古い周波数から離れる

 


先ほど、ふと湧いてきた古い記憶がある。

おそらく手放すために浮上してきたのだろう。

これは、今から思うと、地球特有の、古くて低い周波数を体験した出来事だったなと思う。

記念に書いておく。


10年以上前の出来事だ。

当時、私は、とある地域の中規模の図書館で正職員として働いていた。

スタッフの8割は非常勤だったため、何かあった時は、私が館長に代わり責任者として行動することになっていた。

館長不在時のある時、カウンターでトラブルが発生した。

私たちは、CDの貸し出し返却時、盤を直視して、傷や割れが無いかどうか確認するのだが、CDを返却に来館した高齢男性が、怒り出したのだった。

彼の主張は、いちいち確認されると時間がかかる。それに、CDを傷つけたと疑われているようで、はなはだ不快だと。以前も、他の図書館で、CDを返却した際に、自分が傷をつけたと疑われたことがあり、その時の対応が許せなかった。等等。

彼は、大人しく優し気な女性スタッフの一人に、一方的にまくし立てており、彼女は健気にも一人うなだれて話を聞いていた。

私は、すぐに彼女の横に立って、まずは彼の言い分を頷きながらずっと拝聴した。いきなり話に割り込むことはぜず、ただ、「大丈夫、あなたは一人じゃないよ。傍にいるからね。」と心の中で隣のスタッフに語り掛けていた。

その高齢男性は、なかなか気が済まないのか、延々と大声でまくしたてていて、館内は、彼の怒声が響き渡っていた。おそらく、他の来館者全員の耳に彼のイライラした声が届いていたことだろう。

頃合いを見計らい、私は合いの手を入れた。

彼が、CDの中身を確認したとしても、自分が壊したと認める人は居ないはず。その確認作業は無駄だと言ったのを受けて

「実はですね。結構効果あるんですよ。CDが破損されて返されることがぐんと減ったんですよ。」と穏やかに声をはさんだ。

途端に、彼は逆上した。

「なんだ、あんた!いきなり話に割り込んできやがって。自己紹介もなしに、失礼だな。まず、話しかける前に、名刺を出すのが常識だろう。あんたが責任者か。」

どうやら、彼の怒りポイントは、別に矛先が向いたようだった。

私は、仕事上、名刺を必要としないため、名刺を持っていないことをおわびし、館長が不在なため、私が代りにお話をうかがいたいとお話をした。

彼は、名刺を持っていないこと、責任者が不在であることを、激しく責め立てて来た。名刺を出してから話を始めるべきであり、責任者は常駐すべきであると。おそらく、彼の価値観の中では、そうされなかったことで、自分が丁寧に扱われていないとプライドが傷ついたのだろう。

館長から後日、電話をして説明をさせてほしいと申し出たが、「私は、電話で誰かと話をするのは嫌いなんだ!」とのこと。では、文書ではどうか?と提案したら、彼の目がキラリと光った。「じゃあ、文書で回答しろ!」どうやら、少しだが、彼のプライドが納得したらしい。

館内に、怒声が響き渡っているので、他の来館者のことも考えなければならない。

事務室で対応させてほしいとお願いしたところ、彼は、「外で話そう」と言ってきた。「あんたは、この口論で勝ちたいんだろう?」と言ってきたので、ビックリした。「勝つつもりなんてありません。」私は答えた。何で勝ち負けの話になるのか、訳が分からなかった。

彼と私は、図書館のエントランスの外に出て、話を続けた。

私の図書館仲間は、誰もついてきてくれなくて、私は一人で彼に対峙していた。ちょっと寂しかった。(まあ、業務もあるし、信頼してくれている証でもあるんだろうけど・・責任者って、孤独なんだなあと思った・・・)

彼は、去り際、「区長に言ってやる!」と捨て台詞を吐いた。「どうぞ、そうなさってください。それで、図書館の対応が改善されるなら、私たちもとてもありがたいです。」と、私は答えた。「〇〇に言いつけてやる!」は、子どもの喧嘩でお馴染みのフレーズだなあと、思った。

