ありのままの人生を受け入れる

 「私は、人が言うほど偉い人間ではありません。

ただ、目の前に示されたことを1つひとつ必死でやっていくうちに今日になっていました。

私は昔、凛と立つ百合のように生きたいと願っていました。

でも、今は、野に咲く小花のように目立たなくても、自分の居場所でしっかり働く人になりたい。」


志田周子

戦前戦後、無医村の僻地で働いていた女医

いしゃ先生の言葉


魂の望む道は時に過酷だ。

周子さんは、無医村の村に、村長をする父親に請われ、三年という約束で診療所を切り盛りする。その間に、母親の死、東京の恋人との別れなどを経験し、辛さを乗り越え、村人の命に寄り添う生涯を選択していく。

無医村だった村では、祈祷などの民間療法が信じられていて、いしゃ先生は数年間、村人から偏見の目で見られていた。

無理解の中、孤立しながらも、目の前に起こる出来事に、出来る精一杯で対応していく。

一つひとつが、やがて実を結び、10年後は、村人に信頼される医者に成長。

映画『いしゃ先生』を観て

学んだこと

人生には、どうにも抗えない流れがある。

その流れは、魂の望む道なのだが

たいていは、魂の道は感知できていないので、自身が思い込む幸せの形を追い求め、流れに抗い、苦しむことになる。

世間から、不幸だとか、恵まれないとか、可哀想だとか、評価されたとしても

本来の魂の望む道を進むなら

本来の意味では幸せなのである。

体験による学び。それは、個々に相違する。

相手の人生をありのままに受容し、尊重する意味がここにある。


病気になっても

結婚してなくても

子宝に恵まれなくても

恋人に振られても

もしかしたら

戦争も、貧困も、災害も、

人生の体験はすべて

わたしの魂が望んだのかもしれず

だから

起きる出来事に一喜一憂せず

ただ、

「ああ、そうか」(白隠のように)

と受け入れていく生き方は

実は、とても生きやすいのかもしれない。


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