか。潜在意識は、思い出す必要の無い場面は出してこないのだなと分かり、ほっとする。死ぬほど嫌な仕事を生きるために行うのだ!と決意を奮い立たせている感情を味わう。体が震えている。とても勇気がいったのだろうと思う。
☆次の大切な場面へ
大好きな「花魁さん」が亡くなった場面。悲しくて、催眠中であったが、現実の身体でも頭を抱え、号泣する。どんな気持ちかセラピストから質問される。「花魁さんとお別れするのは、とてもさびしいけれど、これで楽になれたんだなと思うと、良かったとも思う。」花魁の亡骸のまわりには、あまり人が居ない。悲しんで泣いている女性もいるが、他人事のように心を閉ざして知らんぷりをしている女性の姿も見える。隣の部屋に男性が一人居る。花魁の関係者のようだが、キクは、その男が嫌い。話したくない。
☆次の大切な場面へ
急に視界が明るくなり、しばらく周りが見えてこない。どうやら外の様子。だんだん田舎の景色が見えてくる。キクの実家のある地域へ里帰りした様子。キクは、そんなに年を取ったわけではないが、当時の女性の年齢としては、もう遊郭の仕事はできない段階に達していたようで、一時的に帰ってきた様子。両親は既に他界していて、実家には誰も住んでいない。それでもキクは、ふるさとに帰ってきて、とても嬉しい気持ち。
☆臨終
土蔵の中か。土の床。物置のように雑然とした中、筵にくるまり、横になっている。咳こんでいるので流行り病で隔離されているのかもしれない。一人ぼっちで死んでいく。上空から抜け殻を見下ろす。穏やかな表情をしている。「ようやく楽になれた。これで、アカネちゃんや、花魁さんや、おとっつあん、おっかさんに会いに行ける。」
この人生で何を学びましたか?
「アカネちゃんや、花魁さんから、どんな境遇であっても、心が美しいままで生きることが出来ると教えてもらった。二人はいつもとても優しくて、心がとても綺麗だった。私たちは、虫けらみたいに扱われたけど、どんな出来事が起きても、心は美しいままでいられるのだと学んだ。」
次は、どんな人生にしたいですか?
「美しい心のまま生きたい。」
☆中間世
魂の行く場所。観音様が待っていてくださる。観音様の足元に座り、泣き崩れるキク。とても安心して泣いてしまった様子。観音様は、キクの頭に手を置いて、優しく語りかけてくれる。「よく頑張りましたね。よく生き抜きましたね。これからも、心を美しく保ちなさいね。」
☆現世の私とキクの対面
キクの人生を見て、すっかり恥ずかしくなった私。なんて小さな自分なんだと思う。でも、キクは私自身でもあるのだから、キクの生き方は、勇気になった。キクに感謝の気持ちを伝える。キクからは、「どんな出来事が起きても、心を美しくね。」と励まされる。キクとエネルギー交換をして、私の中の「無価値感」を引き取ってもらい、浄化をお願いする。
☆安全地帯へ戻る
ススキ野原が、すっかり刈り取られ、見通しが良くなっている。ずっと向こうまでよく見える。解放された気分を味わう。
ススキ野原は、囚われの身であったこと(ある意味、牢獄のイメージに通じる)を暗喩していたんだなあと分かる。
☆事後面談
「花魁さん」の死に立ち会った場面で、実はもっと泣きたかったのだが、セッションの時間もあるので、我慢していた。悲しみの気持ちはまだ胸に溢れており、涙が止まらない。事後面談で、セラピストと講師に気持ちを聞いてもらい、泣き続けていた私だが、お二人のあたたかな愛情と寄り添いを感じ、癒されていくのが実感される。この後、潜在意識の蓋が開いてしまったせいか、30分くらい、涙のコントロールが出来なくなった。「蛇口の止め方教えてください!」と講師に問うたところ、「止めなくていいのよ~。」と明るく言われた。なんだか救われた。涙は最高の浄化方法だから、潜在意識は分かっているのだろう。
☆感想
いや~········
しばらく、言葉が出なくて、呆然としていた。人間とは、とてつもなく深い存在であり、味わい尽くすには、どれだけ年数があっても、まだ足りない。だから、魂は、少しでも多くを味わいたいと、何百回、何千回と輪廻転生するのかもしれない。
あれも体験したい。こっちもいいな。転生前に居る世界で、次の人生の構想を自分で練りながら、ワクワクしているのだろう。魂からすれば、元々が穏やかな高波動の存在。楽な人生とは、本来の自分に合ったものであるから、その状態は、よく知っているわけである。どうせなら、知らない体験を積んでみたいのである。「学びたい」とも言えるし「楽しみたい」も、本音である。
現実は、幻想世界であり、本体はあくまで高次元の光の世界に居る。だから、ネガティブもポジティブも、どちらの体験も等しく大切なのである。幻想世界で、どんなに傷ついたとしても、結局は幻。そこから何か学びを得ているだけで、魂本体は決して傷ついたりしない。どんな過酷な体験を選択しようと、本質はピカピカに輝き、美しい。
