本質から離れる効果

 昨日、知人の管弦楽団定期演奏会へ出掛けた。

私は、中学時代はリコーダー部

高校一年間は、吹奏楽部に所属していたので、音楽は好きな方だ。

今回、二枚チケットをいただいたので、夫を誘って行ってきた。

夫は、クラシック音楽はあまり好きではないようだが、私に付き合ってくれた。

管弦楽団の演奏会は、どうやら初めてだったらしく、夫の疑問がいちいち新鮮だった。

なぜ、ギターがないのか。

ビアノ、歌はないのか。

あの大きな楽器(コントラバスか)は、どうやって運んでくるのか

練習は、毎回みんなで集まってやるのか。大変そう。

指揮者は、管弦楽団に所属しているのか。それともコンサートごとに渡り歩くのか。

なぜ、指揮者が必要なのか。みんなが譜面どおりに演奏すれば、指揮者はいらないんじゃないのか。

なぜ、指揮者は、ロボットみたいな動きなのか。

なぜ、指揮者はしゃべらないのか。

アンコールって、何?

夫の疑問に一つひとつ答えながら、私も、あれ?なぜだろう?考えたことなかったなあ。と、新鮮な気持ちになれた。

オーケストラをあまり観たことの無い人には、いちいち珍しく、面白かったようだ。

また、私も

生演奏とCDの違いを体感できた。

倍音の効果など学んでいたので、CDではカットされてしまうような、人間の聴力では感じ取れない波動も、生演奏では、カットされないため、細胞が必要な波動に共振していることを改めて味わった。

ベートーベンは、丹田(第二チャクラ)にものすごく響くこと

シベリウスは、魂に深く響くこと

など、新たな発見があった。


私たちは、本来は、宇宙のすべてを知っている完璧な存在であると言う。

高次元の光。愛の意識エネルギーであるとか。

完全に満たされていると、それに慣れてしまい、自分のことがよく分からなくなる。

愛って何?

光って何?

完璧って何?

受容って何?

許しって何?

わたしって何?


私は、入浴が大好きで、一日に何回も湯船に浸かり、ぼ~っと過ごす。それも心地よいのだが。

時々、忙しくて寒い外出先から帰宅し、冷えきった身体を温かい浴槽の湯に浸した瞬間に

あ~~~~~~~~っ

と、至福の声が出る。

身体がどれだけ冷えきっていたのか。温かいお湯がどれだけ気持ちよく、心身ゆるむものか。これが幸せって言う感覚なのかな。生きてる~って感覚なのかも。

と、普段使わない感覚を刺激され、喜びをひしひし味わうことになる。


例えが悪いかもしれないが、宇宙根源の存在は、こんな感じ?と想像する。

無の中に、揺らぎが生じる

あれ?わたし?という意識

完璧で、心地よくて、満たされていても、比較ができないから、分からない。

そこで、わたしを分離して、比較してみた。

冷たいを体験すると、温かいが分かる。

温かいが、心地よい。これが本来のわたしなんだなあと分かる。

では、いっぱい、いっぱ~い

無数にわたしを分離して

たくさん経験したら、もっとわたしが分かるかも。

愛を忘れてみたら、こんなことを感じた。これを憎しみと名付けてみようか。

何でも出来る能力を手放してみたら、不足感を味わった。この感情を自己否定感と言ってみようか。

様々なパターンで、愛も憎しみも、喜びも悲しみも、ありとあらゆるグラデーションで味わうことにより

本質のわたしをより知っていく。

これを、「光をより輝かせる」と表現する人もいる。


本質から離れる効果は

新鮮と言うところにあるのかも。

これが、当たり前だったけど、失って初めて、大切さを知った。という体験など

分かっていたはずなのに、忘れていたなあという感覚は、誰でもあると思う。


寒い外出先から帰宅して、入浴した時

あまりに、湯船が気持ちよく至福だからと

ずっと入っていたら、どうなるかな。

温かいのが当たり前になると、幸せかどうか、分からなくならないかな。

寒い外出先での体験が掛け替えのないものであり、必要だったことが理解できる。

例えば、チューリップの球根は

凍てつく寒さを体験しないと

花を開かないそうだ。

蝶々は、蛹の時期を経て

美しい羽を持つ体に変容する。

闇があるから、光を認識できる。

光の中で光は分からない。


これを知るために、これがある。

右があり左があるから、真ん中も知る。

宇宙源は、知りたいのだ。

知ることが喜びなのだ。

そして、宇宙源から分離したわたしという意識は

いま、ここに在るという、自己と他を分離して認識している、この意識。

ネガティブもポジティブも

どっちも大切な体験だった。

いま、感じているすべてが

魂にとっては、学びになり、喜びになる。

いま、存在するだけで

実は、成功なのである。


「生きていると

前へ前へ気持ちが行ってしまうけど

一番大切なことは

一番初めにあるのかもしれない

一(いち)、一 (いち)  ·········。」

(映画『神様のカルテ』より)


ひとつから出発し

ひとつへ還る旅へ。


もし、迷ったら

一番初めを思い出してみようかな。


☆面白い本を読んだ。

『宇宙からやってきた魂たちのガイド』我空 著 徳間書店出版

地球に住む魂の八割はスターシードであり、地球由来の魂は意外と少ない。

また、スターシードは、4種類に分類される。

波動と役割の違いだそうだ。

「誰かを救いたい、誰かの役に立ちたいというのは、自分には存在価値がないという自己卑下感を誰かの役に立つことで解消しようとする試みです。仮に役に立てたとしても、自己満足という形で終わります。誰かを救いたいと思うなら、まず自分自身を救いましょう。そこからがスタートです。」161頁より

という文が胸に刺さった。

ずっと前だが、スピリチュアルなセッションを受けた際に、仕事の相談をさせていただき

例えば、カウンセラーとか、ヒーラーとかは、私に合うかどうか聞いてみた。

「合わなくはないけど、あなたが人を助けたいと思えば、どんどん困っている人を目の前に現実化することになるよ。そんな人がたくさん集まってくるけど、それでいいの?」

と指摘され、ハッとさせられた。それは嫌だなと思った。

その時のことを思い出した。

あの当時は、人の役に立つような生き方をするべきという世間の常識に染まっていたから、よく理解できず、モヤモヤしていた。

人の役に立ちたいという心情の背後には、自分の存在価値を味わいたいという自己満足があると言われても否定できないなあと素直に思った。

「感謝を知ると、他の魂たちともつながっていることが理解できます。救ってあげたい人がいるなら、その人も同じように常に誰かに支えられているので、信頼してさしあげるだけで十分に愛は伝わります。」162頁より

「誰かの役に立つとか、誰かを救い出すといった高尚なことをする必要はありません。あなたが、本来の魂のままに戻ればいいだけなのです。」160頁より

私は、本書の属性チェックより

ベート属になるようで

「新しい集合意識を創造することを目的に、地球に降りてきた魂」ということらしい。

昔から、誰かの役に立とうとすればするほど、事態がこんがらがって、自分のエネルギーが枯渇し、動けなくなるか、相手から激しい拒絶を受けるかどちらかになっていた。もちろん、役に立ちたいから、最大限に努力したし、思い付く限り行動もした。手を抜くことは無い。しかし、思いは報われず、毎回悔し涙を流した。この経験は、「私は人の役に立てない価値の無い人間なのだ」「私はどこかおかしいのだ。冷たい人間なのだ。」という思い込みにつながった。

この本のおかげで、少し何か分かりかけてきたように思う。



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