彼が、嵐のように去っていき、ほっと息をついた時、背後に一人立っているのに気付いた。

常連の利用者の高齢男性だった。彼とは、会話をしたことは一度もなかったが、顔は覚えていた。

「すみません。うるさくして。」私は、その方に頭を下げた。

その方は、「あんたは、馬鹿だ!一人で外に出て、あんなやつについていくなんて。危ないだろうが!」と、叱ってくれた。

ビックリした。私が一人で外についていってしまい、図書館仲間は誰も同行しないし、これは危ないと、その方は、心配してわざわざ背後で見守ってくれていたのだ。

ぶっきらぼうで愛想の無い、ある意味、人のことは無関心な人物像だと思い込んでいたが、私のことを心から心配してくれて、とにかく傍にいてくれたことに、深く感動した。

翌日、館長は、CDで怒りまくっていた彼の自宅まで赴き、対応の説明と、どう改善するかをお話しした。彼は、あくまで文書を要求した。館長は何度も何度も文書を提出したが、お直し要求が入り(どんな添削なんだ?)館長は精神的に疲弊していった。

最終的に、図書館の大元の責任者と、館長と、私と彼の四者で話し合いの場が持たれ、その日の対応が正しかったのかどうか、小さなこと、言葉の一つひとつまで持ち出され、徹底的に批判を受けた。

彼は、最高責任者の謝罪と、館長の改善策を書き連ねた文書をGETし、ようやく怒りの矛を収めた。

館長は、二週間、不眠状態となり、私はエネルギーが枯渇し、一週間寝込んだ。強烈なマイナスエネルギーを全身に受けたせいだと思われる。

この経験で思う事。

団塊世代が大量に退職し、かつての大会社の有力者たちが、肩書を失っていった。

〇〇部長、〇〇課長、〇〇専務・・等

「ああ、あの会社の部長さん?」と言うだけで、大切にされていたのだろうか。部下からは崇拝され、本人は会社に命を捧げるつもりで、バリバリ働いてきたのだろう。会社を長年支えてきた自負心があり、それが強固なプライドを形づくってしまう。部下を叱咤しながら、仕事を改善し、時代の最先端を必死に走り抜けてきたのだろう。それはそれで、とても素晴らしい業績だと思う。

会社を退職しても、そのプライドだけが歪な形で残されてしまうのは、残念なことだ。

肩書に頼れなくなり、ありのままの〇〇さんに戻された時、自分が一体何者なのか、分からなくなるのだろう。地域のお店や公共機関で、自分の価値観に合うような接し方をしてもらえなかった時、(地域からすれば、過去〇〇部長だったことは無関係だし、全員公平に接しているだけなのだが)そのギャップに、戸惑うのだろうか。

自分は大切にされていない。不当に扱われている。そんな悲しみが怒りとなって沸きあがるのだろう。公共機関やコンビニ、病院などで、怒りまくるクレーマー高齢者が目立ってきているが、認知機能低下とともに、プライドの問題も根深いと感じる。

自分が何者でどうやって生きていきたいのか?と、否応なしに向き合わざるを得ないのだが、ある意味、大組織で肩書に依存して生きてきた仕事人間たちには、退職後の空虚さは、はなはだ堪えるのだろうなと察して余りある。

〇〇部長として頑張られたのは、とても素晴らしいことだ。しかし、その活躍は、会社のためであった。退職し、素の自分に戻された時から、自分のために生き直すことが求められる。素の自分である時、もし人に慕われないと感じるのなら、「俺はこんなに偉いんだぞ!」と怒鳴り散らして怖がらせることは、さらなる自己欠乏感を増長させるだけだ。いくら、考えつく限り、公共機関から謝罪の文書を集めても、(御朱印みたいに?)人として尊ばれ、慕われるから文書がもらえるわけではない。怒鳴り散らし、土下座させたとしても、もうそのコンビニや病院には行き辛くなるに違いない。少なくとも、そこの関係者は、もう心を開いてはこない。せいぜい、ブラックリスト的なものに掲載され、窓口でこっそり継承されていくだけだろう。