キクの人生を垣間見て、「苦海浄土」という言葉を連想した。
キクは、人間の欲望に翻弄され、囚われて奴隷のように搾取される人生を歩んだ。しかし、キクは、心の大切な部分に宿る美しさに気づいており、そこだけは最後まで見失うことなく生き抜いた。心は、泥沼に咲く蓮の花のように、凛とした美しさを保った。
もし、キクの人生のチャレンジ目標を言葉にするなら、「泥の中で蓮の花を咲かせることが出来るか挑戦してみたい!」だろうか。なかなかハードな選択をしたものだ。
キクが自身の本質を見失わずに済んだのは、アカネちゃんや、花魁さんとの出会いがあったからだろう。苦海にも、菩薩が顕現し、共に歩んでくれている証のように感じた。へこたれないよう帆走してくれているわけだ。どんなに身を切るような孤独の中であっても、側にはあたたかく寄り添う存在が必ず居るのである。
私たちが選択した人生で、私たちが望む学びを成就できるように。心を澄ませれば、たくさんのサポートに気づくはずだ。
今世を振り返ってみても、荒波を受けていた時に、「そういえば、あの時に、あの出会いがあったから乗り越えたな。あの一言が救いだったな。あれが転機だったな。」と誰もが心当たりあるはずである。天使は天使(菩薩でもよいが)の姿では現れないので、分かりにくいが、サッと現れて、さりげなく助けて、いつの間にか消えている。「そういえば、あの時期しか関わらなかった人物だけど、ずっと忘れられないんだよなあ。」という存在は、おそらくあなたのサポーターだ。
この催眠療法セッションを受けたからと言って、即座に「無価値感」が消えたわけではない。変わらず、現実で何かが起これば、ネガティブな感情が湧いてきて、悲しくなったりするだろう。
ただ、以前との違いは、「どんな体験をしようが、私の本質は美しい」と確信している点にある。
感情が揺れた時に、その感情を丁寧に味わいつつ、本質である「静かさ、穏やかさ、美しさ」に、ゆっくり戻っていけばいいんだなと感じた。
☆おまけ
セッションの時間が余ったため、おまけで近未来療法を受けた。3年後を見る。
雲の上。切れ目から、下界の家々の屋根と窓明かりが見えている。私はエネルギー体となり、満たされ穏やかな心持ちで存在。何にも考えていない感覚がする。未来の私からメッセージをもらう。「すべて順調に進んでいます。」
これが何を意味するのかわからないが、三年後に、ここに書いてあることを読んで、催眠療法って、凄いな~!と、思える証拠になるかもしれないため、今から、楽しみにしている。
それから、日常に天使(菩薩)が寄り添うことについて。
昨日、アルバイト先で、職員のYさんを見ていて、この人は菩薩だ!と感じた。
Yさんは、10年ほど前、私が図書館正職員をやっていた時、別の図書館にいらっしゃったが、組織は一緒なので、よく相談にのってもらった。当時、人間関係は混沌としていて、仕事の悩みも多かった。Yさんも上司として苦労していたが、他の人と一線を画すところは、心の美しさだった。何があっても、常に、優しく穏やかで、あたたかい。言葉はいつも思いやりにあふれていた。
私が図書館から異動してからしばらくお会いしていなかったのだが、昨年アルバイトを始めた図書館に、なんと!今年春からYさんが配属になったのだ。相変わらず、愛の波動を身に纏うYさんは、美しい心のままだった。
いつも側に居たわけではないが、Yさんの存在は私の心の大切な部分に居続けた。Yさんは、足に障害もあり、とてもご苦労されたと思われるが、微塵も感じさせず、人々に愛を持って接している。こうありたいなと思わせる、私の理想だ。Yさんを拝見する度に、私の心は感動でふるえてしまう。
ふと、思った。
Yさんは、あの花魁さんだったかもしれない。
グループソウルというものがあり、魂の縁の深い関係同士は、何度転生しても、その人生で立場を変えて出会うことがある。あるケースでは、職場の同僚全員が前世での関係者だったとか、そんな笑える話もある。
現実で関わる方々は、どんな端役であろうと、敵役であろうと、魂の世界に帰れば、大切なファミリー。
ちなみに、アカシックレコードによると、私と夫は、何十回と親しい関係で転生している。夫婦、親子、兄弟、師弟、友人······魂世界では、一番信頼している親友なのかも。「また、一緒に人生歩もうね。」「え~また?しょうがないな~。」みたいなやり取りが何度もあったかもしれない。
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