そんな方々に共通するのは、古い周波数にしがみついているということだ。

権威、支配、コントロール、怒り、犠牲、などという低い周波数、重い波動のエネルギー。

ピラミッド型の組織の中、ある程度まで上り詰めた成功体験が、その周波数に執着させてしまう。

ただ、その周波数であり続ける限り、安心、穏やか、平和、信頼、などは得られない。

本質の自分から、あまりにかけ離れてしまって、絶えず不安感に苛まれ、イライラしてしまう。不都合なこと、不快な事は、自分以外の誰かのせいであり、不測の出来事に翻弄されるしかない人生が待っている。目の前の現実は、自分が発した周波数が創っているのに。


あれから、10年以上経過した。

今なら、彼にどのように接したのだろうか。

あの日、あの時に、時間を巻き戻すなら・・・・

催眠療法を習い、潜在意識の力を知っている今なら、どうするだろう。

まず、彼をコントロールしようとしないことだ。

ただ、私はそこに居て、穏やかに立っている。

悪意の言葉も引き受けない。透明な身体となり、それらの重いエネルギーは私の身体をただ通り過ぎていくだけだ。

ただ、聞いている。今にあり続ける。(あるいは、ぼやっとしている)

私が無意識の世界につながると、不思議なことが起こる(らしい)

その場に居る人物も、潜在意識につながりやすくなっていく現象が起きる。

潜在意識の中には、ほんとうの自分が居るので、その時の自分に必要な気付きがもたらされてくる。

ベテランの窓口対応者は、実はこれが出来ている。

ふんふんと話を聞いているだけで、いつの間にか、怒っていた相手が穏やかになり、全然別の話をし始めたりする。(思い出話とか)

その思い出は、実は、潜在意識が彼に必要な気付きをもたらすために、記憶の蓋を開けたわけである。彼は、話ながら、当時の感情など、リアルに体感していく。彼は自己催眠状態に自ら入っている。

そのうち、怒っていたことなど、どうでもよくなり、なぜだかスッキリした様子で、「話を聞いてくれてありがとう!」と笑顔で帰って行く。

潜在意識につながると、近視眼的思考から、俯瞰的視野で物事を捉えられるようになるため、「まあ、あんたに言っても仕方ないよな。あんたたちにも事情があるだろうしなあ。」と、相手の立場に立った発言も出てくるようになる。

傍から見ていると、そのベテラン窓口対応者は、ただ、静かにうなづいていただけなのである。何か、とても崇高なことを言って、相手を負かしたわけではない。論争で勝ち負けが決まり、すごすご引き下がっていったわけではないのだ。

ただ、自ら気付きを得て、互いに認め合い、気持ちよく心地よい空間を味わう。

この心境になれば、互いに潜在意識でつながっていることにもなるので、相手の痛みも分かる。「ああ、あなたはこういう気持ちなのですね。よく分かりますよ。」と、今後の業務改善に役立つかもしれないし、怒っていた人も対応者の誠実な心が伝わってくるので、「丁寧に接してくれて、ありがとう。」と素直な気持ちに変わっていく。同調していく。

私たちの本質は、このような調和した状態である。安心、平和、穏やか、優しい、周波数を放つ存在である。もっと言えば、高い次元の光の意識エネルギーである。

地球での体験を成功させるため、思考(エゴ)を使って、低い周波数を身にまとい、相応の現実化を楽しんできたわけであるが、だんだん飽きてきたのも事実。

古い周波数を手放して、重い現実から離れて、本来の自分の生き方へシフトしようとしている。

そう決めた人々は、その古い周波数から離れ、新しい現実を創造し始めている。

やがて、集合意識も変化していくことだろう。

そんなことを思ったので、長々と書いた。

ふと、思い出したのも、やはり、私の潜在意識が、

味わって、手放しましょうね~。と促してきたのだろうと思うので、さようならをしようと思った。


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